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検索結果: 1879件

禅やマインドフルネスについて

いつもお世話になっております。この度は、禅やマインドフルネスについての質問でございます。 当方、少し大きな壁や課題があると途端に不安になり、焦ってしまいます。これまで失敗経験が幸か不幸か少なかったこともあり、極度に失敗や叱責を恐れています。失敗を恐れるなとは言われるのですが中々難しいですね…。 最近は、友人の助言もあり、人に言われたことは大半は受け流して、自分が改善すべきところだけを取り出して改善していくこと、人の意見を過敏に100%受け取らないこと、これを意識していこうと頑張っています。 このような不安定な経緯もあり、またこれからの生き方を漠然と心配し、色々な本で禅や、そこから派生したマインドフルネスというものを少しですが知ることができました。将来への焦りや苦しみは、今ここに極度に集中すると消えて、結果的に人生がうまくいく、というものだったと記憶しています。読んでいて私はなるほどと思いました。焦っている時は何事も手がつけられないというのには覚えがあります。 一方、生きていればもちろん誰でも様々な苦難が降りかかります。時には圧倒されそうな困難もやってくるかもしれません。それをも今に集中することでただひたすらやるべきことをこなしていくとすれば、このプロセスには理論上、焦りや苦しみといったものは存在しないものなのでしょうか。なんだかちょっと信じられない自分がいます。 また、もし苦しみがないのなら、苦しみを経験しない人生ということになると思いますが、苦しみがない人生というのも、なんだか不思議とそれでいいのか…?という疑問が湧いてきました。 自身が禅やマインドフルネスを知って日も浅いため、理解が生半可で的外れな質問になっている可能性はありますが、迷える大学生にお教えいただけたら幸いです。 ここからは質問ではないのですが、率直な気持ちとして、禅やマインドフルネスは、大変魅力的な考え方だとおもうのですが、あまりに自分が短いながらに生きてきた価値観とは違って、心からまだ受け入れられていません。でも、心の底では、このような生き方ができたらな…と羨む思いがあります。

有り難し有り難し 46
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2022/02/25

戦争が怖い。侵略が怖い。強い者が怖い。

 初めて質問いたします。  恐怖に打ち勝つお智慧を、授けて頂けたら嬉しいです。     先日、ロシア軍がウクライナに侵攻を始めました。 (ご回答をいただく頃には決着がついてしまっているかもしれませんが、何卒ご回答をお願い致します。)  成人してから初めての、しかも先進国同士の大きな戦争に激しく動揺しています。両国共に言い分があり、外交上の話し合いで解決できず、政治外交手段としての戦争というのも、大人ですからわかっております。  (本で読んだり、話で聞いて)私は子供の頃から戦争が本当に恐ろしく、家族や自らが無事であるようにずっとお祈りをして生きてきました。大きくなってからは、正しく怖がれるように、軍事や外交の勉強もしました。  それでもやはり今回の侵攻は恐ろしく、ネットには次々と悲惨な報が上がって来ています。現地の方が苦しんでいるニュースに接し、私は居ても立っても居られないほど苦しく、恐ろしいです。そんな中、ウクライナは弱いから攻められた、日本も核武装しないと攻め込まれる、ロシアに舐められたらいけない、という意見も散見されます。  勝てば官軍という言葉があり、この世の中で強さ(暴力?権力?)が何よりも強いことはわかっています。ただ、どうにも腑に落ちないのです。  一般庶民がどんなに努力してもプーチン氏のような絶対的な強者にはなれないでしょうし、国の武力も米露レベルに追いつける小国はそうそうないでしょう。  実力主義の残酷な世界の中で、私のような弱い者は強者大国に震えながら生きていくしかないのでしょうか。お釈迦様が修行されていた頃のインド地域はもっと過酷な状況だったと思います。歴史の中の戦争よりもマシだと思いながら、諦めて生きていくしかないのでしょうか。  開戦の報に接し、同じように怯えている方も多くいらっしゃると思います。  どうか、この恐怖へのアドバイスを頂けますととても助かります。  どうぞよろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 57
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LGBT差別に腹を立てることも煩悩なのか?

私はゲイです。 最近、LGBTの存在が広く知られるようになったおかげで、楽しいことも増えましたが、同時に酷い差別も目だってきました。 もとい、差別は昔からありましたが、ネットの発達によって、いわゆるヘイトスピーチを目にする機会が増えてしまいました。 私もパートナー制度の実現を喜んだりしただけで、虹色のイベントへの参加報告をブログに書いただけで、見も知らぬ人から心ない言葉をぶつけられます。 またゲイとの交流が深まるにつれて、差別で辛い思いをしている人々の話しを沢山聞き、自分と同じ性指向だけに他人事のように考えることは出来なくなりました。 「差別」は他人様がされているのを見るだけでも非常に不愉快ですが、自分が差別されると、その不愉快さは何百倍もします。 だから少なくとも自分は、他の少数派や弱者の方々を差別しないように気をつけていますし、「ヘイトにヘイトで返してはいけない」と自重しています。 でもやはり内心では、はらわたが煮えくりかえります。 いわゆるヘイトをする人には、これを娯楽半分で面白がっている人が少なからずいます。こちらは切実な問題なのに・・・ でも「怒り」は煩悩ですよね。 私は自分を差別してくる人間に対し、菩薩のように接するのは無理です。 私がお不動さんに惹かれるのは、これも理由かもしれません(お不動さんの慈悲の怒りとはほど遠いですが)。 そこで質問なのですが、 仏教でも差別に対しては、「右の頬を打たれたなら、左の頬を向けてやる」べきなのでしょうか? それとも、非暴力、例えば言論等での抵抗はゆるされるのでしょうか? 差別に対する怒りも煩悩であり、消さなければならないのでしょうか? よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 84
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死後の夢、来世の不安

また質問させて頂きます。 最近、少し死後の事などについて調べています。 死後は、閻魔大王様やいろんな裁判を下すお方がいらっしゃいますよね。そして来世、どの世界で生きることになるか決められるとありました。 変なことかもしれませんが、私は死後、夢を持っています。仏様に生前で学んだ事や楽しかった思い出をお話ししたいのです。こんな素晴らしい出来事があり、こんなことを学びましたよ、とか、こんな辛い事が、こんな風にして頑張りましたよ、とか。 そして仏様の元で雑用をこなし、時がきたらまた日本人として転生したいのです。 こんな夢があるのですが・・・、叶うでしょうか? また、お話が変わりますが来世に対して 不安があります。 地獄道や餓鬼といったところに落ちていく人もいるのですよね? そこで何兆年も暴力などによって苦しまなくてはいけないと、知りました。 行きたくないです・・・。皆そうでしょうが、そんな場所でどうして殺し合いをしなければならないんでしょうか?? 何のメリットがあってそんな場所を仏様がご用意なさったかわからないです・・・。 ただ苦しむだけですよね? どんな罪を犯した人でもそんな場所に落ちても、ただ苦しむだけで何も学べないんではないでしょうか・・・。 来世、私や私の回りの人達が地獄に落ちてしまうのではないかと思うと不安でなりません・・・。 もし、地獄や餓鬼界があるとすれば、そこに行かずにすむ方法を教えて下さい! ご回答、お願い致します。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2
2023/12/20

何のために人間は存在しているのですか

初めて質問します。 カテゴリーをどこに当てはめたらいいか迷ったので一応"その他"にしました。 内容はタイトルの通りです。 人間がなぜ、何のために存在するのか、仏教やお坊さんの視点ではどう捉えられているのか知りたいです。 生まれてから今まで色んな人たちと出会い、関わってきましたが、その中で人間の欲深い所、醜い所を嫌と言うほど見てきました。 男も女も年齢も関係ありません、本当に人は救いがないなと感じます。 ニュースでも戦争とか暴力とか犯罪とか、見てるだけで心が痛くなるような残虐な行為を平然とやってる人達にも恐怖を覚えます。 そして私も、醜い所を沢山持っている自覚があるのでそんな自分も恐ろしくて仕方ありません。 もっと綺麗な人(外見ではなく精神的な意味で)でいたかったし、優しい人でいたかったし、強い人でいたかったです。 でも、私もたくさん人を傷つけました。 私も良い人間にはなれませんでした。 まともな人間なんて自分含めて誰ひとりとしていないんだ、人間という生き物そのものが穢れた存在なんだなと思うようになりました。 だからこそ疑問なんです。 どうして人間はこんなにも醜い感情を抱くように作られているのですか。 人間が存在する事で得をする存在がいるのでしょうか。 こんなに醜い存在なら人間なんて別にいなくてもいいのではと思ってしまいます…。 もし人間が存在するちゃんとした理由が仏教の中にあるのなら、それを聞いて自分の中で納得したいです。 拙い文章で分かりにくかったら申し訳ありません。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 27
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神や仏の存在とは?

今日、ふっと思った事の答えを教えて欲しいです。 この世には色々な宗教、宗派がありますが、基本的には人々を幸せに導く為や心の拠り所として神や仏というものが存在しているんだ思います。 しかし、事件や事故に巻き込まれて突然命を奪われて亡くなる人もいたり、生まれつき障害や病気を抱え生涯苦労したり生まれてすぐ亡くなる子供がいたりします。 また、生まれ育った環境で心に傷を負ったまま生きていかなければならない人達もいます。 第三者は同情したり励ますだけで終わってしまいますが、当事者やその家族は「なぜ?」「どうして?」と言う疑問や悲しみだけしか残りません。 人は神や仏に助けを求めたり幸せになれる事を祈り信仰してるんだと思いますが、なぜこの様な差と言うか違いが生まれるのでしょう? 当事者や家族にしてみれば祈りや信仰は何の意味も無いし、悲しみを癒してくれるものでもないと思ってしまうのではないでしょうか? そう思うと神や仏とはいったい何の為に存在してるのでしょうか? 私の友人の奥様は5歳の子供を事故で亡くし、その後生まれた子供もわずか6ヶ月で病気で亡くしました。 奥様は廃人同然の様になり今も精神科で入院しており、友人も以前とは見る影もない程落ちぶれてしまいました。 きっと幸せな生活を夢見てたと思います。 ニュースで土砂崩れに巻き込まれて21歳の女性が行方不明になっているのを見て、その女性もこれからの人生に夢と希望を持ってたはずだろうなぁと思っていた時、神様って何なんだろうとふっと思ってしまいました。

有り難し有り難し 59
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友人の自殺願望を止められません。

こんにちは。 友人が死にたいと言っており、なんとか思い留まるように説得していますが、友人の決意は固いようで困っています。 その友人は、ある国家資格を取るために勉強をしています。資格取得の試験は年に一度しかなく、もう6回も落ちています。 その資格を取るために残業のない仕事に転職し、昼間働いて夜は学校へ、という生活をもう6年以上しています。学費と生活費と両親の借金の返済で、ギリギリの生活をしているので、とにかく資格を取得して、たくさん稼ぎたいとのことです。 今年も試験が終わりましたが合格の可能性は低いようで、私に、今年合格しなかったらもう死ぬ。もうこれ以上頑張れないから。と言います。 親の借金を返済しながら、少ない給料での長年にわたる受験勉強に疲れ切っているのです。 私は友人の頑張りをずっと見てきました。なので毎年試験に落ちる度に励ましてきたつもりです。 しかし、今回は説得しても私の言葉は伝わらないようで、自分は結婚もしてないし、金もない。親の借金まで背負って、生きていてもいいことなんか何もないから死ぬんだ。もういいから、と言うばかりなのです。 どうしたら、どう言葉をかけたら友人は自殺を思い留まってくれるでしょうか。 何もしてあげられない自分がもどかしく、こちらに投稿させて頂きました。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 44
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明けましていきなりですが、作麼生・説破(そもさん・せっぱ)

明けましておめでとうございます。 昨年は色々とありがとうございました。 新年になり、ふと思い出したことがあるので二つ質問です。 一つ目はある私の大嫌いなパンクな僧侶が、 『門松は冥土の旅の一里塚めでたくもあり めでたくもなし』 という歌を残して、正月に京の街をシャレコウベを持って『ご用心なさい』と言って練り歩いたという逸話があります。 最初は、死に近づいてるのだから有難がるなよ、髑髏のような死体になるから気を付けなさい、という意味かと思っておりました。 しかし最近は、『寂滅為楽の涅槃に近づいた。めでたいな。でもまだ涅槃への道は遠い、めでたくないな(浮かれてはいられないな)。用心してしっかり行かないと』 と考えるようになりました。皆様の解釈はいかがでしょうか。 (死や死に向かっていく事に対してはめでたいも、めでたくもないのですが) 二つ目は、婆子焼庵という公案です。 内容は以下転載です。 『ある老婆が、一人の修行僧のために草庵を建て、 衣食住の一切を世話をして20年が過ぎた。 そこで「そろそろ いいか」と、娘を世話する ことにした。すると 修行僧は「枯れた木が 寒い岩に立つように、私の心は燃えない」と 言って、娘の誘いをはねのけた。 娘からその報告を聞いた老婆は「20年も世話 してきて、まだ こんな生臭さか!」と怒り、 修行僧を追い出し、庵も焼き払ってしまった。 さて「婆さんの真意はいかに」というもの』 私なら、何故私を気に入ったかを聞いて顔や身体です、とか言われたら返事を翌日まで保留にして、そのまま旅に出ます。 性根や内面が気に入った、とか言われたら、一緒に出家しようと誘います。 片方が顔や身体を気に入って、もう片方の人が内面とか言われたら内面が良いと言ってきた人を出家に誘って、庵を出ていきます。 皆様はどんな解釈や回答になりますか? (作麼生・説破の使い方が違うのはお許しください)

有り難し有り難し 43
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この世からきれいに消えたい

 同じような悩みはたくさん寄せられていますし、わざわざ質問するのもどうかと思ったのですが、アカウント登録してしまいました。 自分はとにかく面倒くさがりです。 この世で起こっている出来事は絵物語のようです。 わざわざ苦労してまで生き続けるのはやはりナンセンスです。 断食や息止めも試しましたが長く続きません。 いっそ不食者になりたいです。 断食のコツも知りたいです。 片付けも遺書も中途半端になってしまいました。 人とかかわるのもやめれたらいいんですが、そこまで徹底できていません。 創作が好きではありますが、同じようなことがぐるぐると巻き起こっている世界でわざわざ物語やら何やらを創造するのもな……と虚無感が起こります。何か物凄い情熱でもあればよかったのかも、と考えましたが、あったらあったで気分が悪そうです。 前のめりだったときに出家しようかとお坊さんに問い合わせたことがありましたが、実際の差別だとかの話を聞いてやっぱり違うと思いました。  生かされているだとか感謝の気持ちが大事とはよく聞きますし、そんな心構えの方がまともなんでしょうが、私は自分の意思と関係なくなんかよくわからないままに生まれさせられたのだと思います。もし生まれる前の世界があるとすれば私は生まれたくないと言ってどこかに隠れるはずだからです。 どうにかして今生ですべてを断ち切れたらいいなと思います。 この世からきれいに消えれたら幸せです。 生きながら無の境地に達するとどうなるんですかね。 どんな仕事でももくもくとこなすのでしょうか。 はたまた大勢の人を救うような活動でもするんでしょうか。  心境を述べているだけですが、何かコメントをいただけると参考になります。

有り難し有り難し 49
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俗に言う、不良の優しさについて

今回もお坊さんの意見を聴きたく、再度質問させて頂きます。 悪人だった人が更生したり、他人に優しさを見せたとしても、元々普通に生きていた人や優しい人がいるから、更生や他人に優しくする事自体が普通であり、褒められることではないという意見がSNSやインターネットでよく見られます。 ただ、私はこの意見に少し疑問があります。 確かに、元々優しい人がいるのは事実であり、その人は褒められ、賞賛されるべきであると思いますが、それが悪人であったとしても同様であると自分は思うのです。そもそも、その人が悪人になってしまったのは相応の理由があるかもしれませんし、周囲の環境が悪く、他人のことを考える暇がなかった可能性があると思います。また、これは自分の考えになりますが、周囲に優しさを見せる事によって、褒められる、賞賛される事実を見せて、他人に優しくする事へのメリットを見せた方が、その人にとっても、周囲の人にとってもそちらの方が平和であると思っています(見返りが返ってくる前提の優しさはどうかと自分でも思ってしまいますが) ただ、自分と同じような意見が少なく、これは自分が間違ってしまっている可能性があると考え、また再度、お坊さんの意見を聴きたいと考えました。 お坊さんは悪人の優しさについて、どのように考えますか?ぜひお聞かせ願いたいです。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 48
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