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検索結果: 1333件
2023/06/11

親の将来について

私自身が発達障害ということもあり、福祉専門職の資格もある知人の勧めから、76歳になる父と同居しております。 生活のサポートをいい年をして父親に依存しており、それ自体にやましさもありつつも同時に甘えてもしまっています。 さて、その前述の知人は、私に、「君のような人間はいざ父親に万が一のことがあってから急にいろいろなこと(銀行の口座はどこのものがあるのか、保険は何に入っているのか、等々実務的な問題)に対処する能力はないんだからお父さんと話をしておいたほうがいいよ、とアドバイスをもらいました。 なかなか切り出せずにいましたがその知人はよくそのことを私にどうだ、お父さんと話はできたか?と声をかけてくれるので、とうとう数年前に、安直にそのまま父に切り出したら、そもそも難儀な問題を考えるのを避ける傾向もあり、今考えれば思いやりも足りなかったなと思うのですが、自分の死を意識する話題が面白いはずもありません。 おれがくたばったら兄弟(年子で44歳の弟)で考えてよと、吐き出すように言ってそれからは寄せ付けない感じで取り付く島もありませんでした。 もともと無口で大事なことほどはぐらかして、父と母のすれ違いもそんなところに原因があったのでやむを得ないなとは思いました。 救いがあるのは市役所から委託を受けている相談事業所の方は、万が一の時にはお力になりますよとおっしゃってくております。 そもそも父親のその反応も当然なもので、自分自身にとっても考えるだけで憂鬱で暗い気持ちになりなかなか向き合うこともせず時間だけが過ぎています。 母は別居しており、かといって家計もともにしていて父と連絡も絶えずあるといった奇妙な状態で、母が突破口になるかもしれませんが苛烈で攻撃的な一面のある母と私自身苦しく向き合うことも避けているこの頃です。 もっとも親に過剰に色々求めすぎているこの私の心構えから正しておかなければ何も前に進まないかもしれません。 障害を甘えにしているのかもしれません。 と、同時にちょっとしたことでも真面目な話題は一切避ける、問題を過小評価して逃げる父とのコミュニケーションにモヤモヤして、サザエさんの世界のように平穏無事、面白おかしく、もそれだけでは狂気の世界で苦しくて。私の障害にしても当初はなんとかうまくやってくれよ。ちょっと工夫すれば乗り切れるだろう?みたいに考えて、一緒にいても孤独です。

有り難し有り難し 2
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「親が悲しむから死ねない」というのがわからない

「自分が死んだら親が悲しむから死ねない」という感情がわからないのです。 私は、もし自分が死んでも、たぶん親は悲しまないと思ってしまいます。 うちの親は「お金(教育費)をかけたのに無駄だった」とか「親孝行(介護)をアテにしていたのにいなくなった」と、私が死んで親が怒るイメージは想像できるんですが、親が悲しんでくれるイメージが想像できないのです。 だから、自殺を思い留まるときに「親が悲しむから」という理由が理解できないのです。 この事を、友人に話しをしたらドン引きされてしまいました。 なんで皆んなそんなに親が好きなんでしょうか? 親に恩返しをしたいんでしょうか?親に長生きして欲しいんでしょうか?私にはまったく理解できないんです。 「子供の頃にされたように親に恩を返す」という言葉を聞きますが、それならば自分は親に愛されていなかったんだろうか?と考えてしまいます。 自分は冷たい人間なのか、自分の考えはおかしいのか、と悩んでいます。 「自分が死んでも親は悲しまない」と思っている人は他にはいないのでしょうか?それはいけない事なのでしょうか? 大概人に話すとドン引きされてしまうので、軽々しく相談できるところが無くて困っています。 お坊さま、是非おたすけをお願いいたします。

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母の死との向き合い方

昨日、母が亡くなりました。65歳でした。くも膜下出血を発症し約23日間の入院生活の中、一度も意識が戻ることなく逝きました。 母は自転車で10分ほどの場所に一人暮らしで、ある日曜の夕方から連絡が取れなかったのですが、土日はよくそのようなことがあるので、出かけているのかな?と少し気になったのですが、その日はそのまま就寝しました。 しかし朝になっても連絡が取れず、これはおかしいと駆けつけたところ、意識を失っていました。 緊急手術で一命は取り止めましたし、自発呼吸も戻り頑張ってくれていたのですが、脳が腫れたことで状態が悪化し、そのまま静かに逝きました。 私の意向で延命はしない決断をしました。 とても美人な母でしたので、色々なチューブが身体に入って寝たままの姿でただただ生き延びさせてしまうのはかわいそうだと思ったのです。 自然な形を希望しますと、主治医へ伝えました。 母の状態が悪化してから私はずっと病院にいたので、母の最期の瞬間まで耳元で語りかけ続けることができました。心臓が止まるその瞬間までも隣に居られました。 覚悟する時間を与えてくれた母に感謝しています。 しかし、この入院期間中とても後悔の念に苛まれ続け、今も自分を責め続けてしまい、とても苦しいです。 連絡の取れなかったあの日、大丈夫でしょっと思わずにすぐに駆けつけていれば、もっと早く気付けば、もっと母のことを大事に思っていれば、検査を受けさせていれば… 結果は違ったのかもしれないと、私のせいでゴメンねゴメンねという思いが涙と共にどんどん湧き上がってきます。 大人になってから口うるさい母になかなか素直になれず、邪魔だと思った時や反発する時など多々ありました。 本当は世界で一番大好きだし、感謝しているし、素直じゃない娘でゴメンねと伝えたいのに、倒れてから意思の疎通も出来ず、何も伝えられず、このような形になってしまいました。とても悲しいです。 唯一、コロナの影響で小学校が休みだった息子の世話を毎日しに来てくれていたので、それは幸せだったかなと… もっと孫と一緒に居たかったはず、これからを楽しみにしていたはず、何でもしてくれて、守ってくれて、私と孫を世界一愛してくれた母の死と、自分の後悔の念と、どう向き合っていいのか、答えが出ません。 今日は納棺の儀です。また母の顔を見て泣いてしまいそうです。 一番驚いているのはきっと母です。

有り難し有り難し 11
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死を選ぶべきなのでしょうか。

私は現在大学4年生です。自らの不注意、無責任な行動から春から決まっている内定先への勤務が怪しくなっております。(具体的には言いませんが警察関係の事情) 自分で言うのもおかしいかとは思いますが、そこそこ由緒のある家で、姉も私もかなりの有名大学を出ており(私はまだ在学中ですが)、両親からの信頼や期待も小さな頃から非常に厚く育ってきました。 今回の不祥事を知ることや、私が社会人になれない可能性がある、もしくはなれないということを両親が知ったらきっと深く悲しむと思います。 また、それ以上に私が本来働くところで働いていないということを周囲に知られた時に親が感じる羞恥心や、劣等感というものは息子である私が一番深く分かります。 社会的弱者(私は決して軽蔑をするような意味で使ってる言葉ではないですが、親は大いに嫌う傾向があるため使わせていただきます。)として親に恥をかかせ続けていくよりも、 有名大卒で優良企業に内定していたものの社会に出る恐怖から死を選んだ息子という形で残るために自殺をはかろうかと思っております。 私はどうしたらいいのでしょう。 起こした不祥事に関する罪の意識を抱えて生きろなどという考えはあまり受け入れられません。(ほとんど事件性がないため) 両親は私が死んだら悲しむでしょうがそれはいずれ風化します。それよりも多額の教育費用をかけ、ようやくエリートとして育てあげた息子が不祥事で内定取り消し、フリーターや中小企業に勤める可能性があるという悲しみ、それが現実となったときの周囲からの視線、息子が法に触れるようなことをする人間であったという失望を考えると、自殺の方がいいと思ってしまいます。 生きてることで自殺以上の苦しみを与えてしまうのではないかと考えています。 親が以前言っていた生きてるだけでいいなんていう言葉を信じきれません。 私は正直なところ生きたいですが、そのために今回の不祥事を親に話し、場合によっては金銭面で多額の負担を強い、息子に絶望させてしまい価値の無い人間として見られてしまうかもしれないというのが苦しいです。 生きた方がいい、死なないでほしいという回答より、どういったことを両親に話し、これから何をアクションとしておこし、どういったように生きればいいかということについてお尋ねしたいと考えております。 長くなってしまいましたがよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 175
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死にたいと親に言ってしまった

はじめまして、こんばんは。 私は20代大学生です。中学生くらいの頃から、容姿、性格など自分のことが嫌いで、漠然と死にたいなーと考えていました。 確かに、今も自分として生きるのは辛いです。何かの拍子に死んで、別の人間になりたいと思います。 不謹慎ではありますが、自殺した人のニュースを見ると、同情やショックでなく、生きなくていいことへの羨望しか感じません。 それはそれで問題だとは思うのですが、今一番の問題は、母に、つい死にたいと言ってしまったことです。 最近は、もともと自分が嫌いなところに持ってきて、コロナ禍で外出できないことや先行きが不透明すぎること、そのくせ国家試験や受験などのために勉強しなければいけないことなどのストレスが重なり、それにうまく対処できなかったことが原因かと思います。 自殺する勇気もないのに死にたいだなんて言っても、周りに迷惑だし、引かれるし、メリットなんてありません。 どうせ寿命が来たら人間は死にますよね。 「身体と心、どちらかが限界に達すればその時に死ねる、どっちが先に壊れるかはさほど問題じゃない。」 このような考え方から、死にたいと思っても口に出さずにやってきました。 しかし、前述の通り、去年の10月ごろから母に「死にたい」「屋上に行ってみたけど飛べなかった」などと話してしまうようになりました。 親じゃない人に表出したのなら、「構ってもらいたいだけだ」と一蹴されるくらいで終われていたのでしょうが、人に弱みを見せるのが苦手なので、できません。前向きで天真爛漫な人物だと周りからは誤解されているようです。そう誤解されればされるほど自分を繕って、疲れてしまうので、昔から悩みを話せるのは母くらいでした。 こんな歳になっても、親くらいしか相談相手のいない私を母は受け入れてくれて、私も年甲斐もなく甘えていましたが、 「死にたい」だけは違うと自分でも思います。母は深く傷ついているでしょう。 母の相談相手といえば、母の姉(伯母)なのですが、伯母も旦那さんが病気療養中なので、私が死にたがっていることなど相談できないと思います。 こんな歳になってこんな形で親を苦しめたことは反省していますが、死にたいのは事実だし、どう謝ればいいか、どうしたら心配をかけずに済むか分かりません。 私はどうすればいいのでしょうか。

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家族の死

最近、家族の死について考えてしまいます。特に祖父母のことについてです。 私の親は共働きなので、保育園と小学生のときはよく祖父母の家に預けられていました。保育園のお迎えはおばあちゃんがしてくれました。買い物はいつも一緒に行きました。風邪を引いたらおじいちゃんが病院に連れて行ってくれました。旅行も数えられないほど行きました。 このときの祖父母とは親よりも一緒に過ごす時間が多かったかもしれません。そのためか今でも祖父母のことが大好きです。 この間、久しぶりに旅行に行ったとき、祖父母よりも背が高くなっていました。耳も遠くなっていました。2人とも80近いので当たり前なのでしょう。でもやっぱり時の流れを感じると切なくなってしまいました。 最近は「いつ死ぬかわからない」とか「もう先は長くないから」などと言っています。でもそんなこと言ってほしくありません。ずっとずっと元気でいてほしいんです。永遠なんて無いとは知っています。でも大好きな祖父母が死んでしまったらと考えると涙が止まらないんです。 恩返しもまだしていません。何をすればいいのかもわかりません。 この恐怖がどうしたら落ち着くのかもわかりません。 どうか教えてください。

有り難し有り難し 37
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2023/12/16

自殺した子の親が許せません

ネット上で知り合った方(以降、Aさん)が自殺したことを遺族のSNSで知りました。そして、私はその遺族が憎くて仕方ありません。 生前のAさんとはそこまで深い交流があった訳ではありません。たまにお互いが描いた絵に感想を送り合うくらいの関係でした。実際に会ったことはありません。 数ヶ月前、自殺をほのめかす投稿をしたあとに彼女のツイートが途絶えました。 その数日後、Aさんの絵に対する感想にだけ「いいね」をするアカウント(以降B)が現れました。不思議に思ってBの投稿を読むと、娘を自死で亡くしたとありました。 上記の出来事や家族構成と娘の年齢がAさんのと一致していたことから、BはAさんの父親だと確信しました。 Aさんは遺書を残さずに自殺したようで、Bは自死の原因はわからないとしていました。 ですが、私には思い当たる節があります。生前のAさんは親とのことで悩んでいることをSNSで吐露していたのです。 投稿の内容から、Aさんはかなり無理して親の前でいい子を演じていたようです。親に怒られることを極端に怖がっていました。実際、大学で先生が手を挙げただけで幼少期に父親に殴られた記憶がフラッシュバックするから、通えなくなったとも投稿していました。 家族と一緒にいるのがしんどいとよく言っていました。離れたいのに、特待生として合格したら一人暮らしする約束をなかったことにされ、絶望したとも。 希死念慮などの鬱らしい症状を自覚していながらも親にバレて怒られることが怖く病院に行けないとも言っていました。 Bは「親子仲は良かったから原因とは考えにくい」「娘に会いたい」などとほざいています。ふざけるなと思います。 BのせいでAさんは苦しい環境に追いやられていたといっても過言ではありません。 きっとBは常日頃から、Aさんの本音を無意識に握り潰して、理想の娘像をAさんに押し付けていた。そのせいで、Aさんは自己肯定感を失い、自分を大事にできなかったんだと思います。 Bが娘の自死を嘆く投稿を見る度に「お前が殺したくせに」と思ってしまいます。 いっそ全てをBにぶつけたいですが、Aさんを思うとできません。 ですが、AさんはBのせいで自死までしたのに、「娘を大切に思う父親」として生きてるBが本当に許せません。 この気持ちにどう整理をつけたらいいのでしょうか?Bへの怒りをどうすれば手放せるのでしょうか?

有り難し有り難し 4
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親との関係悪化でうつに…

今年大学4年生になるものです。 少し前から体の不調が続き、大学から勧められた病院に行ったところうつということが分かりました。 原因は大方見当がついています。 母親との関係悪化があるのではないかと感じています。 昔から母はいわゆる毒親と言われるような人でした。しかし、親を悪く言ってはいけない、親のせいにしてしまうのはダメだと思い母を毒親だと思わないよう過ごしてきました。 しかし、母との関係が悪化していくと同時に目に見える形で体の不調が出てしまうのです。 今現在、大学は実家から遠い距離にあるため一人暮らしです。病院に行くことが出来たのも1人だったためです。以前にも母に不調を訴え、病院に連れていって欲しいと頼みましたが、心療内科、精神科のような病院は人をダメにすると言われ連れていってもらえませんでした。 恐らく、その頃から患っていたはずなのに放置してしまったため悪化し、今では日常生活が困難、希死念慮すら出てきてしまう始末です。 今年から就活も始まってしまいます。 母は実家に帰ってくるよう求め、一緒に暮らすように言っておりますが、私は関東のほうで就職したいと考えております。 ですが、このまま不調が続けば就活はおろか、大学卒業すら出来ないかもしれません。うつのことも母に話すのが怖く伝えておりません。 こうなってしまったのは母のせいだと思ってしまう一方、ここまで育ててくれた人に対してなんてことを思っているんだ、こうなったのは自分のせいだという自責の念に板挟みになっていて非常に辛いです。 どうしたらいいのでしょうか。何かお言葉をいただきたいです。

有り難し有り難し 49
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親の病気

高校三年生で春から大学生になるものです。 母が末期の胃癌で2年前に余命一年と医師から宣告され、去年の11月末より 体調を崩し、現在入院しています。医師からも、心の準備をしておいた方がいいと言われていますが、母が絶対に良くなると私たち家族は信じ、今も病院に通い母のそばにいます。 しかし、精神的に辛く、この歳で母を失うということはとても耐えられません。学校に行けば友達が家族の話や母親の話をしているのを聞くと、 何故わたしばかりこんな辛い思いをしなくてはいけないのか。 何故母が病気になってしまったのか。 友達は放課後に遊びに行っているけれど、私は早く家に帰り、母がいないぶん、洗濯物をたたみ、部屋の掃除、夕食の準備などをしなくてはいけません。 父親や弟、祖父母も母のために病院に毎日通い、母の世話をしてくれているので、私も頑張らなくてはいけないと思っています。 最初は、母のためにも、家族のためにも、母が家のことを心配しなくてもいいようにと、全力で家事をやってきました。家族も頑張っているし。 しかし、最近、春休みになり、たまに、SNSを見れば友達は毎日のように出かけているのを見て、こんなこと思ってはいけないですが、 何故私たちばかりこんな辛い思いをしてやっていなくちゃいけないのか。 私だって友達と遊びたい、家に帰ったら家族がいて、母の料理を食べたい、母と買い物に出かけたい、家族みんなでたわいもない話をして笑いたい。 そんな当たり前のようなことを毎日ふつうにしている友達にとても羨ましく感じるようになりました。 こうやって思っている自分がとても嫌です。母が一番病気になってしまい自由に生活できないのが悔しいのに。 母の世話に忙しくなり、 自分の時間が作れず、日々イライラした状態が続き、父親と衝突してしまうこともあります。 こんな私たち家族になにかお言葉をいただけるとありがたいです。

有り難し有り難し 13
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2022/10/30

父の死

いつもありがとうございます。 春に弟が亡くなり、なんどもお話を聞いてくださりありがとうございます。 先日疎遠だった父が亡くなったと連絡がありました。 なにしろ40年以上疎遠だったので、亡くなったといわれても心が動かない現実がありました。 弟がなくなった際に、書類の手続きをお願いすることも代理人を通しての連絡だったので直接会うことはありませんでした。何か言われる、ゴネられる。。。と警戒していたのですが、あまりにもスピーディーに動いてくれたことにとても感謝しています。 それが親として最後に見せてくれた誠意だったと信じています。 私をこの世に生んでくれた父ではありますが、悲しみという感情がわきません。 感謝はしています。子供のころの父との写真が少し残っているので眺めた時には涙が流れましたが、すでに私の日常は何もなかったように過ぎていきます。 確かに父親として、娘としての数年間の時間はあったのです。 代理人の方によると、亡くなる何年か前に大病をしたと聞きました。 けれども、別れてからすでに40年以上経過しています。 いつか訪れる父の死を知っても、心が動かなかった自分の冷たさ、冷静さに少しだけショックでした。 弟が亡くなったときの私はまさに半狂乱、母も夫も私がどうにかなるのではないかと心配されました。あれから半年たち、どうにか私も表面上はいつも通りの生活を取り戻しています。 父への感謝は弟の死亡手続きの協力してくれたこと。 それを手紙に託しておいてよかった。。。と悔いはありません。 今は父が安らかに眠ってくれることを願っています。 こうしたことで供養が伝わるでしょうか? 答え合わせをお願いいたします。

有り難し有り難し 21
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