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hasunoha 問答検索結果 : 「 出家 」
検索結果: 999件

自死した娘の命日を迎えるのが怖いです

いつも相談をさせていただきありがとうございます。 数ヵ月に昨年亡くなった娘の命日を迎えます。その日に私は自分自身がどうなってしまうか、とても怖いです。 娘が亡くなったとき、数日間私は長女の引越の手伝いに通っていました。その日はそんなに疲れていないのに夕方なぜか胸の痛みと息苦しさを感じていました。 しんどいなと思いながらなんとか帰宅していつもどおり夕飯を終えてくつろいでいた夜9時過ぎに、娘の異変を知らせる電話が入りました。 警察署でさまざまな手続きを終えて検死をした医師から渡された死亡診断書に書かれた死亡推定時刻は、私が息苦しさを感じていた頃と同じ夕方5時頃でした。 私の体の不調は娘からのメッセージだったとすぐに思いました。娘は私のことが大好きでした。心や行動が不安定だったときも「いちばんの理解者でいてくれてありがとう」と書いた誕生日カードをくれました。 最期まで私を思っていてくれたんだと思っています。その娘が死を選ぶまで何を悩み何に苦しみ、どんなに絶望をしたのかを思わない日はありません。 そんな中で迎える命日は、きっと朝から「去年のいまごろあの子は…」「この時間にこうしてあげていれば…」と考えるに違いありません。そうして絶命した時間を迎えるとき、私は自分がどうなってしまうのか、正気でいられるのかわかりません。 とても怖いのです。 本当に怖いです。 その時をどう迎えればよいでしょうか。また、それまでに今から私ができることは何かあるでしょうか。

有り難し有り難し 22
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お経を現代語訳にするにあたって

おはようございます。 いつも、質問に答えていただきありがとうございます。 私は趣味でお経を現代語訳していて、般若心経と正信偈から取りかかっています。 最初は親鸞様が人なのか、仏像なのかもわからない所からだったので、初めて知ることばかりで楽しく、ノリノリで現代語訳にしていたのですが、最近スランプというか、行き詰まり気味です。 まず、私の知識が皆無なので一節を読みくだくのにかなり時間がかかるのと、お釈迦様や阿弥陀様を信じていることが前提での言葉が多くて、まだ信じるという境地にはほど遠い私のような者がお経を読みくだいていくというのは申し訳ないというか、身分不相応ではないかとモヤモヤします。 モヤモヤしたまま、取り組んではいるのですが最初のスラスラ出来た時とは違い、毎回「難しい〜💧」と頭を抱えてしまうことが多く、手が遠のきそうになっています。 お経を現代語訳にするにあたって、これは手話で伝えることが出来ないだろうか?という野望もあって、とりあえず今、取り組んでいることは草稿みたいなもので最後まで出来たら、もう一度手話と照らし合わせて読み砕いていこうとは考えているのですが、なにぶん独学であることと、知識のなさで「これで合っているのか?」と日々、悩むことが増えてきました。 こんなにモヤモヤした気持ちでお経と向き合ってもいいのでしょうか? 私の気持ちとしては、続けたいのが本音です。でも、この状態で続けるのは仏教を愚弄しているんじゃないかとも思います。 私の中で答えを出せばいいことなのに、相談してしまってごめんなさい。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 7
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一人でいることは悪いことですか。

私は昔から人と付き合うことが苦手です。というより恐怖を感じます。 仕事では何ともないのですがプライベートはなるべく一人でいたいです。 先日、母に「あなたは小さいころ父から虐待を受けていた」と告げられました。私が物心つく前だそうです。母は姉からその話を聞いたそうで、決まって母がいないときに虐待をしたそうです。 父は普段はあまり私たちには関わらなかったのですが、怒ったときは顔が腫れ上がるくらい手をあげました。それにその時の怒声はすさまじく、今思い出しても震えるくらいです。辛辣なことも言われました。 今思えば物心つくころから私は父を避けていましたし、怒られないようにと感情を押し殺し良い子を演じていたように思います。 そのせいかわかりませんが、私は人と付き合うのを怖く感じます。 良くも悪くも人に縛られたり、傷つけられるのは嫌なのです。 自然の中にいたり、動物と接しているときはとても平穏で落ち着きます。 私にとって、他人と暮らすことは恐怖としか思えません。 三つ子の魂百までといいますが、私は一人でいるほうが心穏やかに過ごせるのです。結婚に対して、羨ましさや焦りを感じたことは一度もありません。 親や親戚は結婚の話題を出しますが、私は結婚はしたくありません。 一人でいることは悪いことでしょうか。

有り難し有り難し 20
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死にたい衝動を抑えるのがつらいです

昔から死ぬことに憧れていました。 小さい頃から母が厳しく、叱り始めると手や足が出ました。頬を叩かれたり、髪や耳を引かれたり、外に出されたりしました。 幼稚園の頃には「私が悪い子だからこんなに怒られるんだ。早くいなくなってあげないとママがかわいそうだ」と思っていました。しかし、養ってもらっている以上私の命は親のものだからと、死ぬ方法を色々調べるの止まっていました。 今思うと何を考えていたんだろうと呆れるばかりです。 中高と自立することが増え、そんな考えも薄れていました。しかし大学1年生の時に母と進路のことで仲違いし、「産んじゃって悪かったね!」と言われた時に、全て赦された気がして家にあった常備薬を全て服薬して自殺しようとしました。 その後3回ほど繰り返し、自律神経失調症の診断をもらい大学は退学、地元の専門学校へ進みました。在学中も母とのふとした会話で死にたくなりましたが、頑張って自傷行為に止まりました。 就職し、実家を出たことで収まっていた衝動ですが、職場の人間関係から再度精神疾患を発症、退職をしました。 その際は当時結婚前だった主人のおかげで持ち直したのですが、出産し育児をするようになってまた強い衝動が来ています。 思うようにいかない小さい息子にイライラすると、自分がされていたように手が出そうになります。それを腕に爪を立ててこらえます。同じ思いはさせてはダメだと、必死です。 ただ、我慢をすればするほど自分の「死にたい」という気持ちが強くなります。主人は人生で一度も「死にたい」と思ったことがないらしく理解は得られません。 今すぐにでも首を吊ってしまいたい。このハンドルを思いっきり左に切って横転させれば死ねるのでは。洗い物をしながらこの包丁を突き立てればいいのでは…と頭の中でグルグルと考えてしまいます。 小さい息子のため…と頑張って思いとどまるのですが、本当にしんどいです。 母とは現在和解しており、育児を一緒に手伝ってもらっています。母の生い立ちを知ったことで、受け入れることができました。 側から見ると仲のいい幸せな家庭に見える我が家です。 しかしそれでも「死ぬこと」が私にとって明るい未来にしか感じないのです。私は本当に死ぬことに憧れているのでしょうか。 死んではいけないのでしょうか

有り難し有り難し 9
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LGBTの現状について

こんばんは。私はトランスジェンダーの者です。(性別は女性にしてありますが戸籍上は男です) 私は日頃より「自分らしく生きる」とか「やりたいことをやる」とかそういう輝かしい未来を追い求めてきたつもりなのですが、夢見がちな性格がたたってもう何をする元気もありません。 LGBTの就職や結婚の厳しい現状は私の想像を超えるものがあり、「私はなんとかなる!」とか「頑張れば!」とか、散々ポジディブにやってきたつもりなのに結果として何一つ良いことがなく、心が折れてしまいました。 また、私は仏教学にとても興味があり当サイトに書き込むきっかけもそこにあります。 やりたいことも、時間も、興味もあるのに性的マイノリティーがあるというだけでこんなにも暗い未来しか見えないものかとかなり悲観的になっています。 親もそれなりに理解があり、不幸なんて生意気って思われる方もいると思うんですが私はいまとてつもなく不幸です。 また、合わせてご回答願いたいのですが仏門に実際にLGBTの方はいますか? また、LGBTのひとは実際現状的に僧として受け入れてもらえるのでしょうか? また、宗教上の理由でそもそもLGBTを受け入れない宗派などがあったら教えていただきたいです。 やる気もやりたいことも時間もあるのに全てに足かせや心の痛みがつきまとうというのはこんなにも辛いことなのでしょうか… ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 17
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おばあちゃんに会いたい

私は小さい頃とてもおばあちゃんっ子だったのですが、小学2年生の頃亡くなってしまいました。小学2年生だったこともあっておばあちゃんの家には1人で行くことができず、おばあちゃんが病気になって家の近くに入院するようになってからじゃないとお見舞いに行くことができませんでした。 でも入院してからのおばあちゃんは脳の病気でずっと寝たきりで喋ることができず、ずっと目をつぶっていました。 小さい私はいつものおばあちゃんと違うと思ってなかなか1人でお見舞いに行くことができず、そのままおばあちゃんは亡くなってしまいました。 亡くなってすぐ私は、なんでもっとおばあちゃんのお見舞いに行かなかったんだろうととても後悔しました。 1人で寂しかったに違いないのにとても申し訳なく思いました。 高校2年になった今でも少し思い出してとても申し訳なく思います。そしてとてもおばあちゃんに会いたくなります。 夢にたまにでてきたときはとても不思議な感覚になってまたよけいに会いたくなります。 でもおばあちゃんの仏壇にご飯をお供えをすることしかしてません。 おばあちゃんに私にほかになにかできることはないでしょうか。 おばあちゃんを近くに感じられることなどありませんか。

有り難し有り難し 57
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どうしたらトラウマを忘れられますか

物心ついた頃から両親の喧嘩は日常茶飯事で、父が家の中に火を点けた事もありました。ある日、母は血だらけになり、ついに両親は離婚。父は出て行った後、ろくに生活費もくれず母も苦労したと思うけれど、母は私に対していつも否定的で、2つ下の妹は私に対してずっと、大人になっても反抗的でした。 大人になり飲食店で働き、家には寝に帰るだけのようになったのですが、私の部屋は窓もエアコンもない3畳間で、夏は暑くて、隣の妹の部屋にはエアコンと窓があり、間の襖を少し開けて風を入れようとすると、すぐにぴしゃりと閉められました。 他にも色々書ききれない事がありましたが、一つ一つの細かい出来事が今も心にシコリのように残っていて、心の中はシコリがぶつぶつといっぱいあって、想像すると気持ち悪くなります。 子供の頃、授業参観の時、体育の授業の前に着替えて洋服をたたんでいたら、母が洋服を投げ飛ばして「早く外に出ろ」と言ったり(まだ休み時間)、友人が遊びに来てくれた時に理由は覚えていないけれど怒鳴られたり、包丁を持って追いかけられたり、遠足や運動会では母はよく寝坊して、私はお弁当を持たずに行ったり、お金があれば自分でパンを買ったりしました。少しでも母の助けになればと料理をすればそんな事求めてないと怒鳴られ(掃除も洗濯も勉強もしました)、大人になったら家を出たいと思っていたけれど、母はよく酔っぱらって、交通事故に遭い骨折等生活に支障が出る重症になる事5回。その度に看病とお金が必要になり出るに出られず、挙句に母はリウマチになりました。今はどうにか家を出ましたが、実家の近くに住んでいて、母に会うたびに心にグサリと来る事を言われて泣きながら家に帰ったりします。昔の事を忘れようと思うけれど、また新しいトラウマが増えて、溜まって行く一方です。なんだか悔しいやら悲しいやら、母や妹に拒否・否定される度に私はダメな人間なんだなと思い知らされて、時々、消えてなくなりたいと思います。 今、同棲している彼は家の事情で結婚こそできないものの、優しくて私は幸せだなと思える時もありますが、なぜか私自身が情緒不安定で泣いてしまったり、会社も休みがちになってしまったりするので彼も心配しています。彼の為にも穏やかに暮らせたらと思うのですが、どうしたら過去の事などを気にせず前向きに生きていけるでしょうか。

有り難し有り難し 26
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生活するにあたって生まれる罪悪感

初めまして。とある国立大学の学生です。 私は三月末に引越しを完了し、一人暮らしをしております。 進学するにあたっての学費や教材等にかかるお金のための積み立てはしてあり、四年間問題なく払えること。 生活費も発生するが、そこは親からの仕送りと奨学金でまかない、いずれは私自身が返済すること。 お小遣いは今まで貯めてたお年玉全額とバイト代でまかなうこと。 上記の三つを親に伝えられ、引っ越しました。引っ越したあとも、国家資格や免許、帰省用の交通費は両親が払う、と伝えられました。 両親は、このために計画を練りお金を積み立て、私に負担がかかりすぎないように工夫してくれています。その優しさと計画性に助けられているのが現状です 。 その両親からの仕送りや奨学金を使うことを躊躇い、極度の節約生活のようになりつつあります。帰省の計画があるからこそ、そこ以外で使わないようにしないといけない 、みたいな感覚に陥ります。 そして今、食事も引越し前より明らかに減り、電気もほぼ付けず、シャワーも出しっぱなしにはせず、寒くても暖房は付けず、テレビも付けない。そんな生活をしています。 両親は普通に生活してもお金に困ることは無いから大丈夫、と伝えてくれました。私もそれは理解しました。 しかし、授業には出るもののバイトもせずだらだらゲームをする生活をし、そんなことで生活費が増えていくことに罪悪感を覚えました。 両親は、この罪悪感は持つ必要は無い、と言ってくれました。 状況説明が長くなってしまい、すみません。 この罪悪感を消すにはどうしたら良いでしょうか?両親に何度説得されても、紙に書き出して整理しても消えません。

有り難し有り難し 10
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