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検索結果: 1121件
2022/02/27

いつか来るかもしれない戦争が怖いです

最近、プーチン政権とウクライナの戦争の話をよく見かけますが、その中で、次は日本ではないかという意見を目にして、それ以来戦争のことが頭から離れません。 もちろん戦争というのはとても恐ろしくて怖いものであるのは周知の事実だと思います。 ですが、数日前にその意見を見てから、 「いつ日本に攻めてくるんだろう」 「自分はあと何回朝を迎えられるんだろう」 「島国で逃げ場もない中、どこに逃げたら生き延びられるんだろう」 という考えが、ずっと頭の中にこびり付いて離れなくて、ここ数日ずっと不安と緊張で気持ち悪い状態が続いています。 両親の顔を見る度に、「自分はあと何回両親と話せるんだろう」と考えて泣いてしまったり、夜も熟睡出来ず、何度も目が覚めるようになりました。 戦争が恐ろしすぎて、戦争で死ぬのとコロナで死ぬの、どちらの方が苦しくないんだろう、と考えたり、今目の前の線路や道路に飛び込んで死んだら、日本で戦争が起きたということも知らないうちに死ねるのかな、戦争が起きる前に死んでしまった方がつらくないんじゃないか、と、死を考えることが怖いあまり、逆に死んでしまいたいという矛盾した考えを抱いてしまいます。 不安でネットで色々調べてしまうから、自分自身で余計に不安を煽っていることは理解しているのですが、最新の情報を常にチェックしておかないと、いざ戦争が起きた時に出遅れて死ぬのでは、と思ってしまい、寝ている時と仕事の時以外は常に色々調べてしまいます。 解決方法がある問題ではないのですが、少しでも気持ちを楽にしたいです。 私の周りにいる人達からは、考えてもいないのか、あえて話題にするのを避けているのか分かりませんが、全くそういった話を聞かないので相談することも出来ず、こちらでご相談させて頂きました。 こういった、解決方法のない問題に対しての不安を和らげる考え方などがございましたら、教えて頂けますと大変ありがたく存じます。

有り難し有り難し 54
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死についてのさまざま

先日、祖父を亡くしました。半年前には祖母を亡くしました。 2人とも僕にとても尽くしてくれて、人間としても素晴らしい方々でした。 祖父の最後は僕のために洗ってくれたお風呂の中でした。少し発見が遅れてしまい、1人にさせてしまったことが今でも悔しいです。 祖父が使って、洗うために台所に置いてあった食器を供養の気持ちを込めて洗っていた時に、ふと、もうこの食器を使っている姿を見れないんだなと思う気持ちと、生前に食器を使っていた場面が鮮明に思い出されて、保っていた涙腺が崩壊してしまいました。 その後もただ、祖父母のいなくなった部屋を呆然と眺めているだけで、喪失感、自分と2人との部屋での日々を思い出し、涙が出ます。 祖父は祖母が亡くなったのとほぼ同時に進行したがんの発見や老いによる身体の不自由。さらに仕事という生きがいを無くし、僕たちに生活の迷惑をかけていると思っていることや祖母の死になにもできなかったと悔やむ姿。とても辛そうでした。 亡くなってしまったことはとても残念ですが、夫婦一緒に納骨できること、辛そうな祖父が解放されたような気がして、これでよかったのかもしれないと。こう思ってしまう、僕は間違っているでしょうか? そして、祖父母を亡くしたことで自分や家族、友人、大切な人が次にまた無事に会えるのか毎日怖くなってしまいました。 些細な不調なんかでも最悪のケースを常に先に考えてしまい、不安で無気力になってしまうこともあります。 寝てしまって、そのまま自分に何かあったら、それ以外の人もそのまま永眠してしまったらと自分が寝るのも家族などが寝るのを見るのも怖くて、あまり寝れません。 死とは突然で世界を一変させてしまうものだと祖父母に気付かされました。 誰かに聞いて欲しい。それだけを思って書いてしまった部分もありましたが、お許しください。 そして、どうかお言葉、知恵を与えてください。お願いします。

有り難し有り難し 10
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2023/04/30

失うのが怖いです

初めまして、初めてご相談させて頂きます。よろしくお願いいたします。 私はたぶん人よりも不安を強く感じるタイプです。昨年夏、この世で唯一私を理解してくれる最愛の祖母が亡くなりました。幼稚園の頃は訳あってずっと祖母と叔母を中心に育ててもらったのでものすごくおばあちゃん子でした。 そして、昨年の11月私が生まれて初めて自分で責任を持って飼ったうさぎさんも亡くしてしまいました。まだ、2歳にもなってませんでした。 2人ともきちんとした場所でちゃんとお別れをしました。けど、2人が天国にいってからも思い出さない日はありません。ただ、悲しい思い出し方ではなく、2人に貰った幸せな日々を思い出します。けど寂しさと生前もっとこうできたかもしれない、という悔しさと自分の不甲斐なさに涙が止まらなくなります。 そして、私には結婚6年目のほぼ同い年の旦那がいます。旦那は元々この先あまり長生きしたく無いという考えがあります。それは恐らく幼少期に親に暴力を振るわれ、捨てられ、児童養護施設で育ち弟とも離され、親戚中をたらい回しにされた経験から、この世界に期待をしていない、という意味で長生きしたく無い。となっていると思います。 私と結婚してからはお互い楽しく笑い合ったりして過ごす日々もたくさんありますが、度々、来年までは生きてないかも(自死ではなく病気とかで死ぬかも)ということを言ってきます。昨年2人の大切な人を亡くした私の身としてはそんなことを言われると不安で不安で仕方なくなります。そんな事言わないで、といってもいつも言ってるじゃん、と冗談めかして言ってきますがなんとなく寂しそうに感じてしまいます。 確かに旦那の生活習慣は改めなくてはならない部分が多いですが、健康診断にも6年以上行ってません。行ってほしいと伝えても病院嫌いで行きたく無いと一点張りで困っています。子供を作る、という未来の話もしますが金銭的にまだまだ難しいです。 どうやったら自分の不安症を解決できるのでしょうか。 どうやって旦那に未来への希望があると伝えられるのでしょうか。 旦那への生きる活力をどう私は共有したらいいのでしょうか。 ただ単に旦那がかまってちゃんなのかもしれませんが私個人的にはいろいろと考え不安になってしまいます。 拙い文章で申し訳ございませんが、ご回答頂ければと思います。 よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 6
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元夫の孤独死ともと義父の自死について

3回目の相談です。 前回までは、元夫の孤独死について相談させていただきました。多額の借金から逃げ、満足な医療を受けられず、おそらく自暴自棄になり、セルフネグレクトの結果の死だと私は理解しています。 元夫の父、義父も自死しています。会社を起こし一時はかなり業績も良かったそうですが、大きな負債を抱え自身の生命保険で補填したのだと聞いています。元夫は、ぎふを義父をとても尊敬していました。家族を守るために命を犠牲にしたと言っていました。 私は生前、元夫に義父のような最期を迎えないで欲しいと言いました。遺された家族の悲しみや苦しみは、あなたが一番知っているはずだと。私は離婚していましたが、子供に同じ苦しみを残さないて欲しいから、生き抜いてほしいとお願いしました。しかしその言葉は届きませんでした。私は今でも彼を見殺しにしたのではないかと悔やんでいます。 今でも元夫の死は悲しくて辛くてたまりませんが、もしかして子供も同じ道を選ぶ可能性があるのではないかと、それがとても怖いです。私は命に関わる病気をし、大変な治療を受け今は健康を取り戻しました。それは私自身が健康になりたいというだけだなく、子供のためにも生きていたいと願ったからです。 元夫は、借金や様々な苦しみから逃げられて楽になれたかもしれません。でも遺された子供と私は様な後始末を今でもしています。 そう考えると、元夫は大きな悲しみと苦しみを残して逝ったのです。 悲しいけど恨む気持ちも生まれました。これから子供と供養はしていきたいでが、子供の未来に陰を落とすならば許せない気持ちでいっぱいです。

有り難し有り難し 5
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幸せを感じると死ぬのが怖い

以前、死ぬのが怖い、そしてこの世界はなんなのかという質問をさせて頂いた者です。その度に暖かいご回答を頂き、大変感謝しております。ありがとうございます。 ご回答や仏教について、素人ながら自分で調べたり考えたりしております。その中で、やはりお釈迦様のように、この世から執着を無くすということは、死の恐怖や今生きていることの恐怖を克服する上で大切だと考えました。 しかし、この世への執着というのが、日々の小さな幸せを感じるたびに増えて行くように感じています。例えば、今日も家族と暮らせたこと。友人と話したこと。ご飯が美味しかったこと。素敵な景色を見たこと。そのような日常の幸せを噛み締めるたびに、大切な人たちと離れたく無い、なぜ永遠に一緒にいられないのか、こんなに綺麗な景色を死んだら見られない、死んだら「今ある幸せ」が消えてしまうのだ…と、死によってそれを失うという恐怖にかられます。魂を信じてみても、自分の肉体さえ今は愛おしく、離れがたく思ってしまいます。 この世への執着を手放すことと、幸せを感じることは共存できるのでしょうか?死という自己意識の消滅の恐怖は、どういう考え方をすれば克服することができるのでしょうか? 今はまだ、死ぬのが怖すぎて生まれてきたくなかったと思ってしまうことが多いのですが、願わくば、それでも生まれてきてよかったと思いたいです。いつも、どうせ死ぬのに生まれた、最悪だ、と思ってしまうので、恐怖を克服することで、本当に心から幸せだと思いたいです。 乱文で申し訳ありません。御助言を頂けると幸いです。

有り難し有り難し 15
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死への羨望が捨てられません。

ずっと私が考えている事です。 死後人間はどうなるのでしょうか。 私は特に今は鬱とかでもなく、生活に困っている訳でもなく、幸せだと思います。 ですが死に対する強烈な羨望を持ちながら生きています。 理由はよく分かりませんが、人ならざる幽霊のような存在になってこの世に留まっていたい という思いでいっぱいです。 もっと簡略して言うと、肉体を持つということにものすごく縛られている感覚で、 肉体を捨てて自由にこの世に留まっていたいという思いです。 人から認識されないけど自己はあるという状態を寂しいとよく表現されますが、 むしろ個人的には憧れの対象になっています。 生死に対してそこまで拘りがないので、幽体離脱でもかなり羨ましく思います。 ですがなかなかそんな経験は出来ないので結局行き着く所に自殺もしくは生命を全うしての死とあります。 よく自殺は悪いことと言われていますが、苦しい事から逃げ出すという訳ではなく、 死後の世界を想って自殺するのはやはり悪い事なのでしょうか。 そもそも死ぬのは怖いことなのでしょうか。私には輝かしい未来の様に思えます。 私の目的は死にあるので現在生を受けている状態での出来事(楽しみ、苦しみ、憎しみ、愛情、等の感情) というものが、かなり薄く感じます。 こんな変なこと考えているから無気力でつまらない人間と言われるのでしょうか。 死を想ってこの世に生きるのはやはり罰当たりでしょうか。 拙い文章で大変申し訳ございません。 皆様のそれぞれの意見を聞けたらなと思い投稿しました。

有り難し有り難し 35
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自分が怖い

私は22歳大学生です。 最近自分が怖いです。 一か月前私の祖父が実家で倒れ、今も病院で入院しています。 そんな状況なのに、自分は全く心配になりません。昔から遊園地やいろんなところに連れて行ってくれて可愛がってくれた祖父なのに、自分はまったく動揺しません。もちろん祖父のことは大好きだし、今までお盆やお正月は遊びに行き、散々お世話になっている祖父なのに、まったく動揺しないんです。幼稚園児の頃は「おじいちゃんおばあちゃんが死んでしまったら」と考えただけで涙が出るような人間でした。自分が心配しない理由には「たぶん無事だろう」という根拠がない考えがあるからだと思います。 私はこんな自分が嫌です。 「今まで散々お世話になってきたのに、何でこうも自分は祖父を心配しないんだろう。」と自分が正常な人間なのか疑います。「大切な人が自分の前から消えたとしても、自分は全く悲しみの感情を抱かないのではないか」と心配になります。そのくせして、失恋やちょっとしたことで落ち込んだりしている自分がいます。自分のこと以外考えていないのかもしれません。そんな自分を最低に思います。昔からオリンピックなどで日本の選手が金メダルを取っても何も感じませんでした。喜びの感情が湧きませんでした。自分の好きなこと楽しいこともよくわかりません。人の不幸を心の中で喜ぶ自分もいます。もちろん、こんな自分が出てきたときは自分を心の中で攻めます。 しかし、心配するって自然のことだと思うので、意図的に心配しようと思うことはおかしいことなのではないかと思います。 こういうとき、どういう行動や思考をとれば正しいのでしょうか。 今度、神社に祖父の無事を拝みに行こうと思います。 自分でも何が言いたいのかわからない文章になってしまったのでニュアンスだけでもわかってもらえれば幸いです。 長文失礼いたします。

有り難し有り難し 14
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死ぬのが怖くて仕方がない

怖いこと 自分の命が有限なんだと 毎日ふとした時に感じられて 今在る私がいつかバラバラになるのだと思ったら 怖くて怖くて仕方がない。 目の前の現実世界が 崩壊していく様な気がして そうなるとそれ以上耐えられなくて 思考も動作も停止して、 背中が冷たくなるようです。 動物のひた向きに生きる姿は、 尊敬に値するものだと思ってます。 一生懸命生きている、 素晴らしい存在です。 しかし最近、 某福祉施設内で個人的に可愛がっていた老犬が 恐らく病気で死んだことや、 道の途中で事故にあったらしい猫の死体を見たことで、 死というものは誰にも容赦なく 愛しい存在でさえ突然命を奪っていくのだ、という 現実に向き合わされました。 それが翻って、 私にもいつかその番が、と思ったら 怖くなりました。 この世界から、 ある日消えて無くなるという現実が 急に見えたのです。 私は既にいい大人ですが、 昔から体が弱く気も小さく 器量が悪くて会話も下手で、 他人から嫌われて暴言暴力に遭うことも多いので、 明日がくることは恐怖でしかなく、 自殺を考えることも多いのですが。 現実の「死」はあまりに残酷で心で 受け止めることができない。 犬は病気で苦しかったのでは? 猫の遺体は酷い怪我をしていたので、 想像つかないほどの痛みの中で、 亡くなったのかと思うと、 本当に本当にかわいそうで、 そのような「死」が重過ぎるのに、 死の世界は実は日常と隣り合わせであり、 怖いという感情に襲われます。 仏教ではこういう問題には どのように考えますか? いつか必ず死ぬ運命を どのように受け止めたらよいですか? 動物に執着し過ぎるのは 良くないという意見は 人間の都合しか考えてないと思いますので、 ご遠慮頂けますか? 地球上で今もたくさんの家畜が 人間の為に犠牲になっていると思うと 暗澹たる気持ちになります。

有り難し有り難し 148
回答数回答 1
2021/12/19

恋人の希死念慮について

私の恋人には希死念慮があります。 私は前向きな人間ではないですが、死をとても恐れているので死にたいと思うことはありません。死にたくないから生きてる、といったような人間です。辛い事があっても、もう嫌だ、と思っても死ぬのは怖い。希死念慮を持つ人の気持ちが理解出来ないんです。 だからといって恋人の考えを否定したくありませんが、もちろん恋人に自死を選んで欲しいとも思いません。なので結果的に否定することになってしまいます。そんな私の言動が恋人をさらに追い込んでいないか心配になります。 前に芸能人の方が自死を選んだニュースが流れたときに、恋人は羨ましいと言っていました。でも、私の存在があるから、私を置いて行けないから、とも言ってくれました。でも、少し前には私を置いて行くことばかり考えているとも言っていました。 そんな中、今日入った悲しいニュース。ニュースになった方の事も、考えると凄く苦しいですが、そのニュースを起きてから知ることになる恋人のことが心配で怖いです。また、前のように気持ちが引っ張られてしまいそうになるんではないか、と。 恋人に対してどう接すれば良いんでしょうか。希死念慮のある人への接し方に正解はありますか?

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

祖母の死

二ヶ月半前の一月一日に祖母がなくなりました。叔父と同居していたのにいきなり独りで逝ってしまいました。 私は母とは折り合いが悪くまた母も祖母との折り合いが悪く敵の敵は味方ではないですが祖母と私は仲良くやっていました。 小さい時はいつも面倒をみてくれていて怖いし厳しいけど大好きだったんです。事情があり海外に住んでいるのですが一年半ごとくらいに帰国しては近況を知らせたりして孫の中では一番気にかけていたと自負しています。 祖母の知らせを聞いたのは一日の夜でした。 急いで飛行機のチケットをとって帰ったのですが二人の妹は母が航空券を払わなかったのと仕事を休みたくないとの理由で帰りませんでした。一つ下の子は祖母にとても可愛がられ祖母はいつも妹の話をし、私に面倒を見るようにと言っていたのになぜあの子は最後のお別れすらいってあげなかったのだろうと未だに憤っています。 もっと妹にあわせてあげたかった。もっといろんなとこに連れて行ってあげたかった。この夏に帰る予定なのでまた帰国した時にいないことを自覚するのが怖くてたまりません。そうでなくっても祖母の写真を部屋に飾っているのでさえ悲しくて涙が出てきてしまうんです。 75歳。あと10年は大丈夫だろうと思ってましたしあと10年たてば私もまともな大人になりたくさんの恩返しができたと思うと辛くてたまらないのです。 他の家族はなんだかんだ立ち直って楽しくやっているようで私だけ毎日泣いている気がしてでも寂しがりやの祖母だからこそ私独りでも祖母のことを思って泣いてもいいのではないかと混乱しています。 寂しいです。一番大切な家族がいなくなってしまってどう立ち直っていいのかわかりません。

有り難し有り難し 4
回答数回答 1

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