私は自分の肌にコンプレックスがあります。そのせいで人と話すことは大好きなのに最近は学校に行くことも苦痛に感じています。 望んでこんな風に生まれたわけじゃないのに、なぜこれほどまでも悩まなきゃいけないのかという思いで胸が痛いです。 この悩みのせいで生きることがつらくてしょうがないです。 違うことに没頭すれば忘れられるかな、と考えてもすぐに‘‘どうして私だけ”と思ってしまいます。 どうしたらいいのでしょう。 どうしたら前向きに生きていけるのでしょうか。 教えてください。
皆様初めまして、変な質問で申し訳ないですが… 皆様の最近遊ばれた中での一押しのゲームはなんですか? 別に他のサイトで解答を募ればいいじゃないか…と言う質問ではありますが… 私個人、ゲームが趣味でして「ゲーマーなお坊さんが居るのであれば、一体どんなゲームをしているのか?」と言う興味がありまして… こんな質問ではありますが、回答をお待ちしてます。
はじめまして、昔からすごく気になっていたのですが、聞ける人がいなくて。正直、今皆様はお坊さんですが、本当は○○がしてみたかった!とかありますか?先祖代々からお坊さんでお坊さん以外は考えられませんか?失礼な質問だったらごめんなさい!
こんにちは。いつもhasunohaを読ませて頂いております。 質問です。先日知人の親族の葬儀がいくつな重なりお通夜に参列してふと思いました。 宗派問わず統一されたお経ってありますか? 元々はお釈迦様が仏教を広めたのでしょうから仏教経みたいな… よろしくお願いします
スピリチュアルや占い、自己啓発にハマってしまった結果、貴重な20代を棒に振りました。 今現在、ものすごい後悔で押しつぶされそうです。 きっかけは当時付き合っていた元彼にフラれた事でした。 言い訳が許されるのであれば、当時は鬱を患っており、更に学生から社会人になりたての上、勤め先がブラック企業で心身ともに限界値を超えていました。家族や友人を頼る事ができなかった私は、物事を正常に判断する状態ではないのにも関わらず、それでも何としてでもその時の苦しい状況から抜け出したいと考えたのがスピリチュアルにハマったきっかけです。 いろいろな物事が積み重なって完全に自信を無くしていた私は、自分で物事を判断するのを積極的に放棄しました。自分の考えほど信頼できないものはない、と…。 おかげで今は空っぽです。良かれと思ってやってきましたが…間違っていました。本当に無駄でした。 『引き寄せの法則』だとか『予祝』だとか『お金はエネルギー』だとか…ここに書き出すのは恥ずかしいくらい。馬鹿なことをしました。 本当は心の問題なんかに囚われず目一杯オシャレしたかった。友達と沢山遊びたかった。なのに私は自分の荒ぶる心と向き合うのに精一杯で。 何も得なかった訳ではありません。暖かい家庭を知らないからこそ、素敵な人と結婚して幸せになりたい。 ならば自分もそんな人に見合うような人間にならなければと必死でした。 誰にも頼らずに状況を良くしたい、そう考えた結果がスピリチュアルに頼ることでした。 昔と比べて随分と穏やかになったり、無理に明るく振る舞うこともなくなりました。けれど、代償に今までの友人や、何よりもお金を失いました。 肝心の恋愛も上手くいかず気付けば30代。3ヶ月前に本命の彼女がいる同僚に手を出された上に逃げられてから、もう何もかもが空っぽです。何となく自分の歩んでる道が正しくないのではないかとは思ってた。けれど、自分で選んだ道だから、自分で正しくするしかないと必死だった。だけど結果はこの通り。 何もかもが自業自得です。 こんな私でも、生きる資格はあるのでしょうか。自責の念に押しつぶされそうです。
日頃、宗教や哲学について、ネットあさりしています。 最近は仏教、特に原始仏教と呼ばれるものに興味を持っていますが、十二因縁(縁起)について、府に落ちたイメージを持つことができません。 そこで、難しい言葉や理論を使わず、現代でもわかりやすい具体的な例えを挙げていただきたいと思い、こちらに質問してみました。 なお、こういった知識(智恵でしょうか?)は、一言では語り難いものでしょうし、また言葉だけでわかったつもりになってはいけないとも思っています。でも、こうもイメージが湧かないと、日頃に意識することも難しい。 ぜひ、「なるほど💡 そんな感じなのね!」と感触を得られ、日常の中でさらに感触を深めていけるような例えを、いただきたいと思っています。 ちなみに、これまで私が掴んだ感触・知識は次の通りです。間違いや不足もあると思いますが、その部分こそ、例えで払拭したり補足したりしていただきたいです。 十二因縁(縁起)とは、 無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死の12個 「無明によって行が生じる」のように、前の物が次の因になる。 最後の「生、老死」については、「生まれることで、老いがあり死がある」ということ? では、「無明→行」「行→識」「識→名色」「名色→六処」「六処→触」「触→受」「受→愛」「愛→取」「取→有」「有→生」「老死→無明」はそれぞれ、どのような因果なのか。 現代でもわかりやすい例をあげるとすれば、どういう例が考えられるか。 仏教に疎い者でもわかりやすい例を、ぜひよろしくお願いしますm(_ _)m
よろしくお願いします。 「世の中、お金がすべてじゃない」という言葉をよく耳にします。 「しかし、この世の中、いい大学を出て、大きな会社で働いて、お給料をたくさんもらって不自由のない生活をするのが幸せ」 というような雰囲気を感じています。 特に自分のように、まともに社会に出たこともない人間にはそのような雰囲気や考え方はとてもつらく、むなしくなります。 その考え方は間違っているとは100%言い返せません。
お忙しい中、申し訳ありません。 心にずっとわだかまっていることを聞いていただきたく存じます。 昔見た道徳の教科書の内容で心に残っているものがあります。 バスにある若者が乗ってきました。 若者は優先席に座りました。 次のバス停でお年寄りが乗ってこられましたが、若者は席を変わりません。 別の席の乗客が「変わればいいのに」「若いのに」と陰口を言います。 若者はうつむいて座っています。 お年寄りは「次で降りるから大丈夫だよ。」と言い、次のバス停でバスを降りました。 次の瞬間、乗客たちは驚きました。 若者もバスを降りていきましたが、若者は足が不自由だったのです。 乗客たちは沈黙に包まれ、バスはバス停を後にしました。 私は、この話を読んで「結局何をしても人は文句を言われるし、誤解されたくなければ優先席に座ったり、バスに乗ったりすべきでない」と感じました。 あまりにも、救いがないように思われショックだったのか、先生のしてくださった解釈は記憶にはありません。 お坊様はこのお話を読んでどのようにお感じになりますか。 このお話は、子どもたちに何を教えたかったのでしょうか。
朝起きた時、よし!今日もがんばるぞ!と充実した気持ちになるような生活がしたいです。 最近は夜寝るときも考えごとばかり、朝目覚めても、起きたくない・・このままじっとしていたい・・とまったくすっきりしない日が続いています。 会社での仕事が本来やりたいことではない、趣味仲間の人間関係がぎくしゃくして楽しめなくなってきた、目指していることがうまくいかない。またあのめんどくさい人に会わなければならない。 旅行に行っても、飲みに行っても、心の中に雲がかかってカラッと快晴な気持ちになれないことが1年以上も続いています。 活き活きと生きている人がとても羨ましいです。
先日、仏教についての本を読んで疑問に思ってもやもやしたので質問させていただきました 空である世の中で、お坊さんは空をどのように認識して、認識してその結果、何をしようとしているのですか?どうして今の行動をしているのですか? 僕は全ては認識であり、認識や表現(言葉など)を利用して認識しているみたいな解釈しました 拙い文章ですみません、よろしくお願いします
変な質問ですが(;゜O゜) お坊さんが『これは仏教的な歌だな』って曲を教えて頂け無いでしょうか? それを聞いてみたいと思ってます。 個人的は、THE ブルーハーツの 「情熱の薔薇」‥‥諸行無常的な 「リンダリンダ」‥‥衆生の命の尊さ ミスチルでは「HANABI」‥‥煩悩の執着心 です(笑)あくまでも個人的な解釈なんで‥‥ 仏教に仕える方々の音楽観を知る事が出来れば、ますます仏教が面白くなると思い質問させて頂いております<(_ _)>
朝早くすみません。おはようございます。 あのぉー、こういうことをいうのはどうだろうと思ったのですが。 言っていいですか? もし、自分が死んだら無煙仏を選んだら駄目なのでしょうか? 親不孝ですか?
仏教と言ってもいろんな宗派があるようですが、それぞれどう違うのですか?難しいことはわからないので、一言で特徴を教えてください。 例えば浄土真宗だと「他力本願」ですか?
他国の仏教と比べて(中国・チベット・インド・韓国・タイなど)、日本仏教の特色とはどのようなものですか?詳しく教えてください。よろしくお願いします。
先日、住職である義父が亡くなりました。 通夜には当然私の家族も参列したのですが、翌日に坊守である義母から呼び出されました。内容は ・私の家族が座った位置 ・役員さんが帰る際、通りすがった母もお見送りをした事 を指摘されました。 お寺では1番は住職、その次に家族、親族、役員さん方が来て嫁の家族は1番下だとはっきり言われました。 なので座る位置も1番後ろ、表立ってお見送りするのはもってのほかとの事。 そしてそれは常識だと言われました。 役員さんに文句を言う人もいて経営に差し障ると困ると叱られました。 知らなかった私たちも悪かったと思いますが、これは常識なんでしょうか? 寺では常識かもしれませんが一般常識では無いと思います。 ちなみに、副住職である主人は知らなかったそうです。 そして見送りをしていた母に義母は 「しゃしゃり出て」 と言い放ちました。本当に常識がある方はこの様な言動するでしょうか? 席順も私の家族は誰かに席を譲られたそうで流れで座ったので悪意も全く無かったと話しても義母は聞く耳持たずです・・・ 住職様方にお聞きしたいのはこの扱いはどのお寺でも当然なのか否かです。 2日間夜遅くまで手伝いに来てくれた母が不憫になり質問をさせていただきました。 長々と失礼しました。回答をよろしくお願いします。
こんばんは、以前友人関係で相談させていただいたものです。その子とは和解できました! この春高校生になりました。わたしの通っている高校は進学に力を入れています。しかし、私は将来の夢ややりたいことが決まっていません。 前は動物と小さい頃から一緒で困った時には支えてくれるので恩返しがしたいと思い獣医など動物にかかわる仕事がしたいと思っていたのですが、経済的に厳しくなくなく諦めました。 別のことをさがしていました。 修学旅行の時法話を聞き、自分でも誰かを救えるのではないかと気づき仏教やお坊さんについて興味を持ちました。 先日駒澤大学のオープンキャンパスに行ってきました。仏教学部の資料館の見学や写経を体験させていただきました。写経ではすっと集中でき、周りの音が気にならなくなり、とてもいい気持ちよくなりました。また、仏教の世界に感動しました。 仏教やお坊さんについて教えてください。 1つ目は身内にお坊さんがいないのですが、私が志しても良いのでしょうか? 2つ目はお坊さんや尼さんをやっていて良かったと思ったことを教えてください! 3つ目は尼僧さんはどのような場所でおつとめできるのでしょうか?また女性を受け入れていただけるお寺はあるのでしょうか? まだまだ未熟なので失礼な質問があったらすみません。よろしくお願いします!
日本には、なんとなく政治と宗教な話は、親しい間でも話しにくいような風潮があると思います。例えば私自身家族の中でも応援している政党が違ったりするとなんとなく気詰まりな感じがします。そういう宗教や政治の話がなかなか気軽にしにくい日本の風潮にお坊さんはどう思いますか? 話は違いますが、うちは曹洞宗ですが、遠くに住んでいる親戚の叔父が韓国の方が教祖のキリスト系の新興宗教を信仰しています。叔父さんはとても元気でタフで明るくて面白くて好きですが、宗教の話をしている時に進化論を否定していることに驚きました。たしかに進化論が正しいかは、私自身教科書でしか教えられておらず、自分で確かめたことはないので、確証や証拠で反駁することはできないのですが。 あと人間だけ霊界があるというその宗教の教えに対しては、全ての生き物が限られた生を命の限り全うするということは同じな世界で、人間にしか霊界が用意されていないという考えがしっくりきませんでした。当然信仰の自由があるので何を信じるかの選択の余地は一人一人あり、全く否定する気はありませんが。その対話をしている時の母がもううんざりといった言動でもう終わりにしてほしいというオーラが全身から漂っていて、とりあえず途中で私が引き下がりました。(こういうところでも宗教の違いを対話するのを嫌がる日本の風潮を感じました。) 比較的歴史の洗礼に耐えて伝統を長く受け継ぐ仏教の宗派のお坊さんは、新興宗教と呼ばれている宗教の特徴や教えについてどういうお考えをお持ちなのか、気になりまります。 お手すきの時にお返事頂けたら嬉しいです。
以前、友人とお参りしたお寺で「般若心経を写経すると病気が治る」等のお話を聞かせてもらいました。 大学時代から仏教が好きで個人的に学んでいたのですが、「般若心経を写経するとご利益がある」等の考えにどうも違和感を覚えます。 般若心経を写経すると願いが叶うのでしょうか?
ゲームで上手くいかずにゲームオーバーになると腹が立つ こっちのことで質問しているのに回答が誰にでも当てはまるようなもので自分を見てくれていないことに腹が立つ こっちの思惑通りにならないことに腹がたつ こんな風に腹が立つことをいちいち書き込んだり口に出さないとやってられません 以前は更に人に手をあげたり物を壊したりしていたのですが今は抑えられています どうしたら嫌なことを我慢できるのでしょうか? 自分が生きさせられている人生なのに自分が主役じゃないのが気に入らないです 他人が憎い
こんにちは。浄土真宗を学んでいる者です。僕はこれまで阿頼耶識というのは無意識のことだと理解していましたが、どうやら無意識は「意識」のカテゴリーに入るみたいですね。では魂なのかと考えましたが、魂は我の絶対化なので諸法無我という考えに反しています。そこで、ある本を見つけ阿頼耶識というものは「業を保管する意識だ」という記述を見つけました。しかも、業というのは永遠不滅だということですが、一体どういうことなんでしょう?魂と何が違うのか分かりません。永遠不滅というのも、諸法無我の法則に反してはいないのでしょうか?どなたかとても分かりやすく解説お願い致します。