よろしくお願いいたします!! 私は4才になる2匹のMIXの猫を飼っています。 野良猫で猫なんか全く興味が無かったのですが保護して飼い主を探してる間に(保護したのは4匹で2匹は引き取られました。)愛着がわき手放せなくなってしまい猫アレルギーの旦那がいますが了解を得て今に至ります。 今では猫グッズを買いまくり旦那にあきられ猫に焼きもちをやくほどの私の猫への溺愛ぶりに諦めて私の好きにさせてくれています。 猫の保険にも入り何かあれば直ぐに病院に通ってもいます。 猫は今は元気ですが死んでしまう事を考えただけで泣いてしまいます… テレビで猫の虐待死や保健所で死ぬのを待っている猫等を見ると涙が止まりません… 旦那には猫が死んだら絶対にペットロスになるから今から恐ろしいな…と言われています。 今から真剣に考えているのですが猫と同じお墓に入ることは出来ますか? 旦那には私が死ぬ前の日に離婚してと言ってあります。 猫とお墓に入りたいからと伝えてます。 旦那は動物とは同じお墓には入れないと言われて…どこに聞けばいーのか分からず… くだらない質問だと思いますが私は本当に真剣に考えてます! 猫と1日も離れていたくありません。
3度目の質問になり恐縮です。 新型コロナがおさまった後の話ということで、ご相談させていただけますか。 タイトルのとおり、お寺に通うことは可能かどうかについてです。 私は子供のころ、比較的お寺に親しんで育ちました。 法事以外でも、近所のお寺でご住職様のお話を伺ったこともありますし、仲の良かった友人の実家もお寺でした。 両親は、お寺の方を信頼し、お墓参りなども大切にしていたと思います。お寺の静けさと、さりげない人の気配に、子供時代の私は安心したことを覚えています。 その後、私の実家のお墓は兄が守ってくれることになり、私は地元を離れて結婚しました。 夫の実家は、事情があってどの宗教からも距離を置いており、夫の両親も夫も、今後お墓を持つ予定はないそうです。 そのため、私と家族は今、お寺や神社、教会といったすべての宗教と縁のない生活を送っています。 しかし、私は近年、年を重ねるごとに様々なことを考えるようになり、また子供のころのように、時々お寺に行ってお坊様のお話を伺ってみたくなりました。夫は「自分は宗教にはかかわらないが、君が一人で行くぶんには構わない」と言ってくれています。 少し地域のお寺を調べてみましたが、檀家でないのに一人でふらりとお寺を訪れるのは少し敷居が高い気がいたしました。法話の会も開催されているようですが、檀家の方や年上の方ばかりだと少し気おくれしてしまいそうと感じたり、一人で参加するのが不安であったり、いろいろなことを気にしてしまいます。 それならば一人で仏教を勉強しようかとも思いましたが、私は仏教を学びたいというよりは、どちらかというと、お寺やお坊様とつながりを得たいのだと思います。 私には今、ふと心が迷ったときに、自分の家以外に向かう場所がないからです。 お坊様に個人的に悩み事を相談するために伺いたいわけではなく、ただ、お堂でしばらくの時間座らせていただくだけでも十分気持ちが安らぐ気がいたします。 もちろん、自分の家は安らぐ場所ですが、ずっと引きこもってばかりです。 社会との接点として、お寺とつながりを持ちたいというのは、あまり一般的な考えとはいえないでしょうか。(ふさわしくない場合は、はっきりご教示くださってかまいません。申し訳ありません) 御多忙な折に、読んで頂きありがとうございました。
3年間、尊敬と愛情の入り混じった感情を抱く上司が職場に居ます。 4月の異動が決まっていて、離れる事を考えると泣けてきます。 姿が見られて、声が聞けて、居てくれるだけで安心と思える人がいなくなってしまうのが、とても寂しく苦しいです。 心の拠り所がなくなってしまう。 こんな気持ちで誰かを思う事はなかったので、自分でも困惑しています。 お別れの日までは、部下としてしっかり仕えたいと思っていますが、いなくなってからの、抜け殻になりそうな毎日をどう過ごしていけばいいのか、助言をいただけたらと思います。
最近ニュースで虐待やパワハラ、暴行などなんの罪もない人が亡くなってしまうニュースが多く、それを見てしまうと感情移入してしまい辛いです。 とある殺人事件のニュースを見た時には、トラウマになってしまった事もありました。 現実から目を背けてはいけないと思いながらも、それらを見てしまうと自分がダメになってしまい辛いです。 ご教示いただけないでしょうか。
浄土教(浄土宗あるいは浄土真宗)の深い信仰に入りたいと思っています。もちろん出家ができればベストなのでしょうが、なにしろ仕事もある身ですから、在家のまま信仰が持てればと思います。勇気を出して近くの浄土真宗のお寺に見学をお願いしたこともあるのですが、門前払いの対応に落胆し、それ以後どこの寺院にも連絡できていません。昔の日本ではお寺は「駆け込み寺」であり、もっと庶民にも門戸が開かれていたそうですが、近年は本当に「葬式仏教」になったのでしょうか? ただ、そうも思いたくはなく、深い信仰をお持ちの僧侶もおられるに違いないとも思います。ご自分の体験から、在家のための信仰の入り方についてお導きください(ちなみに、仏教関係の読書はある程度は広く浅く行ってきました。もう200冊以上は読んできたかと思います)。
看護助手をしております。 主に高齢者のターミナルケアを主にした病院なので、亡くなられる方も多いです。 先日、長くお世話をしていた方が、急変して亡くなられました。 その方が亡くなられてから、自分の身のまわりで不運な事が立て続けに続いています。 同僚が夜勤中に倒れたり、同僚の親御さんが亡くなったり。 また脳出血で倒れて療養中の私の父親も、新たに脳梗塞が見つかりました。 これは亡くなった方の怨念のようなものが影響しているのでしょうか。 毎日自宅で勤務前に坐禅を組み、般若心経を唱えて心を落ち着かせています。
私は、死後の世界(地獄)に行く事が怖くなり、仏教に巡り合いました。 しかし、私は、昔から疑心暗鬼に なってしまう性格なので、仏教の教えにも疑いを示すことが、度々ありました。 そこからなのか、私は、神仏の皆様に、大変心無い言葉を思い浮かべたり、素晴らしい「南無阿弥陀仏」を罵倒するような事をおもったり、神社などに行くと、爆発が起こるような不謹慎極まりない、 残酷な妄想をしてしまいます。 もちろん、失礼な事をしてしまった自覚はあるので、思い浮かべたら、仏壇や、神棚に向かって懺悔をして、前を向こうとするのですが、その懺悔をした後でも、思い浮かべてしまったりして抑え込めないようになりました。 もちろん辞めたくて、自分にこれ以上したら地獄に落ちるぞと、言い聞かせているのですが、ふとした時に思い浮かべてしまいます。 毎日毎日同じような罪を犯してしまう自分は、愚かで、自分に甘すぎるといつも思います。 もうこうなってしまったので、 確実に地獄に落ちてしまうことを 考えると、日常生活どころでは、 なくなりました。 いつもこんな自分の心に落胆し、 絶望しています。 こんな私は、助かるのでしょうか? どうすれば、こんな心を制御できるのでしょうか? 大変烏滸がましいですが、こんな私に助言を頂けないでしょうか?
結婚14年目の寺嫁です。 結婚して数ヶ月後に女の子とデート約束のメール発見。飲み屋の子とふざけてのメールと言い訳。 結婚五年目頻繁に会ったり旅行したりの浮気。 こちらは離婚を申し出ましたが 頑張ると言われて今回だけと許しました。 そして今日出張だと思っていたところ 37歳の女の人と旅行中という事が 分かりました。 僧侶としてはお檀家さんからは信頼され 優しくて、何でも出来ると評判。 お寺では義父(住職)と喧嘩ばかり 寺の仕事も中途半端、家庭の事は何もせず、自分中心。 義両親は旦那の事を二重人格だと言っています。 今回の浮気はもう許せず、子供を連れて離婚をしたいのですが いつも私の事を考えて大切にしてくれている義両親は、旦那を追い出して 私にはずっとこのまま ここに居たらいいと言っています。 そんな事が可能なのでしょうか?
お忙しい中、申し訳ありません。 お釈迦様本来の教えに最も近いと言われる最古のお経の中には、 お釈迦様は、何がしかの行為を行った場合にお布施を受け取ることを拒否された、 と書かれていると聞きます。 またお釈迦様は、死者に念仏のようなものを唱えることは意味がない、と説かれたとも。 お釈迦様が対機説法を用いられたと言われていることを少しは存じておりますが、 お釈迦様の教えを学び実践する目的は、たった一つしかないと思っています。 現代のお坊さまの方々は、葬儀などでお経を上げお布施を受け取ることを、どのように考えておられるのでしょうか?
まず、私自身、障害者(身体内で出血があり原因不明の病気です。)であり、生保と障害年金で生活をしています。 月にすると約78000程で光熱費や家賃の不足分等を支払っています。 毎月残るのは45000程です。 家族、兄弟姉妹は居らず単身独居です。 母の妹が一番近い身内になりますが確執があり連絡を取ることを拒否されています。(障害者だということで嫌われています) 先日、お寺より寺費の請求がきました。 約13000円です。 生活で目一杯で払えずにいます。 このことをお寺の方にも伝えたのですが分かってもらえず困ってしまいました。 大切な家族が眠るお墓がある、お世話になっているお寺様なので払いたい気持ちは山々です。 しかし現実は困難です。 再来月には母の1回忌を控えており、その為にやっと僅かなお布施と花代を貯めました。 1月~3月までは生保が351円しかいただけず、暖房もつけずに一日一食、食パンを一枚だけ食べて過ごしました。 母の供養のお布施を使うわけにはいきませんし… 知恵をお貸しください。 また、トバの名前は私の名字になるのですが、元旦那の暴力で夜逃してきた為に籍は抜けていますが元旦那の名字のままです。(離婚後に暴力を受けました) この名字のトバをお墓に立てたくはありません。 事情を話し、旧姓でトバをお願いすることは出来るのでしょうか? お教え願います。 そして最後の質問というか悩みなのですが、母の妹である叔母との関係はどうしたらいいのか悩んでいます。 昨夜、親戚が亡くなっていたのを地元の友人と話していて知りました。 すぐに電話で連絡を取りお詫びをしたのですが、叔母に私へ連絡をするように頼んだそうです。 しかし叔母から連絡は来ていません。 正直に話し、私の連絡先を親戚には伝えました。(他の親戚にも伝えてもらえるようお願いしました) 何も出来ませんがせめて最期のお別れくらいは言いたかったです。 なぜ、障害者というだけでそこまでの仕打ちを受けなければいけないのか…納得いきません。 だからと言って、この事を叔母に伝えても夫婦揃って役立たずの障害者!お前は恥だ!と罵られるでしょう…。 好きで病気になったわけではありません。 このまま肩身を狭くして生きていかなければいけないのでしょうか? 法要の事もあり落ち着かずにいます。 支離滅裂な文章になってしまいすみません。
お寺についていろいろ教えて下さい。 こちらのサイトで同じような内容で何度か相談させていただいた時に「くよくよしてないで説法でも聞きに行ってみては」と言われました。 正直常に小さい子供を抱えている状態で、場所見知り・人見知りがあり知らない場所や人がいると泣き叫ぶ子供を連れて行く勇気がなく、まだ足を運べていません。 なのでやはり悩みは尽きず、いっぱいいっぱいになってきています。 そこで質問なのですが、説法というのは一体どういうものなのでしょうか? 大小関わらず全てのお寺でやっているものなのですか? 悩んでないで説法を聞きに行けと言われましたが、説法で悩みが解決するようなものなのでしょうか? 他にも説法を聞きに来ている方もいらっしゃると思いますが、永遠に泣き続けるような子供を連れててもいいのでしょうか? そしてこれは個人的な意見なのですが、私が関わったお寺はそんなに多くはありませんが、正直儲け主義・自己中心的なお寺ばかりだったように感じています。 1 保育園併設のお寺でしたが、住職さんのお誕生日には園児1人につき1000円を徴収し、かなり高めのお誕生日プレゼントを購入しないといけない。他にも何かと金銭を徴収されることが多かったです。 2 こちらも保育園併設のお寺でしたが、私の妹が保育園の先生として就職した際なぜか住職さんの奥様に嫌われたらしくイビリ倒されて心を病んで泣く泣く退職。 3 母方の祖父のお葬式などでお世話になったお寺でしたが、母が「お葬式が初めてでお布施にいくら包ませていただいたらいいか分からないので、申し訳ないのですが平均的なお値段を教えていただきたい」と申し出たところ、平均の2~3倍の値段を言われていました(後で他の方に聞いたみたいです)。 といった感じで、あまりお寺にいいイメージがありません。 できればこういったお寺ではなく、こちらのサイトで色々な方々の相談を親身になって聞いてくださっているような住職さんから説法を聞きたいと思っています。 何か見極める方法などありますでしょうか?
こんにちは。「葬式仏教」批判についての質問です。 時々ネット等で「お釈迦様は葬式をしたりお墓を作ることを否定した。だから日本の仏教は本来の仏教からかけ離れている。」といったコメントを見かけますが、お釈迦様は本当に葬式やお墓を作ることを否定したのでしょうか? この話の根拠とされる涅槃経(現代和訳)を読んだのですが、お釈迦様は自身の葬式について非常に細かく指示をだしており、さらに「遺骨は塔を作ってそこに収めよ」などお墓を連想させる記述もあり、少なくとも葬式やお墓を否定しているようには思えませんでした。 以前からこういった「日本仏教は本来の仏教じゃない!」といった批判に疑問を抱いていたので、この場をお借りして質問させて頂きました。 よろしくお願いいたします。
つい先日、闘病中でした義父が残念な事に亡くなりました。とても辛い闘病だったと思います。本当によくがんばりました。生き抜いてくれました。私の子供達には初めての人間の死の姿でした。義父が身をもって人間の死を勉強させてくれたのだと感謝しきれない思いでございます。 そして、先週の金曜日に初七日を迎え、ふと初七日頃からはあの世ではどうなるのだろうと思い調べてみました。そこには、初七日で最初の修行が伝えられ(三途の川云々と)そこから7日毎に修行が与えられると書いておりました。 確か私が記憶していたのは、この世が実は修行だという事でした。欲のあるこの世の中でたくさん修行し、そして修行が終わり、あの世に行くと。 なので、義父が亡くなった時には「お義父さん、この世の修行大変お疲れ様でした。あの世で楽しく暮らしていただきたいです」とお送りしたのですが… あの世も修行、この世も修行なのでしょうか? どちらにせよ、優しかったお義父さんが病気の苦しみから開放され、お元気にあの世に逝かれたと信じたい思いです。 よろしくお願い致します。
何をやっても空回りが続きます。 もう半年ほど、追い風が吹きません。 自分の夢も分からなくなり、希望も薄れてきました。 物欲はあっても、心が貧しい状態です。 こんな年になって恥ずかしいと思っています。 否定ばかりされてきた幼少期の反動が今出てきた気がしています。 以前は掃除をしたり、お墓参りで心の整理ができましたが 今はそれでは解決できなくなりました。 客観的に自分を見るとダメだしばかりしてしまいます。 こんなみっともない当方ですが、 何が見えていないからこうなのでしょうか。 どうぞ、一隅の光を私に与えてください。
はじめまして。どうぞ宜しくお願い申し上げます。 老後は仏門に入って生涯修行をしたいということを心の支えにしている者です。 そう思うきっかけになたのは、現在同棲生活をしている男性との悩みです(彼にはその場しのぎの嘘をつく癖があり、彼を信頼することができなくなってしまいました)。 私自身、過去には結婚離婚を繰り返し、不倫もしてしまい、若い頃にはたくさん悪いことをしてしまいました。 そういう自分だから、大好きな人に嘘をつかれるというようなことになるのか、自分の幸せは恋愛関係等以外のところに見つける方が真の心の安らぎを見つけられるのではないか、といろいろ考えておりましたところ、心を清めたいと思う気持ちから、般若心経を唱えたり写経していくうちに少しずつ心が整ってきたと感じるようになりました。 そして、老後はお寺で生涯修行をさせていただきたいと思うようになりました。 お坊様方は、このような私の考えを甘いと思われるでしょうか・・・? 私は、今を生きるための心の支えを将来仏門に入ることとさせていただき、彼との毎日を感謝しながら過ごしたいと思っております。 将来仏門に入ることが許されるような日々の生き方のヒントをいただけましたら有難く存じます。 どうぞ宜しくお願い申し上げます。 ありがとうございます。
母が難病になりそれを苦に自殺をしました。 本当に苦しんだ結果の事でした。 亡くなった母の顔は苦しんだ様子もなく本当に安らかな顔でした。その顔を見た時に母は苦しみから解放されたのだ。と思うのですが、よく聞く話では自殺すると地獄に行くと聞くのです。 そんな事はない。とは思うのですが考えてしまいます。母の事を思い、日々過ごしていく事が供養になると私は思うのですが、どうしても気にしてしまいます。
前回、上記お題でご質問させて頂きました、aluseusです。 新たにご意見をして頂きました、 大野山 福公園寺の、鈴木光浄様。 本当に有難う御座いました。 とても嬉しかったです。 皆様から暖かく、ぜひ話しをしてみて下さい、 との応援のご回答に勇気を貰い、 思いきって受付の方にお話をさせて頂きました! 結果、 お断りされてしまいました。。。 受付に行くまでにもう一度勇気をと思い引いた 『何事も思うまま、大吉』 のおみくじも虚しく、 とぼとぼと帰宅しながら、 泣いちゃいました。。 受付の方とのやり取りについて、 ご説明しますと、 私がお話をしてみたいと思う僧侶の方の お名前がわからないので、 一先ず、 『こちらにおります、御坊様と、 お話をさせて頂く事はできますか』と、 お伺いしました。 受付の方が、『どのような要件か』聞いてきましたので、 『個人的な事ですが、お話をしてみたいと思い、 そうゆう機会をもうけているかわからないので、 お伺いにきました。』 と伝えました所、 『そうゆう人生相談はやっていない、 僧侶は忙しいから無理、たとえ話しが出来たとしても、 5分10分です。』 との事でしたので、 私も図々しいですが、 『5分10分でも有難いので、 ご都合の良い日時に、 お伺いさせて貰う事はできますでしょうか。』 と伝えましたら、 『その時になってみないとわからない、 特に今日は忙しいから無理ですよ。』 と、迷惑そうだったので、 やめようと思い、 最後くらいは元気よく笑顔で、 『ご無理を言いまして、失礼致しました、 有難うございました。』 とお詫びして帰りました。。。 今日は遅い夏休みを取りましたので、 初めて朝一番のお護摩に参加してみましたが、 朝一は僧侶の方全員総出でしょうか、 圧倒されましたが、朝の清々しい空気の中、 お勤めされているお姿は、とてもとても美しかったです。 こちらの僧侶の方々は大好きですが、 お話しできない理由もあるかもしれませんし、 無理な事は無理だと、深追いは辞めようかと思う所もありますが、 意中の方に断られたわけではないので、 また別のキッカケを作って がんばってみようかとも思いますが、 皆様どう思いますでしょうか。 その後のご報告を含め、 長くなりましたが、 宜しくお願い致します。
以前、法座で冥福の冥は、暗闇の世界だから適切ではないと伺っております。テレビを見ていると泣くなった人に対して、アナウンサーは必ずと言って良いほど「ご冥福をお祈りします」と言っています。その度に違和感を感じてしまいます。 身内を亡くしているので、余計に感じます。 もちろん、言っている人は悪気はないのは承知していますし、間違っていると言う訳でもないのかなと。しかし私は、「お悔やみ申し上げます」を心がけています。 ずっと気掛かりだったので教えて下さい。
昨年祖母が亡くなりました。 葬儀は密葬で行い、お寺を通さなかったので祖父や曾祖父母が入っているお墓に納骨しておりません。 当方は結婚して実家を出ている為、このお墓に今後入る予定はないのですが実の両親はこのお墓に入りたくないので祖母のお骨も入れていません。 両親がこのお墓に入りたくない理由としては祖父が他界した時(約20年前)このお寺から戒名代もかなりな高額で、その時の住職さんやお寺関係者の態度も傲慢だったのが父には我慢出来なかったそうです。 その後、事あるごとに実家にとって高額なお布施やとうば代を要求するお寺のやり方についていけないのもあり、お寺の方針を受け入れられないのです。 その為両親はお寺に不満が溜まり、祖母と話し合った結果、祖母のお骨は手元に置いておくという約束を生前の祖母としたみたいです。(当方は祖母から実際にこの話を聞いていないので両親が本音で話しているかは不明ですが…) しかしこの決断を受け入れられない叔父や親戚から「祖母をきちんとお墓に入れるべき・お金の問題ではない・祖母が可哀想」と言ってきます。 父は断固として叔父や親戚の意見を受け入れずにいます。 私は嫁に出た立場なので何も言えませんが、故人のお骨で家族や親戚がいざこざ起こすのは祖母が一番悲しむと思います。 私は今後どのようにしたら良いでしょうか? 私は祖母の意思を尊重してあげたいとも思うし、交友があった親戚が祖母をお参りしたい気持ちも分かります。 ただ喪主である父の意思が固すぎるので何を言っても父は受け入れてくれません。
こんにちは。私の実家は江戸時代より続く寺です。小さい頃より家を継ぐのが楽しみで、僧侶になることに今は迷いはありません。現在は大学生活を楽しんでいますが、卒業後は家を継ぐ予定です。僧侶になったからには人の為に生き、悩み苦しむ人の為に身を削る覚悟でいます。その為には辛苦をいとわないつもりです。 ただ、その様な僧侶となるためには今何をすべきか、勉強をしておくべきか、最近の寺に求められていることは何なのかといったことが自分の中で不明確になりつつあります。 現役の僧侶の皆様、人の為に生きる僧侶となるために今何をし、勉強しておくべきか。そして、今の寺(僧侶)に求められていることは何かご教示頂けないでしょうか。よろしくお願い致します。