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検索結果: 367件

父親を直視できません。

今、父親と母親と自分の三人で生活しています。 私は、母親が40前半、父親が30後半の時できた子供です。 幼い頃から、母親が暴力を振るわれ、怒鳴られている姿を見続けています。 結婚当初から、続いているらしいのですが、 父親は離婚することを決して許しません。母親も、できるだけ逃げようとしていましたが、 なかなかうまくいかず、今もギクシャクしながら生活してます。 母親が教えてくれたのですが、私を妊娠したとわかった時、 父親は、「おろせ」「勝手に作りあがって」「こどもなんかいらない」 と暴力を振るいいていたそうです。 ずっと、母親の居心地のために、 父親のご機嫌取りを物心のついた頃からしているのですが、 正直、顔を直視できないほど父親が苦手です。 恐怖の塊に見えます。 しかし、父親はそのことを露知らず。 また、母親を怒鳴っていたことが、私にとってどれだけ恐怖だったかを知らず、 私のことを”大切”に思っているというのです。 年を追う毎にこの父親と私の認識の違いに耐えられなくなってきました。 両親とも年を取り、落ち着いてきているのですが、 私の気持ちだけが取り残されてしまっている感じで、 父親の顔も姿も視野に入れたくないです。 長い文章になってしまいましたが、ただ、まだ、自分がお子様だから、 父親を見ることができないのか、改善策があるのかどうか、教えていただきたいです。

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父親の死を知らせても訪ねてきてくれない友達

昨年の晩秋に実父を亡くし、葬儀は家族葬で行いました。葬儀が終わり数日たってから、中学、高校と親交の深かった親友にその旨をメールで伝えました。 彼女は「連絡してくれてありがとう。落ち着いたらお線香あげさせてね。」と返信してくれました。 その後7ヶ月経ちますが、まだ彼女は来てくれません。お互い結婚からは誕生日におめでとうメールを送り合うだけの付き合いになっていましたが、学生時代は家族ぐるみのお付き合いをしていました。 私の父とも一緒に食事に行ったり、家に泊まりに来たりもしていました。 十数年前に、彼女のお父さんが亡くなった時にお通夜と葬儀の知らせが来たのでお通夜に行かせてもらいました。 私の父の場合、本人の希望もあって密葬に近い形で行ったので近い親戚以外知らせなかったというのもあるのですが、お線香すらあげに来てくれないのは本当に寂しい気持ちです。 同市内にいて半年以上たっても訪ねて来ないというのは普通のことなのでしょうか? その間、私の誕生日があってメールをもらいました。その時も「落ち着いたらお線香あげさせてね。」と同じ内容でした。「いつでも待ってるから連絡してね。」と返信しました。 もはや親友とは思えません。 これから先、どのような付き合い方をしたら良いでしょうか?どうかアドバイスをお願いいたします。

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最後父親に会えなかった。

8月に父親が末期の癌になり、進行スピードが早く先日10月の末に他界しました。 知らさせたのは、第三者からで、知ったのは父親が亡くなって1ヶ月たってからの事でした。 姉からは一切の連絡もなく、死に目にも会えず、葬式にも、手を合わすことも出来ませんでした。 それには理由があり、兄弟とのトラブルでした。 親は、私の家から車で15分位の所に住んでいました。 母親は8年前位に難病になり、父親も持病を持っており、介護サービスを利用し、父親がみていましたが、私、夫婦は協力し、妻には申し訳ない気持ちでしたが気持ちよく受けていただき、今まで7、8年親に協力して見てきました。 それが8月父親の病気が発覚し、私の家に親を連れてきて面倒見る事にしましたが、それから何日か経ち、夫婦で時には喧嘩になる事もありました。 今後の事でどうしていけばいいのか考えている最中、今まで、見てこなかった、姉夫婦が出てきて、しまいには妻にも暴言をはいて、親を連れて行かれてしまいました。 姉との意見の食い違いで。 それからは、親にも会えず、親も洗脳されたかのように、私たちは悪者に、今まで私達が色々してきたのに。 結局連れて行かれて、1ヶ月半で父親も亡くなり、母親も今どうしているのかわかりません。 結局お金目当てで、そうなったと妻とも話しています。 旦那方の親はお金がなく、親が病気でもずーっと放置で家の中はゴミ屋敷で3ヶ月前に父親をなくしてます。それなのになんで私の親を連れて行き、面倒みれるのおかしくないって。 私は別に財産なんていりません。 ただ最後に別れだけは会いたかったし、死に目に会いたかった。 私の中では、小さい頃からの思い出が毎日頭にあり、もう会えませんが、父に感謝の気持ちだけでも伝えたいです。 父親の死がわかってから、仕事中も毎日憂鬱で、どうしたらいいかわかりません。 手を合わせる事も出来ず、父親の供養も出来ません。 今まで私達に色々してきてくれた父親に供養がしたくて、ありがとうと伝えたいです。 このまま、ずーっとこの思いのままでは辛いです。 私はどうしたらいいですか?

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父親との関係で悩んでいます。

父親との関係で悩んでいます。 一人でぐるぐると考えすぎて辛いので、ご意見をお聞かせ頂けないでしょうか。 私は20代の女性なのですが、昨年結婚し、都会にて夫と二人暮らしをしています。 母は5年前に病気で亡くなり 、それ以来父は田舎で一人で暮らしていました。(わたしは大学進学を機に、都会に出てしまいました) 先日帰省した際に、父親に20歳年下の彼女がいることが判明し、それについて素直に喜べない自分がいます。 わたしは、今でも亡くなった母を思い出すと涙が止まらなくなるくらい、母のことが大好きなのですが、父は母のことを忘れ、前に進もうとしているみたいです。彼女とすぐ再婚は考えてはいないようですが、彼女を実家に招き、既に肉体関係もあるようです。(父65、彼女40なので、これから妊娠出産、再婚、というのは考えていないと思います) わたしは、父親の幸せを願う気持ちはあるのですが、母や家族との思い出を軽視されているような気がして、父親と彼女のことを素直に祝福できておらず、父親と連絡を取れなくなってしまい、もうすぐ1年が経とうとしています。 自分の気持ちと、どのように折り合いをつけたらいいのでしょうか。父親の第二の人生を温かく受け入れられない自分を責める気持ちと、たった5年で母親を忘れて新しい恋をしている父親を軽蔑する気持ちで揺れています。 ご意見を頂けると嬉しいです。 よろしくおねがいします。

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父親を看取れず、葬式もできなかったことを悔やんでます

昨年の6月に父親が亡くなりました。そのことを知ったのは9月末でした。 私の実母は若くして亡くなり父は再婚しました。 しかし後妻と私は折り合い悪く実家と疎遠になっていました。 父の死は後妻から手紙で知りました。後妻の話によると葬儀は行わず直葬しただけとのことでした。相続は家は後妻で預金等は私が相続することを決めました。 後妻と父の仲はすでに冷めており後妻は家が相続できればよかったみたいです。実家には父のお骨が仏壇の前にぽつんと置かれていました。お骨は私が父の生家の近くのお寺に納骨しました。 納骨のときにお寺のお坊さんに法名を決めていただきやっとお経をあげていただくことができました。 葬式すらしてくれず家も父親も奪った後妻に深い憎しみを抱いてます。殺したいとすら思います。もちろん実際にそんなことしたら犯罪者になるのでできませんが。もう相続手続きは済んでいるので家は戻りません。 後妻に家を相続することを許したのは父の遺志通りだったのか悩んでいます。もしかしたら私に相続して欲しかったのか、どちらにしたらよいか決めかねていたのか遺書もなく遺志はわかりません。 もしかすると相続は死んで尚父に酷いことをしたのではないかと後悔が消えません。 私は父の見舞も行きませんでした、お通夜も葬式できませんでした。 法事の49日も100日もしてません。 せめて親族で一回忌はしたいと思うのですが、父の兄弟はほとんど亡くなり近い身内は思い当たりません。お金もあまりないので大きな式はできません。 相続手続きも落ち着き、父の死を知ってから3ヶ月くらい経ちました。最近父を普通に看取れず葬式も出せていないこと、相続の後悔の重いが苦しくてつらいです。 気持ちを整理をするためどうしたらいいでしょうか。 今のこんな状態で父に対して何ができるのでしょうか。 よきアドバイスがあれば教えてください。

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父親を殺してしまいたい時があります

ときどき、父親がひどく憎くなり、「いっそ父を殺して自分も死んでしまいたい」と思うことがあります。 これまで、両親の顔色を窺いながら生きてきました。 ささいなことで怒り出し、私や母を否定する言葉を吐き続ける父を見て、なるべく彼を怒らせないように、母が悲しまないように、自分なりに気を配ってきたつもりですがそれでも「殺してやりたい」とまで苦痛に思っていませんでした。 それが普通の家庭なのだと思っていました。 決してそうではないと気付いたのは最近になってからで、それを自覚すると同時に「苦しい」と感じ始めてしまったのです。 癇癪持ちのようによく分からない点で怒り出し、物に当たり怒鳴る父を見て「もう殺してしまいたい。それが出来ないのなら自分が死にたい。むしろ父に殺してほしい」と度々思います。 私と父は、よく似ていると思います。 こだわらなくてもいい細かいことにやたらとこだわり、自分に自信が持てないのにプライドが妙に高く、自己肯定が下手です。 父の怒鳴り声を聞くたびに、私の悲鳴を聞いているようで呼吸が苦しくなるのです。 父が嫌いなわけではありません。 両親に(つまるところ、私の祖父母に)あまり愛されずに物理的にも精神的にも暴力をふるわれていた父親が、不器用にも私たちを大事に思ってくれていることは知っています。 私にとっての祖母が父に、「お前なんて産まなければよかった」と言っていたことも知っています。 だからこそ「あなたの娘はあなたを殺したいと思っているんですよ」と思わざるを得ない今の状況が苦しいです。 いつか本当に父を殺してしまうのではないか、自分から死を選んでしまうのではないか。 私からの一方的な同属嫌悪の果てに、最悪な共倒れをしてしまうのではないかと不安です。

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父親の葬式に呼ばれませんでした。

数年前のことですが、心残りでたまに思い出すので、相談させてください。複雑な家庭で、私は実家と音信不通でした。住所と電話番号は教えてあったのですが、ずっと音信不通で実家のほうでも私の連絡先紛失して、ずっと連絡がないので行方知らずだと勝手に思っていたそうです。私が小さいころに家庭崩壊して、親は離婚しました。私は父方に、弟は母方に引き取られました。たまに弟と実母にはたまに会ったり連絡していたので、そちらとはわずかに繋がっていたのです。父と再婚相手の女の人から私は邪魔者にされて、意地悪されたり、今思い出しても嫌な思い出が9割りです。ある日、実弟のほうに父が死んだと再婚相手の女の人から相続の話があり私も父の死を知ることになりました。葬式から半年たったころで、骨になった後でした。お金がないのでお墓にはいれてないそうです。 仏壇に線香もあげてません。先方も協議書のハンコ目的でしょうし、なにを言われるかされるか分からなかったからです。 相続の方は、専門家に相談して解決しました。 お墓がないので、墓地で線香をあげることもできず、実家に行くのは絶対無理です。 もう死んでしまった人ですし、十分な愛情もお金ももらっていないし、どうでもいいことなのかなと。 病気で苦しんで死んだらしいですけど、勝手に成仏していると思ってます。線香あげないと可哀想かも、もしかして成仏できずにさ迷っているかも、葬式いけなくてごめんとたまに思います。 周囲の人が言うには、知らせがこなかったから仕方ない、知らせない人たちのほうがおかしいと。 虐待などはされませんでしたが、子供への愛情ゼロだったみたいで、薄情な人間でした。やさしい父親だったら、冥福を祈ることもできると思いますが、「くそ爺、地獄に落ちてないかな」とか黒い感情が湧き出ることもあります。 罰があたりそうで怖いんで、それ以上呪わないようにしています。 父親のことは思い出したくないので、どーでもいいんですが、もやもやが消えません。

有り難し有り難し 11
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死は存在しない

もう10年以上も前になりますが、母の命日が近付くと、色々と考えます。 不治の病を宣告された母。いわゆる「手かざし系宗教」の信者である叔母(母の妹)から勧誘され、藁にもすがる思いで行った本山で「あなたには助からない相が出ている」などと訳知り顔で告げられた母。 同行した父親も勧誘されましたが、断ったとの事。 (父も母も、元々は徹底した無宗教、無神論の人でした) 母は闘病中も死の間際も、「私が死んだら○○を宜しく」 なんて言葉は一言も言いませんでした。 私は、人の思考は死を思う為には出来ていないと考えます。 脳はあくまで、身体を効率よく動かし合理的に生き延びる為に、進化の過程で生物が獲得した器官であり、「死」なんて抽象的な思考を弄ぶ為のものではないと思うんです。 死んで肉体の機能が停止すれば、感覚器官(眼や耳、肌など)も停止し、仮に死後が存在するにしても、想像を絶する世界を見て、感じるはずです。軽々と「死後の世界」なんて言えるはずが無いです。 生物の脳も身体も、ひたすら生きる為に作られています。死ぬためにつくられてる訳じゃないです。だからこの脳、この身体で死について考えること自体ナンセンスで、飛ぶ為に作られていない私の手で、鳥のように空を飛ぼうとするようなものです。 お釈迦さまが死後を無記とした真意は… 私は、死後が浄土であれ輪廻であれ、あるいは本当に恐ろしい事ですが正真正銘の「無」であっても、仏教の救いに変わりはないと言う事ではないかと考えます。 人は死なないです。死の間際でも、風邪をひいたように、一晩明ければケロリと治ってると心の奥底では信じて最後の日まで生き続けるのではないでしょうか。 母は死の間際まで死を考えませんでした。少なくとも、口には全く出しませんでした。何かを悟っていたのか、一片の悟りもなく生にしがみついていたのか今では分かりません。 ただ、母の姿を思うと私も生の続く限り全力で生きたいと思うばかりです。 「生きてる時は死んでいない、死んだら生は無い、だから死は存在しない。死を恐れず、生を全うせよ」と言ったギリシアの哲人に、私は賛成です。 こーゆー考えもまた、妄想でしょうか? 「これだけ問答を重ねて、君はまだ何も分かってない」とお叱りは覚悟の上です。 日々、人の死と向き合っているお坊様方の実感を聞かせて頂ければ嬉しいです。

有り難し有り難し 12
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父親を亡くした子どもへの寄り添いかた

以前から拝見していましたが、ご助言をいただければと思う出来事があり、、初めて質問させていただきます。 娘の保育園の関係で親しくなった一家の旦那さんが、少し前に若くして病気で亡くなりました。 その家には2人の子どもがいますが、お母さんは気丈にがんばっています。 私もなるべく力になれればと思い、一緒にご飯を食べたり、話を聞いたり(とはいえあまり自分の辛いことを話さない人なので、世間話や仕事の話、子どもたちの話題ばかりですが)、大変なときは子どもたちを預かったり、、というようなことをできる範囲でしています。 子どもたちも小さいなりに(小学1年生と4歳)父親の死を理解しているのですが、特に上の子(男の子)は小学校という新しい環境に入ったばかりということもあるのか、穏やかだった以前とは違って最近はいつもイラだっているか、自分の欲求をまわりにぶつけて、意に添わないと一緒に遊んでいる妹やうちの子をいじめたり暴言を吐いたりしています。 この年頃の男の子は多かれ少なかれそんなものだとも思いますが、やはり寂しさや、どこにもぶつけられないモヤモヤが、怒りやイライラとなっているのではと思うと、かわいそうになります。 お坊様がたにお聞きしたいのは、 このような場合、周囲の大人は小さい子どもたちにどのように接すれば、少しでも安心感をあげられるか、そしてお父さんの死を、どのように扱えば良いのか、ということです。 子どもたちには特に、今までどおり何も変わらない接し方を心がけていますが、もし伝えてあげたら子どもが少しでも楽になれるような言葉があるのなら、伝えてあげたいです。 こうして書いていると、お坊さんではなくて児童カウンセラーに質問すべきことかしら…と思えてきましたが(汗)、色んなお立場からのご助言をいただけたらと思い、質問させていただきます。

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友人が元父親に復讐を企てています

友人は幼少期ロクでもない家庭環境で育ったらしく、その原因である父親に憎しみを抱き続け、15年経った今になりその気持ちが爆発してしまい、精神疾患を患ってしまいました。するとマイナスの方向に吹っ切れたみたいで、表題の通り、元父親へ復讐しようとしているのです。 ちなみに友人の両親は10年以上前に離婚し、友人は母親の方に引き取られています。 友人は最初、元父親を法律で裁くことで復讐するつもりでした。 しかし、友人が警察や弁護士に相談したところ、「精神疾患」と「過去の家庭環境」との因果関係の証明が難しかったり、時効だったりで、法律で裁くことはほぼ不可能らしいのです。 絶望した友人は、「法が駄目なら自分がやる」と、元父親へ直訴しに行くと言いました。つい最近のことです。 ただ、友人の元父親はとても気が短く狂暴で危ないDV男なのだそうです。 躊躇なく妻にも子どもにも痣が出来るほど手を上げていたそうなのです。 直訴なんかしに行ったら殴られるかもしれないし、後々報復があるかもしれません。最悪殺されてしまうかもしれません。 自分は、危ないから復讐を止めるよう言ったのですが、過去の家庭環境のストレスから来る希死念慮や自殺願望をずっと抱えてきた友人にとってはそんなことどうでも良いらしく、自分が傷付いても死んででも良いから、ともかく元父親が苦しむ仕返しを今すぐしてやりたい。出来れば元父親を殺し、刑務所行きになる前に自分も死にたい」のだそうです。 復讐したい気持ちは肯定してあげたいのですが、自暴自棄になっている友人を止めなければ取り返しのつかないことになる とも思います。 自分としては「元父親のことなんて記憶の隅に追いやって、己が幸せになる道を歩んでほしい」のですが、友人は「元父親のせいでずっと苦しいままなのだから、元父親への恨みを復讐で払拭しなければならない」のです。 現在友人は病院で処方された抗うつ剤などを飲んでいます。カウンセリングにも行きました。 それでも精神疾患とストレスから来る心身的苦痛や危険思考が和らぐことは無く今も苦しんでいます。 危険な元父親の所へ乗り込みに行こうと計画しています。 今の友人は衝動性が強く、感情に任せて何をするか分からない状態なのです。 不安と心配で仕方ありません。 どうすることがベストなのでしょうか。 助言を頂きたいのです。よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 14
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2022/10/30

父の死

いつもありがとうございます。 春に弟が亡くなり、なんどもお話を聞いてくださりありがとうございます。 先日疎遠だった父が亡くなったと連絡がありました。 なにしろ40年以上疎遠だったので、亡くなったといわれても心が動かない現実がありました。 弟がなくなった際に、書類の手続きをお願いすることも代理人を通しての連絡だったので直接会うことはありませんでした。何か言われる、ゴネられる。。。と警戒していたのですが、あまりにもスピーディーに動いてくれたことにとても感謝しています。 それが親として最後に見せてくれた誠意だったと信じています。 私をこの世に生んでくれた父ではありますが、悲しみという感情がわきません。 感謝はしています。子供のころの父との写真が少し残っているので眺めた時には涙が流れましたが、すでに私の日常は何もなかったように過ぎていきます。 確かに父親として、娘としての数年間の時間はあったのです。 代理人の方によると、亡くなる何年か前に大病をしたと聞きました。 けれども、別れてからすでに40年以上経過しています。 いつか訪れる父の死を知っても、心が動かなかった自分の冷たさ、冷静さに少しだけショックでした。 弟が亡くなったときの私はまさに半狂乱、母も夫も私がどうにかなるのではないかと心配されました。あれから半年たち、どうにか私も表面上はいつも通りの生活を取り戻しています。 父への感謝は弟の死亡手続きの協力してくれたこと。 それを手紙に託しておいてよかった。。。と悔いはありません。 今は父が安らかに眠ってくれることを願っています。 こうしたことで供養が伝わるでしょうか? 答え合わせをお願いいたします。

有り難し有り難し 21
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