般若心経の「無」について
こんにちは。
般若心経の
「無色無受想行識・無眼耳鼻舌意・無色声香味触法」
の部分について疑問があるので質問します。
般若心経で「空」と言うと、単に「無い」とか
「虚しい」とか言うものではなく、
「縁起として存在し、固有の実体を持たず、執着の対象ではない」
と言う程度に私は認識しています。(間違っていたらご指摘ください)
しかし「無」となると、どのように読めば良いのでしょうか?
「無」も「空」と同じようなものとして考えれば良いのでしょうか?
上記の部分について、字面通りに受け取ると
「すべての感覚器官と意識作用をシャットアウトせよ」
て言ってるようにも受け取れてしまいます。
もちろん、そんな単純な事ではないと思うのですが・・・
「現実をそのままに見よ」と言うのが
仏教の基本的な考え方だと思うのですが、
「無」と言う字で表わされては「見るな、聞くな、・・・」と
言っているように思えてしまい、ひいては現実世界そのものを
否定しているようにも思えるのですが、
如何なものでしょうか?
それとも、このように字面を捉えて理屈で考える事自体が
仏教の本質から遠ざかっているのでしょうか?
最近、毎日お唱えしている般若心経ですが、
上記の部分が妙に気になってしまうので質問しました。
ご教授頂ければ幸いです。
有り難し 72
回答 4