私は長く高齢者施設で働いています。施設では医療行為は行えず、死を待つだけ。 昔は床の間の畳の上で看取りをしていましたよね、施設とは云え同じように職員が看取っていくのです。 人の生きる姿を見るときは、死はまだまだ遠い先に見えるものなのです。しかし死へ向かう姿を見るときは目先に見えるものです。私たちはどのように送り出せばよいのか、心を痛める瞬間が多いです。何もできない。わずかな時間手を握ることそれだけです。それ以外の時間は業務です、体を拭いて・点滴をして・清潔な環境・シーツ交換・栄養補給…。 私は人の死に向かって生きる姿・死を前にされている方にどんな手が差し伸べられるでしょうか。
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