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検索結果: 265件

仏教における女性蔑視?はいつから?

毎度お世話になっております。 お坊さんと匿名でお話ができるというのがなかなかに楽しくてつい頻繁に利用してしまいます。 私は僧侶ではありませんが、仏教のことを、ちょこっとずつですが勉強するのが趣味なんです。この趣味がなかなか共感されないんですよ。 今回はちょっと学問的な質問を。 タイトル通りですが、仏教の教義では女性を蔑視、と言えるかどうかは分かりませんが、宗教的素質の低い存在であると見なしているということが、現在どうかはともかく、歴史上にあったことは間違いないと思います。 そのような考え方がいつから、どこから出てきたのかな?という質問です。 いわゆる初期仏教で既に宗教的素質に男女差はあったのでしょうか。 大乗仏教に入ってからなのでしょうか? 大乗からだとするとインドから? 中国から? そのあたりのことがちょっと知りたいです。 よく女性蔑視として挙げられる例として、たとえば五障とか変成男子とかいう言葉は、ウィキペディアを見る限りではお釈迦様の思想ではない、となっていますが、初期経典などに同じような考え方は全く見られないのでしょうか? 一応強調しておきますが、現在の仏教が女性差別に加担しているかどうかという話ではなく、また戒律の数や教団の違いといった現実的な差異ではなく、あくまで悟れるか悟れないのか、という宗教的な素質に関わるところの差が、どこからあったのかな? ということです。 詳しい方がいれば、ちょっとした参考でも教えてほしいです。

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仏教における障害者の立場

いつもお世話になっております。 大変に唐突な質問でございますが、 仏教の世界では、障害者、無職者はまさに「障害」、「邪なる存在」なのでしょうか? * 以前にご質問した「お寺」での非礼行為に対する苦情を申し上げたのですが、依然、一部の職員さん(お坊さんは改心してくださった模様)が、いわゆる「客を見る」ような態度で接してきます。 他の寺務さんやお坊さんたちは普通なのに、その人たちの所作を見ると、「あぁ、もしかして本当は…」 と疑心暗鬼に陥ってしまいます。お護摩の時の願意の唱和?で、 「一心祈願、就職成就~!!」 と言われたり、祈祷後の短いお話も、嫌味にしか聞こえなくなるときがあります(苦情を述べる前に、私が書いた絵馬の内容を軽く引き合いに出された事がある) ちなみに宗派は新義真言宗です(「もしも」が恐いので、詳しい宗派はあえて書きません) * 私は発達障害を持っており、その影響の為か、時折ズレた行動に出てしまいます。それでも周囲に迷惑をかけないように心がけており、 就労支援にも通っているし、手帳の取得も考えています。 なので余計悲しいです。 素敵なご縁、素晴らしい教えのおかげで私自身の生活にも光が差し始め、祈りと感謝の喜びを噛み締めている所なのに…… 真実をお教えください、よろしくお願いを申し上げます。

有り難し有り難し 31
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2023/04/23

本当の正義とはどこにありますか?

「浮気・いじめ・暴言や悪口・男(女)遊び」など私は倫理的にダメだと思っていますが、人は皆違うからこそ、この倫理観は僕だけのものだと思います。 それを他人に押し付ける行為は他者のことを尊重できていなくて、よくない行為だと思うのですが、上記の行動を見ると、どうしてもすごく不快になります。 「こんな人もいるんだな〜」や「世の中そんなもの」と割り切りづらいのです。割り切れない訳ではないですが、モヤモヤしてストレスで病気に罹ったほどです。 他者を尊重することは大事だと言いますが何を基準にどこまでを尊重とするのでしょうか? 「浮気・いじめ・暴言や悪口・男(女)遊び」 ← これらを"尊重"して許すべきなのでしょうか? 極論、人を殺めるという行動も尊重しないといけないのでしょうか?僕は倫理的に良くないと思いますし人の命を存外に扱っている行為だと思います。 ですが、これはあくまで"自分の倫理観"ですし、他人に押し付けてはよくないですよね?そこに人を殺めてはいけないなんて法律もないですし。 これを尊重と言うのなら皆本当にできるのでしょうか? 僕はどうしても許せないです。モヤモヤして気持ち悪くなります。見て見ぬふりが苦手なんです。 もし、それができたとしても他人に無関心で冷たい世界が作られると思います。 "倫理観"を基準に尊重しても、そんなものは互いに違いますし、それを振り翳した殴り合いが始まりますよね。 本当の正義とはどこにあるのですか?それとも、そんなものは無いのでしょうか? 見方を変えれば全ての物事が善でもあり悪でもあるのでしょうか?

有り難し有り難し 24
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心のありどころ

すみません、文章をまとめるのが苦手なのと、心の整理が付いていないので、文章がぐちゃぐちゃになるかもしれません。 私は、幼いころからいじめにあってきました、そのためか疲れたりすると自傷感情があふれ出てしまいます。 学生時代に窓か飛び出して頭から庭石にだいぶしたいと思ったこともありました。 仕事で失敗した帰り道川沿いの道を通りながらハンドルを川の方に回せば川に落下できるなと思ったこともあります。 幸い友だちや両親の顔そして、いつか素敵な人と出会えるかもしれないと思って思いとどまってきましたし、リストカットにも走らないで押さえてきました。 そして、こんな思いをする子どもを一人でもを少なくしたいと思い、ボランティア活動をしておりました。 親御さんから「ありがとう」と言われるといじめられて冷たい言葉が多かった反動か、うれしくなるのですが。 その反面自分がいじめられていた時にボランティアさんに会いたかったと言う願望を自分がやることで心を埋めている自分気が付きます。 さてこうしていると、人のためにがんば幸せを感じる一方で、時として、自分自身が救済されたい願望が心の中で暴れだします。 他の人が笑顔になって幸せを感じているはずなのに、私自身が甘えて励ましてほしいと思うことが出てきてしまいます。 いじめられていたころ、いつの日か恋をするかもしれないと自分を励まして来たけど、恋など夢また夢と言う状況も拍車をかけている気がします この気持ちをどのように受け入れていけばいいでしょうか

有り難し有り難し 22
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仏教の理解と学び方

初めて、お便りさせて頂きます。 最近、仏教の教えを知り教えを学ぼうと考えています。 現状の仏教の理解や考え方の方向性が正しいのか確認をさせて 下さい。 現在、深刻な悩みはなく本件のご相談は、急ぎではありません ので悩みごとのご相談の皆様を優先させて下さい。 ■現状の理解内容(超要約して記載します) 1)仏教の目的:涅槃(解脱)に至ること。幸せを説くこと。 2)涅槃(解脱)への到達の方法として「四聖諦」があり、日々の  実践として「八正道」がある。 3)最初に苦諦の理解の為に、無常・無我、因縁を理解することが必要  以下は、私の解釈した定義です。  無常:この世の全ては移り変わるもの  無我:全ては繋がりの中で変化している現象である  因縁:原因+条件(環境等)があって結果がある 4)今後の方向性(考え方や実践内容)について ・目的:   日々の生活や仕事で、怒りなく、平穏で周りの役立つ人生を送る ・行動や思考の指針  日常生活では、八正道、慈悲喜捨、五戒などを意識し、正しい判断  基準で行動する。 ・貪瞋痴に支配されない為の手段として、ヴィパッサナー冥想があり  今の瞬間に気付けるようにする。これにより、無常・無我、因縁が  頭でなく、身体で理解(体験・体感)できるようになる。  常に、今の瞬間の自分に気付くようにし、正見・正念・正定の向上  を図ることにより、煩悩が湧いてこないようにする。 以上の認識や方向性で、大きな誤りや重大な認識漏れがないか、 ご指導を頂けましたら幸いです。

有り難し有り難し 28
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やっとこれだと思うことに出会えたのにそれに打ち込めない自分

こんにちは。何度かここで質問をさせていただいています。今回もよろしくお願いします。 今私は大学院生です。学部時代よりこれと思うものに出会えず(正確にはのちに言う通り出会っていたのですが、この時は専門性の違いから諦めていました)、しかし勉強することはそこそこ好きだったため、昨年の4月に大学院に進学しました。しかし、そこで好きだと思っていた学問と自らの本当の興味関心との距離を自覚し、それが時が経つにつれますます離れてしまい、つい先日パニックを起こしてしまいました。その結果、今期末で退学し、学部時代より考えていたものの、諦めていた専門職の公務員の進路に舵きりをしました。 ですから、本当はやっと学部時代より考えていた進路に修正したのだから、全力で打ち込めるはずなんですが、どうも勉強しようとすると”絶対に無理だ、終わるわけがない、時間がない、そもそもお前は本当にこれが好きなのか?”という心のネガティブな波に飲まれて逃避してしまいます。ちょうど前の質問をした時、つまり卒論を書いている時の状態とよく似ており、無理だ無理だという思いが先行して手がつかない、教科書を見ると圧倒される、頭に入ってこない、集中できないという状態が続いています。このままでは合格は難しいだろうと思い、余計に焦りが募ります。 大変都合が良いように思いますが、こういった状態を打開できるような教えやアドバイスはありますか。焦りと不安だけが先回りして、取り組むべきものに取り組めていないのが辛いです。回答よろしくお願いします。

有り難し有り難し 21
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2023/07/04

夫へのモラハラをやめたい

現在2歳の子供と夫の3人暮らしをしています。 日常生活で、感情をコントロールすることがとても難しく、夫に感情的な発言をして責めてしまったり傷つけてしまうことがとても多いです。 しかし、本当は冷静に話し合ったり、子供のためにも良くないと思い、仲良く過ごしたいと思っています。 夫はそんな私との生活で、家の中では常に気を張り、私との会話はとても気を使い、自分の意見も言えず、最近ではうつ状態に近い様子も見受けられます。 夫には本当に申し訳なく、つらく、自分から解放されてほしいと思っています。 夫は私のことを愛していて、大事だけど、感情的になっている時は一緒にいるのが辛い、冷静に会話ができる状態なら一緒にいたいと言われています。 私は昔から、付き合う人と健全な関係を築けたことがありません。 それは、両親との幼少期の関係(しつけと称した暴力や過干渉など)が起因していると思っています。 ただ、現在の自分がどのように感情をコントロールすればよいのかがわかりません。夫の悪意のない普通の発言に、イラッとしたり、責められていると感じ、感情が爆発してしまいます。 私も夫も、可能であれば関係を続けてきたいと思っています。ただ、夫がこのまま潰れてしまうのであれば、子供のこともありますが、夫に自分から離れて本来の自分を取り戻してほしいと思っています。 まずは、どうすれば私自身が感情をコントロールできるようになるのか。(アンガーマネジメントは効果がなかったです) また、夫が現在の状態を緩和するには、どうすればよいのか。ご教授いただければとおもいます。

有り難し有り難し 6
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解脱って怖い?

昨今の陰鬱とした情勢の中、多忙を極められておられるであろう僧侶の方にご相談をさせて頂けることに感謝いたします。 私は、宗教や哲学などの学問に興味があるのですが、仏教における「解脱」という考え方に一抹の不安を覚えています。 といいますのも、この概念は様々なしがらみから解き放たれ、心が安らぐという点で素晴らしいと思う一方で、考えようによっては自己研鑽や他者との競争といったものを一蹴し、様々な枠組みを冷めた目線で見る無情で腰の引けた概念にも捉えられるのではないか、と思っているからです。 例えば、世俗では結婚を是、独身を非とする意見を度々耳にするのですが、私自身は伴侶の有無だけで人の貴賎が決まることはない、もっと言えば、そんな二項対立などで張り合いしないで平和の範疇で気楽に生きればいいのにと思っています。 ところが、ある時似たような意見を呟いた方が、ネット上で「生存競争についていけなかった腰抜けの負け惜しみ」、「生命や家族の尊さが分からない薄情者の言い草」といった罵倒を浴びせられているのを見て、この意見は既婚者の方や婚活を本気で行っている方に対して無自覚の批判や無粋な発言になり得ると悟らされたことがあります。 私自身は、特定の誰かを見下そうという気は全くないのですが、多くの人は何かと甲乙つけたがるものらしく、今に至るまで自身の本心が話せず度々肩身の狭い思いをしています。 そして、私が何より恐れているのは、この考え方を極限まで突き詰めた結果、今回の相談含め、全ての悩みについて「んなもんどうでもいいから腹でも切ってさっさと涅槃においでなさい」と強引に押し切られることです。こうなると最早立つ瀬がありません。 ただ、一つ思う所があるのは、「救世を考えるお釈迦様や僧侶の方々がそんな本末転倒な事言う?」ということです。 思えばこれまでハスノハでお世話になった方々からそんな極端なコメントを頂いたことは全くないですし、私が浅学の身で解脱という概念を持ち上げる余り甚だしい見当違いをしているとも思われます。 長々と語らせて頂き申し訳ないですが、私の悩みはこんな感じです。 今一度断っておきますが、私はこの概念を弱さの言い訳や他人を足蹴にする詭弁に使うつもりは毛頭ないです。 そのことを踏まえて、本職の方に解脱という概念について忌憚なきご意見をお聞きしたいと思う次第です。

有り難し有り難し 6
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ヘイトスピーチが辛いです

私はゲイです。 それゆえに、ヘイトスピーチの攻撃対象にされます。 またご縁があって、複数の在日外国人の友人、顔見知り、同僚がいます。 彼らも聞くに堪えないヘイトに晒されています。 外国人へのヘイトも不愉快ですが、ゲイである私はLGBTがヘイトされると、自分のことなので、その数十倍不愉快です。 なので、LGBT以上にヘイトに晒されている彼らに感情移入してしまい、ひどく不愉快になります。 昔は、「嫌なら見るな」で何とかなったのですが、最近はツイッターを見てもSNSを見ても、ヘイトだらけです。仏教書を買うために本屋に行っても、店頭にひどい本が並んでいます。 政治とは無関係の趣味のサイトですら、「何でこんなところでまで?」とヘイトを見せられることも、しばしばです。 「私たちが一体あなたに何をしたと言うのですか?」と言いたいほど、酷い言葉もぶつけられました。 とても引用できない下品な罵倒もしょっちゅうです。 しばしば彼らと議論もしましたが、彼らをますます怒らせて、憎悪を深めただけでした。 喧嘩腰にならないように注意しながら、フォローを入れながら誤解をとこうとしましたが、まったくの徒労に終わりました。 議論をしても、かえってヘイトを増幅させるだけでは? と最近思うようになりました。 友人には「あいつらに俺達の気持ちなんて永遠に分からない。関わっても傷付けられるだけだ、ほっとけ!」と言う人もいます。 また虹色の旗を振りながら、「根気よく理解を求める」と言う友人もいます。 私はと言いますと、ネットの議論は時間の無駄と考え、我慢するようにしています。 でもたまに我慢できなくなって、つい反論や説得を試みてしまうこともあります。そのたびに酷い言葉をぶつけられ、落ち込みます。 ぼく達マイノリティは、ヘイトにどう対処すべきなのでしょうか? 長年の悩みです。 

有り難し有り難し 30
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