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検索結果: 1877件

勉強すればするほど、阿弥陀仏に疑いを持ってしまう

こんばんは 最近浄土真宗の勉強を始めたのですが、前掲の質問で 「救いから漏れようと願文を読むのでなく、誰をも救おうとするものとして読みましょう。」とご回答されたにも関わらず 「自分は〇〇だから救われない」という読み方ばかりしてしまいます 例を挙げると 1第41願に「他方国土の菩薩は諸根闕陋しない」と書いてある。親鸞聖人は著作のいくつかでは信心決定した人を菩薩と仰っている 「本願を信受するは前念命終なり。すなわち正定聚の数に入る。 即得往生は後念即生なり。即時に必定に入る。また必定の菩薩と名くるなり」と愚禿抄に書いてある 教行信証にも、現代語訳の問題かもしれないが、正定聚を「大乗の菩薩」と訳しているものがあった 浄土真宗の本にも「正定聚の菩薩」という表現がたまに出てくる 信心決定したものは菩薩である。だから信心決定した人は五体満足であるはずだ。自分は将来目が見えなくなるかもしれない だから救われないかもしれない 2正法を謗るものは救われないと18願に書いてある 自分は浄土門は嫌いだと公言していたことがあるし これからももしかしたらするかもしれない だから救われないかもしれない 観無量寿経には五逆や十悪をするものは救われるが、正法を謗るもの については書かれてない気がする下品下生とは正法を謗るものも入るのか  3こんな風に、自分は救われないかもしれないとばかり思ってしまいます 自分は自閉症スペクトラム障害で、言葉を文字通りに受け取ってしまう癖があるので、そのせいかもしれないです 比喩的な解釈を聞いても、”でも”こう書いてるじゃないか。。。となってしまう 勉強すればするほど、疑いが強くなってしまう自分がいます…。けれどもっと浄土真宗のことを勉強したいという思いもあります 法然上人が仰っていたように何も考えずに「智者のふるまいをせずしてただ一向に念仏」していたほうがいいのでしょうか 〇〇だから自分は救われないかもしれない、というのは 間違いなのでしょうか?信心一つで必ず救われるのでしょうか? 矛盾するようでワガママなお願いですが、1と2の誤解(だと思います)を理論的に論破(?)していただいて、3の悩みにも答えていただきたいです

有り難し有り難し 36
回答数回答 3

主人とわたし、何が違うのか…。

先日、主人にわたしの職場での出来事について話をしていました。 毎回残業中の人がまばらになったタイミングで、同じ部署内で二人の同僚が悪口合戦を繰り広げます。体制がどうのこうのとか、上司が無能だとか、最後は他の同僚の人格を否定するような(馬鹿だとか仕事できないだとか、いい大学を出てないとか、生理的に嫌い、臭い)話になります。聞くに堪えない話なのでいつも無心になっているのですが、先日は本当に切羽詰まった残業だったので、仕事がしづらくて困った…他の同僚たちも同じ思いを抱えていて、なんだかなぁという話になったんだ…という話です。 そんなに深刻な感じではなく軽い雑談で話をしました。 主人は一言「つまんねぇ奴らだな」と苦笑して、その後一呼吸置いてこう言ったのです。 「…俺ってそういう場面に遭ったことがないんだよね。なんだろう、きっとそういうやつはいるんだろうけれど、俺の視界には入らない。俺の周りにそういう人はいない。不思議だよね。俺の周りだけいなくて、あなたの周りにはいるなんて、そんなことないのにね。」 その後おどけて「まぁ俺が高尚な人間ってことか!」と言っていましたが、なんだかもやもやっとしました。 確かに、主人から職場の人間関係で困っているという話は聞いたことがありません。ほとんど楽しい話です。 一方、わたしは、苦労することが多いです。 年上の女性同僚から理由もわからず無視をされることもあったり、前述のようなイヤな場面に出くわすこともあったり、職場をかき乱すようなトラブルを起こす人がいたり、何かしらあります。 同業種の男女問わず友人知人と、お互い職場の人間関係で悩んでいることを話す機会はあるので、同じように悩んでいる人は他にもいるんだなとは思います。 しかし、主人は、わたしの話を聞くたびに「俺はそんな場面に遭ったことはない」と言います。主人も同業者なので、同じような環境で働いているのですが、職場は桃源郷のようだと言います。 (ちなみにわたしは悩みこそありますが、職場自体に不満はありません。) こうなってくると、本当に主人が高尚な人間なんだろうなと思えてきます。 そうすると、いつもトラブルに巻き込まれたりトラブルを目の当たりにしたりするわたしは、どこか人間性が欠落しているからなのかしら…と落ち込んでしまいます。 主人とわたし、何か決定的な違いがあるのでしょうか?

有り難し有り難し 16
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死ぬのが怖い、身近な人にも相談できない 辛い

現在、大学4回生です 中学生の時、突然に「死んだらどうなるんだ?」ということに気が付いて恐怖のあまり嗚咽が止まらなくなったのを覚えています。親に相談しようにも、タブーに触れるようで出来ませんでした。 その時は考えに考えて結局わからないということで放置していたのですが、ここ最近になってまたその考えがまたやってきました。 地元の信仰が浄土真宗本願寺派だったのでその考えに基づき、死生観を考えていたのですが、納得できませんでした。 納得というか、信じきれてないというのが現状なのかもしれません。 真に信仰が出来ていたらそもそもこの質問が出ないことになりますから。 どうしても考え方に疑いを持ってしまうのです。「ホンマかいな」と。この「ホンマかいな」自体が信仰に対する冒涜、罪なんでしょうか。 化学に詳しいわけではないのですが、どうもその前提に結び付けてしまします。(無知なのは重々承知しています)生きている状態なのになぜ人の死後が説けるのか?とか。脳がないのに意識は死後存在し続けるのか?、お浄土は本当にあるの?などです 臨死体験も結局は死に切れてないですし、死後の見解が地域、信仰、人によってそれぞれ違うのも疑問です かといって「死後は無なんだよ」「意識はただの脳内の電気信号なんだよ」と言われればとんでもないくらいの恐怖にのたうち回ります。死後、体も感覚も思考も、自分自身も消えてなくなり、二度と目覚めることはない。そんな状態が永遠に続くと思うと... 様々な文献、記事を読み漁っても「そういう考え方もあるのか」程度にしかとれず合点がいきません。 今を生きることこそが大切、もっと他にすることがあるんじゃないの?と言われそうですが、そうではないんです。死後が知りたいのです。 利己的な見解ばかりで申し訳ありません 自分自身でも、どう質問してよいか漠然としててわからないのです 僕以上に、もっとつらい思いをしている人がいる中で... ここまでの人生、たった21年の短い人生ですが、何不自由なく生かされてきました。両親、祖父母そして周りの人々には感謝しきれません。これから、家族やお世話になる人達にいっぱい自分の受けたモノをお返ししていきたいです。 故に死の恐怖にここから先の人生を邪魔されたくありません。 どうか僕に納得できるようなお考えを教えてください。

有り難し有り難し 66
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古いお守りを全て紛失してしまいました…

幼い頃に日本を離れ、ずっと海外に住んでおります。子供の頃から古いお守りを3つ持っていました。 今年になって、日本に帰国する機会ができたので、その際にお守りを神社やお寺に返そうと思っていたのですが、3つとも全て無くしてしまいました…。 飛行機に乗る前日に旅行バッグに入れた筈なのですが、日本に着いてバッグの中を確認したら入っていませんでした。うっかり家に置いてきてしまったのではないかと思い、日本から帰った後、部屋の中を探してみたのですが何処にも見当たりません…。 子供の頃からずっと持っていたお守りなので、ショックです。「もしかしたら、どこかで間違えて捨ててしまったのではないか?」「どこか粗末な場所に置きっぱなしなのではないか?」と色々考えてしまいます。 お守りを無くしてから何やら気持ちが落ち着かず、常にイライラしている気がします。職場では上司に口答えして立場を危うくしてしまったり、部下を感情的に怒ってしまったり。プライベートでは、友人の幸せを素直に喜べなくなったり…自己嫌悪に陥る毎日です。 今回、日本に帰国した際に新しくお守りを購入したのですが、あまり効果を得られていない気がします。やっぱり、古いお守りを無くしてしまったから罰が当たったのでしょうか?何か対処法はありましたら教えて頂けませんでしょうか。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 45
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「負の感情」の対処法(コツ)についてお教え願います

いつもお世話になりありがとうございます 私がずっと執着し依存しようとしていた心理カウンセラーのメルマガ配信を年明けに解除しました PCやスマホの”お気に入り”に入れていたブログやサイトも消去しました 心理カウンセラーの高額な「じぶん開発プログラム」なるモノは期限付きで特典を付けて、「自分が変わるのは今ですよ!」と購入を煽っていて、年末3日間は日に3度もメールが配信されてきました 特典付きの期限は、12月31日23時59分59秒… 前回質問した後よく考えて、このプログラムについては「受けない」と決めました 主人やhasunohaのお坊様方のお蔭です この案内については、期限が切れたら相手はどう出てくるのかなと思って解除せずいた処、購入を勧める文面の中に、 「迷っている人は連絡ください、私がどうにかします!(笑)」 という一文があり、とても違和感を持ちました hasunohaでたくさんのお坊様のお言葉を頂き、「あなたはあなたのままで良い」と言い切ってくださった方がお一人ではなかった事や、現実に目の前に居る主人や友人が客観的に「それはおかしいよ」と言い続けてくれた事により、なんとか抜け出せたのだと思います 混乱の真っ只中に居た9ヶ月間は、身体にも変調を来し頭の中は「潜在意識」という言葉でいっぱいになって、他の事は考えられないような状態になってしまっていました そこから引っ張り出してくださったお坊様方、主人、友人には心から感謝しております あとは、長期間ネガティブにどっぷり浸かっていたので、過去の”ネガ”も含めてこびり付いた”負の記憶”を「過去のモノ」として受け流すコツがあれば教えて頂きたいです 過去のQ&Aを拝見すると、「あるがままを受け入れる」事なんだろうと思いましたが、どのように心掛けると「あるがまま」を受け入れる事が出来るのでしょうか? 「善と悪」とか「100と0」というような偏った見方をしない事、というお言葉も頂きました 私は、「白か黒か」というタイプのようで、「こうだ!」と決め付け易く、更に「負の感情」が出易い性質だと思いますので、それを改めて心穏やかに過ごしたいと思っています 今の自分の性格ではとても疲れるので… 「あるがままを受け入れるコツ」「出来事や人物の見方のコツ」「俯瞰的に見るコツ」等を教えて頂けないでしょうか?

有り難し有り難し 90
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妻帯について

こんばんは。 同じような質問を他でも見かけるのですが、改めて質問させてください。話をまとめるのが苦手ですので長くなりますがご容赦ください。 一週間ほど前に出会った海外の僧侶の方に、 「なぜ、日本の僧侶は結婚するのか」 という質問をされました。 私の生半可な知識では到底答えられなかったのでhasunohaで見かけた意見などを紹介してみたのですが、いまいち質問の意図にそぐわない気がしました。 彼が訊ねていたのは妻帯を許されるようになった歴史とか、結婚したらしたなりの別の修行があるから、というようなことではなく、なんと言えばいいのか…もっと根本的なことのように思います。(と、いっても私の拙い英会話力での印象ですが) 会話の中では"不必要な結婚"(わざわざ戒律を破る不可解な行為)とも表現していました。 彼はインドで修行を開始し、その後"世捨て人"(なんと訳せば良いのかわかりませんが、英語ではrenunciantと呼んでいました。彼は家も(自認する)国籍も持たず、各地を放浪しながら乞食修行を行なっているようです)になったようです。不学なので詳しくはわからないのですが、インドでの仏教のあり方に最も共感しているようです。それ故、日本でのこの特殊な仏教のあり方に心底疑問を抱くようで、お寺が世襲制であることにも違和感を感じているようです。また、人によってそれぞれ適した修行方法があるし、だからこそ妻帯者には妻帯者なりの仏道修行があるのは認めた上で、それでも、最終的には乞食修行に行き着くのではないか、とも語っていました。 日本という国や仏教に関心を寄せる身として、「今後空海のような人が日本から出てくることはないだろう」とか、「日本のお坊さんは会社員と同じ(誰でも望めばなることができるし、ビジネスとしてやっている)」などと言われてしまうとなんだか悲しくなってしまいしたし、うまく答えられないことがとても悔しく感じました…。勿論、彼に日本を貶めようとかいう気が全くないことは重々承知の上ですが…。 長くなりましたが、hasunohaに集うお坊さま方は彼の質問"日本の僧侶はなぜ妻帯するのか"にどのようにお答えになりますか?是非皆様の智慧をお貸しください。 彼はまだしばらく近くに滞在しているので、会う機会があれば伝えたいと思います。 どうぞよろしくお願いします。

有り難し有り難し 79
回答数回答 7

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