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hasunoha 問答検索結果 : 「名前」
検索結果: 2465件
2022/02/20

心の傷はどう回復していくのでしょうか

10か月前に、尊敬する人がわたしに言った言葉で心に傷を負いました。 その時は、即座に自分の気持ちを感じないようにしたので、傷ついたことに気づいてもいませんでした。 4か月前に、あの時のあの言葉に傷ついていたんだ、仕舞い込んでいた自分にはじめて気がつきました。その日から大きな深い傷と向き合いました。とても痛み、痛くていつも大泣きしました。 3か月半前から、考えるのをやめました。 2か月半前からPTSDの症状がでました。すぐに自分で気がつき、トラウマを治すノートに取り組んだり、思い出すきっかけからはあえて逃げないようにしました。 2か月前に予測できないような思い出すきっかけが、ふいに降ってきて、壊れました。当人に連絡し、電話で話をしました。10か月前のことについて、どうしてそんなことを言ったのかなど話をして、私が抱いていた疑惑を解くことができました。その日から、目の前の景色が急に明るく変わりました。予約していた心療内科にも行き、PTSDは多分大丈夫と診断を受けました。 それから2か月くらいは穏やかに過ごしていました。わたしは今まで自分がどう感じるかなどを無視してきたので、努めて自分の気持ちと向き合うようにしました。 半月前くらいから、10か月前のことで、またたびたび傷が疼くようになりました。言った相手に対して、ひどい、あり得ない、とか思うようになりました。相手とはたまに変わらず大丈夫ですとか連絡していましたが、関わらない方がよい気がしてきました。 いま、1日に一回くらい傷が疼きます。つらいです。嫌です。でも、こんな経緯があったので、これは乗り越える過程なのでしょうか?正直不安です。

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身体の性別との折り合いの付け方

はじめまして。 戸籍上は女で、女でも男でもない性別を自認しているものです。 生理が重いため飲んでいたピルを、副作用などの関係でやめました。 休薬期間がないものを処方して頂いていたため、ピルを飲んでいる間は生理がこなく、自分が女の身体をしていることを少しは忘れて(着替えの時は思い出したりしますが…)生活していたのですが、ピルをやめるとなった途端、自分の身体が女であること、それがいやでいやで仕方がないことを強く思い出してしまいました。 女性特有の身体的特徴(胸の膨らみや体の丸み)は、隠したり、筋肉をつけたりで対策をとっているのですが、臓器まではどうにも… まだ二十代前半ですので、これからしばらく生理があります、それも毎月。それが終わってももしかすると、更年期の症状などで自分の身体の性別を思い出すかもしれません。 こんなことを言ってはいけないのはわかっていますが、女性特有の臓器を摘出したいというのが本音です。ですが、現在女でも男でもない性別というのは法律に存在しません。いまのところは手術もできません。 ジェンダークリニックも近場にありませんし、中々遠くまで通うというのが他の持病もあり難しいです。ホルモン治療も考えましたが、男にもなりたくはありません。 自分の身体が女なのだと思い出してしまうと、どうしようもなく涙が出ます。 長くなってしまいましたが、自分の中にある女性特有の臓器、ついでに身体的特徴との付き合い方をどうしていったらいいか、というのが質問です。 自分と違う身体の性別と、上手に折り合いをつけていきたいです。 長い文を読んでいただきありがとうございました。 ご回答、何卒よろしくお願いします。

有り難し有り難し 40
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早く死にたいなぁって思ってます

私なんて他の皆さんの悩みと比べたらとてもちっぽけなものです。 自分でも何故だかわかりませんが、中学の頃から早く死にたいなぁって思ってました。大きな不幸があったわけでもなく、幸せと呼べる環境で育ってきたと思います。 まだ人生ほんの少ししか生きていませんが、なんだか生きるのに飽きてきている気がします。自分は何のために生まれてきたのか、何をしていけばいいのか分かりません。 趣味や好きなことをたくさんしていますが、ふとした時に、あぁ早く死なないかなぁって思ってしまいます。 自殺をしようとは思いません。親よりも先に逝くのは申し訳なさ過ぎて嫌です。でも早く死にたい。 生活環境の変化で気が滅入っているのもあります。いっそ鬱になれたらいいのになんて馬鹿なことを考えたりします。 生きる気力がだんだんなくなって食欲が落ちてる気もします。 自分はいい環境で暮らしてるんだからこんなこと思うのはおかしいと思います。 人の役に立ちたいけど、どうすればいいか分かりません。 支離滅裂で申し訳ないです。 私はどうすればこの人生に希望を持ち、期待できるようになりますか? こんな歳で早く死にたいなんて自分勝手でおかしいことですか? こんか文を見て、嫌な気持ちになるかもしれませんがどうぞ、よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 11
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誰にも悲しみを見せられません

数ヶ月前、次女を亡くしました。 以前、主人に次女に会いたいと思うか聞いてみたところ、「会いたいと思ってももういないんだよ」と怒鳴られました。 それから主人の前では悲しみを見せるのはやめました。 今住んでいるところには主人と一緒になるために越してきました。 こっちには知り合いが一人もいません。 実家はすごく遠いです。 実家の両親は私のことをすごく心配しており、何かあるとすぐ飛んできてくれます。 でも負担をかけたくないのであまり心配させないようにしています。 主人の実家は近いのですが、なるべく頼りたくありません。 この前までカウンセリングを受けていました。 素直に気持ちを口にするだけで少しだけ気持ちが楽になったので助かってました。 しかし色々とあってカウンセラーに不信感が募ったため、もう行かないことにしました。 主人といる時、誰かと話す時、もう大丈夫だよというフリをします。 でも本当は悲しみで胸がいっぱいです。 一人になると涙が止まりません。 一日中泣いている時もあります。 次女を失った悲しみがどっと押し寄せてきて、どうしようもないんです。 誰かにこの悲しみを聞いてほしいし、そばにいてほしいです。 どうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 22
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読経をすすめられた理由

セラピストたちに読経をするようにすすめられます。 私自身も言われたので読経しますが続きません。 読経といっても「般若心経」くらいです 一時期は般若心経とお経を一巻あげていた時期もあります。 読経を薦められる理由は「霊性を高めて欲しい」という理由です。 でも、続けられません。 あげれば心も軽くなり 朗らかに毎日を笑顔と愛に満たされた心地ですごせるのです。 それらを自分自身で感じてきました。 読経という専門的な日々のおつとめに励んでおられるお坊様にお聞きしたいのですが、 やはりお経をあげることを私にすすめられますか? セラピストたちが一方的にすすめたとしても、 私は納得できる回答をうけとれていないのです。 こうして、読経したくない気持ちをここに書いているのも、 たぶん納得できない一つのあがきだと思います。 毎日を明るく過ごせたならとても幸せだと思います。 そうなりたいと思うのにできない自分が悲しいです。 どうして、私はこの世に生まれてきたのでしょう。 そんなふうに、自分自身の存在すら認められなくなってしまいます。 お坊様たちはまいにちのおつとめで何を得られていますか? 多く質問し恐れ入ります。

有り難し有り難し 54
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自分の信念を貫きたい

介護施設で看護師を長年やってます。 新しい職場に入職したのですが、私が長年やってきた介護のノウハウがまったく通用しない、ある意味、ブラックな職場に来てしまいました。 例えば、認知症が強くて介護抵抗があるお年寄りに対して、『すぐ精神安定剤』とか、『自宅に帰ってもらおう』とか、『他の施設へ』など、、、 そうじゃなくて、なぜ、このお年寄りは介護抵抗するのか、何がイヤで抵抗するのか、どうしたら穏やかに過ごせるのだろうか、、、 など、本当はそうやって話し合い、どうアプローチしていくのかを考えていくのが介護施設だと思ってますが、今の職場はそれが通用しません。 昔から、そういう体制なんでしょうね。 トップもそんな考え方ですから。 でも、中には、私と同じ考え方をしてくれる職員もいるんです。 同じ考えを持った方から『その気持ち、ブレないでほしい』と言われます。 自分もブレたくはないけど、、、 そんな職場に飲まれそうで、、、 日々、そぅいぅ意味で葛藤しています。 職場を変えるつもりは今のところありませんが、自分の気持ちがブレず、強く持てる方法を教えてください。 ちなみに新しい職場のため、いくら介護施設で経験があるとはいえ、新参者で発言力は弱いです。

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2023/08/21

亡き娘への自責と後悔が払しょくできません

以前に一度相談させて頂いております。 娘が病気で亡くなったことは運命であったと理解しており、辛さ、悲しさは日々増しますが残された高齢の父を看取ることが私の使命と思っています。 そのような日々の中、私の中でどうしても払しょくできない自責と後悔の念があります。 娘の病気が発覚した当初から私の役目は娘が最後の最後まで楽しく前向きに生きれるようにする事だと考えていました。最初に主治医にお願いしたことは、『娘との最後の会話は「今日はゆっくり休もうね。明日になったら元気になるからね。お天気だったら公園に行こうね。」と言って見送りたい』でした。 闘病中は病気の重篤さを悟られないように、治るんだと思えるように、私なりに努力しました。 しかし肺に転移した腫瘍が増悪し、最後の3日は病院で鎮静が必要な状態でした。娘は仰向けになる事ができず、ベッド上のテーブルに突っ伏して半分寝て半分起きているような状態で右に左にふらふらして本当に辛そうでした。 この時点で鎮静を多くして娘の苦痛を取り除いてもらうべきだったのですが、こんな状態でもまだ私は娘の死が間近であると認識していませんでした。 ふと、トイレに行くのは苦しくなるのでオムツにしてもらわなければ、と気づき、看護師さんにお願いしようと思った矢先に娘が「おしっこしちゃった」と息も絶え絶えに訴えました。私は「やってしまった。最後に失敗してしまった」と思いました。苦しい思いは絶対にさせまいと誓って頑張ってきたのに。 娘を私に寄りかからせて看護師さんにパジャマをハサミで切ってもらい何とか着替えさせました。すると娘が「もう死にたい」と私の耳元で一言いったのです。10歳にも満たない娘に「死にたい」と言わせてしまった。最後の最後で私が気付くのが遅れて苦しい思いをさせてしまった。すぐに鎮静を多くしてもらい、娘はやっと仰向けになって眠れるようになりました。その後目を覚ますことはなく、翌朝早くに亡くなりました。 病院側から残り僅かであると一言あればもっと早くに苦痛を取り除いてあげられたのに、とも思いますが、最後まで意思の疎通をさせてあげたいという善意だったと理解しています。気づかなかった親の私の責任です。 楽しくお浄土にいると言われても、この世の最後の言葉が「もう死にたい」であった幼い娘の気持ちを考えると、自分自身がどうしてよいか分かりません。

有り難し有り難し 29
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