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検索結果: 1208件

延命十句観音経について

長女は25年間頭蓋咽頭腫という脳腫瘍と向き合ってきました。過去12回、脳内で成長する腫瘍が各種の障害を起こさないための手術を受けました。ところが結果として、手術自体が、失明、癲癇、半身不随を引き起こす原因になってきたというのが現実です。また腫瘍摘出に伴い脳下垂体を切除しましたので、ホルモン分泌を補うためにホルモン剤を飲み続けています。右眼失明は13歳時の手術の失敗、癲癇と半身麻痺は度重なる手術による脳へのダメージによるものなのです。また、最近は腫瘍再発のスピードが速くなり、この1年間に2度開頭手術を受けました。ますます脳が疲弊していくのは明らかです。 実はここ1ヶ月の間に、左眼が重度の弱視となり、全盲となる瀬戸際となっております。そのため近々に13回目の手術が予定されています。また、今回の手術では腫瘍摘出の邪魔になる右前頭葉を取り去ることになると医師から説明がありました。右利きの人間は左前頭葉を主に使うので右前頭葉は除去しても影響はあまり出ないと言います。しかし、前頭葉摘出は人格を変えるかもしれません。今の医学にはまだ解明されていない領域が沢山あります。脳の機能はその最たるものでしょう。腫瘍を切除するために、人格を変えてしまうかもしれないことを承知で脳を切除する。日本随一の大学病院でのこの判断が、私にはどうしても腑に落ちません。しかし、放置するとさらに深刻な障害を招く恐れがあるのも事実です。端的に言えば、もはや腫瘍摘出自体が目的になり、障害を出さないためという発病当初の手術の目的は置き忘れてきたように見えます。癲癇、半身不随、失明はすべて手術の結果生じてきたのです。親としてこの事態をどう受け止めるべきか、私には分かりません。観音経を唱えて奇跡を起こせるなら、何万回でも唱えようと妻と話しています。 どうか私どもに心のよりどころをお与えください。 もう一つ教えてください。毎朝毎夕妻と延命十句観音経を唱えています。願いは長女の失明回避ですが、観音経を唱える前後の願意の唱え方がわかりません。ご教示くださいませ。

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また一緒にお経を唱えたい

私は数ヶ月前まで専修学院尼僧部に通っていました。 修行は自分の心を軽くしてくれ、余計なことを考えずにひたすら読経の練習や仏器磨きに勤しんでいました。 私は加行をしていて、辛すぎる! と思ったことはありませんでしたが、 知らない人と行動を共に、私語は慎む、家族とは連絡が取れないという不安と心労、そしてご飯の量が多かったのも加え毎日トイレで吐いていました。 吐く事が辛いし親に会いたい家に帰りたいと、泣きながら修行に取り組んでいました。 見かねた幹事先生が親に電話して、停学といった形で家に帰らしてくれました。 専修学院の皆様や家族、檀家さんにはすごく感謝と申し訳なさが残っています。 家に帰ると親の仕事をついて回り、朝のお勤め、梵字の練習などをしていました。 加行を中断して帰ってきたのにも関わらず、親は変わらず優しくしてくれました。 父は癌を患っていて、何年にもわたって再発し続けています。 そのことをわかっていながら、私は家を飛び出してしまいました。 私は婚約者がいることを父に打ち明け、家を出て行くことを告げたのですが… 同じ日に再発がわかったことを父から告げられ、そこから婚約者を紹介し辛くなり、そのまま家を出てきてしまいました… 1ヶ月に1度程度は連絡が来ますが、返信すると父からの返信はきません。 私は父への申し訳なさ、とんでもない事をしてしまったという気持ちでストレスがつのり、ストレスが原因の病気を発症しました。 夢にも毎晩父が出てきます。 夢自体は様々で、前みたいに色んな場所をドライブしたり、朝のお勤めをしていたり、また怒っていたり… 父と喧嘩をしているわけではないのですが、仲直りと言いますか… 前みたいな仲に戻りたいです。 また一緒に読経をしたいです。 でも勇気がでないんです。 どうしたらいいですか? 私は、自分の精神状態よりも、修行を終えることを優先した方がよかったのでしょうか… 拙く長い文章となってしまい、申し訳ございません。

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説法は邪道?お経は自己解釈すべし?

 いつもお世話になっております。私が最近通い始めた法座(読経会)の お寺の住職先生が、法話や説法を邪道とみなしているようです。  法座が終了し、私がノートを片手にお経について聞きに伺うと、 「本当のことを知っているのはお釈迦様しかいないから、説いてはいけない」 「僕のいったことも参考程度に耳に挟んでおいてね」 「説いちゃいけないって書いてあるから(確かに法華経にはそんな文言が あったと思いますが)」 「もしそれを説いて、その人の言ったことを信じてしまったら、変な新興宗教 ができちゃうよ」 「お経を直接読んで、自己解釈するように」(逆にそちらの方が危険な気が… 例:理趣経。それに漢文や中国語の文法が理解できない人はどうするの でしょうか)などと言い、教えていただくことができません。それどころか、 最後の文言のように、かえって危険な事態を招きかねないことを言われます。  法句経ーダンマパダには「教えさとせ」という文言があったような 気がします。対機説法という概念もあったと思います。  それに、積極的に法話会を開いている先生方もいらっしゃいます。  この先生のおっしゃることは、信頼しても良いのでしょうか? 私個人的には「う〜ん…」といったところです。

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観音経を唱える前後の願意の唱え方

延命十句観音経について とても丁寧なご解説をありがとうございました。よくわかりました。自然界の道理を小さな人間の念仏ごときで動かすなど不遜と言うほかないと気づかせていただきました。今後、観音経を唱えるときは、観音様に「奇跡を起こしてください」ではなく、「今度の手術がどうなろうともこれが娘に良いことになりますよう」と念じることにいたします。 実はこのたび観音経を始めましたのは、「景清」という落語に感化されたからです。 昔、平家に仕える悪七兵衛景清という武士が、源頼朝の命をつけ狙い、捕えられたときに、源氏の世を見るのは忍びないと自分の両目をくり抜き清水寺に奉納したことから、ある全盲の男が眼病によく効くと聞きつけ、十句観音経を100日唱え満願の日に観音さまが現れて、景清の目を貸し与え目が見えるようになる、というお話しです。 昔からこのような観音信仰があるのですね。わたしは藁をもつかむ心境から始めたことですが、今後は娘が全盲になったとしても前向きに生きていけるよう祈り、智慧を出してやろうと思います。 それから、観音経を唱える前後の願意の唱え方がわかりません。定型の唱和文などあればご教示くださいませ。

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遠隔で霊がわかるんでしょうか

ネットで仲良くなった人がいるのですが、私が霊に憑かれやすいらしくて助けてあげたいと言ってくれてます。 お金を取られてる訳ではないのですが、写真や動画撮るように言われて私や家、車を映してLINEで送ると、あー、いるねって言われて具体的にここにはこんな人がいるとか、ほかっておくとヤバイからと言われて、その都度お経読んでくれたり、結界張ってあげるからと言われたりしています。 その人は私の住んでる所からかなり離れた所に住んでいるのですが写真写したら心霊写真みたいに顔など写ってたり、お経読んでくれてる時だけブチブチいったりするので怖くて言われたまま従っています。 私は一人暮らしをしているので何かあったらとビクビクしながら生活している為、精神的に疲れました。 先日その人と喧嘩してしまい、私の事がムカついたから結界全部剥がしちゃったと言われ、怖くてどうしたらいいかわかりません。 遠隔で除霊や結界を張ったり、霊を飛ばす事なんて出来るのでしょうか? これから私が出来る事があるのか… どうしていいかわかりません。 その人はまた結界張ってあげるから大丈夫と言っていますが、従った方がいいのでしょうか? 友達や家族は私が精神的にダメになりそうで気にしたらダメだよって言ってくれますが怖くて家にいるのが辛いです。

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どうしても浄土真宗のお経をネガティブな解釈してしまう

どうもこんばんは 以前からの質問を見ていただければ分かると思うのですが、無量寿経の41願について「信心決定したものは諸根が具足する。だから諸根の具足していない者は救われない」といった解釈に気を取られて、ずっともんもんとしておりました それで、ハスノハでお坊様の意見を聞いたり、本で調べたりしたところ、「その解釈ではみな救うと誓っている18願の誓いが守られないからそれは我々に関係のない菩薩様への願だ」「十住以上の菩薩様は三悪道に堕ちることがないので、浄土を願わないものもいる。そうした聖道門の方々を浄土門へ引き入れるための願」「諸根ケツルというのは念仏という大道を知らないこと。哲学者や聖道門の方々も名号を聞くことで諸根具足することができる」「42願~48願を見ると、他方国土の諸菩薩というのは名号を聞くとただちに三昧を得るような方々であるので、われわれには関係のない願」「そもそも障害というのは実体的なものではない」「身体に不自由がないというのは、浄土へ行くのに不自由がないこと」という頭では合点できるような説明がたくさんありました。ハスノハの皆さん、ありがとうございました。 けれども「けれども」なんです…。「もしも」41願が念仏者が諸根具足するという願だとしたら、体の弱い自分は救われないかもしれない…。と、この「もしも」が頭から離れないのです。おそらくこれは、阿弥陀様への疑いと、自力のはからいでもって、このような状況になっているのだと思います。 この「もしも」というのを消す方法はないでしょうか…。そんな上手い方法はないとは思いますが、なんか愚痴みたいになっちゃいました、すみません。阿弥陀様を疑ってしまい、お経をネガティブに解釈してしまう自分がいる。それが悩みです。

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