(編集部より。回答者を指定した相談は現在できませんのでタイトル、質問文を修正しました。) 大変お忙しいところ、私のような愚かな人間に再度返信をくださいまして、本当にありがとうございます。どんなに厳しいお言葉でも、受け止める覚悟です。お言葉が、今までで一番心に響き、前回相談させて頂いた悩みは無くなりました。その通りだと目が覚めたからです。本当に感謝しております。 私はずっと中絶は人殺しだと思ってしまい、自分を罰し続けています。全くの自業自得で愚かな考えだと思います。こんなことを水子様になったあの子が望んでいるわけじゃないのに…。 中絶をしてから6年経ちました。毎年水子供養に行き、手を合わせてきました。私の病気が原因で、産んであげられなかったあの子…。今でもずっと想い続けています。 それが私に与えられた罰なのだと思っています。でも一生自分を人殺しなのだと思いながら生きていくには、辛すぎて…。これも私の罰なのかもしれませんが、もし宜しければ、何かお言葉を頂けたら…と思った次第です。 お手数をお掛けして、本当に申し訳ございません。どうぞよろしくお願いいたします。
お墓の設置場所について教えて下さい。 主人の実家は、先祖代々のお墓を お寺の敷地内ではなく、 家から近所の、開けた広い土地に、 各家庭ごとにお墓を設置して 納骨しております。 ですので、その場所に行くと、御先祖様のお墓がたくさんあります。 義父より、お寺ではないので、好きな宗教で葬儀をあげられると伺ったのですが、 お墓は、お寺の敷地以外でも大丈夫なのでしょうか。 私の実家は、お寺の敷地内にお墓がありまして、私もそれ以外は知りませんでしたので、不安です。 よろしくお願いします。
うつ病と統合失調症持ちです。 漠然と死にたい、楽になりたい、と毎日考えています。 明日から派遣の仕事が始まるのですが、もうすでに消えて無くなりたい思いで一杯です。 宗教にすがれば少しは楽になるのでしょうか?
ひとりっ子だったことや、中学時代にいじめられていたこと、少々気が強く曲がった事が大嫌いで人に強く当たってしまう性格も自覚していて仕事でもプライベートでも自信が持てません。 人からは真面目すぎるんだよとか 羨ましいことをたくさんやってるじゃんとか言われますが…。 この服は可愛いけれど私が着ても似合わないとか 仕事でももう少しスマートに対応出来なかったのかとか何であんな言い方をしてしまったのかとか毎日反省を繰り返しています。 そんなこと考えてるから表情も暗くなってるわとか悪循環に陥ってしまっています。 もう少し自分に自信を持って生活出来たら何か変わるのかなと思います。
私には現在 今年で4年程お付き合いをしている彼がいるのですが、 交際当時から彼のご両親に交際を反対されていました。 理由は、 彼が会社の後継の立場である為、 私の高卒という学歴、 料理人になりたいとそれを仕事にしていた点 この2点がどうしても受け入れられないということでした。 交際半年の時に、彼は私に会えば、中身を知れば受け入れてくれるとご両親との食事会の場を設けてくださったのですが結果は変わらず。 そして先月、 結婚を真剣に考えているのでもう一度ご両親に会ってくれと言われ、お会いしました。 そこでお父様に言われたのは 君の生きてきた25年間はとても浅はかだね。 何故この時代60%以上が大学を卒業しているのにもかかわらず、一時の気の迷いで高卒で飲食を仕事としたのか、 ひとつひとつの行動が、軽率。 そんな娘にうちの息子の嫁は務まらないから認めない。 とはっきり言われてしまいました。 彼もその場で聞いていたので 反論はしてくれたのですが、聞く耳持たず、 ご両親を大切に思う気持ちもあるので、強く押す事も出来ないので、ご両親の気が変わるまで説得は続けるからもう少し待ってくれ。 と言われました。 確かに、もう2、3度お会いすれば認める…折れてくれる空気はありました。 彼はとても良い人です。 結婚したいと思える人です。 でも、お父様からの言葉が脳裏から片時も離れず、彼の顔を見るたび涙が流れるようになってしまいました。 悲しいのかもわかりません。 思い出すたび手足が震えます。 自分の甘さだとも感じます。 悩みは二点です。 1.このまま交際を続けて、ご両親の気持ちが変わるのを待つのは正しい選択なのでしょうか 2.お父様からの言葉が片時も離れないのは かわいそうな自分という気分に浸っているだけなのは感じるのですが、気持ちの切り替えができません。 全ての決断が、あさはかだと言われているような気持ちになってしまい前を向けません 今の自分がわからなくなってしまいました アドバイスを頂けたら嬉しいです
自分の中で納得がいかず、身近に意見をきける方がいないのでこちらで失礼致します。 拙く長い質問文になりますが自分に整理をつけるためという部分もありますのでご了承ください。 昨日83歳の祖父の葬儀を行いました。 毎日お酒を飲みタバコを吸いつつも病気は一切せず、晩年は認知症を患い施設に入ったものの最期は安らかに亡くなりました。 平均寿命から考えればそれほど長くはありませんでしたが、家族みんなが幸せだったね、大往生だったねという人生でした。葬儀自体も穏やかに、また悲しみつつも思い出に笑顔する場面も沢山あるものでした。 私は現在20歳で、幼い頃同居していたこともありとても可愛がってもらっていて、大好きなおじいちゃんです。 そんな祖父が11月末に亡くなり、都合によりようやく昨日告別式が終わりました。 葬儀までの五日間を共に過ごし、それなりに心の整理をつける余裕があったためか、告別式の際に悲しくなることはありませんでした。大好きな祖父には安らかに眠ってほしいと、通夜から出棺までずっと、笑顔ですらいました。 ですが、その後火葬場へ行くマイクロバスの中、思い出の場所を何箇所も通っているうちに酷く悲しい気持ちになってしまって泣くことを堪えることができませんでした。 葬儀で泣くことも逆に泣かないこともどちらも間違っているとはもちろん思いません。 それでも周りが悲しむ中、出棺の時に笑顔で送っていた自分のことが信じられませんでした。 昨日はそのままずっと気分が沈んだままでいました。 夜も祖父の夢を見て、確かに自分の中の大きな存在が消えてしまったと感じました。 でも私は今日アルバイトに行きました。 朝起きて、バイトに行き、帰ってきて、お風呂に入って、ご飯を食べて、布団に入っています。 おじいちゃんが死ぬ前と何も変わりません。 昨日あれだけ泣いていたのに、お客様にごく自然に笑顔で話しかけられました。 この数日、感情の浮き沈みが激しくて辛いのと、併せて自分への不信感が募っています。 あやふやな文ですが、主に意見を伺いたいのは以下の2点です。 ・葬儀で故人を笑顔で送り出すのはおかしいですか。 ・時が経たないうちにごく普通の生活に戻ることへの罪悪感は解消すべきですか、またその場合どのようにして解消すれば良いですか。 どうぞよろしくお願いします。
家は代々浄土真宗の信仰をしておりました。しかし、 祖母の代で新興宗教に騙されて入信してしまいました。 それから30年ほど信仰しているようです。 元々、仏壇にあった浄土真宗のものは全て取り払われ 今では新興宗教のものだけになっております。また、 私もその新興宗教に強制的に連れて行かれています。 私は家の信仰を浄土真宗に戻したいと思っているのですが、 そんな私にできることは何でしょうか? お知恵を拝借できれば幸いです。また、毎日隠れながらですが 正信偈と阿弥陀経と念仏を自分の部屋で唱えさせていただいて おります。
元々、お寺さんに行くと落ち着くのでたまに寺社を巡ります。 最近のブームもあり、御朱印を知ったのは最近です。御朱印をただ頂くのではなく、本来の方法。納経して頂きたいな〜と思っています。 納経するのも、私としては先祖供養の為、菩提寺(曹洞宗)にしたかったのですが、確認の為に電話をしたところ、怪訝そうな対応をされてしまいました。 『檀家さんで写経したものを持ってくる人はいるけど…』と。 ダメです!と、断られた訳では無いのですが、言葉尻というか、声のトーンから、歓迎はしていないと感じました。 電話対応して下さったのは、住職ではなく、お嫁さん?です。 住職、大住職がとても優しい方なのもあり、ショックでした… 先祖供養をしたい為の納経でも、断られることはあるのでしょうか? 無知でお恥ずかしいのですが、ご教示頂けますでしょうか。
主人の不倫が発覚し、同時に相手の妊娠も発覚しました。 相手は、子供が2人か3人いるシングルマザーです。 女性は、出産するといい、時期的にも堕胎は無理です。 主人は、離婚して不倫相手の方にいきたいようです。 ですがこちらにも8歳と6歳の息子がおります。一度は女性とも別れてきて、家族としてやり直したいと言い、私も信じてみたいとも思い、悩んでいました。 が、やはり気持ちは女性の方にあるようで、言葉にも態度にも、信用を取り戻す覚悟がみられず、、只今別居中です。 家族のこと、特に子育てには大変協力的な主人でしたので、子供もお父さんが大好きです。 離婚という方法で、子供達を傷つけてしまう恐怖、愛して信じていた人に裏切られたショック、そして女性に子供が産まれるという事もあって、ショックで気持ちの整理がつきません。 早く離婚すべきだとも思いながらも、あと一歩ふみだせずにいます。 弁護士への相談等、動きながらですが、気持ちがなかなかついていきません。 私は母親です。子供達を守らないといけないのも、強くならないととも思っています。 子供に心配かけるのも、辛いですし。 元気な姿をみせると、子供も元気になるのだと思います。 が、私も精神的に参ってしまい自信がわいてこないんですね。 気持ちの拠り所がほしくなります。 仕事も手につかなくなり、とうとうやめてしまいました。 とりあえずの生活費は、あと3ヶ月程大丈夫です。 どうか、この先救いになるような言葉、助言をいただけないでしょうか。 そして今後離婚が決まった際、子供達への説明の仕方はどんな風に説明すべきでしょうか。 よろしくお願いいたします
私は、今、日本の歴史や季語、しきたり等を勉強してみたいなと思っております。 今は春休み中で、 今後は似顔絵師のたまごとして活動します。 何ら、絵には関係ありませんが、 日本をもっと知りたいと思ってます。 理由は、日本に興味を持っている外国人との関わりを持ってみたいという気持ちもあるからです。 日本を知らずに生きるよりも、 日本を知って行きたいという気持ちも出てきました。 お坊さんの方々は、 なにか日本について勉強してみたいことはありますか??? 勉強してよかったなぁということもお聞きしたいです!
夫が亡くなり、四十九日が控えています。 生前より故人は無宗教で、菩提寺もなく、お付き合いのないお寺の合同墓地に埋葬をお願いし、永代供養もお願いするつもりです。 また、戒名はいただいておらず、俗名のままとなっています。 現在は白木の位牌とお骨が手元にあります。 四十九日法要の際に納骨もお願いするのですが、 一般的にはそれまでに本位牌と仏壇を用意するようですが、 家の事情により、仏壇は置けないので購入しないつもりでいます。 そこでご相談ですが、 ①仏壇を用意しないのであれば、本位牌はどのように扱えばいいのでしょうか? ②例えば本位牌は、法要後にお寺に預けた方が故人のためになりますでしょうか? 一度預けてしまうとその後はまた引き取ることはできないのでしょうか? ③本位牌というのは、四十九日までに用意しなければならないものでしょうか? 私としては、家に遺影を飾って、毎日お水やお菓子をお供えしながら話しかけることができればそれで良いと思っています。
私は去年から役所で勤めています。役所には、住民の方が新聞を見に来たり血圧を測りに来ることがあります。いつも私が昼ごはんを食べるときにデスクから離れて別の休憩部屋に行くのですが、行く途中いつも同じおじいさんに会います。おじいさんは決まったソファで新聞を読んでいます。新聞を読みながら人が通るたびに、顔を上げ誰か確認しています。初めの頃は、おじいさんの前を通る時、目が合ったら挨拶をしたり頭を下げるくらいだったのですが、しばらくしたらおじいさんに話しかけられるようになりました。内容は、今日の天気や気温、昼は何を食べるかなど様々です。私も初めの頃は自分のおじいちゃんと話す感覚でした。 しかし、最近距離が近すぎて困っています。 お昼におじいさんの前を通る時は必ず喋らなければ気が済まないのか、私が上司と話しながら歩いている時も、会話を割って私に話しかけてくることがあります。気づかないフリをしても何回も何回も話しかけてきます。 また、私が外で買い物をして事務所に帰る途中に道で2、3度会ったことがあり、その時おじいさんは自転車からわざわざ降りて「たくさん買ってるね。何を食べるの?」など聞かれ、少し面倒だなと感じてしまいました。 たまたまですが、おじいさんの話が同僚の中で出たことがあり、同僚の子は外で会った時に追いかけてこられ話しかけられたと聞きました。 また、そのおじいさんは若い子が好きでよく話しかけたりするという話も聞きました。 それを聞いて、少し怖くなったため距離をとろうと思い、おじいさんの前を通る時は他の同僚が一緒にいる時にしたり、深い話はせず挨拶だけにしようと思いました。しかし同僚と一緒にいたり、挨拶だけして去ろうとしても何回も話しかけようとしてきます。この間はちょうど通る時にソファから立って待ち伏せみたいにしてて怖かったです。 私がソファの前を通るのは、昼休憩の開始時と終了時なのですが、どちらも座っていてどちらも必ず会います。昼休憩の途中で外に出かけてまた休憩の終わり時間に戻ってくるようです.. ただ話したいだけだとは思いますが、なんだか距離が近すぎるというか、しつこく話しかけようとしていて怖い気もします。 私も心が狭いとは思うのですが.. 最近、お昼におじいさんを見るたびに怖いし、昼が憂鬱です。どう対応していったら良いでしょうか。よろしくお願いします。
最近、お世話になったばかりの者です。 いろいろ悩み、苦しみの中で写経をしてみようと思い立ちました。 私の実家は曹洞宗。 婚家は浄土真宗です。 現在、深い付き合いがあるのは、当然浄土真宗ですが、浄土真宗は般若心経を唱えません。 阿弥陀経を写経したら良いとは聞いたことがありますが、私は般若心経を写経したいと思っています。 ネットでは般若心経のお手本付きの物が売られていますが、それを購入して写経しようと思っています。 写経した物を納経するには、どこのお寺が納経させて貰えるのか分からないので、教えてください。 地域的にはやはり近畿圏が良いと思っています。 よろしくお願いいたします。
何年か前、タイトルの通り、従兄弟が自殺しました。 原因は学校でのいじめです。 すごく優しい子でしたが 心が弱い子だというのは知っていましたし、 いじめの内容も内容で、ひどいものでした。 正直とてもかわいそうな人生を送った子でした。 本当に弔っても、弔っても弔いきれません。 私は死後の世界を信じていますから、せめてあの世では楽に過ごしていてほしいと、切に願っています。 ですが自殺をした人は地獄に行く、という話を聞いた事があります。 それは本当なのでしょうか。 現実から逃げたくて自死したのに、 あちらの世でも苦しんでいるのかと思うと 本当に本当に思いいたたまれないのです。 あの子は今頃何をしているのでしょうか。 どこにいるのでしょうか。 心にぽっかりと空いた穴が、まだ戻りません。 もしよろしければご回答下さい。
例えば直に怒ってしまう自分がいます。 相手に対してこういう思いやりを持つべきなんだ、とか 物事に気をとられないで平常心に保とう、とか こう有るべきだという考えが頭に浮かび、現実は怒ってばかりいる自分にとのギャップに罪悪感と嫌悪感でいっぱいになります。 また、親切な友人や知人に沢山助けてもらっているのに、誰にも恩返しできていないようで非常に面目ない気持ちでいっぱいです。 考えようによっては、それほどまでに今まで盲目だったのだと思います。目を開けて、心を開いて見てみたら自分の心がカビだらけだった、そのような気分です。 すごく頑張っているつもりなのですが、一日の終わりには落第点です。 頑張りすぎなのでしょうか? 頑張るべきところが間違えているのでしょうか? これも精神の成長の過程なのでしょうか? 教えてください。
今日で一つ歳を重ねました。 幸せであるべき日が、こんなにも辛い日になるとは… 明日からの希望がもてません。 どんなに前を向こうとしても、心が暗闇に吸い込まれていく。 死んだら終わり。死んじゃだめだってわかってても、終わりにしたい気持ちがつよすぎて、どう弱い自分と向き合えばいいのかわからなくなってしまいました。 来年のこの日、今日の辛い気持ちを思い出すのかと、悪い方にばかり考えてしまう。だったら…。 こんな自分が嫌いです。 全てが嫌になりました。
只今、両親と両家の先祖代々と実兄の位牌をお守りしていますが将来息子の代になりますがその時に実兄の位牌を託せるのか迷っています。 何か良い方法があればお知恵を授けて頂ければ幸いです。 尚、墓地は神戸と神奈川に其々分骨(両親)と実兄は改葬致しております。神戸の方は実弟に管理を任せています。 実弟は実兄に相当迷惑な目に合いましたので、分骨せずにこちらの引き取った次第です。 実兄にも家族はいますが殆ど生き別れ状態で今更頼める状態ではありません。 どうぞ宜しくお願い申し上げます。。
理趣経の教えですが、私は「人間の欲望は本来清らかだが、使い方を誤れば汚れたものになる」と理解しています。このような理解で問題ないでしょうか。
ハスノハのお坊さま方、いつも真摯なお言葉をありがとうございますm(__)m 私の家族は夫と子供2人と97歳のばあちゃん(義祖母)です。 若い頃に夫を亡くしたばあちゃんは苦労人で気の強い人でしたが90を過ぎてやっと丸くなり(!)、7年ほど前から私達と同居しております。 (夫の両親はともに還暦前に病死しています) ばあちゃんは歳の割には元気で身の回りの事はこなしており、当然信心深くよくお仏壇に般若心経をあげています。 そしてお経の前に必ず「なんまんだぶ」と「南無なんとか観音菩薩」と「南無大師遍照金剛」をお唱えします。 ちなみにうちは曹洞宗なのでご本尊はお釈迦様です(笑)。 私はこのどれも合っていないばあちゃんのお念仏?御真言?がすごくいいなぁと思いて、どうしてもお坊さま方にお伝えしたかったのです。 お忙しい中たわいもない話ですみませんm(__)m これから寒い季節になります、お坊さま方お体ご自愛なさってくださいませ(^^)
我が家は臨済宗の妙心寺派です。 臨済宗のお経の本の中には50以上のお経が書いてあります。 お盆やお彼岸にお坊さんに家に来て頂いて仏壇にお経をあげて頂いてるのですが、お盆やお彼岸に読むお経は般若心経、坐禅和讚、舎利らい文、大悲呪などその時によって違うと思います。 ① お坊さんは仏壇の前で 1)お盆の時、2)お彼岸の時にはそれぞれ何を 読んでいるのか? ② 1)お盆の時、2)お彼岸の時に、家族が墓参りに行った時には何を読め ば良いのか? ③ 普段の日に仏壇の前でお経を読むとしたら何を読めば良いのか? 教えて下さい。 父が亡くなってから母は 舎利らい文、般若心経、延命十句観音経、坐禅和讚 を②③の時に 読んでました。 今では私も同じ事をしています。