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hasunoha 問答検索結果 : 「先生 生きる 」
検索結果: 2199件

どんな考えを持って学校に行くべきですか

こんにちは。 私は進学校に通っています。家から1番近くほかに行きたい高校も特にはないということで入学しました。ですが勉強についていけず、友達を作るのも得意ではなく、学校に行く意味をあまり見出せなくなってしまい不登校気味になってしまいました。 進学校というと大学進学が普通の進路ですが、私にはもっと違う目標があります。具体的に何と明かすことはできませんが、特殊な職業です。 両親とも相談をして応援してくれると言われましたが、それを目指す条件として、学校にはちゃんと通いなさいと言われました。そのこともあり不登校から抜け出せたと思います。最近は休まず学校にも行き、友達もでき、勉強もそこそこやっていました。 しかし、なぜかはわかりませんが、急に行きたくなくなってしまったのです。休むことを許してはもらえないので、休むためにそれらしい嘘の理由をつくってしまいました。昔から虚言癖があり、いけないと思っていてもつい口から出てしまうのです。こんな嘘をついてまで学校を休みたくないけれど、どうしたって行けないのです。どんな気持ちでいれば学校に行くことができるようになるのでしょうか。

有り難し有り難し 10
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2024/07/20

自分の弱さと罪悪感について

はじめまして。私は今大学3年生で1年生のときから馬術部に所属しています。しかし7月からその馬術部を休部することにしました。理由は部活が怖いとずっと感じていたことと自分のやりたいことを優先したいと思ったからです。 一つ目の部活が怖いというのは、私の自己肯定感が低いため些細なことで自分を責めてしまうからです。馬術部では馬の世話、練習、会計の事務作業など仕事は多岐にわたります。私はそれらの仕事を通して他人に評価されるのが怖いと思ってしまいます。仕事ができる人だと思われたい、バカだと思われたくないという思いが強すぎて仕事をするのが怖くなっているのが現状です。本当の自分は大した人間じゃないのに実力以上に見せようとしているから辛くなります。頭の中ではわかっていてもいざ仕事で失敗して誰かに怒られた時に「自分はなんてダメなんだ」と思うのがとても怖くて逃げてしまいました。 二つ目の自分のやりたいことを優先したというのは、3年になって就活を少しずつ始めて自分は地方就職に興味があることに気づきました。またずっとカメラや民俗学や社会学などの学問も気になっていて、他にたくさん優先したいことができて部活が煩わしくなってしまいました。 最初のうちは「自分のやりたいことはやらないと」という考えで休部したことは仕方ないと思えていました。しかし休部する旨をコーチの方に話したところ、「今までやってこれたのは馬と部員のおかげだったことを忘れないでほしい」と言われました。その言葉を聞いてはっとさせられました。ずっと私は自分のことばかり考えて被害者面をしてきたけど、確かに馬と部員のおかげで経験・成長できたことがたくさんあったのだと思い出しました。私はそれに気づいてからなんて無責任なことをしてしまったんだという罪悪感がずっとあります。馬は生き物なので本来なら人間の都合で世話を放棄していいものではないのに私はしてしまいました。馬にも申し訳ないし、その馬たちを今も世話をしてくれている部員たちにも申し訳ないです。 今回の原因は自分の弱さから逃げてしまったことだと思います。私はどうやって自分の弱さに向き合えばいいでしょうか?またこの罪悪感は背負わなければいけないものでしょうか?

有り難し有り難し 21
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死後世界はありますか

少し前までは天国や極楽浄土があるのが死後だと思ってましたが身内の死以降そう思えなくなりました。死ねば骨になり土に帰りそれでおわり。 天国や極楽浄土の世界はどの宗教にも共通してあり古代エジプトでは来世で甦るための肉体が必要だからミイラにし復活をするという概念がありました。でもそれはすべて現世の人が作ったもので実際みたわけではありません、臨死体験などの話もありますが夢なのか区別がつきづらく天国や極楽浄土が垣間見れていい死後世界だったという話はきいたことがありません。 霊柩車内部にも極楽浄土の絵が描かれ死者が三途の川を渡れるように六文銭をもたせたりする風習があります。ただそれもすべて現世の人が作ったもので実際そうかは誰もわかりません。 身内がなくなり何年もたち、やはり死んだらこの世から存在がきえ手元に骨が残され、墓という形あるものに集約され彼岸に墓参りするという残された現世の人のためで、墓も遺骨をいれる場所としか思えなくなりました。 位牌は魂いれをしますが私にはただの板にしか思えず遺骨だけか故人そのものでその先の死後世界は今まではあるように思えたけどそれは無いのだなとしか思えません。身内を亡くすと死がどういうものかよくわかります、人がいなくなるというのがどいうことかが。なので現世にいる時がすべてて誰もみたことない死後世界は存在するとはもう思えません。 広い世の中、少なからずにたような考えもった人はいるでしょうが誰にでもできる話じゃないので周りに同じ考えの人がいるかきける時があればきいてみたいです。

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仏教の「助け合い」

先日、大学の授業で教授が「福祉の考え方は西洋から日本に入ってきた。ヨーロッパやアメリカはキリスト教の隣人愛の精神にのっとって助け合う心が人々にあるから福祉が充実しているけれど日本ではキリスト教がメジャーではないからなかなか助け合いや福祉の精神が広まっていない。」と話していました。私は宗教についてあまり詳しい方ではありませんが隣人愛という言葉は知っていますし、確かにキリスト教を信仰する人が多い国で福祉の心が根付いているというのは何となく納得が出来ます。 でも、日本人にも助け合うという考えはあるはずだと思います。熊本の地震があった際も、火事場泥棒などひどいことをする人もいるようですが現地にボランティアに行ったり募金などの支援をしたり、困っている人を助ける動きがあるという話もたくさん聞きました。なので、教授の「キリスト教が浸透していない国では福祉の考えも浸透しない」といった話を聞いて何だかもやもやしてしまいました。 そこでお聞きしたいのですが、仏教においてもキリスト教でいう隣人愛のような、誰かと助け合う、支え合うという教えはあるのでしょうか。無宗教だという人も多いので何も宗教の考えだけが人の助け合いのベースではないと思いますが、日本は仏教が身近という人も多いと思うので、仏教にもそういった教え、精神があればぜひ教えてください。

有り難し有り難し 244
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2025/05/19

夫に執着するのをやめたい

私はいま、小さい時の心の傷と、去年の夫との出来事が混ざって、夫に執着してしまっています。 小さい時、いつも母と犬が一緒にいたのですが(父は仕事)、ある日朝目覚めたら母も犬もいませんでした。 ただ、母が散歩に行くタイミングに起きてしまっただけで、今は笑い話なのですが、その時はパニックになり「ママー!」と叫び泣いていました。 このとき感じた一人の恐怖、寂しさ、なんで置いていかれたのか、捨てられたのではないか、この感情が今になって邪魔をしてきます。 去年の夫との出来事は、結婚後約5カ月間、夫が仕事で不在だったことです。 夫は自衛官で訓練や教育で3日〜1ヶ月ほど留守にすることがあります。 去年は夫がずっと夢見ていた、ある種目の世界大会の選手になるための選抜に挑みました。 それが4月末〜11月までの予定でした。でも、その小さい時の記憶や結婚後やっと一緒に生活できると思っていたのにできない悲しみ、辛さが合わさり8月に適応障害となりました。 リスカや自殺願望がありその場所まで行くことなどをしました。 夫にも攻撃的で、死ぬ、死にたいと言っていました。結果、夫は9月に帰ってきてくれました。 でも、トラウマとなり夫が1日でも仕事で不在になるとパニックになっています。 1時間以上泣き、どうして置いていくの、1人にしないで、寂しい、心臓が掴まれたみたいに痛いと夫を困らせました。 昨日もまた2週間近く不在になると言われパニックになりました。 一旦は夫に「仕事で行くだけだからちゃんと帰ってくるよ、置いていくんじゃなくて仕事で行くだけだから、お留守番長くさせちゃうけど帰ってくるから」と言ってもらい、小さい時の私は心の中で静かになりました。 でも、また朝になると心臓を中心に不安が大きくなり気持ちが病んで、適応障害だった頃のように自分を傷つけたり夫を攻撃しようとしてしまいます。 ずっとこのまま夫に執着していれば、また適応障害になったり鬱や自殺未遂をしそうで怖いんです。 夫がいなくても自分の時間を楽しんだり、自分磨きや心を平然と保つ方法、切替え方はないのでしょうか。 自分と向き合うしかないのであれば、夫に「仕事で行くだけだからちゃんと帰ってくるよ、置いていくんじゃなくて仕事で行くだけだから」と言ってもらうのは効果があるのでしょうか。別の方法があれば教えてほしいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 17
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