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検索結果: 106件

バツ2の彼のことで悩んでいます

彼とは婚活サイトで知り合ったのですが、婚姻歴は『ある』との表記のみでした。 私もバツイチなのでお互いに離婚歴があることで深い話もでき、人柄も穏やかで話も合うことから将来的にも一緒にいられるかなと思い、お子さんが2人いる事や今後のことも含めて(前妻の元にいます)告白されてから1ヶ月ほど熟考してからおつき合いをスタートさせました。 順調に交際が進み1ヶ月が過ぎ、将来の事も話すようになり、彼のことが更に好きになってきた矢先に、実はバツ1ではなくバツ2だと告白されました。 私の前の結婚では相手への信頼が崩れ(相手のモラハラが原因です)夫婦間の信頼がとても大事だと実感しました。自分、相手、家族など、これからのことも考えて抜いて決心したのに、なんでつきあう前にそんな大事なことを言ってくれなかったのだろう、と少し不信感を抱いてしまいました。 彼は前々回の結婚は若い時で期間も短く子供もおらず、前回の結婚は子供がいることで進行形で前妻と関わることも多い為、私に詳しく説明しないといけないと思い、前々回のことを話す事を忘れてしまっただけで、隠していた訳ではない。 つきあいが始まった数週間後に言っていなかった事に気がついて、話そうとしたがなかなか言い出せなかった。とのこと… 私も過去は変えられないことは承知してますし、もし初めからわかっていればそれも含めて考え、おつき合いを始めていたかもしれません。 しかし、故意ではないにしろ後から事実を告げられ少なからずショックを受け、少し冷静になって考えさせて欲しい、と申し出ました。 すると彼は何を考えるの?バツ1も2も自分は自分で何も変わらない、築いてきた信頼がそんなに簡単に失われるの?と言いました。 彼の2回の離婚の理由は聞き、相手方に原因があるように感じましたが、彼からしか聞いていないので実際はわかりません。 私の家族にも離婚した時にたくさん心配をかけているので、彼がバツ2という事でまた心配をかけるのではないかと不安になります。 きっと彼の人柄を知ればわかってもらえるとは思いますが、世の中は始めに聞いた情報だけで判断されることも実際には多いと思うのです。 そこを私が彼を守れるのか… 彼の言うことを全て信じて良いのか… 不信感を払拭できるのか… 彼との関係も大事に育てたいからこそ悩んでいます。 アドバイスが頂けると大変嬉しいです。

有り難し有り難し 30
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他界した祖父を思うと涙が止まりません

先日母方の祖父が突然亡くなりました。病死ではなく、一般的に事故死と呼ばれる亡くなり方でした。 母方の祖父なので一緒に過ごした日々は少ないし、ここ近年は正月盆に顔を合わせても会話もないような関係でした。 でも訃報を聞いた今、悲しくて悲しくて涙が止まりません。泣いて泣いて気付けば朝です。 最近流行しているコロナとは無関係のためお葬式はできるそうですが、感染拡大防止のため、離れて暮らしている私は葬儀には出席できません。お別れが出来ないことが悲しいです。 そして、訃報を伝えるために電話してきた母の涙を押し殺したような声が忘れられません。母にとっては父親ですし、いずれ死の瞬間を傍で看取ることを考えていたのでしょうから、1人で逝ってしまった祖父の最期を嘆くのは当然だとおもいます。そんな苦しい心境であろう母の傍にいてあげられないことも辛いです。 突然すぎで私自身祖父の死をどう受け入れたらいいのかわかりません。漠然と悲しい気持ちだけがあって涙が止まらないです。遠方の祖父の死を受け入れるためにはどうしたらいいのでしょう。 また、私が離れた地で祖父や母にしてあげられることは何かあるのでしょうか。 混乱していてお見苦しい文章になっていると思われますが、ご回答頂けますと幸いです。

有り難し有り難し 14
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2022/06/13

アドラー心理学と禅

法律事務所を経営しています。 顧客も案件もたくさんあるのですが、儲からず忙しいばかり。儲からない案件もお金を取らないで受けてしまうからです。 結果、大量の仕事に追われ、催促の電話に怯え、無力感や罪悪感で死にたくなる毎日です。月に1~2回、本当に自殺しそうになって思いとどまるようなことが1年くらい続いててかなりツラいです。 そんなときに、ベストセラーになった「嫌われる勇気」(アドラー心理学の本)を読みました。そのなかに、 「自分がした善行に相手の配慮を期待するのは筋違い」 「受けた善行に返報しないことに罪悪感を覚えるのも筋違い」 「助けを求められてそれに応えないことに、罪悪感を覚えるのも筋違い」 「自分が何をすべきかは「自分の課題」であり、それを相手がどう感じてどう対応するかは「相手の課題」だから」 「自分の課題と相手の課題を混同してはいけない。相手の課題を勝手に自分の課題にするから苦しくなる」 というようなことが書かれてました。 自分は誰かの役に立つことは好きなのですが、そのことでお金を請求するのが苦手です。一方で、役に立つことをしてるのに相手から配慮して貰えないと苛立ったりします。また、何かを頼まれて断ることに罪悪感を覚えます。断ったら「嫌なヤツ」と思われるかもしれないという恐怖もあります。 アドラーの指摘するように、自分の課題と相手の課題を切り分け、「お金を請求して、支払うかどうかは相手の課題だから、気にせず請求すればいい」「相手の役に立つことをしても、それにどう応じるかは相手の課題だから、相手の配慮を期待するほうがおかしい」「頼まれ事を断ったとして、それをどう感じるかは相手の課題だから、どう思われようと気にすることはない」と考えれば確かに楽なんですが、お坊さん的にはこうした考え方ってどうなんでしょうか? そう考えると楽なのは分かるんですが、なんとなく腑に落ちないのです。 以前聞きかじった禅の思想(教え?)で、「一時の結果や他人の評価など気にしても仕方ない(どうせ本来無一物/諸行無常)」「自分は自分。他人は他人(主人公)」みたいなのがあった気がします。うろ覚えですが。 禅にも似ている考え方があるんじゃないかと思い質問してみました。 実は人に相談するのもとても苦手です。 ご回答頂ければとても嬉しいです。

有り難し有り難し 34
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お布施とは?

お布施については既に回答して頂いている中に見ることできます。また、他のホームページにも沢山書かれいることなのですが、それでも解らない愚か者にご教授をお願い致します。 お布施とは三施のことである、といって間違いないと思います。 お布施は対価として支払うものではなく己の為の修行です、というのは理解できます。 しかし一方で、お布施はお礼ですと多くの方が仰っています。 また、お布施は謝礼ではありませんと仰る方もおられます。 謝礼は対価であるのか対価ではないのかということも、意見の分かれるところだと思います。 教えを説くことや読経も三施の中の法施ですから、見返りを求めないことが大前提でありますので、謝礼を受け取って良いのだろうか? と思います。 謝礼を要求することはしていませんと仰っても、謝礼を受けることはほぼ確実なので未必の故意というものです。 しかし私のような凡夫は、お布施をする時にお礼の気持ちを込めて無いのか?と問われれば、有りますと答えざる負えません。 お布施はお坊様が受け取るのではなくお寺に納めるものですと仰られますが、お坊様がお寺で生活をしたり給与を受けていれば、お布施を受け取っていないとは言えないと思います。 などと言ってますが、お寺やお坊様がお金を必要とすることを否定するつもりでは全く有りません。(重要) お坊様が畑を耕しているお寺もございますが、お釈迦様はそのようなことを推奨しなかったと信じています。むしろお布施を施したり受けることを積極的に推奨したと思っています。 しかし、新宗教の中には物欲を捨てるためにと言って多額のお布施を求めるものもございます。ここでは是非を問う事ができませんが、その様なことも考慮に入れてのご回答をお願いしたいと思います。 厳しいことを問うているように思われるかも知れませんが、「仏教しっかり頑張れよ!」っていう応援メッセージだと思ってください。 正しい気持ちでお布施できるようにご回答お願いいたします。

有り難し有り難し 34
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生き物の殺生について

こんにちは。私は以前小さなパン屋さんで焼成を担当しており、毎日パンを焼く仕事をしていました。全てのパンにイーストを使用しています。毎日働いているうちに仏教への関心が強くなり、私は大量のパン酵母を焼き殺しているんだと考えるようになりました。酵母がいきいきとするように保湿をして 暖かくして エサとなる糖分を与えて 十分に分裂したあと熱い窯で一気に焼き殺してしまうことに強い罪悪感を感じるようになりました。パンを買ってお客様に喜んでいただける職業はとても素敵だと思います。 ですが、それ以上に自分が担当している焼く仕事は罪の重いものだと感じるようになり、心の中で葛藤していました。これが原因ではないのですが 転職し 今は全く生き物を殺さない仕事に就いています。この心の葛藤を抱えたままですが今も生活しています。 最近では、リアルファーに対する嫌悪感が出てきてしまいました。動物の毛皮や皮革を剥ぎ取ってしまうなんて酷いと思いました。理想では動物実験をしていない薬や合皮を使って生活したいと考えています。 避けていても自分の手の及ばないどこかで犠牲になる生き物が出てしまうのは仕方ないと考えています。自分の出来る範囲で皮革製品は使わないようにしていますが、最近プレゼントに牛革のパスケースを頂きました。避けていたのですが使わざるを得ません。頂いたことには感謝しています。牛革は肉の副産物だから 気にすることはない。という意見を聞いたことがありますが、矛盾しているのでは?と思います。無駄なく使うことは理にかなっていますが お坊さんのご意見はどうでしょうか…? それと また似たような感じになってしまいますが、カビの殺菌スプレーを使うことにも少し抵抗があります。水回りを不衛生にしていては そのうち健康に影響が出てきてしまいますし ある程度は使用しないといけません。毎日のことなので 毎日悩んでしまいます。お坊さんでもこのような 殺菌スプレーを使うことはあるのでしょうか?また、使うことに対する考えをお聞かせいただけたらと思います。ながい文書になってしまい、すみませんでした。ご回答よろしくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 62
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お坊さんの戒律に関する質問です

僕は来年僧侶になる予定の高校生です。 お坊さんの戒律の現状に関して皆様の意見を教えてください。 明治以降、国の政策によってお坊さんは肉食、世帯、飲酒、その他諸々の戒律を守らなくてもよいことになりました。 そして国家の規定による持戒は戦後の信仰の自由の徹底化によって可能性はほぼ無くなりその状態は今現在も続いています。 以前こちらでも活躍されている大慈さんの配信で僧侶の肉食、世帯に関する質問をしたのですがその際に ・肉食は栄養の問題で必要だし仏教の教義としても問題ない ・世帯は無条件の良い事では無いが寺を継ぐ後継者を育てていくためにも必要 ・これらの問題は全てを解決できる答えが無いから考え続けることが大事 という様な答えを頂きました。 僕も大慈さんのお考えに感銘を受け、すぐに結論を出さすこの問題に向き合う事にしました。 しかしすぐに結論を出さないという事は問題に向き合う事に消極的になるという事では無く様々な意見、主張を聞き考え続けることだと思います。 そこでここにいらっしゃる僧侶の方々の肉食、世帯に関する意見をお聞かせください。 また、大慈さんは戒律の問題を一括りにはせず肉食と世帯を別の理由でもって語って下さいました。 確かに一つ一つ事情は異なっているので僕も個別に考えようと思います。 そこで肉食、世帯に加えて飲酒や金銭に関する問題もお伺いします。 今現在の僕の意見としては、しょうがない理由のある肉食や世帯と違い嗜好品としてのお酒やお寺を支えるため、生活するため、将来のための貯えを超えた過度な儲けと散財はある程度宗派、教団で規制してもいいんじゃないかと思うのですが皆様はどうお考えですか?

有り難し有り難し 30
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結局仏教は人間が作ったマヤカシですよね?

ある仏教は、踊って念仏を唱えれば極楽往生ができるとかなんとか。 ある仏教を考えた人は苦行をするなといってるのに、ある人達は千日回峰◯をやり。 ある仏教を考えた人は欲を断念してこのクソ(この世界はクソです死も欲も病も苦しみも弱肉強食というルールもうえつけたクソな存在が作ったクソな世界)にまみれた世界から逃れようと考えた。 しかし今いる仏教の人達は、結婚もして死んだ人にお経を唱え、大金をもらい。 そして無知な人達は、それをありがたいと思い仏教をますます勘違いさせる。 仏教は政治に使われ、金儲けに使われ。 ナンジャコリャって感じ。 いや仏教道を貫いたとして、この世界の理をわかる仏教の偉い人はいないし、みんなを幸福にしてくれたり教えたりする仏教の人もいません。 例えば、説教みたいな形で君は考えが甘いとか言われてしまいます。その甘い考え(脳や思考回路の伝達物質やらなんやら)を作ったのはその仏様じゃね?と思うのです。 またじゃあ知能が低くて仏教すらわかんない存在に生まれた健常者って苦しむだけ?人間界に生まれたのに解脱できずに苦しむの?って感じです。 私は仏がもし存在するのなら私の全存在をかけて恨み通します。それだけ極悪非道な存在だと思います。 結局仏教って、一部の恵まれた人しか心理には辿り着けず、一部の生まれてきた親が仏教系の人が金儲けのために仏教を難しいことにして他人を説教して世の中のおかしな所をみてる若者に対して考えが甘いとかいって批判するのが仏教?

有り難し有り難し 71
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『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』

こんにちは(=゚ω゚=) 長年漠然と解決しないものがあり、単刀直入に質問をさせて頂きますm(__)m 『お坊さんとは一体なんなのでしょうか?』 職業としてあるが、お医者さんとは違い体に触れて治療はしない。 話によると事業者の税金は非課税。国民でない? いろいろ人生の相談にのってくれるが、近所の年長者とも違う。 悪い行いをしては善くないと諭すが、もちろん警察ではない。 いろいろ知っているが、哲学者などとも異なる。 誰にでも分け隔てなく門戸を開いている。 毎日毎日、修行やお経を上げているが、相撲のように、儀式や観戦のようにお客を湧かすわけでもない。 法律にある、『個人の思想の自由』を良い形で具現化し続けているもの? となると要は『宗教』なんでしょうが、究極の自己満足の生き方?それとも、やはり修行を死ぬ(一般的な意味で100歳の肉体)までやりたいマゾヒスト? もし、ある一定の地域(日本として)の全員が仏教をしたならば、そこの人々は桃源郷になるのでしょうか?ロボットを創る人も、パイロットも、芸能人も、ウェイトレスもいなくなるので、生活が戦国時代ぐらいになるイメージですが。 でも、そうなると、助ける人がいなくなると、お坊さんはすることがなくなる? 思い付くままに箇条書きにしていますので、僕の偏見や間違いもあるかと思います。すみません。m(__)m 大変失礼と思いましたが、ずっともやもやしていたので知りたいです(。-人-。) よろしくお願い致します(^-^)

有り難し有り難し 69
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気持ちの整理について

はじめまして。 しらいこうじと申します。 悩みを相談したいのです。 くだらないと、お思いになるのかもしれませんが、ご意見をたまわれればうれしいです。 私は広島の田舎の出身で、鉄道会社への就職で大阪に出てきました。 大学を卒業し、新卒で就職したので今の会社には9年くらい勤めています。 最近、駅員から車掌の試験に合格できまして、今は研修中の身分です。 駅員時代より休憩時間が増える、出世ではありませんが出世への足がかりとなるということで、ありがたいことなのですが、どうも気分がすぐれません。 どうにも仕事に対する情熱が持てないのです。 それは駅員時代から同じことでした。 なんだか面白くないのです。 向上心が持てず、人間関係にもなじめず、なんとなく不快なのです。 うまく言葉にできませんが、四六時中、不快なのです。 他にやりたい仕事もないので、続けていくつもりなのですが、今の気持ちは落ち込んでしまって、何もしたくないのです。 何も考えたくないのです。 生産性のない人間であると、歳をとるたびに思うのです。 20代と違い、30になると周りの人間もいろいろな物を背負って変わってくるのですが、イキイキしている周りと違い、ただただくたびれてしまった気がします。 どうしたらいいでしょうか? でも今は、何もしたくないのです。

有り難し有り難し 64
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