私は親が小さい頃他界し歳の離れた兄姉に何不自由なく育ててもらいました。20歳の頃、遊びすぎで言うことを聞かない私と厳しい姉から猛烈な叱りを受け怖くて帰れないまま20年もの時間が過ぎてしまいました。怖くて連絡が取れなかっただけで、仲の良かった兄弟から冷たくされるのも怖くて謝りにいけませんでした。ただそれでも母のお墓参りには行っていたのですが、先日恐れていた事が起きました。 母の日のお墓参り行った際、新しいお塔婆で兄の死を知りました。 家出した身分ですが、私は小さい頃から兄姉が大好きで5歳くらいから末っ子なので自分がみんなを看取るかもしれないと未来を恐れていました。本当は心の底から許してほしくて仕方がありませんでした。でも怖くて会いに行けなかった。謝ることもできずに私は私の暮らしをして勝手に生きていたのです。 でも20年の日々の中どうしたら謝りに行けるかをずっと考えていました。それでも行動に移せず、こんな現実を迎えさせてしまった自分は生きる資格なんてない、なぜ生きているのかと毎日苦しくて仕方がありません。兄は私達を育てるのに10代から昼夜働き苦労ばかりさせてしまいました。私は何一つ孝行できずに私は幸せに生きています。そんな自分が許せません。こんな未来は本望ではなかった、謝りたかったし身代わりになれるならなってあげたかったです。こんなふざけた自分をこの先どう生きていけばいいかわかりません。大切な人を傷つけた最低な自分です。死ぬ事もいけないこと精神を病む事もいけない事とわかっていますが毎日毎日苦しいです。最後まで逃げていた自分を許す事ができません。厳しいお言葉をお願いします。
2日前に愛犬のそらを11才7カ月で亡くしました。 癌が進行し抗がん剤治療を始めたばかりでした。 2ヶ月前、子供がシコリを見つけた時すぐに病院に連れて行ってあげずに後悔してもしきれない気持ちだったのに、同じ過ちを犯し死を早めてしまいました。 抗がん剤治療で、病院の先生に食欲が無くなったらすぐに病院に連れてくるように言われたにもかかわらず、御飯を食べなかったのにお肉を少し食べたから大丈夫かなと思いすぐに病院に連れて行ってあげませんでした。 翌日私が仕事中に、調子が凄く悪くなったからと病院に家族が連れて行ってくれました。 仕事から帰ると注射をしてもらって帰ってきたそらはとてもつらそうでしたが2~3時間すれば調子が良くなるかもということだったので安心してしまいました。 少しして先生から電話があり、入院して点滴をした方が良いけど先生も夜中は病院に居ないので最悪そらが独りで亡くなる可能性もあるとのお話しでした。 そらを独りで死なせるのはつらかったのもありますがまだ大丈夫だという思いと、毎日どんどん衰弱してつらそうにしているそらの為には、もし今日家で亡くなってもそらの為に良いのではないかという思いで入院はしない判断をしました。 しかしそれから調子が良くなる事はなく3時間半後に天国に旅立ちました。 居なくなってもう取り返しのつかない自分の馬鹿な判断に後悔しかありません。 ずっと一緒に過ごしてきた3人の子供達も、とても悲しんでいるのを見て、先生から電話を頂いた時に子供達にも入院させるか相談するべきだったと後悔しています。 あんなに大好きだったそらの寿命を全て私の判断で短くしてしまいました。 そらにも子供達にも申し訳ない気持ちでどうしたら良いかわかりません。 また居なくなって、今更もう二度と会えないんだと実感が湧いてきて悲しくてたまりません。 いつでも私のことを大好きでいてくれた、最後までお利口さんだったそらに申し訳ないです。 早く私もそらに会いに行きたいです。 これからどういう心持ちで生きていけば良いのでしょうか? 子供達の為にできることはあるでしょうか?
乱文お許し下さい。 私は35歳、主人は34歳で、共働きしています。2年前に結婚し、一緒に暮らし始めて1年になります。 生理が不順気味で、年齢のこともあるので、一緒に暮らし始めてからすぐに、不妊治療を開始しました。タイミング、人工受精にトライしましたが、なかなか授からず、医師から「私の体質では妊娠は難しいかもしれない」という宣告を受けました。 主人は「子供がいなくても、2人で楽しく生きていこう」と言ってくれており、不妊治療や家事も積極的に対応してくれます。義両親もとても良い方達で、子供が出来ないことには一切触れません。 私は相当恵まれた環境にいると思います。でも、こんなに優しい主人・義両親を父親・祖父母にしてあげられないことが逆にとても辛く、罪の意識に苛まれています。私がいなくなれば、新しい奥様との間に子供を授かることが出来るのでは、という考えが頭から離れません。「2人で生きていったら良い」という主人の言葉も、私に気を遣っているだけで、本心では子供を望んでいるかもしれない‥という疑念も持っています。 上記の内容と私の心の弱さから、死んで消えてしまいたいという思いが強くなってきています。自死が良くないことは理解しています。それに、死ぬ勇気も絞り出せそうにありません。首を吊ろうとしましたが、怖くて足元の台から降りられませんでした。 命を断つ代わりにと思い、離婚を切り出したら、今まで怒ったことのない主人が激怒してしまいました。離婚するかどうかは、主人に判断を委ねることとして、離婚届を置いて私は家を出ました。 実家へは事情があって帰ることができないので、今はホテルとネットカフェを転々としています。主人は判断に迷っているのか、怒っているのか分かりませんが、連絡はありません。 自殺方法をネット検索し続けている日々が続き、もう限界です。私はこれからどうしたら良いのでしょうか?
僕は母、父が死んでしまったりするのが怖いんです。 世界まる見えであった人を人工的によみがえらせる方法、日本にも来るでしょうか… お母さん、お父さん、僕の死ぬ前にその技術を使って死にたくないです 僕はどうすればいいですか? 怖くてお腹がいたいです…( ;´・ω・`) 回答をお願いします 火葬した人のされる前とされた後の違いを見て怖くなったからです
25年前に母親を亡くしました。 母は半年ほどうつ病を患っており、自殺を図ったのだと後から知りました。 当時、私は10歳であったためか、 「母の病状はどうだったのか?」「母は死因はなんだったのか?」 など詳しいことは父や祖父母から聞かされておらず、 母の死について詳細を知らぬまま月日が流れました。 母の死から15年後、 私は社会人になり会社員として働いておったのですが、 親しかった後輩社員が「うつ病」を患って、 その後、彼は23歳という若さで亡くなりました。 後輩の葬儀に出席するため、実家へ礼服を取りに訪れた際、 祖母との会話の中で自分の母の死因が「うつ病による自殺」であると 初めて聞かされました。 もちろん当時も、10歳とは言え、 自分の母親が苦しんでいる様子をそばで見ていたわけですから、 なんとなく「母は病死などではなく、自殺なのだろう」とは思っていましたが、 家族から直接的に母の死因を教えられていなかったため、 祖母の口から出てきた言葉にショックをうけましたし、 その場では、それ以上踏み込んだ話ができませんでした。 それからまた10年経った今、 母の死因を詳細に知る家族も 祖父→他界(病死) 祖母→認知症のため施設にて生活 となり、 残すところ父のみとなりました。 父とは母の死後、「母の死」について話す機会はありませんでした。 父も還暦を過ぎ、男性の平均寿命をみても、 あと30年、40年、と健康でいるとは考えにくいです。 昨年子供が生まれ、私も「母親」になった今、 改めて「母の死」について父と話したいと思う一方、 より詳しい内容を聞くことで、 私自身苦しむことになるのではないか?と思う自分もいます。 長くなりましたが、 「母の死」の詳細を父と話しをするべきでしょうか? 助言をいただけましたら幸いです。
これは過激な提案であり、思考実験であり、私の望みです。 私の望みは、ありとあらゆる生命が、一瞬で、同時に、何の苦しみもなく死に絶えることです。私はこの世界に心底失望しており、肉体という物質からの脱脚を強く望んでいます。五感と意識を手放し、何も感じなくなりたくて仕方ありません。 自殺してもこの世界がある限り、また生まれてしまう可能性から逃れられません。それに絶望して、「何もないこと」を希求するようになりました。 人間は「全世界同時安楽死ガス」を開発するためだけにここまで進化したと思っている部分があります。 全生命の生殺与奪権を一部の人間が握ることになる点、自然に続いている生命を人為的な手段で終わらせる点、今まで誰もそんなことを言わなかった点を除けば、私の提案は遠い未来に訪れる太陽の消滅や阿弥陀様のもたらす救いと同質ではないでしょうか? 「存在しない」以外の希望がどこにも見当たりません。 生命の本能は他を侵害することにあります。人間だってその本能から逃れられていないばかりか、「自分を大切にしたい」という欲望のままに他者を排除する時代です。 今まで見て見ぬふりをすることでうまいことやっているように見せかけてきた沢山の苦しみが「多様性」や「人権」という言葉のもとに噴出し、その結果は今まで以上の苦しみの再生産です。 善意なんてものは、もともと神話の遺物でしかありません。 何かを犠牲にしなければ社会は成り立ちません。 ならば、全て消し去ってしまった方が良いとしか思えません。 「全生命同時安楽死ガス」が間違っているのだとしたら、私はどうすれば 良いのでしょうか?
三度めの相談になります。 姉が亡くなって、一年八ヶ月が経ちました。 こちらで、二度、話を聞いて頂き、その都度、涙し、励まされ、前向きに頑張ろうという気持ちになりました。 今は、泣き崩れることはなくなり、日常生活も普通に送っていますが、やはり毎日、姉のことが頭からはなれず、姉に会いたい、姉と話したい、姉と笑いあいたい、早く姉の所に行きたい、そんなことばかり考えてしまいます。 もう、いつもの私に戻ってる、まわりにそう思われていることが、私には辛いです。 家族が自死で亡くなり、それからずっと自分の心に壁ができてしまい、心の底から笑うこともできず、楽しめず、そんな苦しみすら家族以外に理解されず、忘れ去られて。。 家族を自死で亡くしたことことがないまわりの人には私の気持ちなんかわからない。 ただ亡くしただけではない、姪っ子も両親と暮らせず、祖父母との生活。 姪っ子なりに、今の生活に慣れ、頑張っていますが、彼女の将来のことなど考えてしまいます。 家族の一人を自死で亡くしたことによって、まわりの人には理解できないくらいの苦しさ寂しさがあるのに。。 好きで同棲した彼とも結婚を考えていたのに、彼よりも亡くなった姉、自分の家族のことしか考えられず、自分のエンディングノートにも、家族中心に書いてしまい、彼に何かを残したい、彼に委ねたい、ということが一つもありません。 姉のせいというわけではありません。 姉がいなくなってしまったことで、ここまで自分の心が変わってしまったのです。 とにかく、辛いです。
自分は今21歳で、死への恐怖がとても強く、震えて立ち上がることも難しくなるくらいに怯えてしまうことが度々あります。 自分の周りの人は自分がいつか死ぬなど欠片も思っていない様子で楽しく過ごしています。 親もそんなこと考えていたら人生楽しめないよ、と言って宥めてくれます。 しかし、今生きている自分の行く末が死であるという絶対的な事実がある限り心から人生を楽しめる気がしません。 今この瞬間の人生を心から楽しみたいのにそれができないのがとても苦しいです。 歳を重ねると死への恐怖は少なくなっていくものなのでしょうか。
母が亡くなって三七日となりました。 日毎に寂しさがつのり、この寂しさや悲しみがいつまで続くのかと困っています。 情けないのですが、朝起きた瞬間から母の不在が悲しく、夜も途中で目が覚めて不安です。 私たち親子は親友のような同志のような親子で、私が結婚してからも近くに住み、毎日の様に顔を合わせていました。 父の看取りの時、父の死後の母の生活の支えや私の子供の育児、母の闘病生活などいつも母と二人で頑張ってきました。 私が子供を生んだ15年前からは育児や家事も手伝ってくれ、5年前に病気を患ってからも「いつかは〇〇ちゃんにお世話になる時がくるから、元気な時は少しでも手伝ってあげたい。元気なうちに身体を使って〇〇ちゃんにお返ししてるよ。」と言って、私が仕事に出ている間にいつもうちに来て、洗濯をしたり、掃除をしてくれ、孫の帰りを楽しみにしてくれていました。 闘病生活中も辛い治療にも弱音をはかず、「苦労ばかりやったけど、今が一番幸せ。こんな病気になっても今が一番幸せやねん。ひ孫を見るまで頑張る。」と強く前向きに生きていました。そんな母を励まして支えてあげることが、私の生きがいの一つだったような気がします。 2月迄は元気で自転車にも乗れていたのに、3月に救急搬送され、4月20日に亡くなりました。病床で「もう一回家に帰って、ママのお手伝いをして△△ちゃんが学校から帰るのをお帰りって迎えてあげたい。おばあちゃんはそれが幸せやねん。今度はお婆ちゃんが△△ちゃんの子供に産まれるから可愛がってな。」と孫である私の息子に話していたそうです。 一度は峠を越え持ち直し、2週間頑張ってくれました。コロナで面会制限がされている中、付き添い許可を出して頂き、私と最愛の孫、母の妹が看取りまで一緒に過ごせたのですが、母は家に帰ることを夢見ていたのに、連れて帰ってあげることができなかったことが悔やまれてなりません。 生きることを諦めなかった母に死が近いことを気づかせたくなくて、最後まで希望を持たせてあげたくて、感謝の気持ちや家に帰らせてあげれなかったことを謝れませんでした。 そんな最後の入院中のことや家の中でも街の中でも母の姿が思い出され寂しくて悲しくて。 毎日仏壇に手を合わせて、母に話しかけています。母に気持ちは伝わっていますか? 遺骨はうちにご安置しました。母は今、私や孫の側で一緒に過ごせていますか?
お世話になっております。 以前より、強い死の恐怖について質問しており、その度に暖かいご回答を頂き大変感謝しております。 今回は、自分の死を受け入れて生きることが現実的に可能なのか、という質問です。 今まで頂いたご回答や仏道の自習において、「死はみんな怖い、けれどそのまま生きている」「死の恐怖を無理に消そうとしない」「禅は【今を生きる】修行で、未来のことを考えない(未来のことを考えるのは、今を生きていない)」といったお考えを学びました。 このお考えの論理そのものはとてもよく分かります。そもそも怖がってたって人間は死ぬし、時間の無駄だとも思います。それでも湧く本能的な恐怖なのですから、放っておくしか無いのが実状でしょう。 また、心理学の森田療法でも同じように書かれており、宗教の壁を超えた現実的なお考えだと思っています。 ですが、その考え方は、本当に現実的に可能なのでしょうか?このお考えを知って尚、そんなふうに生きれない私がおかしいのでしょうか。 私は恐怖感に襲われ続け、正直もう疲れてしまいました。皆さんに暖かいご回答を頂いているのにも関わらず、恐怖を受け入れられない自分が情けないです。そしてできる限りの実践や自習もしてきたつもりです。自分のできる限り死に向き合って、でも実生活が疎か疎かになるから恐怖を無理やり忘れて、また思い出してはパニックになりの繰り返し。 日常的な禅などで身体で理解するまでにも至らず、3年ほど強く悩まされて「本当は恐怖を受け入れる日なんて来ないんじゃないのか、来ないまま慄き泣き喚き絶望に塗れて死ぬしかないんじゃないのか」と絶望でパニックの日もたくさんあります。 修行が足りないだけなら今後も修行するしかないのでしょうが、会得までの長い間がもう、頑張れないです。弱音吐いてすみません。 死ぬのが怖い、でもその気持ちを抱えたまま生きているのがどうしても苦しい。皆同じだからと言われても、私が納得できないんじゃ、私は救われないままです。 わがままだと思います。自己中だと思います。ただ、辛い現実から救われたいのは、それこそ皆同じなのではないかとも、思っています。 具体的な解決策はありませんでしょうか。 どうか知恵をお貸しください。
お坊さん方こんばんわ。 最近希死念慮に襲われています。普通に暮らしているのに急に死にたくなったり、急に不安になったりします。でも何が不安なのか自分でも分かりません…自分でも頭の中で何を考えてるか分からない… 家族や職場では明るく振る舞ったらしてるけど、今家族、職場の人と喋ってるのは本当の自分ではなく偽りの自分のような気がします。 家族にはそんな事を言ったらまた、迷惑をかけてしまいます(過去の悩み等で両親に多大な迷惑をかけています。私の過去の相談を是非みてほしいです) 以前ここで相談したお坊さんから「生者必滅」と言われました。確かにその通り。分かってます。 しかし、ふとした瞬間希死念慮が襲ってきます… なにかアドバイスをください… ちなみに今は希死念慮に襲われた時は、長生きしようとせず、少し先に楽しみ、目標を 達成してから死のうと思うようにしてます。 ◯◯をするまで生きてみようかな〜と言う感じで… 死ぬまでやる事リスト ・もう一回1人旅行をする ・スカイダイビングをする ・親孝行をする ・ワンポインの刺青をいれる(親に死ぬほど怒られそうですがこれが今1番やりたい事) ・永平寺に行く ・5万円以上の募金をする ・遺書を書く ・遺影は決めておく これが私の死ぬまでにやりたい事です。
初めまして。 10代の頃から気持ちが落ちている時や寝る前に死や永遠について考えるようになりました。 そして先日祖母が老衰で近いうちに亡くなるかもしれない話を聞き最近では毎日考えています。 死んだら二度と会うことができないのがとてもとても悲しいです。 だから死後の世界が存在して欲しいと思います。 自分も死んだら亡くなった人と再会することができると考えれば少しは楽になるからです。 でも死後の世界で過ごすのもいつまで続くのかと怖くなります。 地球がなくなって太陽がなくなって宇宙がなくなってその後は…と。 そんな世界を見続けること、何もかもなくなってしまった後はどうなってしまうのか、わからなくて怖いです。 死んだら無になるという話を聞いたことがありますが、自分が消えるというのも怖いです。 亡くなった人と会えないことにもなります。 考えても考えても未知な世界なのでわからなくて、わからないから怖いのもあるかもしれません。 生きているからには必ず死が訪れるので、家族や友人、自分の死とも向き合わなければいけなくなります。 死は辛いです。 考えるだけで涙が出てきます。 だからといって永遠に生き続けるのも怖いです。 これから訪れるたくさんの死と生きている祖母の前で泣かない為にもどう向き合えば良いのか教えてください。 乱文失礼しました。
タイトルのとおりです。 心の整理がつかないまま、乱文ございましたら、申し訳ありません。 恋人が亡くなりました。 自殺でした。 婚約してて、これから、どんな人生を歩んでいこうか語り合い、伴侶で、恋人で父で兄で友人で、私の全てでした。 彼が追いつめられてるのは知っていたのに、どうして、もう少し優しくできなかったのか、どうして「仕事なんてやめちゃいなよ」が言えなかったのか。 後悔ばかりです。 どうして、もう彼がこの世のどこにもいないのか。 どうして、最後の日に、彼を突き放してしまったのか。 私も限界でした。でも、あの時、もう少し優しく接していられたら、彼は死にませんでした。 ぎりぎりの状態でも、生きていてくれました。 生きていてくれたら、それだけでよかったのに、あの時のわたしは、どうしてそれを忘れてしまったのか。 後悔してます。 どんなになっても生きていてほしかったです。 生きていてくれたら、それだけでよかったです。 ごめんなさい。 彼がSOSを出した最後の時に戻りたいです。 何でもします。 彼を助けてください。 私も、できれば、もし許されるなら、許されたいです。
こんにちは。こちらは私の知的好奇心からの質問になります。少しSFチックになってしまうのですが、このような疑問を他にどこでぶつけていいかわからず、ここに投稿させて頂きました。 近代、人類は科学技術を大幅に発展させています。近未来の人類には、「不老不死」の可能性があると考えられます。 ある研究では、若いマウスの細胞を老いたマウスのものと接続したところ、老マウスの体に一定の若返りが見られたとの結果が出たそうです。 また、AI技術の発達により、故人の人格を「再出現」させる実験も一定の成功を収めたように思います。例えば、AI手塚治虫が描く新作漫画や、AIレンブラントが描く新作油画が発表されました。 私はその道に明るくないので確かなことは言えないのですが、今後の人類の未来に「不老不死」の選択肢が出現することは大いに考えられるものだと思います。細胞技術で、老いない体を手に入れるかも知れませんし、AIに自分の人格を託して、機械の体で生き延びるかも知れません。 そこで疑問に思うのが、「お釈迦様の説かれた老苦・死苦は未来人にも通用するのか」ということです。四苦八苦というと、お釈迦様が定義された、人間誰しも被る苦しみのように思います。 しかし、「老」と「死」に大変革がもたらされつつある今、老苦・死苦の未来についてhasunohaのお坊様方は思うところはお有りでしょうか? 未来人に老苦・死苦を免れる可能性はあるのでしょうか。それとも、お釈迦様の説かれた普遍の真理の通り、いつの時代でも人間は老苦・死苦からは逃れられないのでしょうか。 (誤解などありましたら未熟な私をお許し下さい。)
94歳の祖母が8月に他界、葬儀が私の旅行に被りました。 家族は私の気持ちに任せるといい、祖母は急死ではなく自分的にも心の準備をしながら接してきました。 また祖母の死を目の前にしても一般的な死の捉え方ができず悲しみはあったものの死というものが自分でもよくわからない感覚のものになっていました。 そして私は通夜.告別式に参列せず旅行に行ってしまいました。 一緒に行く彼も反対をしましたが私は自分の都合の良いように言い通して行きました。 旅行に行く前は生前祖母には自分なりに出来るだけ接してきたつもりで、自分では旅行に行くことを後悔しないと思いました。 しかし旅行中祖母のことが頭から離れず、帰ってきてからも家族や親戚には非常識人間と叱られ、 旅行に行ってしまったことを後悔しました。 でもどこかで祖母が骨になるところ、形としてなくなってしまうところを見たくなかったという想いもあります。 こんな自分を非常識であり、優しさの欠片もないと思われても仕方ないと思います。 葬儀に参列しず祖母や周りの人を傷つけてしまったことを反省しています。 でも反省している自分や看護師として働いている自分が表面上だけなんじゃないかと思えてきて、本当は偽りの自分なんじゃないかと怖くなります。こんな非常識な自分が今後また誰かを傷つけてしまうのではないかと不安でたまりません。 死に対しても常識、非常識についても何が正解なのかわからなくなっしまってます。 こんな私になにかアドバイスをいただけないでしょうか?
はじめまして。タイトルの通り、一ヶ月前母がくも膜下出血の為急死しました。私が成人を迎える前のことでした。 このような時期のため家に一人でいることが多いのですが、普段なら母と他愛もない話をして笑いあったり、腕を組んでお買い物に行ったり、悩み事があれば何でも話しました。母は私にとって全てでした。私をとても愛してくれました。良き理解者であり、尊敬していました。大好きでした。本当に感謝しかありません。なのにその母はもういない、お帰り、と笑顔で迎えにきてくれない。もう本当にこの世にいないのだと実感し、強い孤独感に襲われてしまいます。 あの時私が一番近くにいたのにどうして気付いてあげられなかったのか、もっと早くに気づいていれば助かったのではないか、私が母の命を早めてしまったのではないか、自分はとんだ親不孝者だ、と強い後悔に襲われてしまいます。自分なんかが幸せになって良いのかと考えてしまいます。授業もあり、勉強もしなくてはならないのですがなかなか身に入りません。よく一人になると涙が止まらなくなります。どうかお力を下さい。宜しくお願いします。
どうぞよろしくお願いします。 うまくいう事ができませんが、私は、事故やその他の事で死んでしまう動物の事で、心に非常に大きなダメージをうけてしまいます。妹も同じで、車で子猫がひかれた所に遭遇し泣きながら電話をかけてきました。(猫も犬も好きで、私は猫3匹、妹は猫5匹、犬1匹飼っています。) 犬や猫や動物好きの人間はみな同じだと思うのですが、私たち姉妹はおかしいのではないかと思うほど、強くショックを受けてしまいます。しばらくというより、ずっと悲しいまま引きずってしまいます。私も妹も40才もこえているのに、変なのではないかと思うほどです。 どうしたらこの悲しみ、苦しみをおさめることができるのでしょうか? そして動物たちの死に際して、どの様にうけとめたら心がダメージをうけずにすむのでしょうか。
子供の頃、あんなに苛めていた長男を自分の都合が悪くなると味方に しようとしてお兄ちゃんお兄ちゃんと充てにし、無理やり仕事をさせて、 精神的に追い込み、私にはどうみても元夫が長男を死なせたとしか 思えません。自分の母親の下の世話もさせていた長男だったのに。 ただ、その元夫が一月の検診で高血圧で再検査、検査入院が必要だと いう事が最近わかったのです。私には「全く異常ない」って嘘を言って いました。実は、女と付き合っていた時に、目視でも解る位異常が見られ 三年前に検診を受けさせたのですが、その時は僅かに冠動脈に狭窄が みられるが、僅かという事で放置されていたんです。しかしここ最近 血流の滞りから巻爪に悩み始め、顔色は赤紫、心臓の異常にみられる 耳たぶのしわなど、傍目から見ても明らかに異常がわかります。ですが こんな時の為に女との事はいいといってあったのに、いい時は女が寄って 来て、お金も無いし、病気になってしまってからは私が看護しなきゃ ならないのが冗談じゃない、って思うと憤りに震えます。でも、元夫の母親は 施設ですし、息子は大学、元夫の姉は京都ですから、独身でいてもすぐに 来てという事は無いんです。やっぱりここは私の役回りなんだろうか・・・。 そう思うと、落ち込みます。 なんだか、元夫の一族のためだけに地球が回っているとしか私には 思えません。本当は、元夫からは定年退職金の半分を調停で請求し、 女からは息子達の生命保険分のお金を慰謝料として取る予定で 進めているからです。大事な長男を死なせた元夫を、長男と同じお墓に 収めるのも嫌です。
愛猫とは一年間一緒に暮らしました。 元々は居酒屋で飼われてた猫でした。 店では、小さいスペースに入れられベニヤ板にペットシーツが置かれただけの劣悪な環境で、痩せ細りストレスでおなかから後ろ足は毛が抜けていました。 気の毒でなんとか助けたい一心で、店主に掛け合い貰い受けました。 家族として幸せにしてあげたいと主人といつも猫に優しく声を掛け寄り添い見守ってました。 10年近く居酒屋から出たことのない猫は見ず知らずの我が家に来て3ヶ月くらい引き籠もっていました。 そのうち夏頃からだんだん打ち解け、呼べは返事をし意思表示をし、遊ぶようになり一緒に寝るようにまでなりました。 愛猫との心の世界が出来つつありました。 愛猫は夏に乳がんを患って手術をしましたが、術後は良好で2週間前の健康診断は問題ありませんでした。 しかしおとといの3月21日、普段と変わらず元気だったのに、 死ぬほんの数分前まで遊び暴れていたのに 急に体調が一変し、人工呼吸も虚しく亡くなりました。 急な出来事でした。 これからだよ、これから幸せを取り戻すんだよと毎日言い聞かせていたのに。 哀れでなりません。 家の仏様の御札にいつも愛猫の幸せを願ってました。 なのに、仏様はなぜこんないい子の幸せを見守ってくださらなかったのか 仏様はなぜこんな悲しい思いを私達に与えるのか 愛猫の幸せを自分の幸せと捉え心の励みとしていたのに今は生きる望みを失いました。 仏様は何故、愛猫や私達をこのような境遇に置かれたのかその意味を知りたいです。 お坊様どうか教えて下さい。
以前よりお世話になっております。毎回真摯なご回答を頂き、本当にありがとうございます。 今回お聞きしたいことは、八聖道によって死の恐怖が消せるのかということです。以下、詳細な私の現状です。 私は「死んだ後自分がどうなるかわからないことへの恐怖」と、「自分と世界が存在している(五感で感じ取れる)ことの恐怖」を常に抱えています。 そこで仏教を自分なりに勉強した結果、四諦と八聖道を知りました。恐怖克服のため、ぜひ八聖道を実践しようと思いました。 現在は在家で修行がしたいと思っています。正思、正語、正業、正命、正精進、正念は、日常生活の中でなんとなく「これに気をつけて生活すべきなんだな」という具体的な実践が思いつきます(といっても、素人の浅知恵で、悪口を言わないなどの程度です。ここに関しても今後もっと勉強していきます)。 しかし、正見と正定は、瞑想(座禅)などを行なって会得するものだと拝見しました。 私は禅宗(臨済宗や曹洞宗など)の教えも好きなので、座禅を日常に取り入れたいと考えています。ですが、禅で有名な一休さんでさえ、「死にとうない」と言って死んでいったと聞き、正直とても怖くなりました。 座禅を含め、八聖道を実践していっても、死や存在の恐怖は克服できず、怯えたまま生きて死ぬしかないのか?と不安です。 hasunohaでは、座禅の中で悟りのような経験をされている方や、「実践を伴って初めて仏教がわかる」とご回答されている方をよくお見受けします。そのため、知識を学ぶだけではダメで、具体的な実践をして初めて、疑り深い私でも「仏教を知識だけでなく心で納得する」ことができるのだと考え、八聖道を実践しようと思いました。 長々とすみません。以上の流れから、 1.八聖道(座禅含む)を実践していったら、死と存在の恐怖を消すことができるのか? 2.もし出来ないなら、私は今後どうしていったら良いのか?(恐怖に苛まれるのは本当につらいので、なにか解決策があればご教示頂きたいです) の2点をお伺いしたいです。 また、私の現状の中でも、間違ってる行動や考えがありましたら、ご指摘頂ければと思います。 長文になってしまい申し訳ございません。お時間ある時で構いませんので、ご教示頂けますと幸いです。何卒よろしくお願い申し上げます。