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hasunoha 問答検索結果 : 「私 お経 」
検索結果: 2696件

祖母の死

今年の1月に闘病中の祖母を亡くしました。年末年始に一時帰宅した時はまだ元気でしたが、以降一気に悪くなり、私を含め家族も心の準備ができていないままでした。祖母とは、私が社会人になってからの約6年間、ほぼ同居というかたちで一緒に過ごしてきたこともあり、しばらくの間は気持ちがふわっとしていて、受け入れられずにおりました。祖母の死から約4ヶ月も経ちましたが、いまだに気持ちがうまく整理できていません。母親からは『親よりもずっと一緒にいた訳だから当然よ』と慰めてくれますが、自分だけ祖母が亡くなった1月から時が止まっているような気がしてます。『あのときもっとおばあちゃんとお話をしておけばよかったかな』や『おばあちゃんとの時間をもっと大切にしておけばよかった』という後悔と、一時帰宅から病院へ戻るときに『元気になってまたお家に一緒に戻ろうね』と手を握りながら交わした言葉を思い出します。また、入院中の祖母や元気な時の祖母と過ごす夢を見て、泣きながら目覚めるということも何度もありました。 どのようにして気持ちを切り替えて前に進めることができるのでしょうか。 お忙しいところ恐れ入りますがよろしくお願い致します。

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生前に払った葬儀費用代金について。

祖母 北海道生まれ・地元で死亡 ↓ ①父→子 相談者・桜雪 父は北海道生まれで現在関東在住。 病気の為、外出は出来ません。 相談者・桜雪も関東に在住していましたが、結婚を期に北海道へ。 ②叔母①・北海道・地元で死亡 ③叔父・北海道・地元外で死亡 ④叔母②・軽度精神障害者 北海道・地元で施設暮らし 祖母が生前叔母②の為に、お世話になっているお寺に葬儀費用として叔母②の名義で100万円を支払っておりました。 所が、叔母の面倒をみていてくれた叔父が亡くなり 叔母の面倒は相談者に。 相談者の家系は相談者以外に子供がいず、お墓の管理も遠距離で出来ない為に、ゆくゆくは墓じまい予定です。 叔母のお葬式も施設でやる為に、葬儀費用はかかりません。そこで返金を要求したいのですが、どうやら住職さんは嫌なご様子です。 一度も住職さんとはお会いした事なく、失礼になったら申し訳ないので、とりあえず返金内容の件はは伏せて、お会いしてご相談したい事があると電話で伝えた所、なぜか逆ギレされ声色恐ろしい口調でマシンガントークのようなお説教をされてしまいました。 弁護士さんにも相談し、住職さんは私共に返金義務があるとの見解を頂いておりますし、叔母名義の領収書も現存していますから、トラブルなく返金して頂きたいのですが… 難しいのでしょうか? お答え辛い内容で…大変失礼な質問だと承知の上なのですが、ご教示よろしくお願い致します。

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見返りを求めてしまいます

普段から好かれたくて人に親切にしたり、何か褒美を得られるからといった理由で行動を起こすことが多いです。 そのおかげでよく優しいね、えらいね、と言われますが、実際はとても自分本位な性格なので得にならないことだと途端に面倒くさがってしまいます。 他人に優しくするのも、自分が好かれたい、優しくされたいという下心からです。 浅ましいと自分でも思います。 優しくされたいから仕方ない!と開き直ったり、自分はなんて人間なのだと落ち込んだりする日々です。 どうしていいか分からず苦しいです。でも優しくされたいです。好かれたいです。見返りを求めてしまいます。 その一方で必死すぎてきもいなとも思います。 昔、友人から雑な扱いを受けていて、度々「いないもの」にされていました。発言、行動を無視されたり、否定されたり、馬鹿にされたりといった扱いです。それが2年ちょい続いて正直かなりきつかったです。 向こうは冗談のつもりだったらしく、のちに謝ってくれてこの件は解決しました。でもこれをきっかけに、こんな調子になった気がします。 また、「無償の愛」について語るドラマや人を見ると、そんなものあるわけないじゃん、と思ってしまいます。 そんな考えを持つ自分が嫌です。 長いうえに文章がまとまっていなくて申し訳ありません。 一体どうすれば考えを改められるのでしょうか。

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怒られること、叱られることが怖くてしょうがないです。

ご質問させていただきます。 昔から、両親から褒められず、叱られて(怒られて)ばかりで育ちました。 そのためか、誰かから叱られたり、怒られたりすることが怖くてしょうがないです。 物事を誘って、断られるのも怖いです。 例えば、誰かを「今度食事に行きましょう」と誘ったとします。 当然、仕事が立て込んでいたり、他の用事が入っていたとしたら断る、という選択肢はあるはずです。 これが頭で理解していることだとしたら、心で思うことは、こんなことです。 つまり、「私が嫌いだからそういうことを言うんだな」と自動的に思ってしまいます。 怒られる、叱られる場合もそうです。 そういうときには、「私の行動や私によって引き起こされている状況をとがめている」が正しい認識であるはずなのに、「私という人間そのものが否定されている」と思ってしまいます。 ここに書き込む前に、自分なりに状況を消化してみました。 おそらく、自分が大嫌いで、自己評価が恐ろしく低いことと関係はしているのでしょう。 (私は心理学の専門家ではないので確かなことは言えませんが。) 「自分は受け入れてもらえるような存在ではない、否定されて当たり前なんだ」と思ってしまっているからこんな状況が引き起こされているんだと思います。 よく、こういう人に対して、「ありのままでいていいよ」という言い方がされると思います。 「ありのままでいる」ってどういうことですか? なんとなく同じような事ばかり質問して申し訳ありません。 ただ、私という人間の根源にある問題が同じである以上、同じようなトーンの質問になってしまうのは仕方ない、とは思っています。

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祖母のお骨についてアドバイスお願いします。

昨年祖母が亡くなりました。 葬儀は密葬で行い、お寺を通さなかったので祖父や曾祖父母が入っているお墓に納骨しておりません。 当方は結婚して実家を出ている為、このお墓に今後入る予定はないのですが実の両親はこのお墓に入りたくないので祖母のお骨も入れていません。 両親がこのお墓に入りたくない理由としては祖父が他界した時(約20年前)このお寺から戒名代もかなりな高額で、その時の住職さんやお寺関係者の態度も傲慢だったのが父には我慢出来なかったそうです。 その後、事あるごとに実家にとって高額なお布施やとうば代を要求するお寺のやり方についていけないのもあり、お寺の方針を受け入れられないのです。 その為両親はお寺に不満が溜まり、祖母と話し合った結果、祖母のお骨は手元に置いておくという約束を生前の祖母としたみたいです。(当方は祖母から実際にこの話を聞いていないので両親が本音で話しているかは不明ですが…) しかしこの決断を受け入れられない叔父や親戚から「祖母をきちんとお墓に入れるべき・お金の問題ではない・祖母が可哀想」と言ってきます。 父は断固として叔父や親戚の意見を受け入れずにいます。 私は嫁に出た立場なので何も言えませんが、故人のお骨で家族や親戚がいざこざ起こすのは祖母が一番悲しむと思います。 私は今後どのようにしたら良いでしょうか? 私は祖母の意思を尊重してあげたいとも思うし、交友があった親戚が祖母をお参りしたい気持ちも分かります。 ただ喪主である父の意思が固すぎるので何を言っても父は受け入れてくれません。 

有り難し有り難し 60
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後悔の毎日

色々と書き込みばかりですみません。 毎日、後悔、喪失感、悲しみに苛まれています。 以前の質問で何度も書かせてもらいましたが、昨年10月に母をなくしました、年齢的にはそういう年になっていますが、勝手にまだまだ先の話と思っていました。十数年前に父が他界し、すぐに母が脳梗塞で倒れました。幸いにも身体に障害はなく、私が引き取りました。 それ以後二人暮しで、ある夜、頭が痛いといい、救急車で病院へ運び、しばらく入院ということで、私は明日入院の用意をして来るよう帰されました。明日またくるからねと、軽く肩を叩きましたが、母はこっちを見ていたが返事はしませんでした。今考えるともう物が言えない状態だったのかと。その時の表情は今も忘れられません。 次の朝、病院から電話で、容態が変わったので来てくれと。行くともう意識はなく、血圧や脈を測るモニターやチューブに繋がれ、点滴されていました。 延命治療の確認をされ、長く苦しむよりはと断りました。以来、高熱が続き、時々苦しそうでした。食事もできず、チューブで胃に流し込み、時々嘔吐。一週間後、洗濯に帰っている間に呼吸がとまり、死に際にも付いていてやれませんでした。 以後、私も病で長期休職し家にいますが、冬がこんなに寒く、夏がこんなに暑い、段差だらけで年寄りには過酷な環境、部屋で、家事をしてくれ、一人で通院し、家族に看取られずに逝きました。 しかも延命治療を断り、死なせ、殺しました。 最後にありがとうも、ごめんも何も伝えられませんでした。悲しみ、喪失感、後悔の毎日です。よく日にち薬とか、医者や知り合いには、そんなことで母は喜ばない、悲しんでいたら故人が浮かばれないといわれます。頭では分かっています。 たとえ一日に一回でも食事をすることに罪悪感も感じます。 ここで教えていただいて、毎日、日中と夕方の二回、お勤めしています。亡くなってからでは何もかも遅い、何度か死にたいと思いましたが、勇気も無く、気力もなく、生きながらえている自分が情けなく苛立ちます。正直、母がいなければと思ったこともありました、けれども今、こんな情けない自分。 自分でも何の質問なのかも分かりません、ただただ自分の気持ちをぶつける場所が欲しかっただけかも知れません。 特にご回答は結構です。申し訳ありませんでした、長々と大変失礼しました。

有り難し有り難し 228
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坊さんなのにこれからの将来が見えない

実家が寺で、仏教系の大学に通っている僧侶見習いです。 僧侶が社会システムにおいて必要とされる意義が「人に仮初の夢を見せて心のケアをする」以外しか見いだせなくてこれからの将来に絶望しています。 僧侶は、昔みたいに医者の代わりや教員の代わりをする訳でもなく、月回向や葬儀関連で人々の心を慰めるくらいしかしていません。 僧侶が利益(りえき)を得ることを人々は否定します。実際、聖職であるが故に本来は金銭を対価に何かをするというのはあまりに俗に塗れているような気がします。布施はそれ自体が神聖なものであることは分かっています。 しかし結局のところ、(観光という商売をしている寺は除いて)寺やそこにある僧侶という存在は「嘘をついて金を檀家さんや信者さんから貰う」ものに過ぎないのではないか?と思ってしまっているのです。 道徳を説くならそれはカウンセラーでも哲学者でも構わないわけです。 では僧侶が持つ他とは違うアイデンティティとは何かと言ってしまえば「仏教という仏になる為の指針」なのですが、結局のところ今の今まで人の身で完全に釈尊(応身)と同じステージに立った者もいない訳で。 本当に仏となることが出来るかも分からない教え、しかも数多の偽典があるであろう経典の内容を引いてきて、悩める人々に滔々とそれを説く。自分の中ではこれから自分がなる僧侶という職は、そんなもののように思えてしまいます。 私よりも遥かに経験を積み、たくさんの経典を読んだここにいらっしゃるお坊さんの方々に、私の悩みをただ、聞いて欲しいです。そして願わくは、自分の中の仏教に対する、僧侶に対する悪感情を解く何かを教えて欲しいです。 散文的になってしまい、申し訳ありません。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 116
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