六日前に祖父が亡くなりました。 葬儀は昨日全て終わったのですが、未だに亡くなったことが信じられません。 またひょっこりと祖父が出てくるんじゃないかと期待してしまう自分がいます。 突然亡くなり、私たち家族と別れの言葉もないまま祖父はどんな気持ちだったんだろう、、と色々考えると涙が止まりません。 最後は寝たきりだったので、三途の川をちゃんと渡れるのかなど、心配でたまりません。 夢でもいいからまた祖父に会いたいし、祖父の声とか思い出がどんどん薄れていくのが怖いです。 祖父の死とどう向き合っていけばよいのか教えて頂きたいです。
生まれた時からずっと気にかけ、見守ってくれた祖父が亡くなりました。 亡くなってから毎朝お線香を上げて話しかけ、四十九日も無事に終わったのに、心の整理がつくどころか、まだ祖父の死を受け入れる事が出来ません。 人間関係も、テレビから流れるネガティブなニュースも、お金の事も、祖父が亡くなってから、この世の全てが怖いです。 1人で外を歩くのも怖くなりました。 何をしていても、気を抜くと涙が出てしまいます。 毎日寝起きには、恐怖と祖父恋しさに涙が止まらなくなります。 大好きな祖父ではありましたが、こんな気持ちになるなんて、思っていませんでしたし、何故こうなるのかもわかりません。 祖父が亡くなって辛いのも、泣きたいのも、祖父に会いたいのも、私だけではないのはわかっているつもりです。 どうすれば気持ちの整理をつけ、気持ちを強く持って生きていくことができるのでしょうか。
健康診断で不安な結果が出てしまい、その後精密検査の結果は大丈夫だったものの死への恐怖だけが残りました。 もとから死への恐怖が出ることが良くありましたが、今までは一晩寝たり何度か深呼吸すれば収まっていました。 しかし、上記の事があり「自分もいつか死ぬ」と言う事実がより具体的に見えてしまったのをきっかけに、病気への不安からは解放されるやいなや死への恐怖がついて回るようになりました。涙を流すほどつらいです。 こんな精神状態になる前はいろんなことが楽しかった→死ぬと全て無になるのが悲しい・怖い&いつか死ぬから全て無意味なのではないか→この恐怖と悲しみの中で生きたくはない→楽しいことをしたい→最初に戻る と言う思考のループに一日中陥ってしまっています。 今までの自分を演じている空っぽな自分がいて普段はそいつが前に出てるが、常に上記の事を考え泣いている自分がもう一人いて時々そっちが表に出てくる、血の気が引き現実感が無くなっていく、どちらが自分なのかわからない、そんな状態です。 今までを思い返せば親がいて友達がいて、普通に仕事をしてお金も貰っていて、好き嫌いはほとんどなくてご飯は全部美味く感じて、ストレスはあるけど後から思えば大体「何だこんな事で悩んでたのか」で過ぎてく人生だったと考えます。 そして、なんて幸せだったんだろうか、何でこれが永遠には続かないのか、永遠も辛いとは言うがこれなら永遠に続いて欲しい、何で幸せだったことに気づいてしまったのかと考えてしまいます。 そして、最近一年の体感がものすごく早く感じ、時間なんてあっと言う間に過ぎてしまうと考えまた悲しくなります。 宗教を学ぼうともしましたが、ここに質問しておいてなんですがやはり死後の世界や魂は無く感情は脳の現象であり死後は無である、と言う変に唯物的な考えがついてまわります。 祖父が亡くなったとき「爺さんいまどこ行ってんだろうなぁ、畑とか家の様子とか見てんのかなぁ」とかのんきに謎の宗教観を持っていたくせに今ではそんな考えしか持てません。 そして怖いという事すら感じなくなるのが怖く悲しく、無になるならすべて無意味に感じます。 精神科に行くことにもしましたがそれとは別視点で、何か考え方を変えるヒントをもらえたらと思い、文字数いっぱいのとりとめのない文章になってしまいましたが書き込ませていただきました。
こんばんは、夜分遅くに失礼します。 27歳女、一人っ子として生まれました。 父母ともに初孫で躾は厳しかったですが私立中高一貫校へ行かせてくれたりとかなり愛されて育ったように思います。 現在は医療従事者として病院に勤務しており、そのため疾病や病態の知識は一通りあり、また死やそれに関するご家族の反応などにもとても身近な毎日を送っております。 本題になりますが、祖父の死をきっかけに身近な人の死が恐ろしくてたまりません。 数年前に最愛の祖父を亡くしました。 遠方に住んでいた祖父、私は当時専門学校に在学中でしたが、中高の不登校が再発、単位をかなり落としておりこれ以上はほぼ休めない、というタイミングで祖父の急性増悪を知りました。間質性肺炎と言い、不可逆性で致死率の高い持病が元々あったこともその時に知りました。今ならその事がわかるので、学校側に何と言ってでも祖父の最後に立ち会いに行っていたと思います。 ですが当時の私はとにかく卒業しなければとの一心で、この土日になったら会いに行こう、と少し予定を先延ばしにしてしまい、祖父の死に目に立ち会えませんでした。もともと厳しい祖父、高校生から少し苦手意識が芽生えてしまいあまり会いに行けていませんでした。 亡くなる前日に先に見舞いに向かっていた母の携帯を通じてテレビ電話をほんの一瞬 おじいちゃん大好きだよ、早く良くなってね、と伝えたのが最後になってしまいました。 なぜ無理を言ってでも会いに行かなかったのか、ずっと頭にこびりついて離れません。祖父には私の言葉は聞こえていたでしょうか。 この日から大好きな両親の死、遺された祖母の死が恐ろしくてたまりません。毎日夜泣いてしまいます。 いずれ必ず絶対に訪れる事ですが、特に両親がいなくなった世界で生きていくビジョンが見えません。 両親ともにもう60歳前後、特に父は糖尿病も患っており、あと二十数年ほど生きられれば良い方である、と自分で認識できてしまうのが本当に辛いです。 仕事中に何かあったら、また死に目に会えなかったらどうするのか、、 27歳にもなってこのようなことで泣く自分が情けないです。まだ恩返しもできていないのに、時間が足りると到底思えないです。 どのように考えれば心の整理がつくでしょうか。 どう過ごせばその時を後悔なく迎える事ができるでしょうか。よろしくお願い致します。
祖父が亡くなって約1年経ちました。 世界一大好きな祖父です。慈悲の心を持った、まさに仏様のような祖父でした。無償の愛でいつもわたしを可愛がってくれました。 なるべく側にいたのですが、たった1時間ほど席を外した時にちょうど息を引き取りました。代わりにわたしの兄弟、父が看取りました。 看取れなかった、自分のタイミングの悪さに大変後悔しました。でも、心のどこかで看取るのが怖いという思いも少しありました。 大切な人が亡くなるという体験は初めてでした。 夢に出てくるかな?なにかわたしに言いたいことあるかな?といつも考えてますが、不思議な体験もなにもありません。 母方の祖父なので、お仏壇は母の兄に引き継がれました。 色々な事情があってお仏壇には行けないのですが、心の中の思いや拝みは届いているのでしょうか。(遠くに住んでいるのでお墓参りも年に1度くらいしかいけないです…) 祖父は浄土真宗、わたしは浄土宗です。 私が結婚したらまた宗派も変わってしまうかもしれません。それでもいつか自分が死んだ時に会いたいです。宗派が違っても、いつか会えるのでしょうか。毎日思い出します。あっちの世界でも、どうかしあわせでいてほしいです。 祖父の死から色々なことを学びました。いつも見守ってくれていると信じて生きたいです。
私は人は死んだら無になると思っています。しかし無になるということを考えるだけで怖いです。私たちに生まれる前の記憶がないように、その頃の状態になるのかな?などと考えてしまいます。 私がまだ幼稚園か小学生低学年だった頃、NHKのニュースを見ていて「北朝鮮と日本がいつか戦争になるかも。そしたら自分も家族も死んでしまうかも。」などと幼いながらに考えてしまい、死が怖くなって、夜な夜な布団の中で泣いてしまい怖くて朝まで眠れなくなってしまったことがありました。それから月日が経ち、死を考えすぎてしまうことは無くなりました。 しかし最近夜になると死を考えて泣いてしまい眠れなくなってしまうことが再び増えてきました。1度考え出すと怖くて3時間は泣いてしまい気づくと眠れないまま朝を迎えています。 輪廻転生という考え方が好きで、その言葉を支えにしたいのですが、輪廻転生も所詮は生きている人が考えた言葉にすぎない。死んだら思考回路すら無くなるんだから、輪廻転生して再び自我が目覚めたとしても、それは新しい自分であって、昔の自分は消えてなくなる。結局人は無になるんだ。という結論にたどり着いてしまいます。 私の父は69歳、母は63歳、祖母は91歳。比較的高齢の家族ですが凄く元気です。ですがふと、この家族で過ごせる幸せな時間は永遠ではないんだと考え「あと何年?」と考え辛くなります。 最近は高齢な家族故に両親と過ごせる時間より、両親がいなくなった後の時間の方が長いのかもと考えて泣いてしまいます。私は両親のことが大好きなので、2人がいつかいなくなってしまう。「無」になってしまう。そんな日がくるのがとても怖いです。 そして今見ている景色、大切にしている物、現世で学んだ知識、死ぬ時は全て手放さなくてはならない、私も死んだら無になる、家族と家族だったことも無くなる、もうこの家族には会えない…どこまでもそのように突き詰めていってしまいます。 よく「(死を考えるくらいなら)今を楽しく生きよう」という言葉を聞きますが、そのような考え方に自分が対応できず、ただ死が怖いです。 本当に最近このような考え方に陥って泣いて眠れなくなることが多くて困っています。 何か少しでも心が軽くなるお言葉、そして仏教では「死」に対してどのような考え方を持っているのか、お話を聞かせていただきたいです。 よろしくお願いします。
先日、約2ヶ月間の入院生活を経て、祖父が亡くなりました。祖父は持病があったものの、ずっと元気でした。訳あって私と祖母と3人で暮らしていましたが、洗濯・掃除以外の家事は祖父がやっており、車での送り迎えや、料理など、私の生活の中心に祖父の存在がありました。 突然の脳内室出血により、緊急入院、2週間の間に三回の手術、1ヶ月間の救急病棟での入院生活、その後通常の病棟へ移動、そしてリハビリの病院へ転院し、転院から一週間せずに亡くなりました。 最初の病院へは、ほぼ毎日私がお見舞いに出向き、少しの時間でも祖父と共に過ごしました。小さい頃から祖父母にたくさんお世話になっていた私は祖父が大好きで、両親よりも大切な存在だと考えていました。 そんな祖父が亡くなり、心の底から悲しく、辛いはずなのに、冷静に受け入れている自分もいて、今までとなんら変わらない生活を送っています。 時々、辛くて悲しくてどうしようもなくなり、もう祖父がいない現実を受け入れているようで、まだ全然受け入れられないのだと実感します。というか、色々なことが急に起こりすぎて、全くついていけていないという感覚です。 それでも私の生活は変わらず続いており、時間は流れて、一緒に過ごした日々、病院での生活、祖父が生きていたことすら忘れてしまいそうな気がしてこわいです。 昔から私は家族の前では泣けないし、素直な思いを口にすることもできません。自分が何を思っているのかもよくわかりません。 受け入れられないのに、忘れてしまうのが本当に怖いです。どうやったら受け入れて生きていけますか。なんだか空っぽになった感じがして、自分が自分を生きている感覚がなくて、苦しいです。 普通に生活出来ているということは、本当は受け入れているということでしょうか。 わかりづらい質問ですが、誰か助けて下さい。
中学生ぐらいの頃から漠然と死の恐怖がありましたが、身近な祖父が亡くなった事で、改めて両親が死ぬこと、自分自身もいつかは死んでしまうと自覚したことで、より一層死ぬことに対して恐怖が強くなってしまいました。 ただ死ぬのは仕方ないとはして、特に孤独死が怖いです。年齢も三十路手前ですが結婚願望はありません。生涯独身でもいいかと個人的には思ってます。 そのため孤独死をしないために結婚というのも何か違う気がします。 働いてる時や動き回ってると忘れてるので気にしないのですが家で一人でいる時や眠る前の静かな時間に、ふと死の恐怖を思い出してしまい泣いてしまいます。どうしたらいいのでしょうか? 死ぬのが避けられないならせめて落ち着く教えや考え方はありますか?死の恐怖と上手く付き合っていく方法が知りたいです
大好きな祖父の死が近いようです。 悔いの無い時間を過ごすには、何が出来るでしょうか。 現在祖父は入院中で会えていません。体力も弱くなり、会話も出来たり出来なかったりします。恐らく今度退院したら、私の実家で看取ることになりそうです。 弱くなった祖父を目の前にしたら、泣いてしまいそうです。まだ生きているのに凄く失礼なのですが…。どうしたら涙を抑えられますか。 話は変わりますが、最近私に子ども(祖父から見たらひ孫)が産まれ、それも理由に祖父のいる実家には何度か行くつもりです。 死というものに向き合うことが久し振りで、怖かったり、でもちゃんと考えられる時間があるだけで有難いと思ったり、気持ちが不安定になっています。 でも残された時間を、沢山話しかけたり、一緒に過ごしたいと思っています。 何かお言葉を頂けたら幸いに思います。宜しくお願い致します。
先日大好きな祖父が亡くなりました。 今日告別式を無事に終えました。 でもまだ祖父の死を受け入れられません。 近い親族の葬式に参加したのは今回が初めてです。 今すぐ会いたくて。話したくて。心細くてたまらないです。 入院中もっとお見舞いに行けたのにと後悔ばかりです。 どうして会えたときに会っておかなかったのか。 最後に会ったのは亡くなる二週間前でした。私が風邪をひいてしまいおじいちゃんにうつしたら大変だからと治ったら行こうと思ってたところでした。 「また来るからね」の約束が果たせませんでした。 後悔ばかりです。 こんな私を祖父は許してくれますか? 大好きな祖父の死を受け入れられるときは徐々に来るのでしょうか? 今、私は祖父のために何かできるでしょうか?
ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。 私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。 祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。 身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。 声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。 今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。 自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。 分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。 時が止まればいいのにととても切実に思います。 そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。 それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。 でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。 でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。 吐き気も涙も止まらないです。 頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。 どうすれば泣かずにすむのでしょうか。 家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。 覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。 すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。 ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。 色んな方のお悩みを拝読致しました。 その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。 失礼いたしました。
祖父が先日自殺しました。病死した祖母に会いたかったのだと思います。 亡くなった時に祖父が着ていた服のポケットに祖母の写真がたくさん入っており、遺書にも「これで祖母のところに行けます」と書いていたそうです。 祖母の49日が終わるまで決行すると決めていたのでしょう、遺言書の作成や身の回りの整理や手続きを知らない間に済ませていました。カレンダーに書いていた命日以降の予定にもバツ印をつけており、亡くなった時間も祖母の死亡時刻と同じ(推定時刻にはなりますが)で発見されるまでもがき苦しんだ跡もなく両手に握りこぶしを作っていたそうです。 死んで祖母に会う覚悟を決めていたのかもしれません。 祖母の遺骨は祖父の49日と同時に納骨することになり2人の遺骨を並べているのですが、それを見て「祖父はこうしてほしかったのかもしれない」と私は思っています。 祖母に会えるなら死ぬのも怖くなかったのでしょう。 それでも、1人淡々と準備を進めている祖父の姿を想像すると苦しいです。最近手術したばかりで成功し助かった命でした。健康に人一倍気を使っていましたし、もっと長生きすると思っていました。 一番不安なのは、祖母に会えているかどうかです。自殺すると、地獄に落ちる、死んだ瞬間の苦しみが永遠に続くとよく聞くため、祖父が向こうの世界で穏やかに過ごせているか心配です。 祖父が亡くなった日、父が夢で祖父と祖母が手を繋いで歩き父の方を向いて笑っており、今まで亡くなった親族が全員出てきたそうです。「会えたよ」というメッセージだったのでしょうか。 そしてこれから私はどのような気持ちで過ごしていけば良いのか分かりません。
母方の祖父が年明けの少し前から目を閉じて寝たきりでしたが、先日舌が喉の奥まで下がり窒素しかけたと母から聞きました。 体力も筋力ももうなく、そう長くは保たないだろうから会いに病院に行くのなら早めが良いと。 今月末なら行けると思いました。 しかし、 私は昔中学生になったばかりの頃に目の前で意識を無くした父方の祖母が、そのまま病院で物言わぬ姿になった姿を見た時からいつ来てもおかしくない身近な人の死が怖くなりました。 病気で手術後回復したと思ったら病はずっと身体を蝕み続け、家で弱っていき気付いた時には息を引き取って肉体だけになった父を見た時、泣きわめきたいほどの辛さと虚無感が襲ってきました。 妹に祖父の容態を電話で伝えた時は顔を見に行くと言ったけれど、この2つの出来事が病院に行くことを拒否しようとします。 現実を受け入れたくない、祖父に近く死から逃げたいのだと思います。 祖父に会いたい。でも怖い。いやだ。いかないで。 後ろ向きな感情ばかり出てきます。 でも、覚悟も決めなくちゃいけません。 祖父に迫る死と向き合うにはどうすれば、どんな考え方をすれば良いのでしょうか。
つたない文章ですが祖父との同居についてです。 私は中学生で親は離婚し、 私の妹は母に、私は父と生活しています。 近頃、父方の祖母が肺ガンで亡くなってしまい、長男の夫婦が仕事で忙しいという理由で比較的自由のきく私の父親が祖父の介護をすることになりました。 祖父は1人では生活のことは何もできないくせにこだわりが強い人で、 家事や掃除、身の回りのことを祖母に全て任せっきりでした。 私は機能不全家庭で育ち、母はいわゆる毒親で離婚前は父は仕事で家に帰ってこない人でした。 少しわがままを言うと叩かれたりする幼少期を過ごしました。 今は離婚して、父も母も改心し、不器用だけど愛情を注いでくれています。 祖母の死で、介護と借家をするため祖父の家で同居することになり、潔癖気味の私はどうしても同居が嫌です! 親族に言うと、バチが当たるとか、わがままだとか言われます。 自分もその通りだとは思いますが、難聴でテレビの音を深夜までガンガンかけ、手も洗う習慣もない祖父がどうしても許せません! だらしない祖父と同居し、後々父と私の体力も心もズタズタになりそうで怖くて仕方ないですし、 そういう祖父の姿を見ると怒りがふつふつとわいてきて父にキツく当たったりし てしまいます。 父は私の生活しやすいようになんでもしてあげると言っていて、ありがたいと思っています。 借家をしないと家計がキツくなんとか同居したいと思っています。 でもイライラしてしまったり、汚い、嫌いだ、同じ家に居たくないという思いをコントロールできません。 気持ちを変えて受け入れるにはどう心構えをすれば、この気持ちから楽になれますか? 教えてください。 回答よろしくお願いします。
いつもお世話になっております。 カテゴリーをどこにするべきか悩みましたが、宜しければお知恵をお貸しください。 私は遺体が怖いです。 気持ち悪いとかではなく、怖い。 例え大切な親類やペットだったとしても、いざ寿命や老衰、病死で綺麗な状態で亡くなっていたとしても、怖くてしかたありません。 曽祖父が亡くなった時も、父が亡くなった時も、ペットの犬猫が亡くなった時も、とても大好きだったのに触ることだけはどうしてもできませんでした。 飼っていたメダカが死んで水槽に浮いていた時も何故か怖く感じてしまい、自分で引き揚げて埋めてあげるということすらできず、他の家族に頼むほどです。 「最期だから触ってあげて」 「手を握ってあげて」 「怖いものじゃない」 親戚や周りの大人からそう言われても、怖くてできません。 身内が亡くなったのに薄情だと白い目で見られたこともありますが、正直近付くのも怖いんです。 私からすると何故皆亡くなった方の手を握ったり、顔を撫でたりできるのか不思議でしかたありません。 どう表現していいのか分からないんですが、空っぽになったというか、何か足りない、生きている者とは違う存在、と言いますか… かといってドラマや映画に出てくる死体は怖いとは思いません。 自分の目で実際見る遺体が怖いんだと思います。 ずっと自分はおかしいんだと思っていました。 身内でも怖いのに、他人だと見るのも近付くのも怖いです。 ご遺体を扱うお仕事に携わっている方達には失礼な話だと重々承知しています。 これから先、葬儀の場に呼ばれることも増えるでしょう。 こんな意味不明な理由で行かない訳にもいきません。 何故こんなにご遺体に拒否反応が出てしまうんでしょう。 またご遺体に向き合う時の心構えなどお教えください。 拙い文ですが、よろしくお願い致します。
こんにちは。質問をさせていただくのは2回目です。29歳女性、看護師をしています。 今年の1月に祖父が亡くなりました。そして6月に私が入籍し、バタバタな上半期を過ごしてきました。 そして最近、亡くなった祖父母のことを思い出したり、今の夫が亡くなることを考えると涙が止まりません。 「死別という辛い体験をしたくない」「でも死はみんなに平等に訪れるもの」という2つで葛藤しています。 そんな私に夫は優しく寄り添ってくれて何も寂しくないはずなのですが、ふとした時に、悲しい感情が溢れ出てくるのです。 よく行く占いの先生に相談したところ「魂の質が高いのでしょう」「祖父の死と結婚が一気にきたから、結婚後に夫を失うことを恐れているのでは?」という見解でした。 それからは「涙が出るのは仕方ない」ただし、死は皆平等に訪れる仕方のないことであるため「死が訪れるまでは精一杯生きよう」という考えを持つようにしました。 (それでも涙は出てしまいますが…) お坊さんの方々はどのような考えをされるのか、また今の私にアドバイスをお願いしたくて相談させていただきました。 お忙しいとは思いますが、よろしくお願い致します。
現在二十代後半という年ですが、 25歳まで生きている事が辛くて、面倒で、価値がないと思っておりました。 なるべく若い内に自分の好きなタイミングで死にたいと思っておりました。 それがここ数年で未来に楽しみを感じる事が出来ました。 彼氏のおかげです。 彼氏の就職先も決まり2年以内には入籍も考えております。 子供が大好きな彼氏と将来子供が二人は欲しいねという話をしています。 彼氏と話している時は凄く楽しくて身籠ってすらいないのに名前を考える馬鹿っぷりです。 ですが、帰宅し一人になると 今まで怖くなかった死が凄く怖くなりました。 私が死ぬのも怖いし 彼氏が死ぬのも怖い 彼氏に依存してるのかと思いましたが、依存とは違う気もする 最近抱き始めた負の感情がすごく苦しいです。 自然災害、震災、交通事故、なども怖いです。 ふとしたときに、 今地震が起きるぞ!暴走車が来るぞ! と身構えてしまう時があります。 死を感じず日々を送りたいです。 怖くて眠れない日々もあり、心療内科にいくのも怖いので こちらで死への向き合い方、立ち向かい方、怖く思わない方法を教えて頂けたら嬉しいです。
こんにちは。私の祖父について相談させて下さい。私の祖父は80代後半ですが先月まで働いていたほど、元気でした。 しかし、先月倒れてしまって命が危ないとまで言われましたが先日退院することができました。 しかし、退院してからの祖父は弱々しくて歩くのもやっとになってしまってトイレも着替えもままならないし、「辛い、痛い」とよく口にします。 病院に行っても「早く帰りたい」と何度も口にして、病院が辛かったらしくその日は病院から帰宅後、立つこともできず、寝返りすら辛そうになっていました。祖父が退院したと言っても根本の病気の治療はこれからで、何度も通院しなきゃいけないだけでなく、遠距離の通院になります。 酷い孫ですが、辛そうな祖父を見てると「病院に行かない方がいいのかな」とか祖父にそういう選択肢がある事を伝えた方がいいのかなとか考えてしまったり、お金の事が頭を過ったりします。 祖父が入院した時は「死なないで」と思ったのに、祖父が大切だとも思ったし、祖父が退院した時は嬉しかったのに…こんな事を考える私なんて死ねばいいのにと自分の事ばかり考えてしまって… 祖父に死を選ばせる事、お金の事、自殺願望などどうすればこんな嫌な事を考えなくなりますか? また、矛盾してるかもしれませんが、私は他の人の死への覚悟の仕方もわからないんです。覚悟ってどうすればできるんでしょうか?
見ていただいてありがとうございます。 今老衰が急に進んでしまい入院中の祖父がいます。 元々共働きの家庭だったので、おばあちゃん、おじいちゃんに育てられました。 そして永遠に続くと思っていたものが失いそうになるとすごく、辛い、悲しい、など自分でもよく分からない感情でいっぱいです。病院も1人では行けないのであまり面会もできず、転院先では面会が出来ないようです。 元々怖がっていた家族の死が実際とても近くなると複雑で覚悟も分からずただ毎晩寝る前に考えてしまう日々です。 こんなにも近くで関わった人の死が近いことは初めてなのでよくわかりません。 私はどうすればいいのでしょうか。 考え方やこのよく分からない感情の対処法でもなんでも大丈夫です。 誰かに相談というか声にでも出さないとなんとも言えないです。 ぐちゃぐちゃな文章でごめんなさい。 読んでいただきありがとうございました。
はじめて質問します。 ここ数年相次いで祖父母を亡くし、いろいろと考えてしまいます。私は生まれた頃から3人の祖父母がおりました(父方の祖父は生まれる前に亡くなっています)。ところが、ここ2、3年で次々と亡くなり、亡くなった当初は仕方のないことだと思っていたのですが、亡くなってしばらくたった最近になって、祖父母に会いたいと思ってしまいます。そして、これから先両親や叔父叔母、周りの人達と別れていかなければならないということがとても怖いです。避けられないことだとわかっていても、考えるだけで泣きそうになります。こんな調子でこれから先、生きていけるのか不安です。どうしようもない悩みですが、お坊さんの意見を聞きたいです。