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hasunoha 問答検索結果 : 「 般若心経 」
検索結果: 501件

死を望んで早12年、未だ死ねず

ごめんなさい、こんばんは。 この時間になって、やっと書き込みが出来ました。 悩んでいる方か多いのですね。 私は、自殺をしました。 失敗しました。 その後、死にたいけれど、自殺の恐怖には勝てません。 ただ、生きていても、自信もない、力もない、夢もない、お金もない、思いやりもない人間なので、周りに迷惑をかけてしまいます。 だから、また、死のうと思います。 すると、サポートしてくれた方、親の悲しむ顔が邪魔をします。 だから、また、生きます。 けれど、生きているのは、辛く、身体は思いし、思い描いた自分との差に悩まされます。 親孝行の1つも出来ない自分が大嫌いです。 素敵すぎる両親に申し訳ないです。 だから、また、死のうとします。 次は、死んだ後、地獄に行くのかとか、自殺した人は、より苦しむと言う言葉が頭をよぎります。 そして、また、生きます。 そして、また、死にます。 そして、この苦しみのループから、抜けることなく10歳だった僕は、今年で23歳になります。 生きたいと思う人が亡くなり、死にたいと思う人が死ねないという、嫌な世界です。 目が覚める度に、また、地獄が始まった。 終わりが早く来ないかなと思ってしまいます。 生き地獄です。 唯一の心の救いは、太ももをカッターて切ること。→自らに罰を与えることで、許された気がします。 そこで、質問なのですが、 ・何故、僕のようなゴミが産まれたのですか? ・自殺(自死?)しても、この世の苦しみからは、解放されないのですか?地獄で苦しむのですか? ・自殺で死ぬのも寿命ではないのですか? ごめんなさい。

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自死した夫に念仏を未だ唱えてません…

お世話になります。 ここで何度か有難い、気持ちが落ち着くようなお返事いただいておりますが、未だ、自死した夫に手を合わせれず、仏壇の前に座れず、念仏も唱えてない状況です。 ちゃんと仏様に導かれて、今は安らかに、私達を見守っているかなー、 迷わず、暗闇が抜け出せたかなーと気になります。 念仏を唱えると、ちゃんと温かく手をさしのべてくれるのが仏教、浄土宗と聞いてますが、私は手を合わせる事も出来ず、南無阿弥陀仏ととなえる事も出来てません。 仏壇の前に座れずにいます。 こんなんで、私もあの世に逝ってしまったら、夫と同じとこにはいけない気がしてます… 夫に会いたくてたまりません また、こちらで拝見させていただいてる中で、自分が亡くなっても、夫と同じとこには行けないみたいですね… 私がもし後追いでもしても、夫と同じとこには行けないみたいですが、後追いしなくても後々、私の寿命がきても、亡くなり方が違うので行く場所は違うのでしょうか? よく、南無阿弥陀仏と唱えましょう…や、手を合わせればきっと救ってくださいます…と聞きます。 今の私では無理です。出来ないです。 今、まだ心配で後悔してウロウロしてるのかなと… 夫に会いたいです

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「足るを知る」と「向上心」のバランス

明けましておめでとうございます。 全ての皆様にとって、健やかな一年となることを祈念いたします。   *   「足るを知る」と「向上心」をどうバランスさせるかについて質問です。   ■質問の内容 ・人間の煩悩はキリがありません ・煩悩とうまく付き合うために「知足」が重要との理解です ・一方で、より良い生を営むには、「向上心」が必要です ・しかし「知足」「向上心」は、ときに相容れないように思われます ・そこで、両者の使い分けについて、ご意見を頂戴したかったもの   ■質問の背景 ・私は肉体や精神、能力等の向上(=欲求を満たせる自分に成長すること)を目標として努力してきました ・結果、自分自身や周りの人の幸せを実現できると考えてきたためです ・しかしある時、幸福度は上昇していないことに気付きました ・そんな時に「知足」の重要性に気付き、「向上心」との折り合わせについて強い興味を抱いたものです   ・両者の使い分け方法について、下記2パターン考えました   ■仮説① 行為の目的(相手のため/自分のため)で、以下の通り使い分けるべき 【良さそうな例】 A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分 【悪そうな例】 C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分 D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい   ■仮説② ・「知足」と「向上心」のバランスを考える必要は無い。 ・自らの欲求を満たせる自分に成長する「向上心」が重要である ・逆説的だが、向上心(欲望)を満たした経験により「足るライン」を把握できるようになる ・肥大する向上心(欲望)を実現した経験が、「自らを満たさない、長く続かない」ことを体感させる ・知足は、頭で理解するものではない。体得させる必要がある    (例)お金をもっと稼ぎ、食事にお金をかける。結果、最高級の焼肉もファミチキも両方美味しいし、どっちも幸せで、(実は)どっちも大差ないことを体感する。 しかしずっと貧しいままだと、どうしてもやせ我慢での知足となる。「知足の習得」には、欲求を満たして「こんなもんか」という体験が必要不可欠。 お釈迦様が王子の頃に豊かだったことは、悟るための必須条件。。?   少し漠然とした問いで申し訳ございません。 どうぞよろしくお願い致します。

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虚しいと感じる気持ち、どう対処すればよいでしょうか?

皆さまの問答を拝読し、いつもたくさん勉強をさせていただいております。 今回、自分の気持ちとの向き合い方をご指南いただけないかと思い、相談させていただきます。 私は、自分がとても充実した生活を送っていると思います。 やりたい仕事をさせてもらい、健康で家族にも恵まれ、何不自由なく過ごせていることに感謝をしています。 今以上のことを欲張って願ったりする気持ちはありませんし、自分がいまここに在ることを周囲の人たちにもご先祖さまにも感謝しています。 でも時折、本当に不意に、「虚しさ」が心の中に生まれます。 それまでなんの問題もなく歩んでいた足が突然動かなくなるようにして、心のなかに「空虚」が表れ、それに捕らわれてしまうことがあるのです。 そうなると、全てが後ろ向きに感じられ、自分の存在意義があるのか不安になり、立ち止まったまま途方に暮れてしまいます。 自分はどうして自分なのだろう。 どうしてここにいるのだろう。 なんのために生きているのだろう。 こういう疑問ばかりが、ぐるぐると頭の中を回ります。 なにもかもを投げ出してしまいたくなります。 終いには、それを考えることも放棄してしまいます。 そして、自分の中が空っぽになってしまったような、そういう恐怖を感じてしまうのです。 お坊さまの修行の中や、お釈迦様の教えの中に、そういう心と向き合うためのヒントはないでしょうか。 とても漠然とした質問で申し訳ないのですが、私もその原因不明の漠然とした虚しさに、何度も悩まされてまいりました。 虚しいと思う、空っぽになる心への対処方法、またそういう自分との付き合い方など、なにか参考になるようなことがありましたら、ぜひご教授くださいませ。 宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 414
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罪悪感

はじめまして、よろしくおねがいします。 私は、今まで30年以上生きてきましたが、今立ち止まり振り返ると自分のしてきたこと全てを間違えてしまったと感じてしまいます。 人を傷つけ、やさしさを持たず、色眼鏡をかけて見て人を判断し、仕事上ではヒステリックに怒ればことが進むと勘違いし、男女関係でも道徳に反した行為があったと思います。このようなことはしないような人間でありたいと思って生きてきたはずなのですが、いつしか仕事の忙しさや周囲のやさしさにかまけて、気がつかないうちに傲慢になっていました。 それを、今になって気がつきました。いかに周りに対して愛情がなかったのか、、恥ずかしいです。傷つけてしまった方々には本当に申し訳ないとおもっています。しかしながら疎遠になってしまって謝ることもできません。 そしてこのような罪悪感を感じるのと同時に、周りの人々にはどうみられていたのかと人の目が気になり、陰では悪い噂がたっているのではないかという不安があります。罪悪感があり悪いのは全て自分だと感じているのに、まだ保身の考えを持ってしまう自分にも嫌気がさします。 私はこの先どのようにこの罪悪感と付き合い、罪滅ぼしをしてゆけばよいでしょうか。どうか、ご助言ください。よろしくお願い申しあげます。

有り難し有り難し 151
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