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hasunoha 問答検索結果 : 「音」
検索結果: 1702件

人生相談

はじめまして。 神奈川県在住の23歳です。 2ヶ月前に入籍し、只今妊娠中7ヶ月です。 私は結婚するまで母と2人で暮らしてきました。 父親の事はあまり知りません。 そのためか、早くから家庭を持って母を安心させたいと思ってました。 しかし、いざ子供ができると男性はこんなにも頼りないのかと思うようになりました。 女性は身籠った時点で母親になれますが、男性は簡単に父親になれないので頼りないと思う事が増えました。 例えば、生活費と病院の検診費用など最近やっと頂けるようになりました。 それも私の貯金がなくなり、もういい加減にしてくれと私が不満を爆発させてやっとです。 病院の検診費用も「先月は払ったよ」と言われた事もあり、なんでこんな男性と結婚してしまったのだろうとも思いましたし、簡単に子供作ってしまったのだとも思いました。 子供に一切の罪もないのに。 不満を爆発させて「実家に帰る」というと焦ってごめんと平謝りしますが、反省や謝罪もその場だけなのです。 しかし、子供がお腹の中にいる今は別れるなんてできません。 こんな私は身勝手なのでしょうか? 謝罪され許してを繰り返して、成長がない人はダメなのでしょうか? 私が妥協して許していくしかないのでしょうか?

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南無阿弥陀仏をおとなえする意味について

私の家は浄土宗の檀家です。 浄土宗(浄土真宗も同じだと思います)では、「ただ南無阿弥陀仏を唱えれば、臨終に際して阿弥陀様が現れて浄土に連れて行ってくださり、そこで悟りをひらいて救われる」という思想だと理解しております。 しかし、どうしても心の中にもやもやが残ってしまいます。 といいますのは、「南無阿弥陀仏を唱えれば浄土に連れて行ってもらえ、悟りをひらける(=救われる)」というのを裏を返せば、「南無阿弥陀仏を唱えない人は悟りをひらけない(=救われない)」ということになってしまわないかと思うのです。 「自分に帰依しないもの、信じないものは救わない」などと、阿弥陀様はおっしゃるようには思えないのです。そんな心の狭い方ではないと思うのです。 おそらく「信じるものは救われる、でも信じてない人も救ってあげるよ」とおっしゃると思うのですが、ではそうなると「南無阿弥陀仏」をお唱えするのに果たして意味があるのかどうか、唱えても唱えなくても救われるのであれば、なぜ「南無阿弥陀仏を唱えると良い」とされているのかという疑問がわいてきます。 つまり 「南無阿弥陀仏を唱えないと救われない」→阿弥陀様はそんな心の狭い方だろうか? 「南無阿弥陀仏を唱えなくても救われる」→じゃあなぜ南無阿弥陀仏を唱える必要があるのか? という板ばさみといいますか、ジレンマに陥った気分になるのです。 これについて、お坊さんの見解をお聞きしたく、よろしくお願いします。

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