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hasunoha 問答検索結果 : 「名前」
検索結果: 2516件

頑張りが報われない

質問したばかりなのに、またすぐに質問してしまい申し訳ありません。 現在、就職活動中であり、先日第一志望の病院を受験し、また不採用となってしまいました。 友人も受けており、友人は内定を頂いていました。この友人は大学に入り、最も仲良くなった友人で、就活や将来の事などお互いによく相談し合っていました。一緒に遊びにもよく行きます。 私は7月から就活を始めましたが、友人は今回の病院からやっと就活を始めたという状態でした。自分は7月からずっと色々な所へ病院見学に行ったり、試験対策をしたり必死にやってきたのに、就活始めてすぐに内定を貰った友人を見て、悔しさや嫉妬の気持ちが生まれました。 友人は、就活の対策をほとんどしておらず、勉強なども頑張るタイプではありませんでした。しかし、要領が非常によく何事も上手くこなしていく人でした。要領が良い友人を羨ましいと思っていました。 長い時間をかけたから良いというものではないとわかってはいますが、今まで頑張ってきた自分は何なのだろうと思ってしまいました。努力が報われない悔しさに涙が止まりません。辛いです。 自分のが努力してきたはずだから、友人よりはできるであろうという思いもあったのだと思います。この気持ちが余計悔しさを増幅させました。友人の事を見下してるような自分もどうなんだとも思いました。 努力したことが必ずしも報われないというのは今まで生きてきて、痛いほど感じています。 でも、この報われない悔しさは何度経験しても慣れません。引きずってしまうこともあります。今は、それでも頑張り続けなきゃいけないのが辛いです。要領よくなれたら、どんなに楽だろうかとも思ってしまいます。 私は将来への不安から焦り過ぎて、頑張りが空回ってしまっているんだと思います。今まで頑張って来たことは無駄なのかと考えてしまいます。 頑張りはいつか報われますか。無駄にはなりませんか。 愚痴のような質問をしてしまい申し訳ありません。ご回答頂けると幸いです。よろしくお願いします。

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どうすれば自信がつきますか?

こんにちは。 さっそくですが、本題です。 わたしは自分に自信がありません。 自信がないからこそ常に周りの人間と自分を比べて、 Aさんには〇〇で私のほうが秀でている Bさんには△△で私のほうが勝っている と無意識のうちに考えてしまっています。 自分が優っている点が無い相手に対しては 近づきたくない、と思ってしまいます。 (本当に何においても優ってないかどうかではなく、自らが自分の方が優っている点を認められるかどうかが問題です。) 自分に自信が無いことで気持ちが沈んでしまったり、 交友関係が狭まってしまっていると感じたり、ということに悩んでいます。 常に自信があるフリ、堂々としていて怖いものなど何もないフリをするのに疲れてしまう時があります。 自分にも弱さがあると認めること、それを他人にさらけ出すことが恐いのです。 「強いわたし」という仮面が剥がれたらみんなが離れていってしまうような、 離れていった何人かは自分の「敵」にさえなってしまうのではないか、 というような強迫観念、自信の無さから 自分は強い、自分は他人より優っている、と強く思わないとやっていけません。 (この辺は小学生の頃にイジメにあい、4~6年生の間に転入先の小学校でクラス替えがない学級の中、たった独りで耐えなければならなかったことの影響かと思います) もっと肩の力を抜いて人を信用し、 自分を認め、本当の意味での自信をつけるにはどうしたらよいのでしょうか?

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寺院の跡継ぎについて

私は寺院の長女として生まれ、育てられてきました。今は社会人として実家から離れたところで一人暮らしをしております。 少し離れた弟と妹がおり、弟が生まれてからは弟が寺院の跡取りとして育てられています。しかし、その弟が反抗期で、寺院を継ぎたくないと言っています。 私自身、寺院で育ったからと言って特別いい思いをしたこともなく、むしろマイナスにしか感じてこなかったので弟の気持ちはよく分かります。 そのことについて住職である父は、「弟が継がないのであればこの家を出ていかなければならない」「もう俺の代で終わりか」と悲観的な事も言えば、弟に対して強く当たったりもしているようです。 そして、この前父と二人で話し合った際、「兄弟三人、平等に継ぐ可能性がある」「お前だけが先に結婚して跡継ぎ問題から一抜けするのはずるい」というような事を言われました。 しかし、男兄弟がいるにも関わらずどう言う形であれ女が寺院を継ぐというのはあまり受け入れられない気がします。 また、生まれた頃から跡取りだからと父に優遇されてきた弟を見て、苦しい思いをしてきたこの何年間は何だったのかという気持ちにもなります。 何より、歳の離れた兄弟が進路を決めるまで待っていたら、自分の人生がめちゃくちゃになってしまうと思います。 父の代まで続いてきた寺院を、弟に継いで欲しい気持ちは分かります。私と妹にも継ぐ可能性はあると言いつつも、弟に継いで欲しい気持ちが一番だと思います。 ただ、父の弟に対する当たりが強く、それでは嫌われても当然だと思う事も多々あります。弟の気持ちも痛い位に分かります。 このまま穏便に、誰も嫌な思いをする事なく解決できる方法はないのでしょうか。

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オススメの仏教のお話ってありますか?

こんばんは 私は特に信じている宗教はありませんが高校大学と、キリスト教系の学校にいました。学びたいものがその学校にあっただけなので、別にキリスト教を学びたくて行ったわけではありません。 しかし、高校の時、聖書の授業を担当していた先生がとても面白い人でした。 旧約聖書の創世記の初めの「天地創造」の話をしていた時のことです。神が7日かけて世界を創造した、というものなのですが、生徒に向かって「皆さんはこの話を信じますか?僕は、ぶっちゃけ嘘臭いと思っています」と発言なさったのです。 牧師でもある先生がそんなこと言うなんて…と本当に驚くと同時に、「あぁ、宗教そのものや宗教を信じている人は今まで避けてきたけど、意外と身近で面白いのかもしれない」と感じました。 その後もその先生は、カトリックの修道院を体験しに行った話や、絵画とキリスト教の繋がりなど、一般人でも分かりやすいよう教えてくださいました。そこから、私のキリスト教への興味が開かれたのだと思っています。 すみません、ここまでが長い前置きです。 私が質問したかったのは、仏教の分かりやすい(出来れば面白い)お話が何かないかなとふと思ったので、みなさまにお聞きしたかったのです。 物語調のでも嬉しいですし、お釈迦様のこういう話があってね、というものでも嬉しいです。教えていただければ何でも嬉しいです。 お恥ずかしながら、私の仏教の知識は「聖おにいさん」を読んで知ってるレベルですが…。 キリスト教は少し学べたので、次は多くの日本人にとってとても身近な仏教のことも知ってみたいと思うのです。 なにぶん、何もわかりません。この質問もどう聞いたらいいか悩みに悩んで迷走しながら書いています。私が住んでいるのが、お寺が近くにない田舎でして…気軽に聞けるのはここのサイトなのです。 最近hasunohaを見ていて、高校の時の先生っぽいお坊さんがいるなあ、やっぱ宗教者といえど同じ人間、凄く面白いな、もっと話聞いてみたいなあと思いながら色んな問答を読んでいます。 すみません、だいぶ迷走しました。 もしよければ、回答お願いします。

有り難し有り難し 41
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自死した夫に念仏を未だ唱えてません…

お世話になります。 ここで何度か有難い、気持ちが落ち着くようなお返事いただいておりますが、未だ、自死した夫に手を合わせれず、仏壇の前に座れず、念仏も唱えてない状況です。 ちゃんと仏様に導かれて、今は安らかに、私達を見守っているかなー、 迷わず、暗闇が抜け出せたかなーと気になります。 念仏を唱えると、ちゃんと温かく手をさしのべてくれるのが仏教、浄土宗と聞いてますが、私は手を合わせる事も出来ず、南無阿弥陀仏ととなえる事も出来てません。 仏壇の前に座れずにいます。 こんなんで、私もあの世に逝ってしまったら、夫と同じとこにはいけない気がしてます… 夫に会いたくてたまりません また、こちらで拝見させていただいてる中で、自分が亡くなっても、夫と同じとこには行けないみたいですね… 私がもし後追いでもしても、夫と同じとこには行けないみたいですが、後追いしなくても後々、私の寿命がきても、亡くなり方が違うので行く場所は違うのでしょうか? よく、南無阿弥陀仏と唱えましょう…や、手を合わせればきっと救ってくださいます…と聞きます。 今の私では無理です。出来ないです。 今、まだ心配で後悔してウロウロしてるのかなと… 夫に会いたいです

有り難し有り難し 26
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人生の目的

“いまは自分には、幸福も不幸もありません。ただ、一さいは過ぎて行きます。” 太宰治の人間失格の行です。 太宰治と言えば、ネガティブなイメージで捉えられるケースが多く、この行も自死を決断した際の言葉だとも言われています。 でも、僕にはこれが『悟りの境地』なのではないかと思えてしまいます。 最近、『死』を意識するようになりました。 決して自死願望などではなく、自分の人生が良かったか悪かったかを判断するのは、死の瞬間に走馬灯のように自分を振り返る時に、自分自身で判断するものだと思うようになったのです。 だから、今を精一杯生きようと... ただ、それが空回りしたのか、ベクトルを間違えたのか、自分の理想ばかりが鮮明になってしまい、現実が非常につまらないもの・美しくないものに見えてしまい、虚無感に苛まれておりました。 先般の質問に対してご回答を賜り、理想と現実のギャップについて学びを得させていただきました。 ありのままにすべてを受け入れることは、簡単なことではありませんし、それを理想にしてしまえば、また堂々巡りのように自分中心の思考に嵌まってしまう... ここで、改めて質問をさせて下さい。 輪廻転生がないものだと仮定すれば、人は生まれてきて死ぬまでに、どんな意味を持つのでしょうか? 煩悩を捨て、ニュートラルな思考で生きることが最善であるならば、そこには何の喜びがあるのでしょうか? 輪廻転生があるのだとすれば話は別だと思いますが、それを記憶出来ない以上は、敢えて現世の人生の中での部分に絞ってお伺い致します。

有り難し有り難し 66
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