僧侶になることは「逃げ」なのか
私は高校2年です。
5で神童、15で才子、16過ぎれば只の人
と言った具合に、高校受験の失敗を皮切りに
落ちぶれていく人生を歩んでいます。(神童なんておこがましいですが、)
中学までの怠惰な生活をしていると、
当然、第一志望の高校には落ち、滑り止めの高校でも、成績は下がる一方、順位は下から数えた方が早くなるまでになりました。
なんとかしなければならないのは、分かってるけども、モチベーションは下がり、無気力。
さらに、成績が下がり…と悪循環の日々です。
そんな中、テレビ番組で僧侶の方々を拝見し、その道徳観、柔和な笑顔に惹かれました。
これまでの、偏差値や年収の見栄が第一の数字を求めてきた私にとって、とても異質で別世界で生きているように思えて仕方がなかったのです。
魅力的に感じ、僧侶に憧れ、志すようになりました。
しかし、仏教系の大学の偏差値というのは、お世辞にも高いとは言えず、家族や担任からは、受験から現実逃避しているのではないかと思われています。確かに、私は学校の課題から逃げ、担任からは、見放されています。しかし、表面上だけ良い子である私の内面がどうしても許せなく、また、現実との乖離に悩むのをどうにかしたいのです。
私自身、なりたい思いはあるものの、本当に僧侶でいいのか、受験から逃げたいがために、僧侶という芝が、青く見えているだけなのではないか。修行すらも投げ出してしまうのではないか。と不安に思ってしまいます。
私の僧侶に対する気持ちは本当なのか自分自身で確かめる方法、そして、周囲を説得する方法、そして何よりこの文章を読んで、逃げていると思うのならば率直に言っていただきたいです。
長文失礼しました。よろしくお願いします。
有り難し 40
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