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hasunoha 問答検索結果 : 「私 」
検索結果: 60892件

友人と疎遠になり寂しさを感じています。

私は元々、心許せる友人と少人数で集まるとか、一人で読書等をする方が好きな方で、人の私生活に深く立ち入るのも、自分の私生活に立ち入られるのもあまり好まない所があります。 それでも、少なければ少ないなりに仲のいい友達はいていい関係だったと思いますし、夫、舅姑とも円満にやっていました。 しかし、年を重ね、友人とも物理的に離れたり、お互いの生活が違ってくると交流もままならず、話も弾みにくくなるので疎遠になる事も多くあります。女子会などが好きな方ではないので、なかなか新しい友達もできにくく、寂しさを感じています。無理して同調するのも疲れる気がしますし、つるむだけの友達ではなく、もっと深い部分で親しくなりたいと思っています。 今のところ、健康には不安がなく、生活の心配もありません。 結婚十年以上になりますが、夫、姑との関係も良好です。しかし、近くにいる友達らしい友達は1人か2人だけになりました。 もっと大変な悩みを抱えている人からしたら贅沢な悩みになるのかもしれませんが、子供もいないのでいつか一人になるような気がして不安になる事が時々あります。もっと明るく前向きに生活するにはどのように考えたらいいのでしょうか。助言を頂けたらと思います。

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宗教が嫌いです。

ブラック企業に勤めていて一身上の都合で退職し 転職活動を半年程度長く行っていました。 現在は、晴れて転職に成功し在職中です。 転職活動を始めて数ヶ月 誰もが知る一流企業に内定をもらった際、断るか迷いました。 3年間という期間限定ではありますが、危険域での作業が伴うからです。 自分の命か家族の生活の安定か はてまた辞退したところで次の転職先は決まるのか生きていて一番悩みました。 結果、一時の収入は上がれど、健康を害し入院すれば無収入になれば意味がないと自身で納得し辞退をしました。  その時、義理の父に『その企業の内定を蹴ったら、お前なんかどこも就職できない。いつまでも学生気分でモラトリアムに夢を見ているんじゃない。』と言われました。 0歳児を抱え無職、見れる夢なんてありません。 不安で寝てみる夢さえ観れない時期でした。 そして、妻の義理の父は、浄土真宗のお坊さんでした。 私は 今は、ココでも将来設計事務所を開き生涯出来れば現役で働きたいという夢をずっと見続けています。 誰にも汚されたくない私の生き甲斐です。  そして、妻側の両親の全てが嫌に成りました。 それを否定もせず、私の肩を持つでもなく、ただ『今まで我慢していた。』と言う妻への愛情は限りなく0に近くなりました。 しかし、子供は、とてもかわいいです。 でも、一緒にいる妻を見ると鼻に付き、嫌な気持ちに成ります。 最初は、何とか家族として再構築して行こう!と必死に頑張りました。 しかし、上記の忌まわしい記憶と努力を水の泡にするような妻の無関心な態度を見ると 最近は、『離婚しよう』と思います。 もう、頑張れません。 つらつらと経緯を書きましたが、本題です。 そこで疑問です。 『仏教は、なぜ仏様の教えが正しいと説くのですか?』 全て知っているかの様に、上からの目線で物を言うのは何故ですか。 教えてください。

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何の為に生きているのか

何の為に生きているのか、わからなくなる時があります。 後継の為に生まれたのか、自分の人生とは何か、眠れなくなるほどです。 何故、後継の話が出てくるのかというと、私の実家はお寺だからです。 特に、ここ数年は私が後継として見られるようになりました。 私には男兄弟がおらず妹が二人だけなので、後継として見られるのは自然なことだと思っており、またそれを受け入れているつもりでした。 そんな中で、私は後継の為だけに生きているのかという思いが出てきました。 理由として、周囲の友人が次々と結婚し出したのもあり、自身の結婚を焦っていること、また、難病を発症してしまい、妊娠・出産できるかわからない身体となったことです。 もし結婚できなかったら、もし子どもが作れなかったらと思うと、後継としての意味が無いのでは?と思い悩んでいます。 それでも、まだ若い妹たち(学生)に実家を任せる訳にはいかず、ましてや実家を手放す気にはなりません。 私は何でお寺に生まれたのかと思う始末です。 これも運命ならば仕方ないのですが、今後をどうしても悲観的に考えてしまいます。 家族には迷惑をかけると思うと相談できず、自分でもこんなことで悩むなんて…と泣けてきてきまいます。 長々と申し訳ありません。 少しでも心を軽くできたらと思い、投稿ささていただきました。 よろしくお願いいたします。

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僧侶の威厳と戒律

毎回、私のは質問というよりイチャモンと言った方がよいかもしれませんが、今回もよろしくお願いします。 私(S40年代生まれ)の子供の頃は、現在よりもずっとお坊さんは尊敬される存在であった気がしますが、現在の僧侶の威厳の低下(私にはそうみえる)はどこに原因があるのでしょうか? それは、現在の僧侶の大半に、戒律を厳守して生活している印象が全く無い、というところが大きいのでないか(あくまで部外者の印象で、実際のところはわかりませんが)と私は考えます。 「威厳なんていりません」とおっしゃるかもしれませんが、毎日、朝夕「三宝に帰依します」と唱えている側にしてみれば、やはり僧侶には、仰ぎ見る存在であってほしいのです。 現在、僧侶(日本仏教界)にとって戒律はどのようなもので、どれくらい重要視されているのでしょうか? ぜひ、ご意見をお聞かせください。 ちなみに、私は仏教徒であることを強く意識するようになって、五戒のうち、せめて不飲酒戒の一つだけでも、死ぬまで守り通そうと決めて、十四年間一滴も飲んでいません。それ以前は、ひどいもんでした...。       私は本当に仏教に救われたと思っています。

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