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hasunoha 問答検索結果 : 「 お経 」
検索結果: 2952件

どう生きれば良いのかわかりません

とても苦しいです。身体に鉛の塊があるようで、それが溶けだして涙になるようで動けない。このまま石になって死んでしまえれば、とすら思います。 仕事に就く度に身体を壊し、心を壊し、もう自分が信じられなくなった時、それでも、私を好きだと言ってくれた人がいました。 その人に見合う人間になろうと、勉強を重ねました。病院への通院も頑張りました。 苦手だった料理や化粧などもなんとか形になってきて、病気も多少快方に向かい、周りから綺麗だよ、と言われるようになってきて、ほんの少し自信がついたような気がしてきた。 その矢先に、その人から、他に好きな子ができた、こんな中途半端な気持ちでは貴方に失礼だから、と別れを切り出されました。 それじゃあ仕方ないね、幸せになってね、と笑って送り出したし、それは本心からのものでした。遠距離恋愛で、病気を抱え、しばらくは働くこともできないだろう私より、もっと良い子と幸せになってくれれば、と。 でも強がっていたのも紛れもない事実。身体は思った以上に正直で、次の日からストレスで身体中に湿疹が広がり、体の痛みと心の痛みで涙が止まりません。 よく優しい人だと言われます。努力家だとも言われます。両方事実ではあると思うし、ネガティブな言葉ではないはずなのに、それが私を苦しめる。 人の分まで考えて、無駄に頑張ってしまって、頑張りすぎて自分を傷つけてしまって、最終的には失敗して自己嫌悪に陥る。 それを取り戻そうと頑張っては、また泣きを見る。ずっと繰り返しているのはわかっているのに。なんて不器用なんだろうと思います。 もっとわがままになりたかった。あの時だって、正直に一言「いやだ」と言えればよかったんです。でももうどうしようもない。 あの人は父の死に際に立ち会って、「この子は自分が幸せにします」と言ってくれました。 それが嘘だったなんて、父の墓前にどう報告すれば良いのでしょう。何も知らずに孫が楽しみね、とにこにこしている母にどう伝えれば良いのでしょう。 もう疲れてしまいました。これからどう生きれば良いのかわかりません。

有り難し有り難し 7
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お寺を巡る資格があるでしょうか。

アルツハイマー型認知症を永年患った母を在宅介護の末、今年の3月に亡くしました。 77歳の誕生日の3日後でした。 その母の供養にと、父と愛犬とわたしの男3人で地元のお寺巡りを始めました。 お大師様や観音様にすがりたく遍路、巡礼路に沿ってもう150寺近くを巡りました。 お寺を巡っている間は気も晴れ、癒されるのですが、帰宅と同時に果たして母は喜んでくれただろうかと、自責の念にとらわれます。 時に強い虚脱感や絶望感にも襲われます。 周りの皆さんはあなたはお母様によく尽くして差し上げた、お母様はお幸せだったと言って下さいますが、認知症を患い始めたばかりの頃の母をとても煩わしく思い、本人が一番心細かったであろう10年程前に、母の気持ちに寄り添ってあげられなかったことを今でも強く悔やんでおります。 晩年のつきっきりの介護はその罪ほろぼしのようなものです。 自身が独身のため、ゆくゆくは、お墓も作らず、納骨もせず、母の故郷である島の海岸に散骨をと考えています。 父も自分もそれでよいと言ってくれています。 自分自身も甥や姪はいるものの、彼らに負担をかけさせたくなく、また、お墓の石の下や、暗い納骨堂の中よりは、海のほうがのびのびできていいかなあ、お金もかからないし、などと考えております。 母の供養のため、一日三回、新しく購入した仏壇の前で父と般若心境を唱える毎日です。 写経も日に二度ほど書き、お寺巡りの折に納めさせて頂いております。 しかし、母の人生を思うと、特に病魔に蝕まれたのちの辛かったであろう最後の十年を思うと、お経を唱えていても涙がとめどなく溢れます。 不甲斐ない息子でごめんねと心で詫びてばかりです。 また写経の途中で筆を止め、やはりこんなことで母が果たしてよろこんでくれているだろうか、母の病気の進行をもっと緩やかにしてあげられる手立てがあったのではないか、果ては晩年お世話になりながらもその冷たい対応に腹立たしく思えたこともあったデーサービスや病院に今更ながらに腹を立てたりと、全くもって邪念だらけです。 百枚近く写経を致しましたが、ほんの一枚も最後まで穏やかな気持ちで書けたことは今だかつてありません。 このようなわたしが、果たして、これからもお寺を巡らせて頂く資格があるでしょうか。 亡き母は喜んでいてくれるでしょうか。 何卒よろしくご回答の程、お願い申し上げます。

有り難し有り難し 44
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和食の傲慢さに苛立っています(書き直しました)。

私は京都の仁和寺に写本が所蔵されている黄帝内経(中医学の祖)にも記させている、陰陽五行説を大切にしています。 陰陽五行説は心身一如や医食同源の下、相生(生み出す)、相剋(抑制)関係により、調和を大切にします。 日本では科学の発達により味蕾に辛味が反応しないからと、味覚から辛味を削除し、うま味を足した陰陽五行説を謳う栄養学者が後を絶ちません。 日本は海に囲まれている為に、主に陸より海産物のうま味に頼っています。それの多くは鹹味(塩味)です。 鹹味は水や腎に分類し、増幅されると相剋関係によりで火に属する心を瀉します。 調和を保つ為には、苦味により心を補うか、相生関係の木に属する肝を育てる為に酸味を摂る必要があります。 焼き魚に柑橘類を搾るのがその例です。 しかし、家庭・外食を問わず、和食の全てがうま味調味料(科学調味料)に頼り切っています。 陰陽五行説を活用すれば様々な組み合わせでうま味が生み出せるのに、安易に頼るのは嘆かわしいです。 近年、精神疾患の増加、世知辛い社会を生んでいるのは上記により、過剰に鹹味のうま味調味料に頼り切る事により調和が乱れ、心を瀉しているのも一理あると考えています。 元来、和食は中国により伝わったのが、南蛮貿易や文明開化により西洋と交わり発展しました。 然るに陰陽五行説を歪曲すれば、調和は崩れます。“木の長きを求むる者は必ず根本を固くす”であるのに、和食は元来を無視するのならば、”自己中心”や”傍若無人”な食文化だと云われても仕方がありません。 また姿勢としても、『料理芝居(著:北大路魯山)』より、料理屋は下手でも風格が必要だとわかりますが、”実るほど頭を垂れる稲穂かな”であるのに、料理人は腕を組んでいる人ばかりです。心理学で謂うと、威厳や不機嫌、自己保身等、他人と距離を取りたい対応です。 その点で、“鯛も一人はうまからず”の通り、美味しさに雰囲気があり、雰囲気で美味しかった経験は誰しもあるはずです。 食は食べるのと、食べて頂くのも感謝だと私は考えます。 以上よりの元来の歪曲や雰囲気を大切にしない和食に感謝が足りないと感じ、苛立ちを覚えたのです。 然るに和食は家庭から廃れ、食育の促進や世界遺産に登録してまで守らないといけなくなった“砂上の楼閣”だと私は考えます。 ご見解を、何卒宜しくお願い申し上げます。

有り難し有り難し 31
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2024/03/09

急に嫌いになった

今、母に対する自分の気持ちが分からず悩んでいます。昔から母のことが大好きで愛していました。今も愛していますし、感謝しています。しかし、最近関わるのが怖い、嫌い、離れたいと思ってしまいます。楽しいことがあると、母に伝えて共有したいなと思う気持ちもあるのですが、嫌だ、話したくない、と心にブレーキがかかります。この矛盾した気持ちにどうすればいいか分からず悩んでいます🥲 この気持ちになり始めたのにはきっかけがあります。それは母と義母、母と父の関係が悪化したことです。確かに義母、父の方が悪いのですが、母の言動も少し行きすぎているのではないかと思ってしまいました。そのことで母に対する不満が少しずつ溜まり、心の奥底で嫌いという感情が生まれてしまったのではないかと考えています。 この感情はずっと続くのしょうか。一度、潜在意識で嫌い、怖い、嫌だという感情が生まれてしまったら、もう前のように心にブレーキをかけることなく関わることができないのでしょうか。今は、この気持ちを受け流して、いつかなるようになると信じて今に集中して生きるよう努めています。 相手を拒絶してしまう気持ちはどのように対処していけばいいのでしょうか。アドバイスいただけると嬉しいです💦

有り難し有り難し 13
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