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検索結果: 200件

坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

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お坊さんの彼との子どもに自由はあるのか。

お盆のお忙しい時に失礼します。 お坊さんの彼と、子どもについての考えが違いすぎて、今後のお付き合いを考えています。 私は将来自分の子どもに、「自分のやりたいことをやりなさい」と言いたいです。子どもが寺を継ぎたくないと言った時、私はその気持ちを尊重したいですが、彼氏さんやその家族はきっとお怒りになると思います。僧侶となる子どもを育てるつもりがないなら、私は彼氏さんと付き合い続けるべきではないのではと最近考えています。 檀家さんからお預かりしたお寺を守る。それはとても大切なことだとは理解しています。でも、守る方法は世襲以外にもあるのではないでしょうか。 お檀家さんも、小さい頃から知っている子どもなら信頼できると、住職の子に次代を望まれるのかなと思います。でも、優れた住職の子が優れているとは限りません。お檀家さんの「墓を守ってほしい」という思いに対して、世襲は最善策ではないのではないでしょうか。 子どもが自分から僧侶になりたいと言うなら問題は何もありません。子どもが寺を継がないと決めた時のために、お寺から出ても生活できるお金を今から貯めておくべきだと私は考えました。でも、彼氏さんは自分の代で寺を他人に譲るなど、そのためにお金を貯めるなど考えたくないと言います。 私の考えは一方的なのでしょうか。もうお別れするしかないのでしょうか。 まとまりのない質問になってしまい申し訳ありません。何かお考えをお聞かせくださるとありがたいです。お願いします。

有り難し有り難し 32
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失態を繰り返しても見本となれるお坊さんの強さの秘訣

ふと考え付いたのですが お坊さんは誰にも言えないレベルでやっちゃった過去とかあるのでしょうか? 清廉潔白で穢れを知らぬ(大袈裟)お坊さんが「いやそれアカンでしょ」な過去があるとは想像出来ません   【一例】 学生の頃コッソリ親のお金をくすねた、 借りパクになってて返せない..等 お坊さんは物心つく前からシッカリと親に教育され、道を踏み外す経験が無い様に思えます   道を踏み外し警察にお世話になったり学校や家族から勘当されたり(一部ですが)思い出すと顔が熱くなる、真っ青になる経験有りますか? 上記の似たような経験をされたお坊さんが語る後悔のしない生き方、気持ちの整理の仕方等があれば聞きたいですし、過ちを犯したのにも関わらず 「前を向ける様になった」のは何がきっかけですか?親..仏様..友人、様々な理由があると思います。言われて立ち上がれた言葉でも..! 私は数え切れない程、大小様々な罪を重ねていますし人の見本となる生き方が出来ません、罪を犯した私なんかと自虐し生きるのも前を向くのも辛い中、お坊さんでも同じ気持ちになった事があるのかと思いました。 (「人の見本」になりたいですし雑念を捨て「人の心を満たす」優しい人物を目指したいです)

有り難し有り難し 20
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“我”の存在が辛い

いつも回答ありがとうございます。 うまく文章にまとめる自信がないのですが、聞いてください。 もともと私は、自分の意見を持つこと、気持ちを言葉にすること、それを他人に伝えることが好きだと感じていました。友達の相談に乗ったり、ネットに文章を載せたりしていました。周りからの評価は、『(正しいかはさておき)意志を持って行動できる人物』です。これは仕事で昇進するにあたって上司や顧客から頂いた評価です。 自分の意見を発信することで、存在を認めてもらいたい、という気持ちが根底にあるのかもしれません。ある時、私は「自分のことが好き」なだけであって「相手の気持ちへの配慮が欠けている」のではないか、と気が付きました。例えば、友人の相談に乗っている時です。相手の気持ちに寄り添うことは大事と分かっていながらも、自分が感じた意見と指摘をズバッと言ってしまいます。 意識しなければ、相手への配慮より自分の気持ちが先に出てしまうのです。ここまでの文章でも、「自分」という単語がたくさん出てきてしまっています。 ここからが悩みの本題です。 上記の問題に気が付いて以降、会話や文章を書く場面で、“我”の存在を感じて辛くなることが多くなりました。誰かと話していても、あぁ、私は今、近況報告と題して自慢を言ってしまった。と感じるし、ネットに投稿するにも、私は今、すごいねって感じてもらいたがってるんだ。だからこの内容を書こうとしてるんだ、と辛くなり消してしまいます。誰かへのアドバイスも、偉そうに言う権利なんて自分にはないのではないかと感じます。 また、下手の横好きなりにネット小説を書くのが数年前から一番没頭できる趣味だったのですが、登場人物を通して自己の主張を映そうとしている自分に気付き、執筆もできなくなりました。本当は書きたいのに。 ある程度は、他人の目線なんて気にしないほうが生きやすいだろうと思います。しかし元来の性格上、他人への意識を持たなければ私は自己主張が強くなるでしょう。 二つの折り合いをつけられず、今はただ“我”の存在が辛いです。そして根本的原因である、自分を認めてもらいたい欲求との付き合い方について、アドバイス頂けると嬉しいです。

有り難し有り難し 37
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どうしてお坊さまになったのですか?

相談ではなく、単純な質問ですみません。 しかしとても気になります。 私は現在職を探して3ヶ月になろうとしている20代です。 履歴書や面接の準備のときに必ず用意するものの中で、「志望動機」というものがありますが、 私はこの「志望動機」が苦手で、つまずいて応募も躊躇してしまうこともあります。 その為、この3ヶ月は道行く働いてる人へ 「ねえ、あなたはどうしてその会社に入ったの。なんて理由で応募したの。」 心の中でめちゃめちゃ問いかける毎日です。 半分くらいは知識欲なのですが… そんな時、「お坊さん」という、あまり私の身近にはいない方々に質問相談ができるというこちらのサイトを見つけました。 しかも真摯に、丁寧に、おそらく正直に回答してくださっているご様子。 私、今、喜んで質問させていただきます。 「なぜ、『お坊さん』という道を選んだのですか?」 欲張りで申し訳ありませんが、もし差し支えなければ、 「お坊さんになる前はどんな事をしていましたか?」 という疑問にも答えていただけると嬉しいです。 まとまりのない文章で、他の誰かの為にもならなさそうな質問で大変申し訳ありませんが、どうかこの個人的な疑問にお答えください。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 229
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私はもう手遅れな人間なのでしょうか?

はじめまして。 自分で考えても答えが見つからず、この場をお借りして質問をさせていただきました。 近頃、自分が何のために生きているのかわかりません。人は皆、何か目的や目標を持って生きているのだといいます。そのために一定の苦痛を我慢し、対価を得ているのだと思います。 それでは、何も無い私は一体どうしたら良いのでしょうか。 特別幸福でも不幸でもありませんし、現在の生活や職にそれほどの不満があるわけでもありません。ただ、今後生きていくうちに、生きる目的や意味が見つかるとも思えないのです。自分の人生に、何の楽しさも見出すことが出来ません。 私は、偶に人に容姿を褒めていただくことがあります。それを喜ばしいことであると捉えられていたのも短い間のことで、現在は一種の偏見や差別のように感じられてならないのです。 ある人が言うには、私はこのみてくれのおかげで何の苦労もせず、稚拙さを見逃され、失敗を許される楽な人生を送っているそうです。 そうかもしれないし、そうではないかもしれません。仮に私がそうではないと思っていても、周囲からはそう捉えられているのだと思うと、相手にも、そして自分にも期待するのをやめるほか、ありません。 こんな自分でも人と関わるうちに人間らしい感情を育てることができるのではないかと考えたこともありました。しかし、そうではありませんでした。何もない自分を知られる恐怖からか、近づいては離れるということを繰り返し、結局相手を傷つけてしまいます。 こんな人間が、これからどうやって生きていけば良いのでしょうか。 毎日、死ぬ事を考えています。 死ぬことではなく、死の直前に訪れるであろう痛みへの恐怖から実行に移せずにいます。 これまでの人生のこと、今後の人生のことを私なりに沢山考えたつもりです。死後周囲の人間に迷惑がかからないよう、できる限りの準備は整えてあります。 早く、この煩わしいすべてのことから解放されたいです。 私はまだ手遅れではないのでしょうか?

有り難し有り難し 44
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母を助けてください

母子家庭の高校生です。 母方の家系は霊感?というものがあるらしく 曽祖母も祖母も母も霊と呼ばれるものが見えるそうです。 私は幼い頃は見えていたようですが今はあまり信じていません。 とりわけ母は見る力?が強いらしく今でもよく何かが見えるそうです。何かによって今まで良くない目にあったこともあるそうです。 ここから本題に入ります。 私の母は幼い頃からほぼ毎日悪夢を見ています。 化け物が出てきて、夢の中で殺されたら 実際に死んでしまうと言われて襲いかかられる夢だそうです。その夢の中でまだ幼い母は自分がいつ死ぬかを告げられたそうなのです。 その「自分の死ぬ日」というのは 母の誕生日でもある10月6日なのです。 今年のです。 先ほど母から「自分は近々死ぬ、あなたを幸せにできたかな?」 といったようなメールが来ました。 母は夢で告げられた死を信じきっています。 そんなことあるわけないと私は母に何度か言ってみましたが 幼い頃からほぼ毎日のように刷り込まれてきた死の印象には太刀打ちできません。 夢で言われた通りに死ぬ、なんてことあるはずが ないと言いながら、私も多少信じてしまっている部分もあります。 本当にその日に母が死んでしまうかもしれないと考えると怖いのです。 せめてその日は母の側にいたいのですが、部活の大会があり遠くに行ってしまいます。 何かあっても私にはどうすることも出来ません。 こういった事もあって「何かが母を守るものを引き離しているんじゃないか」と非現実的なことを考えてしまいます。 私1人じゃどうすることも出来ません。 母は正直生きることを諦めているような感じがします。 それに先ほども述べましたが母は今までにそういった霊や不思議な力?でひどい目にあったこともあるそうなので今回も抗う気が無さそうです。 私はこんなことで母が死ぬと思いたくありません。でも例えばその日にもし母が事故にでも遭ったとしたら生きようと救急車を呼んだりせずに死を受け入れてしまったりしそうで怖いのです。 母を失いたくありません。 私はどうしたら良いのでしょう。 助けてください。

有り難し有り難し 41
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LGBTの現状について

こんばんは。私はトランスジェンダーの者です。(性別は女性にしてありますが戸籍上は男です) 私は日頃より「自分らしく生きる」とか「やりたいことをやる」とかそういう輝かしい未来を追い求めてきたつもりなのですが、夢見がちな性格がたたってもう何をする元気もありません。 LGBTの就職や結婚の厳しい現状は私の想像を超えるものがあり、「私はなんとかなる!」とか「頑張れば!」とか、散々ポジディブにやってきたつもりなのに結果として何一つ良いことがなく、心が折れてしまいました。 また、私は仏教学にとても興味があり当サイトに書き込むきっかけもそこにあります。 やりたいことも、時間も、興味もあるのに性的マイノリティーがあるというだけでこんなにも暗い未来しか見えないものかとかなり悲観的になっています。 親もそれなりに理解があり、不幸なんて生意気って思われる方もいると思うんですが私はいまとてつもなく不幸です。 また、合わせてご回答願いたいのですが仏門に実際にLGBTの方はいますか? また、LGBTのひとは実際現状的に僧として受け入れてもらえるのでしょうか? また、宗教上の理由でそもそもLGBTを受け入れない宗派などがあったら教えていただきたいです。 やる気もやりたいことも時間もあるのに全てに足かせや心の痛みがつきまとうというのはこんなにも辛いことなのでしょうか… ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 17
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浄土真宗通信教育に関して

はじめて質問させていただきます。 ご回答頂ければ大変嬉しく思います。 私は実家が浄土真宗本願寺派の門徒でありまして、最近になりもっと浄土真宗のみ教えや、仏教のことを学んでみたく思うようになりました。 普段なかなか私自身、浄土真宗の門徒でありながら、家でお勤めをしたり、念仏を唱えたりということが出来ていないのが現状です。 そこで、浄土真宗本願寺派の通信教育で仏教や浄土真宗のみ教えを学習すれば、少しでも私自身の信心が芽生えてくるのではないか、浄土や仏さまを信じる気持ちも出てくるのではないかと思い、この度通信教育講座を受講しようかと考えてる次第でございます。 そこで今回の質問なのですが、通信教育講座で学習することによって、信仰心が芽生えたり、お念仏を唱えたいという心持ちに変わったりするものでしょうか? それとも学習はやはり色々な知識を詰め込むだけで、そこからは信仰心というものは芽生えてこないものなのでしょうか? 私自身もっと信心をもって、日々の暮らしをあまり悩み過ぎることなく歩んで行きたく思っています。 どうか皆様の良きアドバイスを頂ければ幸いに思います。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 77
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2023/07/18

寺の長男は後を継いで当然なのでしょうか?

兼業の寺院の長男です。 姉が一人いますが私が跡継ぎとして育てられました。 子供の頃に跡を継ぐかは将来考えると親に言ったら叱られたのが衝撃で、以来、自分が必ず寺を継ぐものと思って生きてきました。 祖父も父親も僧侶として素晴らしいと思った事もなく、僧侶資格を取る為の過程で出会った講師の方達の話もポジショントークばかりの様に感じて僧侶に良い印象はありませんでしたが、経典や宗祖の残した言葉は興味深い部分もありましたし、継ぐ事で世話になった親の肩の荷を下ろしてあげられて、檀家さんの役に立つなら継ぐのも悪くないと納得していました。 しかし私が結婚してから、私達夫婦は寺と仕事を両立する為に両親とは異なる生活の仕方を計画している事を話すと、両親は話し合うまでもなく「寺をやる気がないのか」「そんなに寺を軽視していたのか」等と不快感を示しました。私達は詳しく説明して、話も聞かず頭ごなしに否定するのはおかしいと両親に抗議すると「お前達の考えを知らなかっただけ。自分達の態度は悪くない」と、話し合いもせず不快感をぶつけた自分達の失礼な態度を認めません。 両親は私が成人しても寺について何の話し合いもしませんでしたが、両親は私達が両親の気持ちを察して両親の思い通りに暮らすものと勝手に信じていたようです。 挙句の果てに私が跡取りである事や両親の寺のやり方は「祖父が決めた事であって自分達に責任はない」とさえ言いだしました。 もちろん私の人生選択に責任を負うのは私自身ですが、間違いなく私に影響を及ぼしてきた親なのに、恥ずかしげもなくそんな事がよく言えるなと思います。 姉は姉で結婚して家を出る時も、寺の事など気にもかけなかったくせに、両親の肩を持ち、後継ぎなら両親のやり方を踏襲するのが当たり前だと私達を責めます。 私が「貴方が私の立場なら今の時代でも両親のやり方を黙って引き継ぐ事を受け入れるのか?」と聞くと姉は「自分が跡取り?意味が分からない」という様子で、姉にとって跡取りとは私以外であるはずがなく、姉が私の代わりになる事を想像するどころか、私が継ぐ事をありがたいと思った事さえなかったようです。 私は寺や家族の事を思って選択の幅を狭めてまで生きてきたのに、家族にその人生を軽く見られてなお継ぎたいとは思わなくなり跡取りは辞退したのですが、寺族の跡取りへの思いというのは一般的にこの程度なのでしょうか。

有り難し有り難し 19
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