死後の世界についてお聞きしたいです。私は、障害基礎年金と言う補助金のようなものをもらっています。そこで悩みが、出ました。国から何の見返りも無く国民の血税をふところに入れてそのお金を自分の好きなように使うこんなことをやって入れば今は確かに良くても死んだ後に 閻魔様が登場してお前は血税をむしり取って好き勝手やったから三悪道に落とすって言われたり 来世と言うものがあったら今世のバチが当たって艱難辛苦ばかりの人生になるのかなとか そんなことが、頭をよぎるようになりました。しかし現実問題障害基礎年金がなければ食べていけないのも事実なのです。この悩みを仏教においては、どう考えますか?
4月2日に大好きなおばあちゃんが亡くなりました。 4日に告別式を行い、小さくなったおばあちゃんとまだ墓に入れていない(墓がない)おじいちゃんが仏壇の所にいます。 好きだったものを供えたり、毎日声かけして、手をあわせたりしているのですがつい最近、四十九日までは線香や蝋燭を絶やさないことに気づきました。 今からやりはじめているのですが大丈夫なのでしょうか… ちなみにおじいちゃん、おばあちゃんは真宗大谷派です。 これから四十九日になるまで私は何をしたらいいかも分かりません。 何かアドバイスややったことがいいよっていうことがあれば教えてください。 少しでもおじいちゃんとおばあちゃんが幸せになることを祈っています。
どうしても苦しくなってきました。 実は前回の質問に、答えてくださったお坊さまに、まだお礼を書いていません。私なりの最善のお礼を書く前に、我慢できない苦しみがきてしまいました。前回の質問のお礼、どうか待ってくださいますか。お叱りも覚悟の上です。 何度も書きましたが、私は虐待を史上の悦びとする父親と、それを傍観し、一切助けずこれ幸いと自分も虐待する母親に育ちました。虐待する親と、虐待される子供、本来責められるべきなのはどちらか。ガツンと怒られるべきは虐待する親なのでは?しかし私は親戚からも永遠の責めを受けました。 今回は母方の祖母についてです。祖母はうちで起きていることを知っていました。孫が暴力暴言、戦場の中で生きていることは生まれた時から、事細かに知っていました。祖母の家で、父親が一歳の私をお風呂に閉じ込めましたから。 しかし祖母は助けたことはありません。要するに、母親と同じです。親戚一同見て見ぬ振りです。私は鹿児島に連れてこられると、必死に訴えました。父親にも母親にも虐待されていることを。祖母は繰り返しました。「仕方ないの」「しょうがない」「どうしようもないんだ」「食べさせてもらってるんだから」。 そして孫を、平然と関東へ見送ります。 しばらく祖母がしたことになんの疑問も持ちませんでした。しかしある日突然怒りはやってきました。 親が、子どもに暴力をふるうこと、子どもがひたすら虐待されることの何が「仕方な」くて「しょうがな」くて「どうしようもない」ことか?! 祖母は救える立場にいました。とても裕福でした。食べさせてもらっていると、親は子どもに何してもよい法律でもあるんですか?食べ物をやっていれば暴力しほうだいで、子どもはそれに感謝しろと?冗談じゃない!祖母も、親戚も、私を責めて責めて責めて、父親の共犯者だ、やつらは犯罪者だ!と激昂しました。 祖母は私を全く助けず、今も見て見ぬ振りです。 しかし祖母は誕生日に欠かさず手紙と、バースデーカードと、お金を送ってくれます。綺麗な文字で、可愛い手紙で。お祝いのお金は入れる封筒は全て手作りで、いつも美しい装丁に包まれています。私は何年も連絡をとっていません。しかし、全く連絡をよこさない孫に、毎年毎年お祝いを、おくる祖母の気持ちを考えたとき、私は胸がつぶれそうです。私は祖母を許すべきですか。会うべきですか、話すべきですか。
率直な意見が聞きたいです。 わたしは現在23歳で、生い立ちを簡単に説明します。元々兄弟や親戚は全くいない状態で、幼い頃から両親の虐待、いじめ、父親に捨てられてから母子家庭、父親と離婚した理由をわたしのせいにする母。その後の生活も母親の言葉の暴力や生活的支配【極端に厳しい門限や私の意見や行動の否定的発言】が続いた状態です。 そんな中私が大学に進学し1年目、母が癌で亡くなりました。わたしは天涯孤独になりました。その時の感情はあまり覚えていませんが、幸せになるために生きようという前向きな気持ちだったことは確かです。母の死後学費や生活費をアルバイト掛け持ちや奨学金で賄い、無事に大学を卒業。その後新卒で正社員として働き出しました。ですがここまでの過程で私の人生がおかしくなります。大学当時一回り年上の彼氏がいました。その人とは半年ほどお付き合いしていましたが、経済的価値観などが合わずお別れしました。お別れしたのが社会人になる2ヶ月前です。別れを告げたのは私の方なのに、別れた後パニック障害と鬱になり、生きる気力を失っていました。簡単に表現すると肉体は生きているのに心が死んでいました。その時心療内科に通院し、なんとか四月から働き出すことができました。しかし働いた会社が外れで、さらに精神的負荷がかかり、入社5ヶ月目で突発性難聴になり現在休職中です。社会人になり、朝から晩まで働いて最低限の収入を得る。この無意味な生活をこの先もずっと続けていくのかと思うと気が狂いそうになり、正直復帰するどころかもう死んだ方が楽だなって思います。というのも別に働くことだけが辛いのではなく、ただでさえこの若さで天涯孤独だの精神疾患だの普通の人にはあまりない状況に置かれてる中で健常者の中に混ざって生きていくことにもう疲れました。なんのために生きてるのかもわからないし、鬱の薬飲んでもイマイチ気持ちが晴れないし、希死念慮が強いため入院も勧められこんな現実。正直もうみたくない。皆さまがわたしの立場ならどうしてますか?意見聞かせてください。
六道輪廻では、ヒトと動物を明確にカテゴライズする立場があるかと思います。(あくまで大雑把な区切り、とする見解があることは知っております) 遺伝子工学(ヒトの遺伝子を含んだブタの誕生、デザイナーズベイビーなどの事例)やペット葬儀が発達する昨今、葬儀をすべき生命としなくてもよい生命の区切りを、どのようにお考えでしょうか? もしその区切りが恣意的なものであれば、無縁仏は困るから供養してくれ!みたいな話は一体なんだったのでしょうか?というか、過去の葬儀文化そのものが、疑わしく思えてしまいます。 まさに諸行無常や諸法無我を見える化するような技術が、更に発展していく見通しです。仏教界は死刑制度などの発信にも慎重なようですが、個人的には今こそ仏教の出番だと思います。 https://www.google.com/amp/s/www.kyoto-np.co.jp/articles/amp/149140 そのあたりは、どんな状況になっているのでしょうか?宗派ごとの見解というより、お坊さん個人ごとの発信ばかりを目にします。組織的な働きかけを期待して待つのは、間違っているのでしょうか? よろしくお願い致します。
この世で生きていくのは修行だと聞きましたが、天国へ行くには、どのような生き方をすれば良いのでしょうか。 人にはそれぞれ、良い部分や悪い部分があって、完璧な人など存在しないと思います。 考え方も様々で、気の合う人や合わない人がいて、人間関係は決して簡単ではないです。 でも最終的に自分のためになるなら、あらゆる努力をしたいと思います。 そもそも、この考え方からして、いけない事かもしれませんが… 人間関係だけでなく、生活の仕方、心の持ち方など、アドバイスをいただけると有り難いたいです。 どうぞよろしくお願い致します。 幼稚な質問で申し訳ありません。
大きな悪行でなくても良くないこともやってきました。そんな人間でも仏様の前に行き全ての今までの悪い行いを話し悔い改め仏様の前で祈ることは許されるでしょうか? このくらいはいいだろうと思うような悪い行いも今思えばどんなに小さなことだろうと良くないと思うようになりました。仏様の前に行くことは許されるでしょうか?
あの手この手で人を陥れよう騙そうとする罠が張り巡らされているこの世の中、気を付けてはいてもいつの間にか絡めとられていた、ということはまぁありますね。 利用されることが解っていても敢えて、なんてことも。 気持ちの整理としては「利用された」と自分が解釈しないのであれば、されていないのと同じとよく言われます。 とはいえ、利用する側がこの解釈を更に利用し平然としている混濁ぶりがなんともまた。 前置きが長くなりましたが、お釈迦さまは悪意により利用されたことがあったのかなと気になりました。 仏教ではこのように餌食になることをどのように説くのでしょうか。 よろしくお願いします。
とある霊能者絡みのお話の漫画を見てたら ある登場人物の一人に対して「優しすぎて鬼に心を食われた」と別の登場人物がその人物のことを語る台詞が出てきました。 表現がとても面白かったので気になりましたが、この鬼に心を食われるとはどうしてそうなるのですか? また、鬼に心を食われたら人はどうなるのでしょうか? 二度と人間に戻れないのでしょうか?
明日以降に電話がかかってきます。 借りるつもりはさらさりなくて、間違えてしてしまいました。 前の職場の番号を教えてしまったかもしれなくて家の住所も教えたかもしれません。 しつこく電話がかかってきて強く断っても他にも悪影響がないか心配です…… 内容としては激甘な審査をする金融を紹介するサイトでそのサイトに登録したんです。 その電話をする相手が審査の甘い融資を紹介してくれる前向きなごく一部の人間が電話をかけてきて、かける理由は本当に返すのか、信用していいのかという人間性を見る物でした。 借金は正直ありますが借りる気はありません。自力で返済をしたいので。 明日以降電話が来ても強く断りたいです。どのように言うべきですか? 周りにこれ以上は迷惑はかけれないんで、しっかりと断れる方法を教えてください。 口座は教えてません。 この相談を知恵袋で聞いたら登録したら承知なのでしつこく迫ると言われました。 登録はしましたが目処がつきましたと強く言うべきでしょうか?
転職して三年です。 今の職場の人間関係に馴染めません 自分だけが浮いているような感じで、職場の同僚から仕事が遅い、段取りが悪いなど注意をさます。 自分の為に言ってくれてるとは十分 分かっているのですが、言い方がキツいので、つい反感の気持ちになりますし、自分の中で一生懸命やってるつもりなので、言い返したい気持ちはありますが、言っても仕方ない これ以上、職場の立場を悪くしたくないと思うと言い返せません。 他の仕事に転職しようかと悩んでますが、転職先が見つかるか?とか、逃げても同じ悩みは付いて回るだろうな と思うと 転職にも前向きになれず悩んでます
昔から他に優しくするためにはまず自分が幸せになってから自分の器を満たしその溢れだした分を他に分け与えることで本当の意味で世のため人のためという流れになると言われ続けていますが、最近この事に関して疑問を持つようになりました。 私の経験で申し訳ないのですが私自身、障害を抱えて生きてきて数多くのイジメ、虐待、差別等様々な困難な経験をしてきました。これらの事から今も自殺企図やフラッシュバックは消えませんが、その事は置いといて、この様な人生から客観的に見たときに私の人生の幸福度の質や量は他の方の人生と比べたら低いのではないかと思っております。然しながら私はこの様な経験をしてきたからこそ同じ様な障害や苦しみを持っている人の為に何か出来ないかと考え、時には行動するようにもなっています。 この事から器を満たし溢れた分を利他心に回すのではなく、出来ていない私が言うのもおかしなことですがそもそも自己を満たす器と他をおもいやる器は別物であり双方をバランスよく満たしていく事が重要であるのではと考えています。 もし、この仮説が正しいとするのならば上記の様な考え方が広まってしまうとそもそも自分の器を満たすことしか考えない人が出てきてしまったり増えてしまったりするのではないでしょうか? 長文申し訳ございません汗 本当にふらっと思いついただけなので時間があるときに気軽にお答え頂ければと思います。 自分の質問は緊急性の低い質問だと思われますので他の方で緊急性の高い方の質問が御座いましたら其方の方の質問の回答をお願いいたします。 あと、もし不快な書き方や文章が御座いましたら申し訳ございません。
つい先日、闘病中でした義父が残念な事に亡くなりました。とても辛い闘病だったと思います。本当によくがんばりました。生き抜いてくれました。私の子供達には初めての人間の死の姿でした。義父が身をもって人間の死を勉強させてくれたのだと感謝しきれない思いでございます。 そして、先週の金曜日に初七日を迎え、ふと初七日頃からはあの世ではどうなるのだろうと思い調べてみました。そこには、初七日で最初の修行が伝えられ(三途の川云々と)そこから7日毎に修行が与えられると書いておりました。 確か私が記憶していたのは、この世が実は修行だという事でした。欲のあるこの世の中でたくさん修行し、そして修行が終わり、あの世に行くと。 なので、義父が亡くなった時には「お義父さん、この世の修行大変お疲れ様でした。あの世で楽しく暮らしていただきたいです」とお送りしたのですが… あの世も修行、この世も修行なのでしょうか? どちらにせよ、優しかったお義父さんが病気の苦しみから開放され、お元気にあの世に逝かれたと信じたい思いです。 よろしくお願い致します。
義両親に対して我慢の限界です。 主人に文句を言ったら 「めんどくさい」「いつまで根に持ってるの?」と。 一時期、精神的に追い詰められ 「私が死んで息子を守る」とまで考えてました… 舅に「産まれてもすぐ死ぬ」と子供の名付けの時に言われたのが原因です。 息子が生後1ヶ月で痙攣を起こし入院…… 生死をさ迷ってましたがなんとか意識を取り戻してくれました。 私には舅に言われた言葉が呪いのように感じています。 息子はもしかしたら後遺症が残るかもしれません。 また何かあったら「名前のせいかな?」と不安になってしまうかも… また姑は障がい者を見下したりします。 なので息子に後遺症があったら何か言ってくるかも、と不安になったり。 「障がい者になっちゃう」とか普通に言ってきます。 妊娠中~産後まで色々ありすぎて疲れてしまいました。 義両親に会わないといけないだけで吐き気がしたり、お腹を下したり… 義両親からしたら「嫁は来なくていい」みたいですが 乳児にビール飲んだコップで緑茶を飲ませようとしたり、 アレルギーは無視、思い通りにならなければ子供に暴言をはくので こわくて私も監視役として行かなければなりません。 私には過去にされた事を忘れて義両親とうまくやることは出来ません。 男女の考え方の違いかもしれませんが… ただその場に居るだけで限界です。 先日嫁同士愚痴っていたら義兄夫婦がそれが原因で喧嘩をし愚痴の内容を義両親に言ったそうです。 義両親が嫁の悪口をこう言ってる、と義兄嫁と愚痴ってました。 義両親は言ってないと言い張り、全てを私の主人のせいにしてきました。 おかげで主人と義兄も喧嘩をしそのままです。 義両親は結局何がしたいのかわかりませんが、私達や義兄夫婦は喧嘩が増えて兄弟の仲も悪くなり…… 目茶苦茶にしておいて、正月の集まりには顔を出せと言ってきました。 正月行かないと主人が私が実家に帰るのも親に会うのも嫌な顔をされます。 どうしたら耐えれますか? 授乳もある、と言ったら雪が降る地域ですが車の中でしたら?と言われるような扱いを受けています。私も息子も風邪気味で息子はやっと熱が下がったばかり。 嫁だからこのような扱いを受けるんでしょうか? そろそろ我慢の限界で言い返してもいいですかね…? 正月が憂鬱です。
うちは祖母の代から、日蓮宗系の宗教を信仰しています。 私は、進学で家を出てから20年近くその宗教と離れられることができて清々していました。 親も、私が宗教をあまり好きでないのを理解してくれて無理に戻そうとはしていませんでした。 ところが最近、いろいろな不幸や商売がうまくいかないことに対し 宗教側から「家族みんなで信心しないから良くならないんだ」と言われたようで 私もこちらにある支店?を利用して宗教に通うようにと、親に言われました。 通うことはできるよ、と答えたところ 「そんなんじゃダメだ、心から信じてやらないと」と親からは言われ 正直、どうしようもない気持ちです。 (生活に困っていることを宗教に相談する時点で、まともな答えは帰ってこないと思うのですが) ちなみに、親の生活安定のために去年から数万円仕送りを始めました。 こんなことになる前に、もっと気にかけてケアすべきだったと後悔です。 切羽詰まってる親を刺激したくない気持ちと 信じてもいない宗教のために時間を費やしたくないのと 嫌なことを我慢しなきゃいけないストレスで気が重いです。 親に宗教に誘われている(入れと言われている)場合 どう対応すればいいでしょうか。 親との関係は悪化させたくないけど、宗教に通いたくはないです。 こんなに宗教に傾倒しないように もっとコミュニケーション取っておけばよかった…とほんとに後悔しています。 一方で、できれば30代でこんな気苦労させないでくれ…と思うのは、さすがに冷たいのでしょうか。
コロナ禍で、価値観の違いが露わになりしんどいです。 我が家には5歳と1歳の子供がおり、なによりも子供を守る為に気をつけなければと実家にも2年弱帰らず、友達との集まりや自分の行きたい事、やりたい事を我慢している日々です。 しかし旦那は違います。連休に地方の地元まで行き友達と飲み会、泊まり。ゴルフやギャンブルにも行きます。多分未だに風俗も時々利用しているのではと思っています…。 この1年半の間にもう何度も話し合いぶつかりましたが、疲れました。いつまでも独身気分で父親の自覚がないと思います。 もし、コロナになって私や子供達にうつったら怖くない?など言っても、仕事に行くにはリスクを伴うんだと言ってきます。 私も、もうこんな事態なので本当に仕事関係で感染したならしょうがないと思うのですが、飲み会や帰省、遊びは如何なものかと思いますが、価値観が違い(旦那は自粛していたら何もできないし何を生きがいにして働いているんだと言っています)辛いです。 コロナ離婚という言葉があるのも納得しますが、子供の事を考えるとまだ離婚には踏み切れません。 コロナ禍でこうした価値観の違いが夫婦であり、旦那は私に不満を持っている事でしょう。 どうしたら楽になりますでしょうか…。考え方や心持ち、アドバイスなどして頂きたいです。
こんにちは。 29歳、医療職の女です。 いつからか、タイトルのように『生きることをやめたい』と思うようになりました。ですが、自分の命を経つ一歩が踏み出せずここにいます。 とても恵まれた環境にいることは自覚しています。家族からも愛され、幸いにして友人や恋人と呼べる関係の人もいます。楽しいと感じることもたくさんあるし、幸せを噛み締めることもあります。 ですが、その楽しさや幸せを感じているときでも「死にたいか?」と問われれば「はい」と答えられます。死ねば周りの人が悲しむことも想像できます。それでも、もう生きていたくないのです。 なぜか。 自問自答すると、結局 自分のことを好きになれない 自分が無価値だと感じている ことが根底にあるように思います。 冒頭に申しましたように、医療をかじっているので、この自己肯定感の低さをどうにか変えれば良いのだろうということはわかります。 でも変えられないのです。変えてまで生き続ける理由も価値も自分にはないと考えています。だからずっと“生きていたくない”と思いながら毎日生きています。事故や事件に巻き込まれて死ねないかな。このまま寝て目が覚めなければいいのに。 ただでさえ、死ぬことすらできない自分が嫌いなのに、自分の失敗を酷く嫌い、ストレス耐性の低い私は、ちょっと嫌なことがあるとさらに自分のことが嫌いになります。 そんな精神状態で人を励ましたりケアしたり指導したりする仕事もつらい。 こんな気持ちを抱えながら生き続けるのがつらくてたまりません。このつらい気持ちから逃げたくてたまりません。 理由なく生き続けるには無価値過ぎる自分は、どうすればいいのでしょう(生きるのに目的や理由が必要とは思っていませんが…)。この気持ちにどう折り合いをつければ良いのでしょう。 むしろなぜ皆さんは生きていられるのですか?死にたいと考えることはないのですか? とりとめのない内容ですみません。 死ぬ勇気はないので、当分自ら死ぬことはないと思いますが「死にたい」「自分など死んでしまえ」「なぜ死ねないんだ」と言いながら泣く日々が少しでも楽になればと思い相談させていただきました。 よろしくお願いいたします。
自分はバイト繋ぎでしかも長く続かず、結婚も出来ず(まあ結婚は半ば望んでいませんが)人生も後半に差し掛かり何事も上手くいきません。 一方で自分の夢を全て叶え、結婚も出産もし幸せな家庭を築きながら好きな仕事をしている人が身近にいます。 こんなに身近なのに、身近でなくともこの差は何なのでしょう。私とてそんなに努力していない訳でもないはずなのです。 何事も上手くいく人と比べてしまってひどく憂鬱でしばらく立ち直れそうにありません。 どんな風に考えればよいのでしょうか。
以前、こちらで過去におかしてしまった不倫について後悔していると相談したものです。 育児ノイローゼからの現実逃避で犯してしまった罪ですが、だんだんとノイローゼが治ってきてから以前の自分に戻って行き、過去のじぶんのしたことがとても許せず、自分が気持ち悪い、汚れていると思ってしまいます。 今は主人から過去のことは2人で前を向いて行こうと言われてなんとか毎日家族のために生きています。主人は浮気の深いところの詳細を知りませんし、たぶん知ったら怒り狂ってたかもしれませんが、あれから何も聞かれもしないので話していません。 わたしはぜったいに二度と家族を裏切らないと決めていて、墓場まで持って行くって気持ちです。 こちらで相談した時に、二度と同じ過ちを犯さないと心に決め、あまり自分を卑下しすぎないようにと言われました。 最近、ほんとうに私なんかが許されるのだろうかと(家族には許されているのに)どうしてもそう考えてしまって心から笑えません。 この先どういう心持ちで生きていけばいいのか。 和尚様は過去のことは水に流して能天気に幸せになってくださいとおっしゃってくださいましたが、本当に能天気に幸せになっていいのでしょうか、、 もちろん反省はずっとしていますし、そのことを忘れるつもりはありません。 因果応報があるならば、今この罪悪感で苦しんでいることがまさに自分に返ってきているなと思います。 また自分の子供たちが将来悪い人につかまらず幸せな人生を歩むようにするには、まだ間に合うでしょうか?
こんにちは。悩みがあり、お言葉を頂きたく、相談させていただきます。 先日、主人の友人(Aさん)が自死しました。まだ2週間くらいです。 もう4年くらい連絡をとっていなかったそうですが、主人の落ち込みは相当なものです。病気で身近な人を亡くしても辛いので、その悲しみは理解出来るつもりです。 しかし、それからは毎日のようにAさんのお宅を訪ねています。休日などは夕方~深夜まで帰って来ません。 Aさんのお宅には、奥様、お子さん、Aさんのお父様がいらっしゃいます。また、お墓が近くにあるにも関わらず、お骨も置いてあるそうです。 突然そのようになって、奥様や主人の悲しみは計りしれません。また、そうせざるを得なかったAさんの苦しみも計りしれません。 それは分かっているのですが、「そのようなことがあったお宅」に「お骨がまだある状態」で度々訪問するのが、気持ち悪く感じてしまいます。 そこで聞きたいことは、 49日過ぎていない状態で、(一部の宗派を除き、まだ霊的な存在と言われる状態で)何か悪いことがあるのではないか。 お清めの塩はどのようにするのが効果的なのか。 お坊さんから見て、自然死(老衰、病気など)と自死の違いは何か。 私は主人にどう声をかけ、どのように接するのが最良なのか。 の4つです。ちなみに私はAさんと奥様とは面識がありません。 長くなって申し訳ありません。お考えをお聞かせ頂ければ幸いです。