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hasunoha 問答検索結果 : 「 出家 」
検索結果: 999件

夏休みを利用した参禅の可否について

こんにちは 私は現在海外の大学にて哲学を学んでいますが、その興味の分野はもっぱら西田幾多郎や鈴木大拙などの俗にいう「東洋思想」にあります。そこで私は大学の夏休みを利用して、臨済宗のお寺に数ヶ月間参禅したいと考えているのですが、そういった短期の修行は可能なのでしょうか?また、もし可能であれば鈴木大拙の思想を深く学べるところを紹介していただけると幸いです。 上記の質問だけだとただ思想に魅了されただけの青二才という印象が否めないので、もう少しだけ「禅」を志す理由を明記させていただきたく思います。 私は幼少期の頃から嗜んでいた少林寺拳法と、中高で出会った先生方の影響により教育者になることを志しています。しかし現代教育におけるあまりにも多くの問題はロゴス的思考力ばかりを求め、心のあり方や感覚などのレンマ的なものを忘れ去ってしまっているように思われます。学問とは本来「学ぶことの楽しさ」を追求すべきなのに成績や偏差値と言った数字だけで縛りつけ、「合理的」という一点のみを求めてただの点取りゲームのようになってしまっている現状は、「歪んでいる」としか形容ができないものです。 「禅」の教えが、それは古くから日本文化が、そして日本人が慣れ親しんできた教えですが、そうした教えが「歪み」を直し、子供たちに「学ぶ」ことの楽しさや「健全な心」の育み方を教える大きなヒントになるではないかと西田幾多郎や鈴木大拙の著書を読んで感じ、より彼らの思想への理解を深めるために、修行をしたいと思い立ち、現在に至ります。 教育者を志しているので出家をし本格的に臨済宗の僧侶になることはいささか迷いがあるのは事実ですが、それでも自らの思想を育み、未来の少女少年たちに「禅」の教えを、そして「学び」の楽しさを教えることができる人間になれたらと思います、長々と失礼しましたが、何卒ご意見やご紹介のほどをよろしくお願いします。

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無限地獄

人には正義がありますよね。 曖昧な言葉ですが確かにあると感じます。 電車内で喫煙した者に勇気を持って注意した高校生、その高校生に腹を立て殴る蹴るの暴行を加えた犯人。 ネット上では高校生の勇気を称え犯人の横暴に憤りを隠せない意見が目立ちます。 このような意見がたくさん出るのは自然なことです。 これは人々の正義感からくるものでしょう。 2ちゃんねるの創始者である西村ひろゆきさんも「頭のおかしな人に対して、正義を貫いた高校生が勇気を賞賛されて、得をする社会の方が良いと思うのですよ。正義の結果に治療費が掛かるなら、振り込みますよー」とTwitterで仰っています。 自分自身もそんな正義が尊重される世の中になってほしいです。 ですが世の中には自分とは相寄れない正義を持つ人々がいます。 お坊様たちも仏教を正しいと思い信仰している以上、その教えに反する者とは相寄れないはずです。 全ての正義が共存するなどありえず、ぶつかれば場合によっては戦うしかなくなる。 これは無限地獄ではないでしょうか。 いつまでも終わりのない地獄。 仏教では執着を手放すことを勧めているので「正義にこだわるな、手放せ」という回答が返ってきそうです。 しかしその考えも執着を手放すことに執着しているとも言えますし、それが原因で新たな争いも起こるでしょう。 この無限地獄は生きている間ずっと続く。 災害や戦争、不況などで環境が悪くなれば尚更。 私はこの無限地獄に耐えて生きていくのが辛い。 死という選択肢が頭をよぎります。 でも死にたくないと思う自分もいる。 生き続けることを選んだ場合、この先どうやって無限地獄を耐え忍べばいいのでしょうか?

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妻帯について

こんばんは。 同じような質問を他でも見かけるのですが、改めて質問させてください。話をまとめるのが苦手ですので長くなりますがご容赦ください。 一週間ほど前に出会った海外の僧侶の方に、 「なぜ、日本の僧侶は結婚するのか」 という質問をされました。 私の生半可な知識では到底答えられなかったのでhasunohaで見かけた意見などを紹介してみたのですが、いまいち質問の意図にそぐわない気がしました。 彼が訊ねていたのは妻帯を許されるようになった歴史とか、結婚したらしたなりの別の修行があるから、というようなことではなく、なんと言えばいいのか…もっと根本的なことのように思います。(と、いっても私の拙い英会話力での印象ですが) 会話の中では"不必要な結婚"(わざわざ戒律を破る不可解な行為)とも表現していました。 彼はインドで修行を開始し、その後"世捨て人"(なんと訳せば良いのかわかりませんが、英語ではrenunciantと呼んでいました。彼は家も(自認する)国籍も持たず、各地を放浪しながら乞食修行を行なっているようです)になったようです。不学なので詳しくはわからないのですが、インドでの仏教のあり方に最も共感しているようです。それ故、日本でのこの特殊な仏教のあり方に心底疑問を抱くようで、お寺が世襲制であることにも違和感を感じているようです。また、人によってそれぞれ適した修行方法があるし、だからこそ妻帯者には妻帯者なりの仏道修行があるのは認めた上で、それでも、最終的には乞食修行に行き着くのではないか、とも語っていました。 日本という国や仏教に関心を寄せる身として、「今後空海のような人が日本から出てくることはないだろう」とか、「日本のお坊さんは会社員と同じ(誰でも望めばなることができるし、ビジネスとしてやっている)」などと言われてしまうとなんだか悲しくなってしまいしたし、うまく答えられないことがとても悔しく感じました…。勿論、彼に日本を貶めようとかいう気が全くないことは重々承知の上ですが…。 長くなりましたが、hasunohaに集うお坊さま方は彼の質問"日本の僧侶はなぜ妻帯するのか"にどのようにお答えになりますか?是非皆様の智慧をお貸しください。 彼はまだしばらく近くに滞在しているので、会う機会があれば伝えたいと思います。 どうぞよろしくお願いします。

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独学で行う“印”と“真言”について

初めまして、私は仏様を側に感じたい時やお寺で参拝する時に印を結び、真言を唱えている破戒するヒトと申します。 私の結ぶ印や唱える真言は師に習ったものではありません、ネットや書籍で調べたものです。 本当は出家をして師に習うのが一番だと言うのは分かりますが、どうしても人が苦手で集団に溶け込んで修行する自分が想像出来なくて、独学でまったりと学ぼうとしています。 このように独学で印や真言を調べるなかで「印は行者しか結んではならない」「印や真言は誰が行おうと構わない」「師に習わない印や真言に効力は無い」「軽い気持ちで印を結べば仏罰がくだる」…など様々な情報が入り乱れて混乱します。 ただそれでも私自身に「印を結び、真言を唱えたい」という欲求が合ったので都合の悪い情報は気にしないようにして印と真言をしてきました。 ちなみに理由は魔法使いみたいで格好が良いから、または自分はいま仏様に近付く修行している…といった心地のよい感覚があり、このまま根気よく続けていれば仏様との間に、より濃密なご縁を頂けるかも…なんて期待をしつつやっていました。 しかし時に後ろめたさの様な物を感じる事があります。この行為はもしかしたら仏様に対し失礼に当たるのではないかと。 とある質問サイトでこのような事を質問してみても意見はバラバラでどうすれば良いか分かりません。 このような混乱と欲求と後ろめたさが入り乱れ撹拌されてか、今朝の夢のなかでお坊さんに「真言や印は欲望で行うものではない、貴方が好意でそのように行動しても仏様は迷惑だと感じるだろう」と言われました。 すみません、あくまで夢の中のお話です でもとても鮮明な夢で「仏様は迷惑だと感じるだろう」という言葉が突き刺さり、堪らずこちらのサイトに登録を行い質問をさせてもらいました。 もしも夢など紛い物で無いお坊さんにそのように言われれば、私はキッパリと印と真言の欲求は断ち切るつもりです。 しかし私の欲求として仏様の迷惑にならないなら印を結び真言を唱えたいです。 どうしたら良いでしょうか。 分かりにくい所があったらすみません。 混乱と欲求が激しく渦巻いてそれ以外の事が考えられません。 どうか回答お願いします。

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宗派を選べません

子どものころからお寺が好きで、いつかちゃんとした形で、仏教を勉強してみたいと思っていました(とはいっても、頭を丸める覚悟はありませんが…)。 最近、「東京国際仏教塾」という仏教の基礎を学べる塾(https://tibs.jp/)があることを知り、数年のうちに入塾してみたいと考えています。 ただ、1年間のカリキュラムの後半、「宗旨専門課程」でどの宗派(天台、真言、浄土、真宗、臨済、曹洞、日蓮)を選んだらよいか迷っています。 ・実家は天台宗。 ・でも、子どものころから真言宗大好き人間。 ・7年前、本当に苦しいとき、お大師様のご廟をお参りし、そのあと事態が少し好転。助けていただいたと感じた。 ・父方は、どうやら日蓮宗と縁浅からぬ家系らしい。 ・最近、ある方に勧められて、自我偈と観音経を毎日お唱えするようになり、法華経の力を感じている(具体的に書くのは控えておきますが、不思議な経験もしました)。 別に出家しようとしているわけじゃないから、どれか一つに飛び込んでみればよいだけなのでしょうけれど、お坊様でしたらどのようにお考えになるか、伺ってみたいと思いました。 さして深刻な内容でもない、気楽なご相談で、大変失礼いたします。 どうぞよろしくお願いいたします。

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ブッダの髪形と仏像の歴史

回転寿司が好きで、毎週のように回転寿司を食べています。 最近は回転寿司を食べ終わってふと、身体はもとより思考も縁で結ばれて諸法は無我だなと感じます。 それはおいといて、今回の質問は、お坊さんに質問するより、学者さんに質問した方が良い内容ですが、分かられる方がいらっしゃれば教えてください。 史実のブッダ(ゴータマ・シッダールタ)は、80歳の坊主頭の年相応のお爺さんでしょうか。 もともと当時のブッディストの比丘や沙門が髪を剃る理由としては、世俗との決別や、当時の罪人を模して、髪形を気にするのが煩わしいから、など色々な理由があります。だからというわけではありませんが、ブッダも出家してからは生涯剃髪をしていたのでしょうか。 仏像の螺髪は仏相の一つですが、もともとは仏教が紀元前後に北伝の途中、ガンダーラに行ったときに、当時流行りの貴族階級の男性の髪形を参考に、団子頭の仏像を作り、それがマトゥーラで螺髪になったという説があります。 今回はトリビアとして人に話せたらな、というところと、 (あの螺髪や水かき等を含めた仏相は)生物的に考えて人間ではなれないな。 という二つの疑問からの質問でした。

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信徒さんの言葉

 何回かここで悩み相談をさせて頂いている者です。 厳しいながらも温かいお言葉を頂いて自分に決心がつき覚悟を持ってことに臨んでいきたいと思っています。 今回は悩みというより疑問に感じたことがあります。  過去の質問を見てい頂けると分かるのですが、私の母は、結婚に反対しており、彼女やそのご両親が合わないと感じ、後々私が苦労するだろうと直感し、ある仏教の信徒さんに相談しに行ったそうです。  信徒さん(母が言うには、神様のお告げ)の答えが母自身が感じてた通りの答えとなり、この結婚をないことにするためには、私と彼女が喧嘩別れをするのが良いと助言されたそうです。  神様のお告げの割には随分乱暴な助言だと思いました。話を聞くうちにその信徒さんは、真言宗の方らしいです。  真言宗には、十善戒という戒律があると知りました。その中で"不両舌:他人を仲違いさせない"という教えがありました。    私は、宗教の教えには疎いのですが、その教えを受けている筈の信徒さんがどうして十善戒の戒律に反するような助言を母にしたのか疑問に感じました。決して真言宗の方を批判するわけではないので誤解されないでください。  もしかすると何か本当の意味があるのかとも思いました。出家されていない信徒さんは、未来が見えたり、神様のお告げ聞けたり、相談に乗るということをするものなのでしょうか?

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仏教の「東南西北」について質問させて頂きます

ご質問させていただきます。 仏説阿弥陀経の中盤に「東方亦有〜」、「南方世界〜」、「西方世界〜」、「北方世界〜」とありました。 順番として「東南西北」となり日本の「東西南北」とは異なります。 なぜこの「東南西北」順番になるのでしょうか?お釈迦様のお話で「四門出遊」でも東の門、南の門、西の門、北の門と順番に出家される前のお釈迦様がお出かけされています。 この「東南西北」の順番に仏教的な意味はあるのでしょうか? ご教授頂ければ幸いです。  自分なりに考えてみたのですが、中国が「東南西北」の順番で数えていて、そこに仏教が伝わったのでこの順番になった(麻雀でも東南西北の順番でローテーションするので、中国はこの数え方が主流なのかと)。 「東西南北」の数え方は日本的なもので、神道と関係がある。お彼岸はもともと神道の行事であったとききます。おそらく稲作をする上で太陽の動きは大切なものであったので、太陽がのぼる東を一番に数え、太陽が沈む西を二番に数えるという対角線上に数えたのかと思いました。 もしご存知の方、何かお考えがおありの方がいらっしゃいましたら、ご教授くださいませ。よろしくお願いします。

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