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検索結果: 2117件

お坊様方、改めて教えに向き合ってみませんか?

報いきれるほどの恩ではない。この世でどのようなことをしても、お坊さんの大恩に及ばないのです。私の参じたお方に報いきれないのです。 大概の僧侶志望の方は、僧侶という型枠に収まり、呆けた顔をしたいだけでしょう。(違う人も当然、いるでしょうけど) このhasunohaに南伝仏教の本を勧めるお坊さんがいました。 なぜ浄土宗門徒ならば一心に念仏を唱えよ。と言われないのか? そうでないなら、この宗派は貴方の要求に応対できないと、 宣伝して回っているようなものである。師の恥だ。 煩悩を滅するのが道であるなら、すぐに南伝へ飛び出して出家すべきでしょう。 命はいつ果てるとも知れず、呑気に書き込む時間などないはずである。 一宗派の門徒ならば、師から伝えられた安心を絞り出し、絞り出して、 与えるべきである。南伝なんぞの教えは不要でしょう。 青白い顔をして訪ねてきた人に、この本を読んでみろと言うのか? 崖に捕まって、落ちそうな人間にこの本を読めと言うのか? 本を勧めるのが悪いのではなくて、相手の心に真に向き合うべきでしょう。 頑張る気力が湧かないと嘆いて苦しんでいる人間に、 「努力にこそ価値がある」と答えを返した僧侶はいないだろうか? 砂漠のど真ん中にいて、飢えて苦しんでいる人間に、 雑巾を絞って、絞って、ひねり出した一滴を捧げるが如く、 求むる者に注ぐべきである。 真に苦しむものは雑巾の水でも礼拝して飲む。 例え地球に宇宙人が攻め込んで、インデペンデンスデイの如く、 飛行機で宇宙船に突っ込み、地球の危機を救っても、 お坊様の恩に報いきれるものではない。 未来永劫に輪廻して善行善業を積み続けても、報いきれるものではない。 hasunohaで答える程に頑張っているお坊様がこの程度(すみません、ごめんなさい)なので、現状の日本仏教界の内実を察するに十分ですよ…すいません。 意識の低いものが跋扈し、仏を貶めるだろう。 正法は、ロウソクの火のように弱ってこのまま絶えるのではないかと、 心配するばかりです。 門徒の恥は師僧の恥であり、師僧の恥は宗祖の恥だと思います。 碌な返答も出来ず惑わすようであるならば、黙していた方がマシです。 偉そうに説教みたくなってごめんなさい。 ただ反省はいくらしても、一円も掛からないので損はしないと思うのです。 私も道の途中ですので、頑張ります!合掌

有り難し有り難し 278
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信仰ってなんだろう

私は、信仰するということの概念について悩んでいます。何故なら、私は、神様や仏様の存在を信じてはいるのですが、それは人間の心の内にある概念に過ぎず、形而下で捕捉できるものではないと思っており、この考え方が取っ払えない以上は心底から神仏を信仰することは叶わないのではという疑念を抱いているからです。 私がこのような考え方をもったきっかけは、遠藤周作さんによる著書「沈黙」を読んだことです。ご存知でない方に簡単にあらすじを説明しますと、キリスト教の弾圧があった江戸時代に、ある宣教師が拷問の末に棄教したという報を受けてその弟子が真相を求めて来日し、救いを求める弱い隠れキリシタンや彼らを拷問にかける大名と出会いながら、仏教との相違や絶対神の是非について考え、葛藤するというものです。 私がこの小説で衝撃を受けたのは、諸行無常の考えを礎とした仏教を信仰しているはずの大名が、キリシタンだというだけで農民の魔女狩りを行い、キリスト教の弾圧に執心していたことです。 宗教というのは、固まった思想を提示することで人々の心を安定させたり、民衆を統制させる側面があるとは思うのですが、劇中のように政の道具としての扱いにとどまったり、科学が普及した現在において金稼ぎのダシに成り下がってしまったりする宗教文化を多々見ると、もしかして心の底から神仏の存在を信仰することは最早なり得ないのではないか、という疑念を感じずにはいられません。 こうした疑念に輪をかけるのが、自然の脅威です。現在猛威を振るうコロナウイルスや、台風、地震などといった災害は、私たちにとっては害悪でしかなく、早期の収束や撲滅を願われるばかりですが、それらの現象は我々の嘆願とは関係なくただ事実として存在するのみであり、これらを既成の宗教概念によって説明するには限界が生じるのではないかと思います。それを考慮すると、我々に都合の良い神仏への疑念が益々助長されるばかりです。 私は、目的によっては多少の方便は許されても良いと思っていますが、神仏を本気で現実のものと信じている方々のことを考えるとどうしても後ろめたいものを感じます。こうしたことについて、僧侶の皆様はどう思われるのでしょうか。冒涜と思われるのでしょうか。それとも、これも信仰と思われるのでしょうか。 大変無礼な質問であると承知しておりますが、何卒宜しくお願いいたします。

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宗派の違い

何度も質問させていただいております。 毎回丁寧な回答をいただいて感謝しております。 さて、私は今までキリスト教の学校を卒業し、イスラム教の国に住み、特に宗教は持たずに全ての宗教は知識として学んできた程度でした。 元々追求すること、考えること、科学的にものを見る質なので現実的にに世の中を見てきました。 そして最近行き着いた答えは、科学と神秘、宇宙と人間は皆同じなのだということです。 バレエに人生のほとんどを費やしていますが、これはほぼ稽古、修行、メディテーションです。これを通していろいろなことを学んでいます。 そこでたまたま仏教について読んだところ、正に宗教という概念もなく実践してきたことそのものだったのです。 どんな贈り物よりも嬉しい発見でした。 それから毎日、宗派や教えを調べましたが、困ったことに『そう言われればそうかもしれない』という教えの違いばかりなのです。結局のところ、一つの目的をもって正しく生きることを遂行すれば宗派など問題ないのでは?と思うのですが、現実問題いかがなものでしょうか。 今後真剣に仏教を学びたいと思ったときに、どのようにして適切な宗派を選ぶべきなのでしょうか。

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父親の死について

初めまして。 父親が亡くなってから、3ヶ月経ちました。 仕事中に亡くなりました。原因は、会社側にあるとのことです。 家族みんな、突然の出来事すぎて、悲しいしさみしいけれど、まだ生きているようにも思います。 父親は"これから"がある年齢で亡くなりました。 孫がたくさんいます。私は、父親に孫との思い出を沢山作らせてあげたいと考えていました。 それなのに、失礼にはあたると思いますが、病死ではなく、仕事中のしかも原因は会社側にある死に方。 受け入れたくても、受け入れきれません。 相談したくて書き込んでいるのか、ただ聞いてほしくて書きこんでいるのかもよく分かりません。 気になることはあります。 ・こういう突然の死は、父親の運命?だったのか。 ・父は、あの世という世界へいけているのか。 この2点が気になります。 お坊さんの経験談?でもいいので答えていただきたいです。 あと、夢に父親が出てきます。亡くなったばかりの頃は、父親から大丈夫と聞かれました。 最近は、夢の中で私は生き返ったと思っているのですが、身内ではなく他人、医療系?の人に死んでるんだからかわいそうだよと言われました。 何か意味はあるのでしょうか。私が考えすぎなのでしょうか。 乱文になってしまいましたが、なにか一言でもいいので、いただけたらと思います。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 12
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中絶してしまった我が子への供養

前回のご相談のその後、 中期中絶をしました。降りてきてくれた子は女の子でした。とても小さな子でしたが、顔立ちも整った立派で愛らしい赤ちゃんでした。 赤ちゃんと最後の時間を過ごし、思い出作りをしました。週明けには最後のお別れをします。 パートナーと私に、無償の愛と沢山の事を身をもって教えてくれ2人に希望を残してくれた事から 希愛(まな)と名付けました。 分骨をし、希愛を想い、決して忘れない様、2人成長して生きます。思い出の品とお骨を小さな祭壇に置き自宅での供養をと思っていますが、やはりお寺さんで供養して貰うべきでしょうか? パートナーのご両親から婚約不履行、猛反対をされての現状ですので、お相手のご両親に内緒でお付き合いは継続している状態ですが、 パートナーも私も、気持ちの整理が出来ておらず、今後のお付き合いの果てに再度、結婚、妊娠という未来は絶望的な事、私の持病を完治に近い状態まで持っていき、認め、支え、尊敬できる存在になったら結婚したいと言ってくれていますが、パートナーのご両親に理解して頂く事は難しいとも考えています。相手は何れご両親の近くに住み移る事になるとも思いますし、私はご両親と上手くやっていける自信がないです。 中絶という結果と度重なる話し合いでパートナーのご両親に対して不快感しか抱く事が出来ず、二度と関わりたくありません。 時間が経てばまた違った考え方も出来るようになるかと思いますが、どの様な気持ちで過ごしていけば良いでしょうか。

有り難し有り難し 20
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