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hasunoha 問答検索結果 : 「名前」
検索結果: 2518件

仏壇を前にしての悩み

これから軽め・重め問わず、色々な事を質問していきたいので、どうぞよろしくお願いします。 私はぶっちゃけ寺というTV番組を、深夜枠のときから見だして、仏教や寺との付き合いに興味を持ちました。 その影響でリビングにある仏壇の前に、ちょくちょく気が向いたとき、座るようになりました。 しかし、私の家は日蓮宗ですが、いざ仏壇を前にすると、いろいろ悩みがあります。 1,正しい作法を知らない。  お鈴の仕方。  南無妙法蓮華経は何回?  他に仏壇で唱えるべきお経。  その順番など。 2,日蓮宗では南無妙法蓮華経と唱えましょうと言っているが、意味も分からず唱えることに疑問。  本のタイトルを唱えて、本の内容は知らないのは滑稽さを感じる(法華経が、今を生きることの大切さを説いている、というのは何となく知っている) 3,家族はこういうことに無頓着、皆がテレビ見ている中、仏壇の前に座って南無妙法蓮華経と唱えると、かなり恥ずかしい気持ちになる。  20代一般人の自分が、仮に熱心に仏壇でお勤めしていたら、ちょっとヤバイ奴だと思う。自分でも友達にそういう人がいたらヤバイと思う。 など、単なる疑問や、体裁に関しての悩みが多いです。 最初は、勝手がわからずに南無妙法蓮華経と、唱えてました。 ですが今では恥ずかしさや、よくわからないまま南無妙法蓮華経と唱えることに、モヤモヤした気分になることから、一人の時に、線香一本上げて、チーンして、手をさっと合わせて、逃げるように後にして終わりです。 仏教をヤバイ宗教とは思わないですが、一般人が、特に若い人が、少しでも宗教に熱心だと、ヤバイ奴とみなされる日本社会の影響だと思います。 信者という言葉自体が、現代では負のイメージですし。 どうすればいいのか、どう考えたらいいのか。 まとまりのない質問文ですが、宜しければお答えよろしくお願いします。

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当時仲の良かった女性を思い出す

長文失礼致します。 私は2008年の6月までさいたま市に住んでいました。その後、転勤で富山市に引っ越し、現在は妻と子の3人暮らしです。 最近、12年前に仲良くさせて頂いた一つ年下の女性が頻繁に頭の中に思い浮かびます。 その子とはSNSで知り合い、約半年程のお付き合いでした。富山に転勤が決まった際は、富山のアパートにも何度か遊びに来てくれましたが、やはりお互いの距離や価値観の違いから、ケンカ別れの様な終わり方をしてしまいました。 その子と私には共通の好きなバンドがありました。 そのバンドの曲は今でもたまに聴いており、その度に過去を懐かしむ自分がいます。懐かしむことはよくあることだと思いますが、10日程前から特に気になり具合が強くなり「あの子は今元気でやっているのだろうか?」と頻繁に考えてしまう様になってしまいました。 別れた際、携帯の番号やメールアドレスは消去しましたが、当時その子が住んでいた住所と電話番号は覚えていました。気付いたら手紙を書いていました。 「あれからかなりの月日が経ちましたが、私は変わらず富山で生活しております。○○さんは元気でやっていますか?お互い、新たな生活を始めているかと思いますが、もし御迷惑でなければ久しぶりに近況報告などが出来れば幸いです」 という内容(実際はもう少し長い)で、最後に電話番号とメールアドレスを添えました。電話もしてしまいましたが、今はここにはいないと言われました。 電話に出た方から「10年以上も前ですので…手紙は結構です」と言われてしまいましたが、「捨てても構いませんので」と伝え、手紙を出しました。返事は来ないと思います。SNSでも探しましたが、facebookには登録があるものの、放置状態でした。メッセージを送りましたが、これも返事は期待できません。 半年間?と思われるかもしれません。しかしながら、私にとっては良い思い出も辛い思い出も色々ありました。10年以上経った今では全てひっくるめて大切な思い出です。あの頃の思い出話や近況報告をしたい気持ちが強くなり、頭の中がモヤモヤしています。

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末期癌の母の付き添いが辛いです。

私は母の死を乗り越えられるのでしょうか? 辛くて逃げ出したいです。 昨年の2月に母の末期癌が分かり、ずっと母の介護をしてきました。 先月、緩和ケアに入院し、今日、先生からは余命は週単位だと言われました。 癌が分かってから、私は仕事を辞めて、心身共に母を中心に生活してきました。 今も、週に何度かは病室に泊まり、ほぼ一日中、病室で過ごしています。 それだけに、母が逝ってしまった後の喪失感を考えると、怖くて怖くて仕方ありません。 周りの人からは、「ずっと付き添っていられるのは幸せなことよ。お母さんとの時間を大切にしてね」と言われますが、どんどん弱っていく母の側にいるだけで、私の心が潰れてしまいそうになって、これでは、母との大切な時間を無駄にしてしまいそうです。 母の側にいるのが辛い理由として、残された時間が少ないことを母本人に隠しているということもあるのです。 なので、母は「頑張って食べないと元気になれないもんね」など、元気になると信じて頑張ろうとしているのです。 その一方で、どんどん弱っていく身体に、何となく気が付いている感じで、たまに悲しそうな目をします。 そんな姿を見るのが辛く、できることなら逃げ出して、知らない間に逝ってくれないかなぁと思ったりしてしまいます。 母にとっては、どうしてあげることが良いのでしょうか? 私は、どうしたら乗り越えられるのでしょうか?

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2024/09/27

現実と思い

こんにちは。 いつもお世話になっております。 先日、約2週間ほどタイとマレーシアに行ってきました。人生初の海外旅行です。渡航前にトラブルもありましたが、無事に体調も崩すことがなく日本に帰国することが出来ました。 タイに行った際、いろんな有名な寺院や博物館などに行き、お釈迦様の人生を学んだり、出家や悟りについて勉強したりしました。ある有名な寺院に行き、エメラルドグリーンに広がる屋根を見ながら坐禅を組んで眺めていました。すると、不思議と心のモヤモヤや悩みが一気に吸い込まれているようで、気づけばずっとボーッとしていました。 悩みとかがなぜかちっぽけに思えて、健康がどれだけ素晴らしいものか過去のことを思い出しました。昨年大怪我をしてしまい、毎日辛く、後悔と健康体ではない自分の体に苛立ちを感じました。でもまだ跡はあるけれど少しずつ治ってきた自分の体を見て、治る力があるということ、辛くても乗り越えることができたこと、この力があるっていうことは、怪我は健康状態でなくても、あるいみ私自身の体や心は健康だったのではないかと、坐禅を組みながら感じました。こんな気持ちになったのも初めてで、正直タイに行って、仏教に触れる度、不思議な気持ちになるというか、変な言い方になりますが、お釈迦様はいらっしゃるんだな、仏様は本当にいらっしゃるんだなと強く感じる場面が多くありました。その度にパワーをいただいたというか、僧侶の方にもご祈祷していただき、それ以来、気持ちが変わったといいますか、長旅で心も体も疲れているはずだけど、生きる力がたくさん漲った感じがします。この瞬間が本当に幸せに思え、旅行中何度も思いました。人生、様々なことがあるけれど、この旅行先での最高の幸せに出会うための備えって、健康であることなんだなと何度も感じました。 日本に帰国したあと、待っていたのは人間関係の悩み。生きる力は未だにたくさん漲り、むしろ挑戦したいことばかりでうずうずしています。だけど、友達に気を使うことが辛くて、朝も辛いなと呟きながら出発しました。 明日も会わなきゃ、大丈夫かな、何かあったのかな、ちゃんと話の輪に入れてるかな、常にある友達といると思います。 1人になると、なんでこんなこと思わなきゃいけないんだと我に返ってしんどいな、辛いなと嘆くばかりです。 こういうとき、どのような心構えで過ごしていけば良いのかと思います。

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亡くなった母について①

母は、3年近く前、数ヶ月の壮絶な病との戦いの末70代で亡くなりました。亡くなる直前まで、仕事(専門職)をしていました。 病が分かった時点で、母は死を覚悟しており、エンディングノートを遺していました。そこには家族への感謝とともに、お葬式、お墓はいらない(父は健在、他県出身で次男、住んでいる所はもともと母方の地元です。また父母とも無宗教)こと、遺骨は拾わないでほしいと記されていました。これは、生前、母が私たちに直接言っていたことでもあります。亡くなったら、近しい人を呼んで、花をたくさん、あとは母が好きだった曲をかけてほしい、病院、お別れ会の費用は、母の貯金から支払うよう、指示してありました。父は、すべて母の希望通りにしたいという考えでした。 しかし、亡くなった時、母方の親族(兄弟たち、私から見て叔父、叔母)から、全くお経もあげない、御坊さまも呼ばないのは非常識だとの意見が出て、母方の実家の菩提寺(浄土宗)の御坊さまに来ていただき、通夜と、お別れ会でお経をあげていただきました。(戒名もいらないという希望だったので、その旨ご住職に伝えましたら、かなり非常識だとご立腹で、いきなり母の枕元で、○○万包んどいて!と仰り、また父のお寺不信が過熱しました) 音楽は渋々、お経が終わってからならいいと仰いましたが、母の好きだった曲のCDが見つからず、かけてあげられませんでした。 火葬場で、父に、母のお骨をゴミのように始末するのは耐えられない、拾うのが駄目でも、火葬場の方に拾ってもらって、箱につめたのを受け取りたいと伝えたのですが、母が嫌がったことを何故しようとするのかと叱られ、受け取れませんでした。 3年近くたち、今だに後悔しています。お墓もない、遺骨もない、母がちりみたいに消えてしまい、拠り所がどこにもない気持ちです。もっと強く父に頼めばよかった、土下座してでも、、という後悔や、母は、後にのこる私や兄に、お墓の維持などで負担をかけたくないという強い信念を持っていましたが、それは私たちが好きこのんでしたいことで、母に生前に、迷惑なんかではない、私たちがやりたいからと伝え、説得すればよかった、などど、いつまでも心が晴れません。 お別れ会も、ご住職のかたくなな態度で、あたたかいとは言い難い雰囲気でしたし、後悔ばかりです。

有り難し有り難し 10
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