今年のお盆の際に仏壇をきれいにしているときに、過去帳と家系図のようなものを見つけました。ご先祖様から一番新しい仏様(亡父)までの俗名も戒名も命日も0知ることができました。 我が家の仏壇には、ご先祖様とその妻の夫婦位牌が一つと五代目の方の位牌がひとつ、六代目のご夫婦の夫婦位牌が一つ、そして私の父の位牌があり合計四つのお位牌が置いてあります。 二代目三代目四代目の方のお位牌がありません。 ご先祖様個人のお位牌があっても先祖代々とかかれた位牌はありません。 このように揃っていなくてもよいのでしょう? このような場合、先祖代々とかかれたお位牌を新しく作った方がよいでしょうか? もし作った場合は、ご先祖様とその妻の夫婦位牌はどうしたらよいのでしょうか? 家庭の中もゴタゴタしており、精神面も病んでいる家族がいたり夫婦仲も良くなく、家に帰ると頭痛がしたり物音が聞こえたりといいことがありません。 ご先祖様のことを知ることができたのは何かのお導きかと思ってしまいました。 これを機にちゃんと私のできる範囲で供養をしたいと思っております。 お位牌もご先祖様が喜ばれるようにちゃんと仏壇に置いてあげたいと思います。 宗派は浄土宗です。 ご教授よろしくお願いいたします。
私の悩みは子供の遺骨をアクセサリーにして良いのかということです。現在一人暮らしですが、実家にはお墓がなく祖父の遺骨もまだ仏壇のみになってます。息子の遺骨はいずれは高野山へ納骨する予定ですが時期はまだ未定です。納骨する前に少しでも自分の近くに置いて置きたいのです。この想いは間違っていますか?私の地元での宗派は真言宗です。宗派によって違うのか、または仏教としての考え方全てが同じなのかはわかりませんが、お答え頂けたら幸いです。 経緯としましては約1年半前に男の子を中絶しました。相手は妻子のある人で、初めは私に嘘をついて交際を始めたのですが、小さな地域で母は顔が広く、直ぐに妻子のある人だと知りました。ですが両親への遅い反抗期から不倫を続けた末に妊娠し産むと決め両親も説得しましたが相手が奥様にバラし中絶するように頼まれました。その時は中絶など考えられず話し合いをしていましたが『もし生んだ後にこの人(相手の奥様)によって奪われたら』という恐怖心に負け、それならば今のうちにという想いから中絶を受け入れ中期(出産の形式)で行いました。今となっては自分はまだまだ未熟で子供が居たら育てられてたのかと考えることがあり中絶したことに後悔はしていません。妊娠をするような行動を取ったことには後悔をしていますが、、息子は私を恨んでいないのかもきになるところです。 文脈が定まってないかと思いますが、お返事お待ちしています。
先日、一人暮らしの叔母がなくなりました。 叔母の宗派は、ありません。 しかし祖母、が浄土真宗(本願寺派)の檀家で 供養していただき 私の母も、同様であり、お寺さんも、 知らないわけではないので、 叔母の供養のお願いをしました。 (父:身体障碍者:は檀家ですが、私は違います) 結局、お寺さんの事情で、来ていただけませんでした。 叔母は、無宗派の葬式をし、 お墓も俗名の彫りで、納骨の準備をしています。 お寺さんは、本山に連絡し、他のお寺さんのご足労の 依頼をするとか、親身なご対応は、しないものなのでしょうか? ここの、お寺さんは高齢のお母さまと二人で住職をされていますが、 お母さまは、もう、まともに、お念仏を唱えられません。 近々に、私の父も、 その時がくる時期ですのでが、 別の、お寺さんを訪問して 今後のお話を相談をしたいのです。 私の父も、同意はしています。 前のお寺さんの同意が、いるとか、云々の話を よく聞きますが、 先日の叔母の件で、もう、話もしたくないです。 お寺様間の内情は、存じ上げませんがそのまま、 お寺さんの変更は、許されるのでしょうか? 受けていただける、お寺さんはございますでしゅうか、 乱文にて、すみません、 よろしくお願いいたします。 追記 神戸市の東灘区です。
お世話になります。 現在妊娠6ヶ月になる妊婦です。 初めての妊娠ですが、性別もわかり経過も順調で心配事がないといえば嘘になりますが、楽しいマタニティライフを送っておりました。 先日、十数年ほど前に知人に紹介され一度だけお会いしたことのある天台宗のお坊さんから連絡があり、『お腹の子供は脳に障害があるかもしれないからお祓いに来ないとしらんぞ』と言われました。今までも数年に一回、来ないと子宮ガン・乳ガン・不妊症になると言われて来ましたが、お祓いには行かず定期的に検診をうけ、子作り翌月には自然妊娠と問題なく来ています。(お祓いの内容も頚部に指を入れて動かしながら子宮に向かって拝むという内容で親や旦那とは来るなと言われ不信に思い断ってました)こんなやりとりが何年も続き、今回は楽しみにしている子供のことで不安なことを言われたので、お坊さんは産まれてくる子供の病気を予知したりそれを治したり、女性の頚部に指を入れてお祓いをすることが実際にあるのでしょうか。 第一子ということもあり、通常の検診以外でも胎児専門医ににも二度ほど診察して頂き、問題なく順調に成長していると話はしましたが、『医者には治せん、来ないと知らないぞ』と言われると出産を楽しみにしてる為、気にもなります。どのように解決したらいいかアドレスをお願い致します。
私の家系には、昔から精神疾患や心の病気、発達系の病気を患う者が後を断ちません。葛藤の末、自死を遂げた者や自傷行為をした者もおります。そのため、健常者が振り回され疲弊するというパターンが繰り返されており、なんとかこの負の連鎖を止めたいと願っています。 そこでとある寺院に相談に伺ったところ、我が家の仏壇には古い位牌が6つ並んでいるのですが、成仏できていないご先祖さまがいる可能性が高いので、一旦過去を精算するためにもお性根抜きをして、繰出位牌にまとめることを提案されました。 私としては躊躇う理由も特に思い当たらないので、前向きに考えたいと思っていますが、宗派やお坊さんによってもそれぞれ考え方が違うので、色々なご意見や留意点などありましたら、是非お伺いしたいです。 よろしくお願いします。
日本で禅宗に出家したい台湾人です、もう師僧がいますが、仲良くできるかどうか、あるいは無事に得度できるかどうか悩みます。 子供の時からずっと出家したいですので、学校の専門は別でしたが、自分で大乗仏教の専門研究(主には中観派や唯識思想)をはじめ、博識なる本国の尼僧さんのもとに梵語や論書(《具舍論》や《摂大乗論》など)を勉強しました。 その後、ある宗派の宗祖様の行持思想を興味深くになりますので、師家を探して、得度を求めました。 結婚もお酒もしないので、出家するのは単なる宗祖の理念を認めだからです。 だが、語言のせいかもしれません、師匠さんと深く交流や相談をできず、あるいは邪魔になることを心配して、話し合おうと思っても怖かったんです。このまま、出家の前に破門されかもしれません、と憂慮しています。 また、この宗派に「得度20年あるいは40歳後、安居地の僧堂に首座一度なることもない者は、僧籍を除籍されます」というルールがあります、自分は海外の人ですので、20年の中で首座なれるのかと悩みます。 また、一宗の弟子になった後、また他宗に参学することが出来ますか? 例えば曹洞宗に出家した人は臨済宗の僧堂で勉強するのは可能でしょうか? どうか、僧侶の皆様、教えてください 合掌
こんにちは。お坊さんの妻帯について質問です。 よく日本のお坊さんの妻帯が「堕落」として批判されることが ありますが、妻帯は堕落と言えるほどの問題なのでしょうか? 日本仏教に限らず韓国やチベット、ネパールにもお坊さんの 妻帯を認める宗派はありますし、 タイでは「男性は一生に一度は出家する」という慣習に従って、 既婚者でも出家することが少なくないそうなので、 「妻帯」=「堕落」としてしまうのは早計ではないかと思います。
いつも質問の回答いただきありがとうございます 今回は、法要の件で助言いただきたいです 1月命日の弟の一周忌、同じく1月命日の父の十三回忌の法要は、一緒に執り行ってよいでしょうか? 当方も調べて、年数の浅い仏様の法要は合同(併修)でないほうがよいとのこと 菩提寺の住職様へは相談に行きますが、命日が近い2つの法要について、事前にお教えやマナーをお聞かせください 宗派は真言宗となります
十年来の悩みを解決するためにあちこちの寺社を巡り、現世利益を説かない浄土真宗(現生十種の利益というのがあるのは知っていますがそういうのじゃなくてもっと即効性のある即物的な現世利益が欲しい)を辞めてまで理想の宗派を探している者です。 ただ、割と現世での救いに力を入れて説いていらっしゃるイメージがある日蓮宗のお坊さんに聞いても「現世利益とは久遠本仏を悟り安らかさを得ること」という答えだったので、ちょっと仏教における現世利益を根本から考え直さなければいけないのではないかと思ってしまった次第です。 歴史的に浄土系は来世にしか救いがないと批難してきたはずなのに日蓮系自慢の現世での救いも心の安らかさを得るだけなら浄土系と五十歩百歩ではないのか(阿弥陀念仏だって心の安らかさは得られますから)。 結局のところ仏教における現世利益ってどこの宗派も「直接的に奇跡が起きて悩みが解決するわけではないが、心の持ちようで悩みが軽く感じられるようになる」程度のものなのかと思えてきました。このあたりのお坊様方の現世利益の捉え方(具体性の程度)をお伺いしたいです。 仏教に願いを叶える現世利益は無いとまでは言い切れないでしょうが、自分の努力で一進一退を重ねても最後の決め手に欠けるという時にずっと傍観していた神仏が最後の一手だけ手を貸してくれるというようなものだと思った方がいいでしょうか?
浄土真宗本願寺派の教えについてご質問させてください。 3月に、祖母が亡くなりました。 実はそこで初めて、祖父母の宗派が浄土真宗 本願寺派であることを知りました。 表面的なことしか知らなかったため、浄土真宗の教えについて少し調べました。 なくなった瞬間に浄土へ導かれるため、今後行われる法要等はすべて現世に生きる私たち家族のためで、祖母にしてあげられることは何もないと理解しました(解釈が間違っているかもしれませんが) 祖母が安らかにいるのならばもちろんそれでよいのですが、これから祖母にできることは本当にもう何もないのでしょうか。 このコロナ禍の関係で、納骨そして新盆の法要に出席できず、お墓参りすらできていません。 祖母とのつながりが薄れていってしまうのではないか、とても心配です。 ご回答をいただけますと幸いです。 よろしくお願いいたします。
いつもお世話になっております。 私は仏教徒です。ですが、道端に神社があればそこに入ってご挨拶を 必ずするように心がけています。時たま、氏神様にもご挨拶や、御祈願 (万民豊楽など…)します。 もちろん、お寺でのお勤めも多いです。 ですが前から気になっていたのですが、問題ないのでしょうか? 浄土宗の経典には「仏神擁護論」が説かれているし、様々な宗派の寺院でも 神様を勧請しているのを見かけたり、私自身も「天部」という認識ですが… ご教授のほど、よろしくお願い申し上げます。
いつもアドバイスを有難う御座います。今回は母親の事です。38年前に自死をしたのですが、もう何周忌と言う法事はしてないのですが、これからもしないで良いのですか?私は、訳があって地元に帰ってないのと、実家とは疎遠なので、なかなかお寺に行けないので、ずっと気にしたままでいます。今私が住んでいる近くのお寺を探して供養をしたほうがいいのでしょうか?曹洞宗ですが、宗派関係なく近くのお寺でも構わないのでしょうか?そして、母親は亡くなってから長いのと夢にも出てこないので、成仏しているのか気になります。お恥ずかしながら、供養等にあんまり詳しくないので、どうか宜しくお願い致します。
千枚通しに関して気になったことがあり、質問させてください。 うちは浄土真宗です。私に試験や旅行などがあると、祖母がたびたび飲むお札をくれます。特に今まで気にしたことはなかったのですが、ふと気になって札について調べたところ飲むお札(千枚通し)は真言宗のものと知りました。 お札には「南無阿弥陀仏法忍」と書いてあり、お札を包む紙には「伊予土居イザリ松延命寺千枚通し」と書いてあります。 そもそもなぜ祖母がこれを持っているのか不明なのですが、違う宗派のお札を飲んでいることになりますがこれは良いのでしょうか? 私自身飲むお札を気に入っており、(守られているような気分になるため)これからも使用したいのですが大丈夫でしょうか。
そもそも、我々が誕生し生きているということは「葛藤」とともにあるるように観じております。どうして「葛藤」があるのでしょうか。 どのような環境に生まれたとしても、老いることは避けられません。病に侵されない人もいません。他人からは恵まれていると言われても人知れず「葛藤」があります。 我々「いのち」ある生き物は、最初から「葛藤」が備わり「悟り」へと向かうことになっているのでしょうか。それとも「いのち」の宿命として「葛藤」があるのでしょうか? よろしくお願いいたします。
はじめまして、 高校生の息子についてのご相談です。 将来の夢は僧侶になることで 私はあまり詳しくは無いのですが お経の勉強や仏教関連のことを 詳しく調べたり、毎日自作の仏壇?に お勤めしたりしています。 そこまでは いいのですが、高校の勉強は 将来役に立たない、 今の学校(理系)には合っていない、 この学校に行く意味ない とか言い始めて困っています。 私が、 大人になってから 自分で好きにするのは自由だよ、 今は目の前にある勉学に 勤しむべきだと伝えても 教義を持ち出し 私からすると屁理屈を言い出します。 当人は屁理屈とは思っていなくて 私が間違えてるそうなのです。 私は僧侶になることに 反対しているわけではなく、 今は 仏教に関係ないことも 学んでおくことは大切だと 考えております。 入学してから理系が向いて いなかったと感じているのも そのことに 拍車をかけているように 感じます。 まだ高校生活が 始まったばかりで 3年間続けられるのか不安です。 対応のヒントを お願いしたく 質問させていただきました。 よろしくお願いします。
先日、父親が亡くなり、諸事情により直葬をして、自宅にて簡易ではありますが、父親愛用の卓袱台にお骨、遺影、お花、形見、一通り供えて毎日手を合わせております。お葬式していないので、戒名もありませんし、健在の父親の兄の墓に入って良いと言われていましたが、お寺さんが、お葬式をあげて、戒名つけて檀家にならないと駄目ですとの事。もしくは、地元で故郷と同じ宗派のお寺さんで葬式をすませ、戒名を持ってくれば納骨できますと。なかなか、一筋縄ではいかないんだなぁと実感しました。また、故郷の別の健在の兄弟の一人が、〇〇は、うちらの墓には入れさせない!自分で墓建てて、そっちで何とかしろ!との事で、父親を良く見ていない人もいます。親戚には、故郷に帰らなくても、どこに墓を建てようが、お前の気持ちの問題だよと言ってくれる方もいて、悩みます。地元なら、気心しれた仲間もいるし、私も墓参りに行きやすい。いっそのこと、地元にお墓をたてようか!と思案中です。 どこに墓があろうが、心を込めて供養する気持ちが大切ですよね、、、と思うのですが、どうでしょうか? 良きアドレスがありましたら、よろしくお願いいたします。
以前、このサイトで「檀家に強制的に入らされそうになっている。」という相談をさせていただきましたものです。 父の四十九日法要前に、故人の位牌とお寺用(永代供養)の位牌を準備しました。お寺は曹洞宗。 お寺に置く位牌(先祖代々位牌)は中陰法要で、ご住職が「故人の位牌と寺に置く位牌を用意して、入魂式をするから持参すること。」という説明だけで、後々それが檀家を意味するものとわかりましたが、家の事情で断る事にしました。 四十九日法要を終えて、家長となる弟が「檀家になることは無理です。」という話をしましたが、なかなか了承してもらえず、再度お寺に行き半ば喧嘩腰の状態でしたが、断ることができ、永代供養用にお寺に置いていた「◯◯家先祖代々」の位牌を引き取りました。 さて、この先祖代々の位牌ですが、どのように祀ったらよろしいですか? 現在 家長となる弟は実家を離れ独り暮らし。独身でいつ派遣切れに遇うか分からない身です。 実家の母を介護が必要な体、同居している姉も身体障害者です。 先祖代々の位牌は今は実家にあります。 この先、弟が父の位牌と先祖代々の位牌を引き継ぎ持っていてよろしいですか? 供養の仕方など、全くわからないまま持っています。 現在、無宗派ですが、曾祖父の時代は真言宗だった。そうです。
ネット配信サービスで映画『ファンシィダンス』を観ました。 主演の本木雅弘さんは私とほぼ同世代ですが、公開当時はお寺に関心がなく、観ていませんでした。改めて今観ると、とてもコミカルで楽しい作品で、「もっと早く観ておけばよかった」と思いました。(当時のバブル時代の雰囲気も懐かしいです) この作品はお寺での厳しい修行が見どころですが、実際に修行を経験されたお坊様方のご感想や体験談、ツッコミをぜひ伺ってみたいです。 たとえば―― 「ここに共感した」 「ここは現実ではあり得ない」 「自分の時はもっとツワモノがいた」 「私はこんな失敗をやらかした」 ……などなど。 宗派や時代は問いません。皆さまのリアルなお話を楽しみにしています。
いつもご説法ありがとうございます また質問させてもらってもよろしいでしょうか? 仏教には利行(宗派によって違うのかもしれませんが)というお言葉があると聞いております しかし、仕事で同僚に仕事を代わりにして上げたりしたときに、どうしても見返りを求めてしまう自分がいます やってあげたのだから変わりになにかしてほしい やってあげたのだから尊敬や好意を抱いてほしい などです この煩悩と皆様はどのように向き合われておられるのでしょう? おしえてほしいです よろしくお願いします
浄土真宗での水子供養の必要はないと、ネットで見ました。 中絶という事をしてしまいました。 自身の家が浄土真宗、大谷派です。法事等でお世話になっておりますお寺さんがいますが、聞く事は出来ません。 本当に、浄土真宗では水子供養の必要はないのでしょうか? また、他の宗派での水子供養をしてもいいのでしょうか? どうぞよろしくお願いいたします。 仏壇や、お墓に手を合わせる時は、必ずその子を思い南無阿弥陀仏と唱えております。