2022/03/02与えることと奪うことについて
布施として、他者に施しを与えることは良いことだと解釈されると思いますが、この行為が、相手の自立性等を奪うという不偸盗に触れるのではないかという懸念があります。
私の妻は、精神疾患を患っております(私も患っております。)。
彼女は根幹に「他者は敵」というような意識があるようで、周りからの様々な刺激に反応してしまい、苦しんでいます。
私との関係においても、被害者・加害者の対立構造をつくり、批難をしてきます(確かに当を得た批難もありますが、多くは上記対立構造に落とし込んだうえでの批難であり、八つ当たりと思われるものも含まれます。)
このような彼女に対し、私は、「支えてあげよう」と思い、「今は勉強を頑張っているから」「今は精神的に疲弊しているから」と、家事のほとんどを私が行ったり、八つ当たりと思われるものにも耐えてきました(昔の、男が「おい」と言えば妻がお茶を持ってくるようなイメージも。)。
しかし、思えば、責め立てられたくないから、争いたくないから施すという打診的な部分もありました。
彼女の病状は良くならず、私がすることについても当たり前といった態度になり、「感謝の気持ちをもったほうが生きやすくなる」と諭しても、「そうやって家事を逆手に取るなら、やるな」という態度です。
私も疲れ、疲れた気持ちや嫌な気持ちを非公開アプリに書き込んでいたところ、それを見ては、「裏でそういう気持ちになっているなら、相談も弱音も吐けない」とのことです。
思えば、交際時より、いつの間にか、そのようなご機嫌伺いをするようになっておりました。
いつかは分ってくれると思いながら、仏教の布施を笠に着て、彼女に接した結果、実は彼女の自立の機会を奪う、不偸盗をおかしていたのではないかと思うようになりました。
どう考えればよいのか、そして、どう接していけばよいのか、ご教示いただければ幸いです。
有り難し 10
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