私は自分の仕事疲れを理由に祖母に会いに行かず、 祖母の死に目に間に会うことができませんでした。 とても後悔しており、せめて線香くらいは上げに行きたいと思っているのですが、 生前の祖母の看護は叔母が行っており、叔母と母の折り合いは悪く、 母の子である私が祖母への線香をあげることを認めてくれるとは思えません。 (祖母の家は叔母が継ぐことになりました) 私はどうしたらいいでしょうか。 葬儀はまだであり、叔母に会う機会はあります。 しかし私が「線香をあげにいっていいか」と問うたとしても 拒否されるとしか思えません。 せめて墓の場所くらいは思い切って聞いてみるべきでしょうか。 (母の子であることで拒否されるようにしか思えません) 心の中で祖母の冥福を祈ればよいのでしょうか。 ご確認いただければ幸いです。
今年の夏に弟のお嫁さんと娘さんが自死しました。 お葬式の後、お嫁さんのご実家のお墓に入ることになり、ご両親とともにご実家に戻られ、そちらで毎日ご供養されていると思っています。 が、先日、弟宅の隣人から 『まだ自宅の居間にいる。私は霊感が強いから分かる。どうにかしてくれないか?』と言われました。 ご位牌も遺影もお仏壇も遺骨もない状況で、どのようにしてあげたらいいのか分からないのです。 また『成仏していない』とも言われましたが、どのように対処すれば成仏して貰えるのでしょうか?
以前に質問させていただいた際 いただいた回答で少し 前向きになれました ありがとうございました。 今日は 主人の亡くなった奥さんの供養についての質問です 奥さんん亡くして 主人は仕事で廃業が2回 そして今回 倒産と八方塞がりの状態で再就職も上手くいっておりません。あまり色々とあるせいか 周りの方に 前妻の供養をきちんとしてる?と聞かれました。 お墓はなく お寺で私の実家と主人の先祖の先祖供養を 彼岸と盆は毎年必ずしてもらいに行っております。 これでは 前妻さんの供養には なってないのでしょうか? また 恨んで八方塞がりにしてるとか あるのでしょうか
我が家は真言宗智山派です。 私自身、毎朝においてご先祖供養として開経偈から普回向まで唱えています。 ①我が家の墓前において、お彼岸やお盆などにおりんを鳴らして般若心経のみを唱えることはご先祖様や隣接のお墓に対して問題ありませんでしょうか。 ②親類縁者などの墓前で、上記と同様のことをすることは問題ありませんでしょうか。 ③違う宗派の場合がありますが、その場合も般若心経を唱えて問題ありませんでしょうか。 同じ質問が過去にありましたら、同じ質問で申し訳ございません。 お忙しいところお手数をおかけしますが、何卒よろしくお願いいたします。
今年3月 彼が亡くなり こちらで たくさんの お導きを 頂き 今 私は 生きています。 今年 初盆になるかと思いますが 新盆、旧盆があると聞きまた県に よっては7月 8月に行うと聞きました。 彼のお墓は千葉県になります。 お盆に お墓参りには行くのですが 7.8月なのか … また 月命日と同じように お参り で宜しいのでしょうか。 教えて頂きたく 思います。
昨日の事ですが、お墓に行って掃除をしていたら、おばあさんに声をかけられました。 とても優しいお顔で「お久しぶりね」と。その後も会話は続き、そのおばあさんは認知症を患っていると確信しました。だけど、おばあさんとの会話はどこかホッとしました。知らないひとだけど、ずっと前から知ってるひとみたいに感じました。 この猛暑の中、私のからだを気遣ってくれました。 認知症のかたを家族にもつと、想像を絶する大変さがあると思います。 そんな中で、いろいろなひとの愛情を受け取りました。 ご先祖様からのプレゼントかもしれません。
母親の2周忌が終わり、母親がいない事を実感して寂しくて仕方ないです。 一段と無気力になり面接に行くのも外出するのも無理になりました。 お墓の中に母親がはいっているとも思わないし実家があった場所に帰れば母親がいると思ってしまいます。 やっぱり母親がいない人生は無理っぽいです。 また◯ぬ事を考えてしまい熱中症になれば◯ねると考えるようになりました。 誰も身内がいないし天涯孤独。 寂しくて誰にも心配されない私、いてもいなくても一緒ですね。 精神科にもなんで通ってるのかがわかりません。 もう行かなくてもいいかなって思ってます、何も変わらないから。 寂しさから抜け出せるのでしょうか? 天涯孤独の人生は何が楽しいんでしょうか? 毎日苦しいです。
質問というより報告になってしまいますが、ご容赦ください。 また、誤字等あれば、ご容赦ください。 先日、「ボランティアに行くんですが…。」というタイトルで投稿した竹丸です。 岩手県にボランティアに行ってきました。不安もある中行ってきましたが、楽しかったです。 離れた場所という事で、周囲を気にせず、昔の自分に戻った感じでした。 3週間でしたが、ふと日数を意識するまでの2週間は、1週間しか経ってない感覚でした。 本当に色んな思い出ができました。何点か述べさせて下さい。 宿泊先で芸術家の人達と仲良くなった。 タイの人達に、適当な日本語で歌った「ヤキイモ」というタイの歌を教えてもらったり(割り勘四個・・・うなぎ重い・・・ヤキ~モ~♪)、虹を書いたり、縦長のカメラで写真撮ってもらった。 ドイツの人には土を紙に丸く塗った絵を見せてもらった(タイトル含め激しく前衛的だった)。 宿泊先近くのお寺にお邪魔し散策、勝手に墓地に入っていいのか解らなかったが(宜しければ回答で教えてください)、最後まで行くと東日本大震災で身元が不明で亡くなった人達のモニュメントとプレート状のお墓があり、合掌した。 元々のボランティアが早く終わり、別のボランティアをすることに。 新たに植える松の苗木を風害などから守るため、周りを囲む竹のすだれの一部工程を担当。 作業中、hasunohaであるお坊さんに教えてもらった「松に古今の色無し 竹に上下の節有り」 を思い出しながら作業。 他にも様々ありましたが、書ききれないので、やめて置きます。 今回何を得たかは、正直わかりません。ただ楽しかったという思い出だけは残った感じでしょうか。 今後も色々不安はありますが、その時は質問させてください。 他にも興味本位で出た質問もさせてください。お願いします。 それと前回、自分の家の菩提寺の住職に幻滅したと書きましたが、幻滅という部分はどうでもよくなりました。 ただ、後日質問するといったので、そこから生まれた興味本位の質問を後日させて頂きたいと思います。 多分、くだらない、小生意気と、その時思われる方もいるかもしれませんが、お付き合い頂けるお坊さんがいてくれたら幸いです。 ボランティア行く前、相談乗ってくれたお坊さん方ありがとうございました。
離婚した元主人から、一番悪いステージの胃癌になり手術もできない状態、抗がん剤治療をするのでサポートして欲しい、と言われました。 初め、話があると言われたとき断っていたら、3人の子供たちに、金銭面でも援助するようにという内容のことを言っていたそうです。 正直、顔も見たくない声も聞きたくない、必要がなければ関わりたくない相手です。 嫁いで馴染めなくていたときも、自分の趣味の車に時間とお金を貢いでいて、月に4万しか家に入れるお金がなかったり... 義祖父と義母が立て続けに亡くなり、ひどい鬱になっていたときも私に背を向けていた元主人。 私が我慢してやりくりすればと思い精神的にも壊れながら頑張り過ぎていた生活から、やっと逃れられた今、なぜまた関わらなければならないのか。 関わりたくないという自分と、優しい気持ちになれない自分もいて、悩んでいます。
いつもお世話になっています。最近疑問に思います。日本では少子化が深刻な問題でありますが、それによって墓じまい、家じまい?家系断絶が発生しております。昔の時代だと家系を絶やしてはならぬとあれだけ言っていたのに、ここにきてなぜ180度変わったみたいに家じまいを受け入れるようになったのでしょうか?経済的な問題や社会的な問題だけではないような気がしますが。お坊さんのご意見をお聞かせください。
2月20日に納骨していた母の遺骨を墓から勝手に取り出し、私物だからと返却してきた住職について、管理監督から指導していただきたい旨曹洞宗本山並びに宗務庁に相談したところ、指導は行わないとの回答でした。 いち個人の寺の住職の行動として何も指導がないのは納得がいきません。 警察への届け出もし墳墓発掘罪で立件に向けて調査中です。 檀家や檀信徒のためにも、このような事をする住職を指導していただきたいと思っています。 本山及び宗務庁の回答には納得がいきません。 このような相談窓口はどこになるのでしょうか? 詳しく知りたいと思います。
私の実家の父が6月に他界しました。 父は生前、神道を信仰しておりましたが、会費が未払いの為いつの間にか脱会の形で無宗教になっておりました。 なので、葬儀は葬儀社が手配したお寺(曹洞宗)にお願いしました。 その時に、今まで神道だったが無宗教になったこと、檀家には入らない事などを伝えて、ご住職から「お位牌に書く俗名に戒名料が要らない『信士』を付けておく。」と仰ってくださいました。 葬儀は、枕経、通夜、葬儀と続けて初七日を執り行いました。 ご住職から中陰法要と四十九日法要の指示がありました。 先日も三七日法要をお寺で済ませましたが、その時に、ご住職から「お寺用のお位牌と家用のお位牌の二つを拵えて四十九日法要まで持って来ること。本年初盆の追善供養(施食会供養)で三万円以上いること。」を言われました。 位牌を四十九日法要まで間に合わないと思い、慌てて仏壇店に行き注文しました。 あとで、お寺で永代供養にお位牌を置くことは檀家に入る事になるのでは?と思いお寺に確認しました。 そこで、ご住職が「当たり前です。檀家に入らないのであれば自分たちで勝手に供養することになる。戒名が信士だから年会費六千円です。」との返答でした。 実家の母(介護が必要、介護2)は、「年会費六千円なら檀家に入る。」と言っております。 しかし実家には、母と身体障害の姉がいるだけで、喪主をしておりました弟は遠方に住んでいます。 弟は、「檀家当番は家の事情を説明すればいい。寄付も強制ではないから大丈夫。」と安易に考えております。 本当に大丈夫なのでしょうか?檀家当番は嫁いで家を出た者がするべきなのでしょうか? 寄付は、現在母の年金だけで生活している為無理です。 いろいろと寄付を募る様に言われないかと心配です。 檀家に入るとは一言も言っていないのに、腑に落ちない気持ちもあります。 お骨を実家では置く場所がなく、お寺で四十九日まで預かってもらうのですが、この事も檀家に入った事になっているのでしょうか? お墓は父の生まれ故郷に先祖代々の墓がありますので、遺骨はそこに入ります。お寺の敷地内に墓は建てません。
父は50年前に他界し、その遺骨をお寺に預けたままになっています。 父は次男なので、先祖代々のお墓に入ることはできず、またお墓を 作るお金がなかったので、お墓はないままです。 父の死後10年~20年くらいはお坊さんに読経に来ていただいたり お彼岸やお盆にはお寺に足を運んでいましたが その後お寺まで遠いということと、幼い私たち兄弟を連れて行くには 不便な場所で車酔いするということもあり、出向くことがなくなってしまいました。 お盆などには「お布施」として現金書留を送っていたようです。 母は当時のお坊さんに「ここまで来るには大変なので、遺骨を近くの 一心寺(宗派の関係なく遺骨を預けられるお寺)に預けたい。 遺骨を返してもらえないだろうか」と頼みました。 しかし「あなたもいずれはこのお寺のお世話になるのだから」と言われ 返してもらうことができませんでした。 また、返してもらえたとしてもいくらかのお金を包まねばならず 知り合いに聞いたところ200万円くらいは必要と言われたようで そのままになっています。 母に父の遺骨はどうするのか?と以前聞いたところ「しばらくは保留」という返事でしたが、昨年手術をきっかけに認知症になってしまいました。 母は自分の死後、その一心寺に入りたいと常々言っており その際は父の遺骨を一緒に預けたいのですが 遺骨を返してもらうには一体いくらくらい包めばいいのでしょうか? 母には貯金が全くありません。 当時のお坊さんもお亡くなりになり、今はその息子さんが跡を継いで おられます。 何十年もそのままになっているので、遺骨自体がどうなっているのかも わかりません。 お寺さんからの連絡も一切ありません。 この場合、どのようにしたらいいのか教えていただけないでしょうか? よろしくお願い致します。
亡くなった父のきょうだいから、浄土真宗の本山へ喉仏を分骨するよう強制されているのですが、心の中ではしたくない気持ちが強く、辛いです。 遺骨は亡くなった父ではなく魂はそこに宿ってるわけではないということはわかっているのですが、ふとした瞬間に、実家近くのお墓に遺骨すべてがいてほしい、という気持ちがわきだしてきて、どうしようもなく悲しいです。 今まで数ヵ月は、遺骨は実家にあり、なんとなくまだ実家には父が変わらずいてくれている、という感覚でいました。ですが、納骨と、分骨のための遺骨を取り分ける日が迫ってきており、いよいよ父が実家からいなくなってしまうような感じがしており、その影響もあって辛さが増しているような気もしています。 また、インターネットで、喉仏は特別というか、遺骨の中でもメインの部分だということも見かけ、そんな大事な場所がそう簡単に行けない場所に連れていかれてしまう、ということも辛いです。ずっと地元のお墓にいてほしいと思ってしまいます、、、 分骨するよう言ってきている父のきょうだいは、本山に近いところに住んでいるので、分骨してお参りしたいのだと言っています。 その気持ちも解るので、私のこの気持ちはわがままだと思いますし、遺骨や喉仏に執着しているようであまり良くない気もしています、、、 が、どうしても遺骨が遠くへ行くことが辛くて悲しくて、ふと、遺骨を隠してしまいたいとか、本山への分骨の時に遺骨を持って逃げてしまいそうだとか考えてしまいます。 また、この親戚が、これまで母に嫌味などひどいことを沢山言ってきた人間なので、好意的に見ることができないというのも大きいです。 分骨しないというのは不可能なのでどうにか心穏やかにいたいです。 どうかお知恵をお貸しください。よろしくお願い致します。
先日、祖母を亡くしたことをきっかけに信仰心が芽生えました。自宅から車で1時間ほどのところに菩提寺があり小さい頃から正月、お盆等は手を合わせに行っておりました。祖母の死をきっかけに菩提寺さんが真言宗であると理解し、今まで何となくで持っていたお念珠も真言宗のものを新調しました。 先祖代々の墓には曽祖父も眠っておりますが、その方が菩提寺で副住職をされていたと父から伝え聞き、そのことも信仰心の芽生えへと繋がっております。 そこで曽祖父が本当に副住職をしていたのか知りたくなり、菩提寺さんの寺務所で事情を説明しましたが、歴代の住職、副住職の記録はないとのことで、曽祖父の名前を伝えたところ分からないとの回答でした。自分の中ではひいおじいちゃんのお寺と愛着があったので少しショックでした。 その菩提寺は戦後に本山となったみたいで、戦前に僧侶をしていたのなら余計に分からないと言われましたので、仕方ないとは思いましたが、将来私が墓守りをしますし、自分の芽生えた信仰心をご先祖の供養に繋げたい、更には自分の子にその寺が菩提寺である所以を伝えていきたく思っております。 拙い文章で申し訳ございませんが、自分の気持ちを聞いていただきたく質問に書かせていただきました。 何か良いアドバイス等ございましたらよろしくお願いいたします。
http://toyokeizai.net/articles/-/79273 東洋経済で、お寺は全国に7万7千あって、そのうちの2万は住職がいないというビックリなことが書いてあったのですが、みなさんも兼業されているのですか? お寺はこの先どうなっていくのでしょうか?
24年前に娘を幼稚園入園直前に亡くしました。入園するはずの幼稚園はお寺でしたので(浄土真宗)そちらで葬儀やら法事やらをお願いしたり遺骨は本堂の方で納骨して頂いていました。その間、諸事情がありまして私は実家の近くに転居しました。 実家には菩提寺がありましたのでそちらのお墓に初めて遺骨を埋葬しました。ご住職様は宗派が違っても特に問題ないとおっしゃって下さいましたが位牌の戒名だけは少し変えて頂き祀ってあります。現在でも浄土真宗の作法をベースに曹洞宗も少しですが取り入れながら(お盆の迎えや送りなど)供養しています。今更ながら大変、お恥ずかしいのですが曹洞宗は仏像を祀るようですが私の所の仏壇には浄土真宗に乗っとった掛け軸のみしかありません。仏像はお祀りした方がよろしいのでしょうか?
お世話になっております 先日、ひとりで母の49日法要を済ませ納骨まで終わりました。 安心したのと、とても心が空白です。同時に亡くなった彼も墓を撤去し、永代供養の場へと旅立ちました。 家族を皆なくし、これから天涯孤独の身となり毎日が辛いです。病気ばかりを繰り返すなか 今後自分は、長い人生となるかはまだ分かりませんが、何のために誰のために毎日を生きていったらよいのか?みいだけません よきアドバイスをよろしくお願いいたします。弱い自分をお許しください。
昨年、両親が相次いて亡くなりました。父は1月に家族葬(読経なし)、母は9月に教会で葬儀を行いました。どちらも49日を過ぎており、父は一周忌も過ぎています。母は、一周忌前です。 やっと来月3月に2人の納骨することになりました。事情があり、墓での納骨供養はできません。納骨へ出発する前に自宅にで、僧侶に来て頂き、何らかの法要、供養を考えています。 どのような名目の法要(読経)になるのでしょうか。ご回答お待ちしています。
飼っていた愛猫が事故で亡くなりました。 放し飼いで飼っていたのですが、叔母が仕事から帰ってくるときに猫が門の近くで寝ていたのを知らずに轢いてしまったようです。 叔母はすごく轢いた事を後悔して「酷いことをした」「きっと苦しかったんだ」と疲弊していました。 お墓を作り、お気に入りのおやつを沢山あげてお線香をたきました。(我が家の精一杯の供養と思っています) でも、死ぬ時に嘔吐するほど苦しく痙攣し目を見開きながら亡くなったので、きちんと供養できているのか不安です。 もしかしたら祟られてしまったりしないでしょうか?