アスリート仏教からナマクラ流ズボラ派
以前は念仏を度々行っていたのですが、次第にめんどうになりすっかり幽霊念仏員と化してしまいました。
ところが久々に思い出して行ってみると読みながら自分の抑揚や音読速度を感じて、「オレ、別に焦ってないと思ってたけど、何か急いでる感じするし焦ってるんだろうな」とか「何か妙に抑揚強くてアピってなくね?もしかして飢えてるの?」
などと、どこか俯瞰した目線でまだ意識に登っていない無意識下の悩みと言いますか、或いは自分の中の別の自分の愚痴を聞くと言いますか・・・くすぶりだした欲求不満の様なものをある程度察してあげられる効果がある事に気が付いて驚いています。
仏教と言いますと、何かドグマチックな信仰や仏教哲学から入らなければならないという気がしてしまうのですが(勿論仏教には素晴らしい教えが沢山有る事は承知しています。本棚には半分くらいに栞が挟まった仏教の本が沢山有ります!)、なにせズボラなもので・・・単に健康に良いからとか、メンタルケアをモチベーションとして関わっていくのはイケない事なのでしょうか?
有り難し 6
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