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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 」
検索結果: 6200件
2022/12/20

霊魂やあの世についてお坊さんの考え方

お坊さんは霊の存在 あの世の存在について 「真実はどこにあるのか」意見交換のようなことはしないのでしょうか? 普通 専門分野には 「学会」などがありますよね 例を挙げると 医者の世界なら 学会で 様々な治験結果を発表して 病気に対してどんな治療法が有効なのか 意見交換をしたりします。 そして その結果は一般人も知ることができ普段の生活習慣や食生活などにも気を遣うようになる人もいます 仏教でも宗派によって「霊魂は存在するか否か」についても見解が違うようですね。 真実がどこにあるのか情報収集をしたり学会のような意見交換はないのでしょうか? (どのように敬称を使うのかわからないので 以下敬称略で書きます。申し訳ありません) 歴史のタラレバの話になりますが もしも 最澄や空海が乗船していた遣唐使船が暴風雨に見舞われた時に海没していれば後の天台宗や真言宗はありませんでした。 法然が父親の敵討ちのために武士になる道を選んでいれば後の浄土宗はありませんでしたし、弟子の親鸞も存在せず浄土真宗もなかったかも知れません。 土御門道親が長命で朝廷の権力争いに勝ち位人臣を極めていれば道元も公家としての生き方をして曹洞宗はなかったと思います。 北条時宗が平頼綱を止めなければ日蓮は殺害されて日蓮宗はなかったと思います。 ちょっと歴史が変わっていれば、現在仏教の宗派も存在しなかったり、新しい宗派ができていた可能性もありますが それによって霊魂やあの世の存在について真実が変わることもないはずです。 多くの人に嫌われたり 尊属にも虐待されて生きてきた人 周囲と仲良くやってきて尊属の愛情を感じて生きてきた人 人それぞれです、 友人やペットなどに対する思いも人それぞれです 霊感商法に騙されて 宗教=悪と思っている人もいると思います あの世や霊魂があるのか 真実を知ることで生き方も変わってくると思います お坊さん=霊能者 ではないことはわかっていますが いろいろな人の体験談を聞いたりして 何か真実なのか調べようとすることはないのでしょうか?

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2023/02/20

自分の両親の重病や葬儀に一切無関心の人

霊魂 あの世 輪廻転生などについてこれまで何度か質問させていただいた者です。 いろいろ読ませていただいているのですが お釈迦様は基本は「無記」。それよりも 今現在から先の生き方の方が大事という教えであることはなんとなくわかりました ただ 釈然としないところもあります。 私がhasunohaで最初に質問したのは以下(昨年12月下旬)になります。 https://hasunoha.jp/questions/63751 ここのお礼でも親族の入院について触れたのですが 今年に入って 義理の伯母が亡くなりました。 叔母の縁者は夫(私の伯父で喪主)と娘(既婚)が一人 私の自宅から遠く3時間かけて 葬儀に行ったのですが 葬儀には娘(私にとって従姉、おそらく戸籍上は除籍されています)が来ておらず 花も何も出しておらず葬儀代も1円も出さなかったそうです。 葬儀に欠席したのは病気が理由だそうですが、葬儀が終わった数日後にやってきて、アクセサリーなど金目の物だけを持ち出して30分ほどして帰ったそうです。 そして今度は伯父が入院しました。現在も病状が思わしくありません。 親戚が「今度はあなたのお父さんが入院した」と従姉にメールや電話をしても応答なしで無視状態で、他の親戚が電車やバスを乗り継ぎ病院の入院手続きをしたり、着替えなどを持っていく状態のようです。 従姉からみれば 母が亡くなり、父が重病なのに 他人のような無関心さ 葬儀に出なかったのも仮病じゃないかと噂されています。 従姉は両親をよく思っていなかったのか、亡くなれば無になるから亡き人を想っても無駄と思っているのかはわかりません。 (ブログ、動画、twitterなどでは どういう理由かスピリチュアリズムに対して異常なまでの憎悪を抱いて 霊など存在しないと言い張り、霊能者や占い師を名指しで罵倒している人を見かけますが、従姉はもしかしたらそのようなタイプかもしれません。その場合亡くなった人をセミの抜け殻程度にしか思っていないのでしょうか?) いずれにせよ、もし霊やあの世があった場合、 義理の伯母があの世から見ていたら 両親を見捨てる娘に対して本当に悲しい思いをしていると思います。 私が霊やあの世について真相を知りたいと思うのも このようなところに原因があるのかもしれません。 本当にこれでいいのでしょうか? やりきれないです

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四十九日が済んでも気持ちが落ち着かない

お早うございます。 先月末、父の四十九日が終わり、一つの大きな区切りを迎えたはずなのに、どうしても、どんなに頑張っても、父が旅立った悲しみ、淋しさから抜け出せません。 四十九日を迎えて、もう気持ちの整理がつく頃なのに…。未だに夢にまで出て来て、気持ちの整理がつく所か、更に悲しみが増えました。父の生前と比べて、明らかに笑顔が激減しています。テレビを見ていて、「面白い」とは思っていても、笑う事も出来ず、ただ時間だけが過ぎて行きます。 道を行く車を見ていても、「昔お父さんが元気だった頃、車で色んな所に遊びに行ったよね」と思ったり、家の中のあらゆる物を見ては「これを買った日、お父さんと、こんな会話したよね」等々、どうしても父と結び付けてしまいます。 今でもまだ、ふとした瞬間に父が居そうな気がして、私が仕事から帰って来て、玄関を開けたら、そこに座っているんじゃ無いか、また母と些細な事で、言い争っているんじゃ無いか等々、考えるときりが有りません。毎日毎日、溜息ばかりです。 本膳も四十九日までは、初七日に始まり、1週間ごとにしていました。然し父は、煮物や漬物が大好きだったし、それ以前に食べる事が大好きだったので、今月からは毎月、月命日に本膳をたこうかと思うのですが、こんなに悲しいなら、止めといた方が良いのかな?とも思います。 本当に、どうしたら良いか判らず困っています。

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弟の自殺について

はじめまして、思い悩んで検索していたらこのサイトに辿り着きました。 先週、急に弟が失踪し、4日後に山中の車中で練炭自殺をしていた所を発見されました。 弟は結婚して10 年、義妹と子供2人に恵まれて幸せに暮らしていました。仕事の関係から1年前に鬱病を発症し、一時はよくなっていたのですが、やはり、完治はしておらず、病状が悪化して自殺を図ったと思われます。鬱病が酷くなった原因には様々な要因が絡んでいるのですが、もともと若い時の性格はそこまでネガティブではなく、去年、鬱病と聞かされた時も信じられないくらいでした。 それでも彼は自分なりに頑張って頑張って、これ以上頑張りきれないくらいだったんだと思いますが、彼を救ってあげれなかったことを私は一生後悔すると思います。死ぬ10 日程前にもとりあえず半年は前向きに頑張っていくわ!と彼の意思を聞いて話をしたところだったんですが、本心は誰にも救いを求められず、1人苦しんでいたようです。 私と弟は、家庭環境が複雑に育った姉弟で小さい時から助けあってきたので、絆は深かったと思います。 両親も他界しており、私は天涯孤独になってしまいました。 そうはいっても、それよりも、残された義妹と子供2人はまだ小さく精神的にも経済的にも、これから助けていかなければならない状況です。 悲しんでばかりはいられず、生きていく事は本当に大変なことです。 弟のためには、私が何かできることはありますか? それを教えて頂けたらと思い、ご相談させていただきました。 よろしくお願いしますm(_ _)m

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少しだけ幸せで、死ぬなら今だな、と思う。

 少しだけ幸せで、死ぬなら今だと心のどこかで思う。共感されない。仏教で解釈できるでしょうか。  今、仕事が少し分かり始め、欲しいものややりたいことがある。楽しいこと、大切にしたいこと、少しずつ好きな人たち。欠片が積もって私は前より自分のことを知っている。  幼稚園の頃、自分だけが箸の持ち方を知らないことに愕然とした。私は何も知らず、何も出来なかった。それからずっと、何かを覚えるために生きてきた。逃れるために。  ある時、所詮地獄なのだと思うと、楽になった。ましな地獄にしようと思った。辛かった経験は少し報われ、褪せて。鈍にならないうちに。  怖いのは、地獄だと思って耐えている場所が天国だったのだと知ることか、本心はどこかの天国を夢見てそんなものは無いと証明することか。川底に光る宝物を拾い上げた時、それはまだ宝物か。まだ見ぬ幸福を恐れている。  今なら、鮮やかな走馬灯と未来の淡い幸せを夢に見て、眠りにつける。  正気に戻ることを恐れている。幸せを痛み止めにしてごまかしごまかし生きている。  ふと、正気に戻る時がある。そしてこれから先、何十年も生きる。このまま効き続けるとは限らない。過剰に求めてしまうのではないか。今よりずっと、幸と不幸に翻弄される。服用しすぎて、自分を失っていることすら気づかなくなってしまうのではないか。 いや、実際は、幸せを服用するたびに、正気に戻っていっているのではないか。これまでは無心で生きてこれたのに、どんどん脆くなる。  痛みを薄めることでしか保てないのに、痛みすら自分の一部で、私は自分を得るために生きてきたのだ。今ならまだ、自分でいられると。  考えすぎだ、なんとなくでいいよと言われた。考えすぎることは根本的な問題ではない。なんとなく生きられる人は、本質として生きることの幸せを受け入れられる人ではないか。過去であれ、未来であれ。死ぬ不幸とは相対的に。次の瞬間に痛み止めが切れることに常に怯えたりしない。  生きる不幸から逃れる必要もなく、生きる幸せが恐ろしいと思う、死ぬことの不幸だけが人並みな私は、何のために生きればいいのですか。

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謝罪は断られているのにお叱りを受けます

ご不快になられるような相談かもしれませんが、よろしくお願いします。 お恥ずかしい話ですが、実は一年前に事故を起こしました。私が車で、お相手は自転車です。 お相手の肋骨を複数骨折させてしまいました。 完全に私の不注意で、深く反省してます。 自分の落ち度だったので、事故直後から2ヶ月の間に、5回ほどお電話し「直接謝罪に行きたい」と申し出たのですが、毎回「今はいい」「保険会社を通じてやりとりしましょう」と断られました。 やりとりをしているのはお相手本人ではなく、お相手の旦那様です。 お相手の方が海外出身の方で、日本語がまだうまく喋れないという理由で、旦那様とやりとりをしています。 私の方は、逮捕はされてないのですが、略式起訴で罰金刑になりました。 当然のことだと思って、罰を受け入れました。 年明けにお相手のリハビリが終わったと、保険会社から連絡があったので、お電話をし、謝罪しました。 その際も、直接謝罪お伺いしたいと申し出ようとしたのですが、旦那様がすぐに電話を切られてしまって、できませんでした。 なので、お相手の旦那様は、もう謝罪もされたくないのだと思って、保険会社に任せていたんです。 そうしたら、一昨日の早朝(7時ぐらいです。6時半に一度お電話があったのですが、眠っていて取れず、折り返ししました)にお電話があり、旦那様より「保険会社から提示された慰謝料が少なすぎる。俺がどれだけ辛いと思ってるんだ。弁護士に相談する」とお叱りを受けてました。 お辛い気持ちは当然ですし、私が許されるとは思っていないです。 しかし、何度か謝罪をしたいと申し出ているのを断られてしまっていた手前、今までの自分の対応の何がいけなかったのか分からず、混乱してます。 この先どうなってしまうのか、また、以前お電話いただいた際に「お前の家を知ってる」というようなことを言われたので、加害者である手前、申し訳ないのですが、旦那様のお怒りが収まらなかったら何かされるのではないか、という不安を覚えてしまいます 加害者である私が不安を覚えるのはいけないことでしょうか? 失礼ながら、ご連絡のたびに旦那様に怒鳴られるのが怖く感じます。 また、私の悪い癖なのですが、最初は被害者である奥様の心配をされていたのが、だんだんと「俺が」と言われるようになり、金銭の話をされ始めたのが気になってしまいます。

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音が苦しい

こんにちは。 私は双極性障害という心の病気で通院、療養しています。自殺企図もあったりして、情緒が不安定な日々が続いています。 最近困っていることがあります。 それは音です。 第一に、近所にできた宿泊施設から人の叫び声がよく聞こえるようになったこと。その声を聞くたびに胸が締め付けられるような感じがして苦しいです。 第二に、高齢の祖母がいるのですが、何か少しでも動作をすると(手を洗うことでも)よっこらしょ、よっこらしょと繰り返します。その声が非常に大きく、家は二階建てで祖母は一階にいるのですが、二階の自室まで声が聞こえてくるほどです。 もちろん、施設の人も祖母もわざと音を出しているのではないと分かっています。 ただ分かっていても持病で神経が過敏になってしまうし、余計に音に対して敏感になってしまいます。担当医にこのことを話したら、「気にしないようにしてくださいね」と言われました。もちろん気にしないことができたら良いのですが、気になります。むしろ気にしないように気にしないようにすると、余計に気になってしまいます。 また他の方の問答にあった「音はただの波長なのだからイライラする必要はない。ただの音だと思え」という言葉を意識して「これはただの音だ、これはただの音だ」と唱えてみましたが、うまくいかず。うるさい、イライラする気持ちが増えるばかりです。 なんだかまとまりのない文章になってしまってすみません。何か少しでも状況を改善する方法等あれば教えて頂きたいです。

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余命宣告をされた彼女

初めて質問させて頂きます。 私には、歳上の同性の恋人が、さっきまでいました。つい先程、別れを告げられてしまいました。 彼女は、内臓の病気を患っています。先々月、お医者様から余命半年を告げられたようです。 その頃はまだ、交際関係に発展しておりませんでした。 しかし、私が相当依存しておりましたから、見かねた彼女から「私が居なくなっても苦しまないように、今から離れるリハビリをするか、辛くなること覚悟で最期まで恋人として隣に居るか、どっちがいい?」と、余命宣告をされた時、私に聞きました。 私には 大好きな彼女と離れる という選択肢がなかったので「短いかもしれないけど、貴方の恋人として隣に居たい。」と伝えました。 そこから一ヶ月間は、毎日とても幸せでした。連絡をまめに取り、彼女の愛情をひしひしと感じて過ごしておりました。 しかしある日、彼女のお母様が亡くなられました。彼女と全く同じ、内臓の病気と闘っていたお母様でした。 それから彼女とは、10日ほど連絡が取れませんでした。お母様の訃報は、彼女のお父様を通じて知りました。 そして先程、彼女から久しぶりの連絡がありました。 「私は母親を亡くしてとても寂しかったし、辛かった。私が死ぬことによって、貴方を私と同じ気持ちにさせることはできない。」と、言われました。 付き合い始めてから一ヶ月の間に、わたしは彼女に沢山幸せにしてもらいました。 中でも忘れられないのが、ある言葉です。 「私は貴方を、世界一幸せにできる自信がある。捨てたりしない。」 このような言葉です。 言ってることとやってることが違うよと、言いたいのですが、彼女もきっと、私のためを思って別れる判断をしたのだと思います。 ですが、涙が止まらないのが現実です。 こういう場合、私は、無理矢理でもそばに居た方が良かったのでしょうか。

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