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問答一覧
検索結果: 2038件

子孫に因果応報?

こんにちは。 仏教を勉強するうちに今まで誤解していた色々なことが明らかになって、例えば、今は無我もちょっとだけ納得できるようになりました。だいぶ落ち着いてきたのですが、実は因果応報について気になっていることがあるんです。よかったら、お暇な時に教えてください。 因果応報とは、良い事も悪い事も自分がやった事の結果が出て来るということなのですね。親や祖父祖母、そのまた上のご先祖様の代の因縁を自分が背負うなどということはあるのでしょうか。 借金など明らかなものではなくて、例えば何代も前の先祖の行いが悪くて人を泣かせていたから今度は子孫が泣かされるめぐり合わせになるとかそういうことです。そういうのは何代も前になれば事実関係を確かめられなくなっていきますし、気にしないで自分がしっかりしていれば大丈夫だ!と思うようにしてはいるけれど....でも、いかにも血のつながりで受け継がれていきそうな気がしないでもないんですよね。お坊さんのような人で先祖の因縁の話をする人がいたので、今でも時々ちょっと気になります。 因縁が受け継がれて子孫に因果応報が出て来るということはあるのでしょうか。 追伸 因縁を断ち切るお祓い数十万円とかいきなり言われたらさすがに怪しいと思うのですが、仏教の話もちょこちょこ入ってくるともっともらしく見えたりもするから....人の心って、もう大丈夫だと一度は思ったつもりでも迷ったりする頼りにならないものですね。自分で自分のあやふやさに笑ってしまいました。

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彼をかえてあげたい。

現在、高校一年です。 入学してすぐに、黄檗宗のお寺の息子さんとお付き合いするようになり、今で8カ月になります。 とても仲良くしてるのですが彼の性格上、ケンカをすると口いっぱいに文句を言われます。 お前と俺の住む世界は違う。とか、お前に俺の家の事のなにがわかるねん。とか、とにかく理不尽な理由でキレられ、毎回私が謝って仲直り。みたいな感じです。 とにかく、口いっぱいにまくし立てて言ってくる彼の性格をかえてあげたいのですが、彼は以前、周りの顔色ばかり見て心を病んだ過去があるらしく、思いっきり言い返すこともできません。 私が言ったことで、病んでしまったらどうしようという思いがあります。 別れる事も考えましたが、私が居ることで精神安定している。と彼が言っていた事を考えると、別れる事を考えるより、彼の性格を何とかしてあげたい。と、言う気持ちになりました。 どうしたらいいでしょうか? 彼の家は、男3人兄弟の長男でとてつもなく、期待をされてるみたいで、デートをしても朝早くから遊んで、4時には帰る。夜まで一緒にいた事もありません。お父さん、お母さんの言う事にとてつもなく忠実で、右向け右の状態で自分の意思は家では無いみたいです。 どうしたらいいですか?

有り難し有り難し 15
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49日までの間、残された私達がするべき事!

父が、急死して母は毎日泣いてます。 「お父さんは自分が死んだ事に気付いてないと思うから、あっちにいけるか心配」と母は言います。 もちろん、ささやかですが葬儀を済ませ、実家には毎週、曹洞宗のお坊さんがきて下さりお経をあげて下さってます 実家へも車で片道三時間かかりますが、出来る限り私も行って、父に手を合わせ「お父さん大丈夫だからね、私達も頑張るから!」と声をかけに通っています。 父は、一瞬過ぎて、死んだ事にきづいていないのでしょうか? 私達の事は見えているのかな? 49日までに、してあげると良い事、その後出来なくなる事など何か些細な事でも、ありましたら教えて頂けたらありがたいです。 一番近くにいた父がなくなり、49日までのお互いの過ごし方やマナーなど、きっと知らない事もあるのでは、と不安です。 お花、お経、ロウソク、通常のお供え物の他に仏様が、喜んでくれる物や事もあれば、ぜひお教え下さいm(__)m いまだから、父にしてあげられる事、してはいけない事、初歩的な質問かも知れませんが、改めて教えて下さいm(__)mませ。 お忙しいところ、最後までお読み頂き感謝です ありがとうございますm(__)m よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 41
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なぜ人は人を殺してはいけないのか。餓死による自殺について。

 社会や宗教はよく、「人は人を殺してはならない」と説きます。しかし、僕はこの問いに対して自らの内に納得できる答えを出すことが未だできていません。  決して僕自身は人を殺したいとは思いませんが、僕は別に人を殺したいなら殺してもいいと思うし、殺してしまったらならそれは仕方がないと思っております。  よく、自分が殺されたくないなら人を殺すな、だから人を殺してはならない、という回答を散見します。しかし僕はこれに納得していません。その相手が憎くて「殺されてもいいから、殺してやる」と思う場合、人を殺してもいい、ということになってしまうからです。  僕は度々報道される殺人事件のニュースを見ると悲しくなってしまうのです。「なぜ人は人を殺してはならないのか。」この問いに対する真実の答えがこの世のすべての人に知れ渡れば、殺人事件や戦争などという悲しい出来事がなくなると思うし、自殺もなくなると思うのです。  僕は決して殺人を犯した人がいなくなればいいなどとは思いません。殺人を犯してしまった人も、この地球に生まれ落ちた我らが同胞であり、兄弟であり、愛すべき存在だと僕は信じているからです。  そして、僕は生きる苦しみから逃れたい、自殺したいと思っていた時期がありました。自殺も、つまるところ「人(自分)が人(自分)を殺す」という事象に当たると思っています。自殺もいけないことだと真っ向から否定してほしいのです。  僕は生きる悦びを手にし、その生きる悦びを愛しているので自殺することはないと思います。しかし、この地球上に生まれ落ちた愛すべき存在を、殺人や自殺などといった形で失うことを、僕はただただ悲しいと思うことしかできないのです。  また、自殺の方法として餓死を選んだ場合、人は生きる苦しみから解放されるのでしょうか?一般的に自殺は生きる苦しみからの逃げ、だと僕は思っています。自殺の方法として餓死を選んだ場合、それは生きる苦しみと真っ向から向き合うことだと考えています。  近い将来、自分が餓死による自殺をしてしまうのではないか、と不安になる時があります。

有り難し有り難し 32
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理性じゃ死にたい欲求は消えない

もはや現実的な解決策は試し尽くしたといって過言ではない。 私は人生と戦った。 私はそこらの偶々運が良かった人達、ただただレールに乗る人達、親が恵まれてた人達、何も考えることも無く低次元なレベルの生き方をして何も学習することも無いまま哲学や物理学などを学習せず中学レベルで切り捨ててるボケどもより完全に人生の問題に対する解決策を試してますし考えてます。 勿論そこらのカスみたいなアドバイスや低次元の道徳の教科書レベルの文言なんて何億回も聞いてます。 でも友人やカウンセラー含めて悩み相談を聞く側がそこまで悩んだことが無いから当たり障りがないアドバイスしかない。 もう沢山だ。 そんな現実的な解決策が無く、ヤバい状況なら幾らでも解決策を試してるよ。 リアルタイムで生きるのが嫌だから、解決策が無いから自殺する人が絶えないんだよ、だから自殺者毎年数万人なんだよ。 そして自殺を考えてて本当頭おかしくなるくらい自殺願望者は自殺を自発的に止めようと努力する。 だからネットや病院やお坊さんに死に物狂いで相談する。何とか誰か助けて欲しい。 そこで返ってくるのは「辛いなら死ねば?不幸なやつとか生きてる意味ない」とかの冷たい言葉。 私が「そもそも人が生きてる意味という命題に対する答えを全人類含めて誰も根拠として持ってなくお前にもないんだけどなw」と返答した所で自殺したいという不幸な状況は変わりません。 自殺するとして死は恐怖であり、生きるとしても人生に苦しんでる。 人という存在は悪でありズーート争いをしてきてて「辛いなら死ねば?」とか「さっさと死んだ方がいいよ」とか言えるのは寧ろ当然というか。人間に希望は無いんだなって思う。 だから最後は宗教にすがってる。 助けて欲しいくらいに沢山質問しました。でもどんな良い回答を貰っても現実が解決されるわけではなく理性じゃ死にたい欲求は消えない。 寧ろ1人のお坊さんから貰った人格否定を含む嫌味な言葉で仏教が嫌いになりかけてました。 だって暴言吐いても修業中だからオッケー!みたいな論理を使えば他人に危害を加えてもオッケー!みたいなのがまかり通る。 まあなんにしても最後は宗教に縋りたい、なんとか楽しく生きたい。 なんかしら助けて欲しい。知恵を分けて欲しい。意味はないかもしれないけど、もはや限界に近い。

有り難し有り難し 31
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LGBT差別に腹を立てることも煩悩なのか?

私はゲイです。 最近、LGBTの存在が広く知られるようになったおかげで、楽しいことも増えましたが、同時に酷い差別も目だってきました。 もとい、差別は昔からありましたが、ネットの発達によって、いわゆるヘイトスピーチを目にする機会が増えてしまいました。 私もパートナー制度の実現を喜んだりしただけで、虹色のイベントへの参加報告をブログに書いただけで、見も知らぬ人から心ない言葉をぶつけられます。 またゲイとの交流が深まるにつれて、差別で辛い思いをしている人々の話しを沢山聞き、自分と同じ性指向だけに他人事のように考えることは出来なくなりました。 「差別」は他人様がされているのを見るだけでも非常に不愉快ですが、自分が差別されると、その不愉快さは何百倍もします。 だから少なくとも自分は、他の少数派や弱者の方々を差別しないように気をつけていますし、「ヘイトにヘイトで返してはいけない」と自重しています。 でもやはり内心では、はらわたが煮えくりかえります。 いわゆるヘイトをする人には、これを娯楽半分で面白がっている人が少なからずいます。こちらは切実な問題なのに・・・ でも「怒り」は煩悩ですよね。 私は自分を差別してくる人間に対し、菩薩のように接するのは無理です。 私がお不動さんに惹かれるのは、これも理由かもしれません(お不動さんの慈悲の怒りとはほど遠いですが)。 そこで質問なのですが、 仏教でも差別に対しては、「右の頬を打たれたなら、左の頬を向けてやる」べきなのでしょうか? それとも、非暴力、例えば言論等での抵抗はゆるされるのでしょうか? 差別に対する怒りも煩悩であり、消さなければならないのでしょうか? よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 84
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「負の感情」の対処法(コツ)についてお教え願います

いつもお世話になりありがとうございます 私がずっと執着し依存しようとしていた心理カウンセラーのメルマガ配信を年明けに解除しました PCやスマホの”お気に入り”に入れていたブログやサイトも消去しました 心理カウンセラーの高額な「じぶん開発プログラム」なるモノは期限付きで特典を付けて、「自分が変わるのは今ですよ!」と購入を煽っていて、年末3日間は日に3度もメールが配信されてきました 特典付きの期限は、12月31日23時59分59秒… 前回質問した後よく考えて、このプログラムについては「受けない」と決めました 主人やhasunohaのお坊様方のお蔭です この案内については、期限が切れたら相手はどう出てくるのかなと思って解除せずいた処、購入を勧める文面の中に、 「迷っている人は連絡ください、私がどうにかします!(笑)」 という一文があり、とても違和感を持ちました hasunohaでたくさんのお坊様のお言葉を頂き、「あなたはあなたのままで良い」と言い切ってくださった方がお一人ではなかった事や、現実に目の前に居る主人や友人が客観的に「それはおかしいよ」と言い続けてくれた事により、なんとか抜け出せたのだと思います 混乱の真っ只中に居た9ヶ月間は、身体にも変調を来し頭の中は「潜在意識」という言葉でいっぱいになって、他の事は考えられないような状態になってしまっていました そこから引っ張り出してくださったお坊様方、主人、友人には心から感謝しております あとは、長期間ネガティブにどっぷり浸かっていたので、過去の”ネガ”も含めてこびり付いた”負の記憶”を「過去のモノ」として受け流すコツがあれば教えて頂きたいです 過去のQ&Aを拝見すると、「あるがままを受け入れる」事なんだろうと思いましたが、どのように心掛けると「あるがまま」を受け入れる事が出来るのでしょうか? 「善と悪」とか「100と0」というような偏った見方をしない事、というお言葉も頂きました 私は、「白か黒か」というタイプのようで、「こうだ!」と決め付け易く、更に「負の感情」が出易い性質だと思いますので、それを改めて心穏やかに過ごしたいと思っています 今の自分の性格ではとても疲れるので… 「あるがままを受け入れるコツ」「出来事や人物の見方のコツ」「俯瞰的に見るコツ」等を教えて頂けないでしょうか?

有り難し有り難し 90
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子供をこの世にうむことの是非

はじめまして 最近、正信掲、歎異抄、大無量寿経、スッタニパータを読んでいます。 読んでいて、不勉強ゆえ以下の疑問が湧いています。 子供を作ることは、愛すべき我が子を、厭うべきこの世に呼び出す行為とも思われ、子を思えばこそ作るべきではないように思えます。以下、詳述しますのでどうかご指導ください。 ブッダは、欲望の支配からの自由、ひいては輪廻転生からの解脱を説かれます。 その前提として、人(を含む生き物は)煩悩具足の凡夫であって、他の生物を殺生し食べねば生きられず、醜い体をもつ哀れな存在だと捉えられていて、「再び母胎に入ることのないように」と仰います。 つまり、私達が子供を作ると、上記の哀れな存在を生むことにはならないでしょうか。子供を作らねば、輪廻転生の苦もなくなるのではないか、と思えているのです。 しかも、子を遺して自分が世を去る時後ろ髪を引かれ、絶つべきこの世への執着が、子供の存在によって強まるようにも思えます。 確かに、「人身受け難し 今既に受く」「大海に浮かぶ板の節穴から盲た亀が顔を出すより難しい」とも言われます。しかし、これは、どうせ生まれるなら、他ではなく、仏法を聞ける人身に生まれることの有難さを説かれたものであって、生まれること自体の素晴らしいとのお考えでないようにも思えます。 また、生まれることの幸不幸は本人の捉え方次第とも思われます。しかし、もし子が生まれ、「生まれたくなかった。なぜ厭うべき仮の世に産んだのか」と言われたら、答えに窮してしまいそうです。 この問に答え得るブッダのお考えをご指導ください。できれば、それが書かれている文献の名前と場所(第何章のどの辺りか)もお教えくだされば幸甚です。 どうか、宜しくお願い申し上げます。 (以下、ご参考です) 一五二 さまざまな欲望の対象への、深層の欲望から超脱するようにせよ。そうすれば、もはやふたたび母胎へ入って輪廻転生することはなくなるであろう。(スッタニパータ 荒牧典俊著) 二三五「過去の業は絶えた。未来の業もあり得ない」と、賢者は、来世に執着せず、種子を絶やし、自己存在の芽を未来にまで伸ばしたいとの願いを捨て、油の切れた灯のようにふっと消えてしまう。 三三九 二度と輪廻の世に舞いもどってはならぬ。 三四〇 たえず身体に注意を向けて、その醜さを思い知れ。厭い離れる心に満ちてあれ。

有り難し有り難し 64
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「死にたくない」と思わないのは、おかしいことですか

こんにちは。 今年、「私はこのために生まれてきた」と思えるような大きな仕事を、文句のつけようがないほど良い形で果たすことができました。自己満足だけでなく、社会にも大いに役立つ仕事です。この社会に生を受けた責任も、果たし終えたといえると思います。 だから30代半ばにして、私にとってはこの先は「余生」という感覚で、もういつ死んでもいいと思うようになりました。 生きていることが、絶対的に幸せだとは私は思いません。生きていれば、「知らなければ幸せだったこと」を知ってしまい、絶望に苦しまなければならないこともあります。生きるためにはお金が必要ですが、そのためにあくせく働いて「何のために生きているのかわからない」と思ってしまうのでは、目的と手段が入れ替わっているようにも思えます。 それに、今の私は人生の目的を最良の形で果たし終え、幸せの絶頂にいます。もし今、人生の最後の時が来たら「私の人生は最高だった!」と笑って死ぬことができるでしょう。それはある意味、理想の死の形ではないかとも思います。 親はいますが、伴侶や子どもはいませんので、「この子の行く末を見守るまでは死ねない!」というモチベーションもありません。フリーランサーなので、組織に対する責任もないです。親や友人は私にもしものことがあれば嘆き悲しむでしょうが、志半ばではなく充分に人生を謳歌し、社会にも確かな礎を遺して生き切った私を、誇りに思ってくれるのではないかとも思います。 でも、そんな縁起でもないことを考えてはいけない…という風潮もありますし、「長生きしたいと思わない」なんて生物としておかしいのではないか、そんな考えを口に出すことは人としてタブーなのではないか…と我ながら思ってしまうこともあります。 一方で、死生観は人それぞれ、一般論に振り回されても意味がないのではないか…と思う自分もいます。「逆縁なんて親不孝」「生きたくても生きられない人もいるのに」なんて定型文もありますが、そんなのはケースバイケースだと思います。 もちろん、私は「自殺したい」と考えているわけではありません。ただ漠然と「今お迎えが来てもいいな、そうなっても全然『死にたくない』とは思わないな」…などと思っているぐらいです。 私の考えは誤っているのでしょうか。誤っているとしたら、なぜなのでしょうか。 こんな私に、有り難いご教示をいただけたら幸いです。

有り難し有り難し 111
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