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検索結果: 1214件

生前に払った葬儀費用代金について。

祖母 北海道生まれ・地元で死亡 ↓ ①父→子 相談者・桜雪 父は北海道生まれで現在関東在住。 病気の為、外出は出来ません。 相談者・桜雪も関東に在住していましたが、結婚を期に北海道へ。 ②叔母①・北海道・地元で死亡 ③叔父・北海道・地元外で死亡 ④叔母②・軽度精神障害者 北海道・地元で施設暮らし 祖母が生前叔母②の為に、お世話になっているお寺に葬儀費用として叔母②の名義で100万円を支払っておりました。 所が、叔母の面倒をみていてくれた叔父が亡くなり 叔母の面倒は相談者に。 相談者の家系は相談者以外に子供がいず、お墓の管理も遠距離で出来ない為に、ゆくゆくは墓じまい予定です。 叔母のお葬式も施設でやる為に、葬儀費用はかかりません。そこで返金を要求したいのですが、どうやら住職さんは嫌なご様子です。 一度も住職さんとはお会いした事なく、失礼になったら申し訳ないので、とりあえず返金内容の件はは伏せて、お会いしてご相談したい事があると電話で伝えた所、なぜか逆ギレされ声色恐ろしい口調でマシンガントークのようなお説教をされてしまいました。 弁護士さんにも相談し、住職さんは私共に返金義務があるとの見解を頂いておりますし、叔母名義の領収書も現存していますから、トラブルなく返金して頂きたいのですが… 難しいのでしょうか? お答え辛い内容で…大変失礼な質問だと承知の上なのですが、ご教示よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 19
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自殺した彼のお母さんに恨まれている

半年前に彼が首つり自殺しました。第一発見者は、私でした。 発見した時にパニックになり何処に連絡して良いか判断出来ずにとりあえず警察に連絡してそこから救急車を呼んでもらいました。 救急車が来る間、警察の人の指示により心臓マッサージをしたりしましたが駄目でした。 それから体調を崩し手汗の発汗や震え目眩でなんとかお通夜には行ったのですが、お葬式には行けず寝込んでしまいました。 薬を服用しながら半年生活してきましたが、突然彼のお母さんが警察から私の連絡先を聞いて連絡してきて、貴方を恨みに思うと・・・ 普通は警察より先に救急車を呼ぶもんでしょう?と 貴方は息子が死んだことが分かってたから一番に警察に電話したんでしょう。とか色々2時間程責め立てられ息子を死に追いやったと言われつずけられました。 私も彼が何故自殺をしたか理由が全く分からず薬を服用しながらなんとか生活しているのに彼の母親にそこまで責められなければいけないのか理解不能な日々をすごしています。 あとお通夜の時にパニック状態だったので気がつかなかたのですが、お葬式に行った知人が最近教えてくれたのですが、お金が無いとの理由でお通夜もお葬式もお坊さんを呼ばず戒名もなく入るお墓が無いとのことで家にそのまま居るらしいのですが彼は成仏して仏様になっているのでしょうか? 目に見えないことなので私には分かりませんが、死因がどうであれ供養されない状態でも全ての人は皆成仏して仏様になれるのでしょうか? あと私の祖母が小さい時から自分にとって理不尽なことに出くわした時、それはお天道様からの気ずかせなんだからとよく言われてきたのですが、今回こんような体験をしたのは、私の何かが悪かったからでしょうか? 彼は私と出会わなければまだ元気に生きていたのでしょうか?

有り難し有り難し 91
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自分が原因で相手に迷惑をかけた後悔

私はこれまでの人生の中で、私が原因で相手に迷惑をかけたことが何度もあります。 やらなくてはいけないことを惰性でやらなかったり、言い訳を作って逃げたりしていました。そのせいで、いろんな人から嫌われ、孤独になりました。最近、頻繁にフラッシュバックを起こし、何であの時ああしなかったんだろう、あの人は今も私を恨んでいるに違いない……と、どんどんネガティヴな感情を起こしてしまいます。 他人の悩みを聞くたびに、どこかで「でも、私なんかよりこの人はましだ…」なんて思ってしまうどうしようもない自分がいます。その人達はちょっとずつでも前を向いて生きているのに、私はそれができません。本当につらいです。「これから反省を生かして生きていけばいい」と言われると「でも、私はいろんな人に恨まれ嫌われるようなことをした。私がこの失敗を乗り越え、上手く楽しく生きていくことをきっと彼らは許さないだろう」と思ってしまいます。自分でも卑屈な考えだと頭では思うのですが、どれだけ頑張ってもこの気持ちが拭えません…。 私は、こんなにも人に嫌われながら、これからの人生を歩んでも良いのでしょうか? 何度も後悔しましたが、後悔から先に進むことができません。他人の私に対する目が気になってたまらないのです。それでも、変わりたいと思って、このサイトで質問させて頂くことにしました。どんなことでも構いませんので、ぜひ、アドバイスをよろしくお願い致します。

有り難し有り難し 185
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不倫相手の子供を出産

春に次女を出産しました。 主人とアリバイ工作もしましたが、タイミング的に不倫相手の子供に間違いないです。 w不倫でした。 職場で2年ほど前に知合いました。 どんどん引かれあっていく、そんな感じでした。 土日の連絡はしない、平日のみ。 お互い家庭があるので、ばれないように過ごしていました。 途中、何度も離れたり戻ったりしました。 でもタイミングで赤ちゃんができました。 彼はおろしてほしいと言わず、これが俺の宿命だから陰ながら支える、いつもつながっているから。 そんなことを言ってくれました。 出産して3カ月がたとうとしたころ、私と主人の夫婦仲がとても悪くなってしまいました。 育児ストレスもあったと思いますが、一番は彼と主人を比べていたってこと。 なかなか思うように動いてくれない主人に彼が夫だったら……なんて考えるようになり、どんどん主人がイヤになっていきました。 でも彼にも家庭があり、いま離婚して家を飛び出したとしても彼のところに私や子供の居場所はない…… そう思ったらどうしようもないこの思いを彼にぶつけてしまっていました。 「あなたはごめんねって言うことしかできない。 あなたは愛してるって言うことしかできない。 もう会いたくない。 会ったら先のこと考えてしまうから。 奥さんと子供、大事にしてね。」 そうメールで送ってしまいました。 そしたら音信不通になりました。 次の日に言い過ぎてしまったので、 「伝えたいことがあるから電話してもいいですか?」 とメールしても返事なし。 次の日に 「会いたくないと言ったり、会いに来てほしかったと言ったり、気持ちがコロコロ変わってごめんね。 あなたを失った喪失感がひどすぎて。 もう無理ならお返事いらないから。」 とメールしても返事なし。 こんないい方ひどいかもしれませんが、 自分の子供を産ませておいて、 ずっと支えるからとか言ってくれたのに、 いつもつながっているからと言ってくれたのに、 こんなことでつながりって切れてしまうものなのですか? 次女は父親が誰であろうと、上の子と変わらずにちゃんと育てていくつもりです。 w不倫でしたし、私にも悪いところはあります。 こんな私に、どうして彼は離れてしまったのか。 そしてこの現実をどう受け止めてこの先生きていったらよいか、お言葉をぜひお願いいたします。

有り難し有り難し 97
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お坊様方、改めて教えに向き合ってみませんか?

報いきれるほどの恩ではない。この世でどのようなことをしても、お坊さんの大恩に及ばないのです。私の参じたお方に報いきれないのです。 大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。(違う人も当然、いるでしょうけど) このhasunohaに南伝仏教の本を勧めるお坊さんがいました。 なぜ浄土宗門徒ならば一心に念仏を唱えよ。と言われないのか? そうでないなら、この宗派は貴方の要求に応対できないと、 宣伝して回っているようなものである。師の恥だ。 煩悩を滅するのが道であるなら、すぐに南伝へ飛び出して出家すべきでしょう。 命はいつ果てるとも知れず、呑気に書き込む時間などないはずである。 一宗派の門徒ならば、師から伝えられた安心を絞り出し、絞り出して、 与えるべきである。南伝なんぞの教えは不要でしょう。 青白い顔をして訪ねてきた人に、この本を読んでみろと言うのか? 崖に捕まって、落ちそうな人間にこの本を読めと言うのか? 本を勧めるのが悪いのではなくて、相手の心に真に向き合うべきでしょう。 頑張る気力が湧かないと嘆いて苦しんでいる人間に、 「努力にこそ価値がある」と答えを返した僧侶はいないだろうか? 砂漠のど真ん中にいて、飢えて苦しんでいる人間に、 雑巾を絞って、絞って、ひねり出した一滴を捧げるが如く、 求むる者に注ぐべきである。 真に苦しむものは雑巾の水でも礼拝して飲む。 例え地球に宇宙人が攻め込んで、インデペンデンスデイの如く、 飛行機で宇宙船に突っ込み、地球の危機を救っても、 お坊様の恩に報いきれるものではない。 未来永劫に輪廻して善行善業を積み続けても、報いきれるものではない。 hasunohaで答える程に頑張っているお坊様がこの程度(すみません、ごめんなさい)なので、現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…すいません。 意識の低いものが跋扈し、仏を貶めるだろう。 正法は、ロウソクの火のように弱ってこのまま絶えるのではないかと、 心配するばかりです。 門徒の恥は師僧の恥であり、師僧の恥は宗祖の恥だと思います。 碌な返答も出来ず惑わすようであるならば、黙していた方がマシです。 偉そうに説教みたくなってごめんなさい。 ただ反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしないと思うのです。 私も道の途中ですので、頑張ります!合掌

有り難し有り難し 278
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ある僧侶の死

前回の質問時に生じた質問です。 もう何年前のことだか正確に覚えていませんが・・・ある日のこと、前途ある若き僧侶が殺害されました。夜間、路上で危険行為をしていた青少年らを注意したところ、逆上した彼らに暴行され、その末に息を引き取ったそうです。 当時、この報道を偶然テレビで観ていた私はとてもショックを受けました。僧侶という特殊な立場の人が犠牲になったことや、私個人のそれまでの想いや経験とも重なったのでしょう。暫く、忘れられませんでした。けれども、年を経るごとに少しずつ忘れ、思い出すこともなくなりました。しかし、数年前にお坊さんが書いたあるエッセイを読んだ時、一気に思い出したのです。 そこには偶然にも、あの事件のことが書かれていました。もちろん、実名などの記載はありませんでしたが、私はフラッシュバックのように、当時、テレビに映し出されていた事件現場を思い出しました。どこにでもありそうな人気もまばらな夜間の風景、暗い夜道と街頭、街頭に照らされた白いガードレール、記事を読む女性アナウンサーの声。 筆者と被害者の男性は、修行道場で先輩・後輩の関係で、男性は修行を終えて実家のお寺に帰った後に急死。彼の父親であり、師匠でもある住職は、葬儀の挨拶の中で、こう述べたそうです。 「それでも、許さないといけないのでしょうかね・・・」 仏教の教えでも、何であっても、人は皆平等で、言動には大なり小なり理由があります。加害者となった青少年らにも、殺意があったかどうかはともかく、腹立ち紛れに暴力をふるった原因や理由がそれぞれあるでしょう。しかし、だからと言って許せるかどうかは、また別の話。けれど、許すか諦めるかしなければ、生きている限り、苦しみ続けなければならない。また、こういったことが二度と起こらないように、暴力事件の被害者の方々が活動しておられますが、その活動は別として、果たして、彼らに救いはあったのでしょうか。 「許す」って何なんでしょう。諦めたら救われるのか・・・ただ、どうしようもない「ままならぬのが人の世だ」と分かっただけではないのか・・・「救い」って一体、何なのでしょうか。

有り難し有り難し 69
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正しく生きるということ

こちらのサイトを最近知り、毎日読ませて頂いております。    どの方の回答を見ても、納得するばかりで仏教の考え方にも大変興味があります。 私が昔読んだ本には、正しく生きるということが仏教の基本的な考えである。というようなことが書いてあった記憶があります。 それ以来、正しく生きるということはどういうことなんだろう?と常々考えて過ごしています。 例えば仕事。 人が面倒くさい、つまらないと思うような雑用を進んでやったとしますよね。 すると感謝はされますが、何となくあの人がやってくれるから。という雰囲気になり、いつもいつも同じ人がやるようになる。 そうなるとやはり人間ですから、私ばかりがなんで・・・という気持ちになってしまいます。 損得で考えてしまうんです。 正しいことをしているはずなのに、自分の心は荒んでいく。 それなら要領よく生きたほうが楽じゃないかと思ってしまいます。 が、要領よく人に押し付けたところで罪悪感に捕らわれてそれはそれでスッキリしない。 世の中には、うまく立ち回れる方がたくさんいますよね。 きっと皆いろいろ悩んで苦労もあるのだろうけど、私には幸せで賢く見えます。 子どもっぽく言ってしまえば、みんなすごいなぁ~。という気持ちです。 正しく生きよう。と思っても、過去にしてしまった罪は消えません。 何度も思い出しては、罪の意識にとらわれます。 なかったことにはできません・・・ これから先、どのように生きていくべきか。 気持ちの持ち方に悩んでしまいます。

有り難し有り難し 38
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2022/08/21

祖母が亡くなってから心霊現象が起こります

はじめまして。 7月末に祖母が亡くなりました。 初七日まで祖母宅で過ごし、その後自宅に戻りました。(自宅は埼玉、祖母宅は岩手です) 帰宅したその日、夕方にいきなりリビングの証明が消えました。 今までこのような事はありません… リモコンもない為、間違えて消したわけではありません。 また数日後、今度は勝手に消えて、すぐにつきました。 体温計もひとりでに動き出し、35,5度と体温をはかりだしました。 こういう事が1ヶ月間ずっと続いています…。 今のマンションにも3年住んでますが、このような事はありませんでした。 祖母が亡くなってからです。 祖母が何か伝えたい事があるのか… それとも、違う霊が着いてきたのか… 自宅では、ホワイトセージを焚いたり盛り塩をしたり、知り合いから教えて貰ったことは実践しました。水晶や黒水晶も購入しました。 ですが、状況は変わらず…むしろ最近頻度が増えてきています… やはり、こういう事が起こると怖いです。 もうどうしたらいいのか分かりません… お祓いなどして頂いて、落ち着きますか? 又、お通夜のあたりから、ずっと私にだけ白い煙のような物が見えていたり、床に置いたバックがズズズッ…と動いたり、不思議な現象に見舞われています。 証明が消えたり、体温計が動いたりするのも私だけです。 なぜ、私だけこのような現象に見舞われているのでしょうか… ずっと続くのかと思うと、やはり怖いです…。

有り難し有り難し 39
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信仰ってなんだろう

私は、信仰するということの概念について悩んでいます。何故なら、私は、神様や仏様の存在を信じてはいるのですが、それは人間の心の内にある概念に過ぎず、形而下で捕捉できるものではないと思っており、この考え方が取っ払えない以上は心底から神仏を信仰することは叶わないのではという疑念を抱いているからです。 私がこのような考え方をもったきっかけは、遠藤周作さんによる著書「沈黙」を読んだことです。ご存知でない方に簡単にあらすじを説明しますと、キリスト教の弾圧があった江戸時代に、ある宣教師が拷問の末に棄教したという報を受けてその弟子が真相を求めて来日し、救いを求める弱い隠れキリシタンや彼らを拷問にかける大名と出会いながら、仏教との相違や絶対神の是非について考え、葛藤するというものです。 私がこの小説で衝撃を受けたのは、諸行無常の考えを礎とした仏教を信仰しているはずの大名が、キリシタンだというだけで農民の魔女狩りを行い、キリスト教の弾圧に執心していたことです。 宗教というのは、固まった思想を提示することで人々の心を安定させたり、民衆を統制させる側面があるとは思うのですが、劇中のように政の道具としての扱いにとどまったり、科学が普及した現在において金稼ぎのダシに成り下がってしまったりする宗教文化を多々見ると、もしかして心の底から神仏の存在を信仰することは最早なり得ないのではないか、という疑念を感じずにはいられません。 こうした疑念に輪をかけるのが、自然の脅威です。現在猛威を振るうコロナウイルスや、台風、地震などといった災害は、私たちにとっては害悪でしかなく、早期の収束や撲滅を願われるばかりですが、それらの現象は我々の嘆願とは関係なくただ事実として存在するのみであり、これらを既成の宗教概念によって説明するには限界が生じるのではないかと思います。それを考慮すると、我々に都合の良い神仏への疑念が益々助長されるばかりです。 私は、目的によっては多少の方便は許されても良いと思っていますが、神仏を本気で現実のものと信じている方々のことを考えるとどうしても後ろめたいものを感じます。こうしたことについて、僧侶の皆様はどう思われるのでしょうか。冒涜と思われるのでしょうか。それとも、これも信仰と思われるのでしょうか。 大変無礼な質問であると承知しておりますが、何卒宜しくお願いいたします。

有り難し有り難し 34
回答数回答 3

世界が無くなれば良い

地球の寿命はあと50億年と天文学では言われています。 つまり今ある社会や生物等は全て無になります。無価値となります。 世界では毎日のように苦しい事が起きています。 それを否定してこの世界は楽しい!と言っても地球は消滅します。 世の中には嫌な事ばかりあります。 常に人類だけでなく昆虫も動物も生ある物全て絶滅すれば良いのにと思っていますがそれが50億年後には事実となります。 つまり無価値な世界で盲目的に何の目的もないままみんな生きて行動してるわけです。 私にはまだ寿命がありますが、この世界に貢献したい気持ちもありませんし、人に優しくする動機も気持ちも喪失しました。 何故かというと怒りがあるからと思います。 それは生まれてきたくなかったのに生まされてこの嫌な世界を嫌というほど体験してるからです。 でもそれは良くないという気持ちが出て苦しくなります。 それに他人に対して危害を加えても罪悪感が出るので全く他人には迷惑をかけずに生きてます。 しかし他人に危害を加えて儲けたり稼いだりする人が世の中には腐るほどいます、例えば不動○産業界とか人材派○遣等の企業は人を搾取したりしていますよね。他人を搾取して平気な人が世の中に腐るほど沢山いて、私は世界は滅びれば良いという気持ちがあるのに他人には危害を加える事すらできない弱者という気持ちがあり何にも他者に利益や貢献を与えられず危害を加えることも出来ずに生きて、この世界を恨んで怒りをあらわにしてるのが苦しいです。

有り難し有り難し 220
回答数回答 5
2022/01/10

阿弥陀如来とイエス?阿弥陀仏の信じ方。

仏教、特に最近では浄土真宗に関心がある者なのですが、「阿弥陀如来とは何か」「(阿弥陀仏を)信じるとはどういうことか」という疑問が拭えず、調べていくと、こういう文章に出逢いました。 〈親鸞聖人のおすすめ下さる信心は、「思い込み疑わないこと」という意味ではなく、「疑いがなくなって帰依する」という意味であります。「疑いがなくなる」とは「明らかになる」ということです。 では、何が明らかになるのかと言いますと、縁にふれたら、どちらへ転んで行くか解からないような危なっかしい自分の相が明らかになると共に、「あなたがどちらに転んで行こうがほっておく事はありません」と、私をしっかり抱きしめて下さる確かな阿弥陀如来のお心が、明らかになるのです。〉 阿弥陀仏が他の宗教でいう絶対神(創造神)ではないことは聞いたことがありますが、こういった文章を読むと、多分にそういった要素があると感じてしまいます。上記引用の阿弥陀如来をイエスに置き換えればそのままキリスト教ではないでしょうか? 仏教は、釈迦が無記を説いたように、形而上のことは判断しないとする極めて理知的な宗教だと思うのですが、浄土真宗のお坊様方はは、いつも傍らにいて下さるイエス様を信じるように、阿弥陀仏を信じておられるのでしょうか。そうでないならば、どのような形で阿弥陀仏を信じておられるのでしょうか。 不躾な質問の仕方になってしまい大変恐縮ですが、御回答いただけると幸いです。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 48
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