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hasunoha 問答検索結果 : 「 般若心経 」
検索結果: 501件

両親他界後のお線香の備え方

何回か質問させていただいてます。 いつもありがとうございます。 本日もお尋ねしたいのでよろしくお願いします。 父が25年前。母は今年他界しました。 母が生存時はなんとか仏壇に手を合わせておりましたが、なるべく実家で仏壇には手を合わせたいと思い、母の他界後、遺品の整理やなるべく長男と揉め事にならない様に気を使いお金を出してきました。 が、長男は私に香典や葬式代が高すぎると請求してきたり、全く嘘八百の遺産相続協議書内容を作ってきたり、 実家は長男夫婦が相続しました。 それに対して何も言うつもりは有りませんが、結局弁護士付けて、一応決着はしまし当方の付けた弁護士も曲者でした。なんだかしょっでした。 全く、人にうまく当たらないですね。。 おもう様にならないのが人生なのかもしれません。 長男夫婦には会うつもりもないし、実家に行くつもりもありません。 先日ですが、小さな簡易の線香立てを購入しました。 部屋が狭く仏壇等は購入不可能です。 本来は線香ってどこであげるのか?不明です。 現在は私と娘が食事するテーブルに線香立てて、暖かいお茶入れて、何かある時は少し線香の前で食べてもらったり。その後私が食べてしまいますが(^_^;) YouTubeで5分ほど般若心経を流してます。 実際はこんなやり方は正しくない。とは思います。 きちんとした場所作ったりしなければいけませんか? 全く作法がわからないので、お尋ねさせてください。 よろしくお願いします

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恨みを忘れたい

度々失礼します。 前回『写経』についてご教示頂いた者です。おかげさまで仏教に少し興味を持ち、般若心経の本も購入して読んでおります。(内容が難しく理解出来ない部分も多いのですが…) 今回は恨み事について教えて下さい。 離婚して10年になるのですが、元夫への恨みが消えません。時々フラッシュバックし、思い出すと言いようのない腹立ち、悲しみ、自己嫌悪に襲われます。月日が経ってもその恨みはあせることなく、当時言われ続けた悲しい言葉たちが次々と脳裏に浮かんで来ては惨めな気持ちでいっぱいになります。 これが元で男性を信じることが出来なくなりました。 ステキだな…と思う人がいても、『どうせこの人も親しくなったら元夫のように変貌するに決まってる』と頭が勝手に決め付けて、上辺だけの人間関係しか築けないのです。 一度は愛し合って結婚した人です。私に二人の子宝を授けてくれた人です。色々苦労はありましたが、これからはお互い別々の幸せに向かって歩めばいいと心では思っているのに… 心とは間逆なフラッシュバックに苦しんでいます。 こんな執念深い自分が嫌でたまりません。いい加減にケジメをつけて前を向きたいです。 皆さまは厳しい修行を積み、日々精進される事で、他人を恨むという気持ちはないのですか? どうすれば私も恨みを捨てることが出来ますか?

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このような動機で僧侶になるべきか?

こんな動機で僧侶になっていいものでしょうか? 月並みなことですが、私の幼少の頃の夢は正義のヒーローでした。 戦隊モノなど、幼い私にはとても魅力的に思えたものです。 それから時は経ち、直接的な正義のヒーローという職などはないということに気付きまして、それでもそれに近い職がないかを考えておりました。 そして、祖父が曹洞宗の方丈であるというご縁があり、僧侶になるという選択肢が出てきて、私は出家をしたくなりました。 なぜかというと、般若心経というお経の意味を本で知ったからです。より良い生き方への道しるべのような意味を持つものだと本で読み、死者や生者を救う仕事のように思えたのです。私自身、あまり善く生きてきたとは言えませんが、この般若心経の現代語訳を知ってから唱えると何か心が安らぎ救われたような気がしました。 このような仏教の教えを深く知りたいですし、それによって誰かを救いたい、仏教こそが私の幼少の頃より目指していたものだと感じました。 今現在、得度すら終えていませんが、このような考えで僧侶になってもいいものでしょうか? 出家するのなら、恐縮ですが善い僧侶になりたいと思います。 ご回答よろしくお願いいたします。

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読経をすすめられた理由

セラピストたちに読経をするようにすすめられます。 私自身も言われたので読経しますが続きません。 読経といっても「般若心経」くらいです 一時期は般若心経とお経を一巻あげていた時期もあります。 読経を薦められる理由は「霊性を高めて欲しい」という理由です。 でも、続けられません。 あげれば心も軽くなり 朗らかに毎日を笑顔と愛に満たされた心地ですごせるのです。 それらを自分自身で感じてきました。 読経という専門的な日々のおつとめに励んでおられるお坊様にお聞きしたいのですが、 やはりお経をあげることを私にすすめられますか? セラピストたちが一方的にすすめたとしても、 私は納得できる回答をうけとれていないのです。 こうして、読経したくない気持ちをここに書いているのも、 たぶん納得できない一つのあがきだと思います。 毎日を明るく過ごせたならとても幸せだと思います。 そうなりたいと思うのにできない自分が悲しいです。 どうして、私はこの世に生まれてきたのでしょう。 そんなふうに、自分自身の存在すら認められなくなってしまいます。 お坊様たちはまいにちのおつとめで何を得られていますか? 多く質問し恐れ入ります。

有り難し有り難し 54
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