hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
hasunoha 問答検索結果 : 「私 生きる 死にたい」
検索結果: 9275件

吃音症。自殺したいです。

高校二年生の庄子と申します。 私は生まれつき吃音症と言う障がいを持っています。 障がいと言っても以前までは少し言いにくい言葉があるだけでほとんど健常者と同じように話せていました。 しかし、半年前やっていたアルバイトで「いらっしゃいませ」と言えなくなったことにより話すことが異常に怖くなりました。 時間がたてば良くなるかと思っていましたが日に日に不安は悪化していて、最近は見ているアニメの台詞まで「この言葉は言いにくい」とか思ったり、自己紹介の場面でドキッとするようになってしまいました。 コンビニに行くだけでもレジで言葉がちゃんと出るかと毎回考えてしまいます。 映画館や博物館などに行くときも受付で喋らなくてはならないため、私はもう一生それらの施設に行けない気がします。 ですが、これから生きていく中で「自己紹介」をする機会は多くあると思います。 もし自分の名前が言えなかったら周りの人が不審に思う。周囲の視線、怪訝な顔、すべてが怖いです。 何をしてても言葉が出なくなる不安が付きまといます。 顔を洗っているとき、シャワーを浴びているとき、その上この前はみんなの前で言葉が出なくなる夢を見ました。 このまま一生吃音の不安が付きまとうならいっそ死んだ方がマシなんじゃないかと思います。進学しても就職しても吃音で自己紹介さえできないのでは生きていても仕方ない気がします。 これから先の私の人生、うまくいく気もまったくしません。 将来になんの希望もありません。 死にたいのに「死ぬのが怖い」「まだ10代なのに」という気持ちがどこかにあります。 かといって生きたくもないため、ただ不安を紛らわすために毎日のように自傷行為をしています。 病院には親が許してくれないため絶対に行けません。相談できる相手も一人もおらず八方塞がりです。 長文・乱文失礼しました。 お坊様の考えを教えていただきたいです。 回答よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 75
回答数回答 4

死後の世界について

最近死ぬことがとても怖いです。今私は20代でまだまだ先の人生があると周りに言われます。死ぬ時よりも死んだ後無になるのだと思うと怖くてたまらなくなり涙が出てきます。今は祖父母も両親も夫も健在で幸せな生活を送ることができています。だからこそこの幸せがいつか無になることが怖いです。また、時間には逆らえないので祖父母、両親が先に亡くなるのだと思いますが、自分が死んでから会えますか?お母さんは必ず迎えにくると約束してくれました。夫も死ぬからといって離れ離れにはならないし、ずっと一緒だと言ってくれています。ただ、死んだら怖いとか迎えにきてくれるとか、そのようなことも思うことすらできなくなくなるのでしょうか。意識が無くなり、思いや感情や記憶も全て無くなってしまうのでしょうか。怖くて仕方ありません。自分が数十年前はこの世に存在しなかったというのも不思議でなりません。死んでも幸せな時間が続くという保証があればきっと怖くなくなるのだと思いますが、そんなことは誰にも分からないし、だからこそ怖いという思いが無くなりません。これまで亡くなってこられた方々も生前にこのような気持ちを持ちながら生活し、気づかないうちに亡くなっていたのでしょうか。文章がまとまらずすみません。辛く、怖いです。

有り難し有り難し 19
回答数回答 2

何をしても逆効果

初めて相談させてもらいます。 30代結婚して旦那と2人暮らしです。 共働きですが、子供を諦め犬を飼いました。 基本的にいつも死にたい気持ちが隣り合わせですが、たまに資格を取って充実させよう!とか節約してお金貯めよう!とか明るい気分になりますが、必ず挫折して何も残りません。 むしろ知り合いは全て手に入れて入れいつも私が惨めです。 私が惨めな思いをして、我慢して我慢して、気を遣って、ストレスだけ溜めて生きています。 離婚してもいいのですが、嫁を失った旦那がすごく可哀想で離婚するくらいなら一緒に死にたいです。 ただ犬の存在がその気持ちを繋ぎ止めています。 もう30も後半、何にも楽しいことがなくお金がないことにイライラして人と比べたくなくても、今の環境から抜け出せなく、私はもうどうしていいか分かりません。 死ぬときは何も残らないから今ジタバタする理由はないとも思います。 ただ全てを諦めすぎて本当につまらないんです。掛け持ちバイトを探しても人間関係でストレスを溜めて辞めたい辞めたいとまた悩み、こんな性格もう治らないと自分が嫌いで仕方ありません。 自分を好きになれとか、自己暗示やポジティブな言葉、ここの回答も目を通しましたが、しっくりくる答えがありません。 答えのない悩みなんだな、と思いましたが、今の自分に何かできることはありますか? 無でいる時間が長すぎてしんどいです。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

先が見えない

一度お坊さんとお話をしてみたいと思っておりました。よろしくお願いいたします。 両親には申し訳ないと思ってはいるのですが、私は自分が好きにはなれません。 姉たちに並べないほど愛されにくい顔。話上手でもなければ聞き上手でもない。褒められるなにかがあっても、当然上には上がいて。誇れるものがなく私自身がコンプレックスの塊です。 そのせいか、昔から、将来の設計図などを考えるのが苦手でした。 どうしても先が見えないのです。 なんとなぁく寝て、起きて、ご飯を食べて、仕事をして、おんなじ日々を繰り返して、ただ生きている。 真っ暗で何にもなくて、叫び出したくなります。 特定の人物に特別愛されているわけでもなく、とっても仲のいい友人がいるわけでもなく。 このままではいけないと思い出会いを求めてみても、容姿を見られ判断されることが苦痛でたまらない。 私に原因があって、何がいけないか分かってもいるのに、踏み出せないし変われない。 20歳までには死ぬと決めてずるずるとここまできてしまいました。 せっかくもらったこの命、こんな適当に扱いたくはないとは思っています。だからこそ、使いこなせない自分が憎いし、悔しいし、苦しい。 生きる希望を、持ってみたいです。 どうしたら、自分を許して、愛してあげることが出来ますか? 過去ではなく、未来をみることができますか? 長くなってしまい、そして纏まりがなくて申し訳ございません。 回答よろしくおねがいします。

有り難し有り難し 7
回答数回答 1

自分を信じること

病気で産んであげられなかった我が子について、こちらで悩みを聞いて頂き、数年が経ちました。 当時は大分考えが偏り、自分を責め、とてつもなく苦しく辛い日々を送っていました。しかし、こちらのお坊様方に親身に何度も話を聞いて頂き、「いい加減に前を向かなければ。我が子に誇れる自分にならなければ」と、段々と片寄った考え(結果自分が死んだとしても、産むべきだった。私は生きている価値がない。など)が修正されてきました。 私はこれまでずっと、自分自身に自信がありませんでした。中絶を自分一人で決めたのではなく、主人やお互いの家族を交えて、回りからの意見を話し合った上で、夫婦で背負っていこうと決断しました。それでも自分を責める気持ちは変わらず、死にたいとずっと思ってきました。 しかし、こちらでお坊様と仏教から、沢山の生きる糧と知恵を授けて頂きました。それらは私の中で確かに生きています。 もうハスノハで、何度も同じ悩みをお聞きする事は、終わりにする時が来たと思っております。 と、言いながらも最後にお坊様に背中を押して頂きたいのですが…。死にたいと願うのではなく、前を向いて我が子を決して忘れるでなく、世の為人の為に尽くし、我が子が笑顔で見つめてくれる人生を歩みたいと思っております。 もう私はこれ以上誰かに許しを請うたり、誰かに助言を延々と求めるのではなく、私の中に蓄積された様々な生きる糧を自分で消化し、他の誰でもない、自分自身の声を信じて生きていきたいと思っています。 もうあまりにも下向きな考えは、お坊様と仏教で改善して頂きましたから…。これからは惑わされる事なく、生まれ変わった自分を信じたいです。 そうやって生きる事への、どうか背中を押して頂けると幸いです。 今まで本当にありがとうございました。

有り難し有り難し 29
回答数回答 2

優等生をやめたい

私は自分で言うのもなんですが、 小、中、高、大と常に成績優秀、品行方正、先生や友人からの人望も厚い the優等生 でした。 側からみれば何でもできる優等生ですが、 決してそんなことはなく、だらしないところもたくさんあるし、サボることだってあります。 どうやら見た目と中身とのギャップが大きいようで、中身を知られると驚かれることもしばしば…。私はただの人間なのに。 幼い頃から優等生だったせいか、 家族は私が出来るのは当たり前。 逆にできなかったら何故できないのかと責め立ててきます。 先生方も私に期待していると言ってきます(形式上言っているだけかもしれませんが)。 最近、その周囲の期待に応えることができなくなってきました。 失敗したら失望される、怒られる、そんなことを考えて、結局失敗してしまうことばかりです。 そんなことが重なり、今は行動するのが怖いです。 死んだほうが楽なのかなぁと考えることもあります。 「期待に応えようとしなくていい。実際周りはそんなに期待してない。自分は自分。」 と鼓舞しようとしていますが駄目です。 このままでは周りの期待に押しつぶされて死んでしまいます。 ずっとこういう気持ちで生きていくならもう死んでしまいたいです。 どのような心持ちで生きていけばいいのでしょうか。

有り難し有り難し 13
回答数回答 3

罪の償い方

いまだ母の死(いなくなった事)が受け入れられず、これは母を大事にしなさすぎている私に対してのドッキリで、帰ったらまた前みたいに家に居てくれると期待しながら家に帰ったり、目を覚ましたら、また居てくれると、また戻って来てくれると信じて願っています。 でも、家に帰っても目を覚ましても、母の姿は無く、私が母の事を殺したんだからいるわけない、と思う自分もいます。 やりたいこともあって、死にたくないと思いながら、寂しさや苦しみの中死んでいった母の事を思うと、本当に申し訳なくて、毎日位牌とその横で笑う写真に泣きながら謝っています。 寝るときも布団の中で泣きながら謝っています。 「その笑顔も、オカンの人生も全部めちゃくちゃにしてごめんなさい。許してもらおうとは思ってないし、私が行くのは地獄だから、向こうでオカンには会えないけどゴメンね。こんな風に育ってごめんなさい。私が生まれてこないで、生まれてくるはずだった弟か妹が生まれてきてれば、もっと幸せで長生き出来たのに、オカンの事不幸にしてごめんなさい。生まれてきてごめんなさい」と謝っています。 私はアレルギー持ちで母がいたときは、促されて毎日薬を飲んでいましたが、今飲むのを止めています。私のせいで母が苦しんだのに、私が苦しまないのは平等じゃないと思ったからです。母は、私には少しでも体調悪いと思ったら病院行けと言う割に、自分では多分私に遠慮して病院に行くことをしませんでした。ここ最近、痒みと戦っていますが、母の苦しみに比べたら大したことないと自分に言い聞かせています。 私に出来る罪の償いは、謝り続けることと、薬を飲まず痒みと戦うこと、ご飯を作る事以外に何があるでしょうか? やはり、母が言っていましたが、人を殺したら自分も死ねの教えに従うべきでしょうか? 生まれてくるはずだった弟か妹も、私のせいで死んでしまったのです。(小さいとき、夏にビニールプールに母を無理強いして入れたために、流産したようです。) 私はやはり生まれてくるべきではなかったと思っています。

有り難し有り難し 63
回答数回答 2

散歩

こんばんは。 秋めいてきて段々日も短くなり、日中も大分過ごしやすくなってきました。 日曜日はまだ日の高い時間帯に、暑苦しくない天気だったので近くの公園にですが散歩に出掛けました。 いろんな風景を見ていると、気持ちが切り替わってリフレッシュしますね。 最近は自分って必要な人間だろうかって思うと27年ほど付き合ってきた死にたい気持ちに襲われます。 ひどいと好きなゲームをしていても気持ちが切り替わりません。 でも、お天気がよければ散歩をしてみると気持ちがいいので、死にたい気持ちは少し離れてくれます。 私はここのお坊様方にはずいぶんと迷惑をかけたと思いますが、すごく助けられてきました。 ありがとうございます。 前は夕方まで起き上がれないほどひどくて、外出するのにどれだけ大変だったか。 そういうことも何度も泣きを入れて愚痴って聞いてもらい癒してもらってきました。 今もまだ死にたい気持ちが離れてくれませんが、これだけ見てくださったお坊様たちに死んでは申し訳がたたないと、娘たちを守れるのは私しかいないと思いつつ、生きる修行をやっています。 私の一方的な想いかもしれませんが他の投稿者さんたちとも一緒に頑張っているつもりで拝見しています。 中々恩返しが出来ませんが、私がまた働けるようになったらお返ししたいというのが目標のひとつです。 それらがきっと今の私の生きる意味だろうと思っています。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

前を向く考え方

前回ニートの悩みで投稿させていただきました、柚月です。 ニート脱却を試みているのですが、今かなりマイナス思考になってしまっています。 というのも、双子の妹が、「就職セミナー行こうかなー」とか「就職説明会どうしよう」と言うたびに己の惨めさを痛感してしまうからです。 レールに乗って、皆と一緒に、同じ立場の人に並んで就活できて、新卒として気負いなく就活のレールに乗っていける妹。 対して、自分のせいとはいえレールから外れて、一緒の立場の人もいなくて、ひとりぼっちで活動しなければいけない自分。 人と比べるな、とは言いますが、真隣にいる人間と比べないのは難しいです。 夕方、「大企業も行こうか悩んでるんだー」という、そんな妹の何気ないはずの言葉にとても惨めな気持ちになってしまいました。 地方とはいえ国立大卒で新卒。 大企業を受けても笑われない立派な肩書きです。 それに比べて、わたしは二浪した上に国立大学に行けず、高卒なのに二年近い空白のあるバイト歴も職歴もないクズ野郎。 大企業なんて、受ける資格すらありません。 大企業に入りたいと思ったことは一度もない、けれど、そもそもその選択肢すらわたしにはないんだ。口にするのすらわたしには烏滸がましいんだ。大企業だけじゃない、色んなところで、選択肢が狭まってしまっていたんだ。 そう思い知ってしまい、妹との格差に愕然としました。 もしかしたら、大卒の妹が月収25万もらえるようになったとしても、高卒のわたしは10万前後の給料しかもらえず、貧困に喘ぎながら生きることになるのかもしれない。 高卒だから、結婚もできないかもしれない。 これから先、ずっと格差を見せ続けられながら生きていかなければならないのか。 どんなに頑張っても、学歴社会の中では妹に並び立つことはもうできないのか。 もう、昔のように対等ではいられないのか。 そんなことばかり浮かんでしまい、惨めで惨めで仕方なくなりました。 妹のできることが、わたしにはできないことが多くて、だから、こんな出来損ない、いっそ生まれて来なければよかったのに。 出産直後に息をしていなかったらしいからその時に死んでしまっていればよかったのに。 今まで一度も思ったことがなかったけれど、もう、死んでしまおうか。 そんなことばかり頭を巡って、涙が止まりません。 生きたい、とまた思うには、どうしたらいいでしょうか

有り難し有り難し 14
回答数回答 1