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hasunoha 問答検索結果 : 「娘 死 」
検索結果: 546件

私は辛抱できない性格です。

もうイヤになってきました。 元々あんな男選ばなければ 私は未婚のシングルマザーにならなかったのに。 元々高卒じゃなく大学行ってたら、もっと良い会社に勤めて、貯金もそれなりにあったろうに。 なんでお金ないが口癖の親を頼れると思って実家に寄りついたんだろう。 シングルマザーを選択しても、すぐ仕事バリバリしてお金稼いで自分で娘と生活できると思ったのに、娘はすぐアレルギー?で鼻水が出てその結果風邪を引きやすい体質で保育園もすぐお休みするし、正社員になるにも二の足を踏み実家の足しにもならないパート代で精一杯。 でも、そのアレルギーももしかしたら築年数が古い家のカビが原因かもしれないし、公営住宅なので勝手にリノベ出来ず、市も正直取り壊したい住宅に手厚い修繕はしません。 こんな時本来やったら辛抱して娘に笑顔見せてあげるのが普通の母親だろうに、 今も鼻水で寝ぐずり、抱っこや背中トントンをせがんでくる娘に対して甘えさせてあげられませんでした。 もっと実家が太かったら、 あんな男を選ばなければ、 娘の身体がもっと強かったら…。 産まれてから学生時代もそんなに対して良いことが無かった(親がパチンコ行って夜遅くまで帰ってこない、母親には父親の愚痴を聞かされる、中学生の時の身体的イジメなど) 私の人生こんなはずじゃ無かったのにってずっと思います。 まだ希死念慮がないだけ、鏡の前で作り笑い出来るだけまだ大丈夫だろうなんて思ってましたが、正直もうこんな人生なら私が産まれなかった方が、娘も私なんて親ガチャババなやつから産まれないで済んだのに、なんて思います。 いっそのこと、私の臓器全部売ってお金にして娘に遺産として残した方が娘は良いところに住めるのかな、なんても考えたりします。 神様、仏様がいるなら私が産み落とされた意味を教えてほしいし、私っていつ日の目を見るの?と教えてほしいです。 いつも心がどこかで張り詰めています。

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母の束縛

先日母に好きな人の事を反対されました。彼の父親が実家で孤独死しており、その間彼の母は入院中でした。彼は実家から通える通勤場ですが元々興味本位で1人暮らしをしておりました。その為父親の死に気付きませんでした。亡くなる少し前から彼は私に好意を持ってくれており、亡くなってからもすぐずっと頻繁に連絡をくれたり手紙くれたりしてました。そして最近遊んだのですが私は母には女友達に会うといって出かけたのですが、後に彼と遊んでいた事がバレ、母には「いったい何をしとるんか。あと私はその子とは反対だから。父親を孤独死させる人、そして亡くなって間もないのに女にうつつぬかせる余裕があるなんてどうかしてる。薄情としか思えん」といわれました。その後から私が女友達と遊ぶといっていても、確認の電話が入ったり友達の連絡先を教えていきなさい。といわれます。何だか私はもうじき29歳ですし、ここまで支配されるのは辛いです。私は病気がちで救急車にもよくお世話になった過去があるので心配させていることも理解してます。そんな娘だからこそ、薄情に感じる男に関わってほしくないのも分かります。ですが、この事件のあとから当たりも強く、私はよくリビングで雑魚寝してましたが今は母と距離とりたくて、部屋で寝るというと「その方が好きな事できてええわな。今後もそうしたら。」と言われたり下から呼ばれた事に気付かなかったら「早速男と電話?先月はいらんっていったけど家にお金ちゃんと入れるようにして」など当たりも強く、、、私はいったいどうしたら良いのでしょうか、、、

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2023/08/02

悲しみを憎しみで癒していた

いつもありがとうございます。 最近の気づきを聞いていただきたいです。 弟の死の悲しみをを父への憎しみで癒していたのかも。。。と最近気づきました。 両親が離婚し、弟と私は母と暮らしていました。 父への憎しみは父が亡くなってからより一層思いが強くなり、 弟の死の悲しみも、父への憎しみがあったから耐えられた気がします。 もし、憎しみがなかったら弟の死をも受け入れられなかったかもしれません。 ある意味、父への憎しみがあったから私は乗り越えてこられたのかもしれません。 悲しみと憎しみ。似て非なるもの。。なのでしょうか。 こういってはなんですが、父への屈折した思いがあったことに今では感謝さえしてしまうのです。 親子としての縁はとても薄かったけれど、娘からこんなに嫌われている父だけれど、なんだか許してくれるような気もします。 おそらく父へのこの気持ちをご相談するのはこれが最後となると思います。 私の中で決着がついたからです。 嫌ってもいいし、憎まれてもいいよと言ってくれているような気がします。 私の気のすむようにすればいいと。 実際に父と暮らしたのは5年か6年。父が何を考え、弟や私のことをどう思っていたのか、少しでもかわいいと思っていたのか、思っていなかったのか。 もうわからないけれど、もう手放せる気がします。 憎しみで大切な弟の悲しみを癒すというかごまかしていた気がします。 きちんと悲しむことも必要ですよね。 もう私は、私を幸せにしたい。 もちろん、不幸せではないけれど、憎しみを手放したい。 そんな気持ちをこちらで開放させていただきました。 とりとめもなく申し訳ありません。 なんだか少し優しい人間に近づけるような気がします。

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生きる気力が無いが、死ぬ勇気も持てない

30歳の女です。コロナ禍中で改めて人生を振り返る機会を得たのですが、仕事や家族関係、恋愛、お金と全てにおいて失敗しかなく、自分が生きている事に何の意味も見いだせなくなりました。 なかなか自分に合った仕事が見つけられず何度も転職を繰り返し、家族は私を行き遅れの邪魔者扱い、彼氏はいますが私のことが好きで付き合っているわけではなさそうだし、仕事をコロコロ変えているせいで貯金も全くない。 誰かに必要とされたい。誰かに愛されたい。ずっとそう思い続けて、自分なりに一所懸命にやってきましたが、何をやっても上手くいかず、迷惑ばかりかけていたことに気付かされ、私は誰からも不要とされ、誰にも愛されない、不快感しか生み出さない存在になってしまっているのだと理解しました。 どんなに頑張っても「努力が足りない」と言われること、前を向いているフリをして笑うこと、空元気を見せ続けることにもう疲れました。 それなのに、死ぬのはとても怖いんです。死を魅力的なものだとはとても思えないんです。 今はただ、自分という無駄を自覚しながら、死なないために生きているだけ。目的も意義も何もありません。 私が死ねばきっと家族は「娘を失った悲劇の家族」として周りにチヤホヤされるでしょうし、行き遅れの邪魔者が居なくなるのだから内心とても嬉しいでしょう。 入ったばかりの私が居なくなったところで職場も困らないどころか人件費が浮いて得をするし、恋人も別れを切り出すという罪悪感を感じなくて済みます。 生きていくより、死んだ方がいいと分かっているのに、それでも死ぬという選択肢を選ぶことが出来ないんです。痛いのも苦しいのも怖いんです。 私はどうしてこんなに死を恐れるのでしょうか? 生きることに浅ましい執着を見せているのでしょうか?

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戦争が怖いです

先日から始まってしまったロシアによるウクライナへの侵攻。 本当に恐ろしくとても悲しいです。 ニュースで流れる涙を流す子供の映像や 離れ離れになる家族を知るたびに 涙が止まりません。 少しでも情勢を理解しようと、色々調べていたら、たくさんの怖い記事を見つけ読んでしまいました。第三次世界大戦、核戦争、、。恐怖はどんどん膨らみ、不安と恐怖で一日手が震えています。一度ネットから離れなければと思い全ての通知をオフにしてみましたが、それでも不安は膨らんでしまいます。 両親と会うのは、あの時が最後だったのかな、大好きなあの場所にはもう行けないのかな。この道を散歩するのは、もう今日が最後なのかもしれない、といったように考え涙が止まりません。 わたしは一児の母です。生後半年の娘がいます。その娘の笑顔を見ると、胸がとても苦しくなります。ごめんね、こんな時に産んでしまってごめんね、、と。娘が大きくなる姿も見れないのかな、、と。怖い思い、痛い思いをさせてしまうくらいなら、いっそのこと、一緒に死んでしまおうか、そんなことも思ってしまいました。今まで生きてきてそんなことを思ったことは一度もありませんでした。折角頂いた命、育ててくれた両親になんて親不孝なことを考えるんだろう、と思いますが、どうしてもよぎってしまいます。そのくらい、追い詰められ絶望を感じています。 戦争は、私が知ろうとしていなかっただけで 私が産まれてからも色々なところであったようです。わたしのように、子供を想って亡くなった方もたくさんいらっしゃると思います。現に今も、現地で命を張って戦っている方々、家族を守ろうと必死になっている方々がいます。そんな方々の痛みも知らず、知ろうとせず、のうのうと生きてきてしまったこと、今命を張って懸命に生きている人がいるのに、こんなことを思ってしまう自分に吐き気がします。 今回のことは、悩んでも仕方がないこと、もうなるようになる、と思うしかないと思っています。しかし、どうしても切り替えられず、生活に支障をきたしてしまっています。子供のためにも、しっかりしないといけません。 どうか、前向きになれるアドバイス、死を受け入れられるアドバイスを頂ければと思います。 読みにくく、拙い文章で申し訳ありません。 よろしくお願いします。

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お釈迦さまが自殺をとめられた話について

インターネットをみていたら、以下のような お釈迦さまが自殺をとめられた話がありました。 とても分かりやすいのですが、 これは、何というお経に出ているのか教えて頂けないでしょうか。 ある時お釈迦さまは托鉢中、 大きな橋の上で辺りをはばかりながら一人の娘が、 しきりと袂(たもと)へ石を入れているのをごらんになられました。 自殺の準備に違いない、と知られたお釈迦さまは、 早速近寄られ、優しくその事情を尋ねられると、 相手がお釈迦さまと分かった娘は、 心を開いてこう打ち明けました。 「お恥ずかしいことですが、ある人を愛しましたが、 今は捨てられてしまいました。 世間の目は冷たく、おなかの子の将来などを考えますと、 死んだほうがどんなにましだろうと苦しみます、。。 どうかこのまま死なせてくださいませ」 と娘は、よよと泣き崩れました。 その時お釈迦さまは哀れに思われ、 こう諭されています。 「愚かなそなたには、譬をもって教えよう。 ある所に、毎日、重荷を積んだ車を、 朝から晩まで引かねばならぬ牛がいたのだ。 つくづくその牛は思った。 なぜオレは毎日こんなに苦しまねばならぬのか、 自分を苦しめているものは一体何なのか、と考えた。 そうだ!この車さえなければオレは苦しまなくてもよいのだと、 牛は車を壊すことを決意した。 ある日、猛然と走って、車を大きな石に打ち当てて、 木っ端微塵に壊してしまったのだ。 ところが飼い主は、こんな乱暴な牛には、 頑丈な車でなければまた壊されると、 やがて鋼鉄製の車を造ってきた。 それは壊した車の何十倍、何百倍の重さだった。 その車で重荷を同じように毎日引かせられ、 以前の何百倍、何千倍苦しむようになった牛は、 深く後悔したが後の祭りであった。 牛がちょうど、この車さえ壊せば苦しまなくてもよいと 思ったのと同じように、 そなたは、この肉体さえ壊せば楽になれると思っているのだろう。 そなたには分からないだろうが、 死ねばもっと苦しい世界へ飛び込まねばならないのだ。 その苦しみは、この世のどんな苦しみよりも恐ろしい苦しみなのだよ」

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遺骨とは何ですか。魂と霊の違い 法要について

生後6ヶ月の愛娘(二女)を病気で亡くしました。先週四十九日の法要を執り行いましたが、納骨はしませんでした。 私は無宗教ですし、私自身、義実家のお墓に入りたくありません。(旦那さんは次男ですが、長男が遠くにいるため、旦那さんがお墓を継ぐことになりそうです)そもそも私はお墓というものに入りたくありません。子どもに私のようにお墓問題で煩わしい思いをさせたくないのです。 自分でも入りたくないところに娘を入れるなんて考えられません。私の骨と一緒に散骨でもしてもらおうかと思っています。それまで手元に置くのはおかしいでしょうか。保存しておけるかという問題もあるでしょうが。 義父には、とりあえず今はいいが、なるべく早く納骨しろと言われます。お寺の友達にも納骨することが供養になるとも言われました。 そこでふと疑問に思いました。遺骨ってなんなんだろうと。 四十九日にお寺さんから位牌に魂をいれてもらいました。ということは娘は位牌(自宅)にいる、と考えるのですか?でも、新盆は故人の霊が初めて帰ってくるから通常のお盆より盛大に執り行うんですよね?「魂」と「霊」の違いもよくわかりません。 今後の法要についても形式的に義父からいろいろ言われそうでストレスを感じます。自分で納得して供養をしていきたいです。 娘はどこにいると考えるのですか?私自身は、今日は天国の保育園でお友達と楽しく遊んでるかなと思ったり、いつも私たちのそばに空気のようにいてくれると思ったり。それで、手を合わせる対象として写真や遺骨や位牌を自宅に置いて、毎日お線香をあげられればそれでいいんじゃないかと思ってしまいます。お墓も要らないです。 今後、法要をしたとしても参列してくださるかたは生前の娘を知りません。長期入院で基本的に両親、祖父母の面会しか許可されていませんでした。お葬式で初めて顔を見た方ばかりです。そんな方が集まっても娘の話をすることはありません。四十九日の法要も、ただ義親の兄弟親戚の集まりで娘の話は出ません。会ったことが無いのだから当然です。そんな法要を今後していく意味が感じられないです。 今後の法要で、残された人の気持ちに区切りを付けるとかあるのかもしれませんが、私は娘を亡くしたことを毎日忘れることは出来ませんし、義父に指図されながら法要をしていくことが堪らなく嫌です。

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家族の病気に苦しむ自分 言葉の力をください

はじめまして。よろしくお願いします。 母親は認知症の疑いがあります。【病院でも検査済み】まだ50代半ばのこれから第2の人生という時に。本人は言葉には出さないが計り知れないショックを受けているはずです。一番辛いのは母親なのに私が【娘】一番取り乱しています。 ジワジワと病魔に蝕まれていくかもしれない。そんなの悲しすぎます。そしてジワジワと悲しみに私も蝕まれていくんだと。 今はどんなことをしても、救われません。生きることがこんなにも辛い苦しいことなんだと。今は仕事もほとんど休んでいます。精神が弱く、そんな自分も腹立たしい。どこにいても涙があふれどうしようもありません。 「お母さん お母さん 親孝行するからまだ忘れないで」とずっと心の中で思っています。それなのに心と行動が伴いません。旦那から見たら生きてる?と思われるような時があります。 自分が死んだらいけないことはわかっております。死のうとは思っていません。しかし「生きているから苦しいんだ」とふと考えてしまいます。 最後まで母親にとってはかわいい娘でいること。そして今度は私が両親を守るということ。 頭ではわかっていても、苦しみ悲しみに押しつぶされ、出口が見つからず暗闇をさまよっています。 時間が経つほど、家族も本人も悲しみが増す病・・・ 時間は解決できない。そんな風に思います。 まとまりのない文章ですみません。 少しでも笑顔を取り戻し、家族に会いたいです。こんな私に言葉をかけてください。

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2022/11/25

感謝されて逝きたい

いつもありがとうございます。緊急度低めの質問なので、他の手助けをもっと必要とする方がいましたらその方を重要最優先でかまいません。 少し前までは、両親は愚か、娘や夫を許せなかった私ですが、ハスノハを見て、しょうもないことに腹を立てても、煙たがられて良いことはないなと気づきました。 怒りっぽくて、度々人と衝突し、時間にルーズ、ミスだらけ、忘れ物なくし物の多さに、毎日毎日後ろ向きなことばかり呟いていた性根は、 お経やお寺参り、仏様の顔を観て自分を見つめる時間とともに、ずいぶん円くなったと自分でも不思議なぐらいです。 年を取れば体もオツムも弱くなり、逆に子どもや若い方の力に頼らざるを得なくなります。 最近は、周囲に心から長生きしてね、と言われる歳のとり方をと願う今日この頃です。 と思うと、せめて周りの困りごとの種にならないよう、今から日々の行いや習慣をちょっとずつ改めなきゃとも思います。 三十代まで構ってちゃんの村八分だった私ですが、お寺での奉仕員を経てから、今では嘘のように休み無しに仕事が来ます。 (大きな声では言えませんが、当時ハスノハにも嘆きの質問をし、目の敵にしていたお局様よりも、諸々3倍くらいには…これもお寺の皆様の智慧のおかげです) 願はくは一生現役で、死ぬ前まで働いて、世の中の役に立ち、感謝とともに逝きたい。 老いることも、いずれ死ぬこともありがたいのですが、どうか世話・厄介にはなりたくないです。 『今ここを生きる』仏教の考え方からすれば、未来を勝手に思い煩うことは、煩悩そのものだとは思いますが、まだまだ未熟な、家の中ではサボり魔の私が、心を入れ直してちゃんと、娘からも認められるような大人の母親となれるようお諭しいただけましたら幸いです。 最後に一言。ああ、片付けが、苦手です! 本当に、外ならまめまめしく動けるのに、なぜ家だとこんなに愚かな母親になってしまうのでしょう…お空のお母さん、ごめんなさい!

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2023/07/07

亡くなった父への後悔で、辛いです

同居してた父を先日癌で亡くしました。診断はステージ4、手術出来ない状態、入院してたった9日で急変し旅立ちました。  私は恥ずかしながらいい年(40代)をしていつまでも思春期の女の子のように父への態度が悪く、母とばかり仲良くして冷たい娘でした。  父の具合が悪くなりだした頃から、医療に素人ながらも何か様子がおかしいと感じだし、単なる体調不良ではないと察し、そこから今までの自分の態度の悪さに吐き気がするほど後悔し、家でのお世話や検査付き添い(たくさん検査がありました)、入院諸々と仕事も投げ出しお世話をしました。その間、たった3ヶ月弱ぐらいでした。  今までの事も謝りたかったのですが、改めて謝ると「死期が近いんだよ」と言ってるみたいだし、どうしよう。でも医師の説明だと短くても半年は余命があるし、どうやって謝るか、どう覚悟するかもう少し考えようと思っていた矢先の父の急変と死でした。 意識が混濁してから、耳元で大声で「本当はお父さんが大好きだったよ!」と言いましたが父が理解してたかはわかりません。   今更ながら、もっと父と話したかった、近所の散歩でいいから一緒に出歩きたかった、と後悔と寂しさで不眠症になっています。   この激しい後悔と私はどう向き合って生きていけばいいのでしょうか。 また、父はもう苦しみもなく、好きなお酒も飲み放題の世界にいると思いますが、生前に受けたであろう私からの冷たさは、もう癒やされてるのでしょうか。

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母の最後について後悔しています

肝臓癌と戦ってきた母がリンパに転移し肺の辛い症状が出てから体調が急変し、夫と病院へ駆けつけました。 私達は子供がなく共働きだった事、留守中に母に何かあっても対応出来る様、私達の自宅から1時間程の介護施設に入居していました。 とても茶目っ気がある一方で気丈な母でした。たくさんの愛情をもらいました あと数日かもしれないと入院先で言われ、その日はずっと付き添っていました。とても苦しそうにしており、でも時々頑張って私達とも会話し、モルヒネを増やそうとしても「大丈夫」と。 その日は近くにホテルを取り、翌日の方がもっと大変になるだろうと、血圧も酸素も少し安定し眠っている母を起こさない様、私達は一旦出て着替えや食事をして戻って来よう、と面会時間終了後一緒に病院を出てしまいました。 その後1時間くらいして病院から連絡がありました「呼吸がとまったからすぐ来て下さい!」と。 全速力で駆けつけた所、とても苦しそうな顔で呼吸はしておらず、私を見ることもありませんでした。 心臓はその2.3分後に止まりました。 なんであの時どちらか残らなかったんだろう。呼吸が止まる苦しい時になんで側にいてあげられなかったんだろう、悔やまれて悔やまれてなりません。 中学生で父が事故死してからずっと二人三脚だった母。介護施設に入れず少しでも同居すればよかった。 呼吸が止まる1番つらい瞬間を見せない様にしたのでしょうか。いえ、それは私の都合の良い解釈かもしれません。 その日はちょうど伯母の初七日にあたる日でした。母の事も私の事もとても可愛がってくれた伯母。伯母の葬儀には私が出席し、体調が悪い母には伯母の死は知らせずじまいでした。 伯母の初七日まで頑張ったのか、伯母や父が迎えに来たのでしょうか。 母の呼吸が止まる時、看護師さんとしか居れなかった。母はきっと寂しい思いをしたのではないでしょうか。 毎日色々なサイトを見ては心の置き所を探していますが、悔やまれてなりません。

有り難し有り難し 134
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