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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 苦しみ 」
検索結果: 8657件
2024/02/27

良い人・優しい人が損する理由

YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

有り難し有り難し 9
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2023/03/29

本当の優しさとは何ですか

私は中学生の頃、人と上手く関係を築けなかったのですがその理由として、他者と優しさの認識が違ったことかと思っています。 私は争いや対立を起こしたくなく"優しさ"を追求した結果、何もしないという結論に達しました。優しさや思いやりも人によって受け取り方が違い、私にとっては優しさでも相手にとっては嫌な場合があるかもしれません。 クラス全員と互いの価値観を認め合い平和な空間を作りたかったのですが、中学生にそれは無理だと感じて、争いや対立を嫌いすぎるが故に「こうしたら嫌かもしれない...」などと懸念しすぎて行動できなかったです。 実際、自己開示よりも自己主張し合っている人が多かったです。 その結果、自己開示もせず優しくもせず傍観者のようになりました。私なりの優しさでした。自己開示するから価値観の違いで対立し、自分の尺度だけで優しさや思いやりを測るから争いが起こる。 互いに認め合える人もいたかもしれないです。そう考えると私も自分の尺度で他者を測っていたことになりますが、自己開示すれば受け入れない人もいたと思います。そうなれば対立します。でも対立は意地でもしたくない。 そのせいでどうしても信頼できなかったです。 とても全員と互いに認め合うことはできなかったと思います。対立することを受け入れてでも自己開示するべきだったでしょうか?それとも私が相手を受け入れればよかったのでしょうか? 実際、周囲の理解は得られずネガティブな誤解をたくさん受けました。でも見方を変えれば傍観者のせいで誤解させたとも捉えられます。でも傍観者を変えて自己開示すれば対立して争いが......という感じでこのループから逃れられません。 私はどうしたらよかったのでしょうか? 私の優しさは本当の優しさではないのでしょうか? だとしたら、本当の優しさとは何なのでしょうか? 長文になり申し訳ございません。

有り難し有り難し 1
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2024/12/11

第二子へ気持ち

3歳の長男と0歳の次男がいます。 あえてここでは正直な気持ちを書きます。 次男を産んだことを後悔するような気持ちが続いており苦しいです。 2人目の妊娠が分かった時も、今の幸せを手放すような気持ちになり不安だったのですが、出産後はそのような不安はなく2人子供を持てたことへの喜びを感じていました。次男のことも大切に思っていました。 ところが、生後3ヶ月前に目があいづらいことが気になり、信頼するシッターさんにも指摘を受けたことから、障害があるのではないかと疑うようになりました。今生後5ヶ月前ですが、実際笑顔が少なかったりクーイングがなかったり長男とは違う様子が多いです。 将来への不安が強くなり、それと同時に次男への気持ちが変わってしまったように思います。 長男に障害があっても受け入れられるのに、次男に障害があったら受け入れられないなんて、人として最低だと思っています。 そもそも、4人家族への憧れというすごく自分本位な考えで2人目を望んだことが間違いだったのではないか、自分はありのままの2人の子を愛すことができるような人間ではなかった、と思っています。 もし障害があったら、大切な長男の幸せを守れないのではないかと不安です。 次男を産んだことで今の幸せがなくなっていくのではないかと考えてしまいます。 強くて愛情たっぷりの母でありたいのに、こんなことばかり考えて日々の生活を大切にできておらず、生き地獄のような毎日です。 このままではまずいと思いクリニックを受診することにはしているのですが、こちらでもいろいろなお言葉をいただき気持ちの整理の足掛かりにさせていただけたらありがたいです。 よろしくお願いいたします

有り難し有り難し 7
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2025/09/22

気楽に生きるとはどういう意味

気楽に生きるとはどういう意味なのでしょうか? 私は、小さな頃から厳しく育てられ、 自分や他人を許すことがとても難しく、 ですが、少し仏教の勉強をし始め、 瞑想や、瞑想しながらの自分の観察をし続けてきました。 どの私も存在する、それらをただ観るだけ。 判断せず、それも私。 と、教わった通りに観察をし続けてきました。 瞑想の時は観察がしやすいですが、 日常に戻ると、また頭の中は鬱でいっぱいになります。 あの人がこうしたのは、私を嫌ってるから!と被害妄想や、 私はダメな人間だ、といつも頭の中はネガティブです。 何人か先輩や夫に相談させていただいたところ、気楽にね。と言われることが多かったです。 私は真面目で一生懸命屋さんです。 いつも自分にムチをうち、足りない!足りない!と不足ばかりを自他共に押し付けてます。 最近、母性や慈悲を持ち、自他に優しくできることも増えましたが、 頭の中は常に何かを追いかけ、変えようとしてます。 もうそんな毎日に疲れました。 パーッ!と明るくなる時もあるけど、それは過覚醒な感じで、ネガティブもあるけど、ポジティブもあるみたいな安定さがほしいです。 でもネガティブな自分を認めることはとても難しく。 晴ればかりじゃない、曇りもある。と自分に言うものの上手くいきません。 もっと気楽に、自分らしく、優しく生きたいです。 このままでは、自分に執着ばかりで、周りの優しさや愛情に気づけません。 感謝と、気楽に生きる、を教えていただきたいです。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 35
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ペットの最期が近いという現実

時々相談させて頂いています。 今回はペットの病気ともう長くはないという現実。私自身も現実を受け入れようとしていますが、ストレスや不安から身体症状も出ています。 ペットが自分の病気をどのように感じているのか考えると、自分の辛さ以上にペットの方がきついんだと考えます。 更に心配なのが主人です。我が家には犬が2匹いますが、病気の犬は主人が自分の犬として、とても可愛がっていたため、ショックも大きく、撫でているだけで、涙が出るようです。 そんな主人にどう声をかければ良いのかわからず、その事に対しても、考えると涙が出て辛い気持ちになります。 こちらのサイトでも、ペットの病気や死について、沢山の方が相談されており、お坊様のアドバイスを読みながら、今を頑張って生きようとしているペットと最期のその時まで一緒に過ごそうと決めています。 ペットとの出会いは運命であり、ペットが私達を選んで私達の元に来る、と書いてあり、更にペットは私達が仏様の元に行かせて頂く時、そこで待っていてくれると、書いてありました。 聞いて頂きたい内容がまとまらず申し訳ありません。 何もしてあげられない自分が情けない事、悲しみに涙する主人を支えることができていない自分。 1番はやはり犬が苦しんでいるのではないか、という思い。 自分が楽になりたいからお坊様にコメントを求めている自己中心的な自分に嫌気がします。 まとまらない内容になり、申し訳ありませんでした。話を聞いて頂きありがとうございました。

有り難し有り難し 38
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母親との関係が悪化

私は、小さいころ食事はいつも一人でした。家族でするのは、元旦の朝だけで、小さいころから洗濯や掃除をし、母からは父の給料日になるとお給料をもらってくるように言われていつも間にたっていました。それが嫌で、短大の時には家を出ました。 また、私が記憶している中では、母と父が会話したところを見たことがありません。その後両親は離婚。 そんな私も結婚し、母親になりましたが、現在はシングルマザーで働いています。 母は私が大変だろうからという気持ちで一緒に住み始めましたが、私はそんな母と暮らすのが苦痛でした。 なぜなら、母親が私の小さいころの話をしては、あなたがだだをこねるから私がお父さんに怒られたのよ。とか、母は母(私からは祖母)と相性が合わなかったけど、あなたとも合わないわ。 また、私を妊娠したとき、産むかどうしようか迷ったのよね。他にも、私の子育てにも、あなたが甘やかすから子供たちが不登校になるのよなど、すごく干渉されました。兄弟はいますが、歳の離れた兄からよくこの環境でまともに育ったなと言われて事もあります。兄曰く、昔は仲いいこともあったとか。。 言われるたびに我慢して聞き流していましたが、事あるごとに子供の前でも平気で言われます。それに、私は質素に暮らしたく物を増やすのが好きではないのですが、母やこれもあれもと買ってきては、お金がないとつぶやく毎日でした。 そんなとき、また、子供たちの前でお父さんに怒られたのはあなたのせいよと言われ、思わず生まれてきて悪かったね。。と言ってしまいました。 言ってはいけない言葉だとわかっていたんですが、その話をされ始めた時、なんで産んだんだろうという思いとまた、その話をするんだと思ったら口から出てしまいました。母は、そんな風に思っているなんて、知らなかったといい、私なんかいないほうがいいのよ。と怒り始めました。私はそのあと、さっきはあんなこと言ってごめんなさい。と言ったのですが、もういい。あなたの気持ちはよく分かったと実家に帰って行ってしまいました。今後、母とどう接していいかわかりません。が、母が帰ってくれてほっとしている自分もいます。感謝よりも今さら親みたいなことして、あんなに子供の時ほっといたのにと思ってしまう自分もいます。母と今後どう接していいのか、アドバイスをお願いしたいです。最後まで読んでいただきありがとうございます。

有り難し有り難し 6
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結婚を理由に親への罪悪感に悩んでいます

結婚を反対され、どうにか押し切りましたが罪悪感に悩んでいます。 元々とても過干渉な家族でしたが、長男の兄がいたため、将来の縛りはなくこれまで育ち、自分の望み通りに国内外で働いてきました。しかし数年前に兄が事故で急死し、それならば後継ぎは私しかいない、と干渉を再び強く感じるようになりました。 私は現在も実家から離れて暮らしており、また真剣にお付き合いしている人(外国籍)がいて、彼と人生を歩んでいきたいと思っています。 2人での生活や今後を考えるとまた日本を離れる予定ですが、それを家族に話したところ、「そもそも外国人はだめ」「婿養子をとって家を継いでほしい(継ぐものはビジネス等ではなく、家やお墓、土地です)」「我慢して日本で生活してほしい」「残された私達家族を将来どうするつもりだ」と大反対されました。 彼側の家族は何の問題もなく祝福してくれて受け入れてくれたので余計に、自分勝手な思いかもしれませんが、私の幸せを考えてくれない自分の家族にとても悲しくなりました。 ここで諦めたら一生後悔すると思い、自分の本音をぶつけ、「そこまで言うなら」と話し合いは終わりました。勘当されたわけではないですが、現在居心地の悪い状態です。 今結婚の手続きを進めていますが、こうなることは予測できていたはずなのに、時折罪悪感で押し潰されそうになります。家族、親戚一同に良く思われない中で結婚して幸せになれるのだろうか、やはり諦めるべきなのかと不安になったりもします。 家族には、将来的には私達のいるところへ、良ければ移住してほしいとも伝えているのですが、慣れ親しんだ地元を離れるのは嫌だそうです。 家族の過干渉を昔から窮屈に感じていて子どもの頃は実家を出たくて仕方ありませんでしたが、離れみて、育ててもらったこと等に感謝はしています。 本件に関して、どちらの選択肢を取っても何かしら後悔はするのだろうと思い、自分の思いに正直に行動してみましたがやはり悩みは尽きません。 彼と人生を共に歩みたい気持ちに迷いはありませんが、気分が落ち込むと、私の選択肢は間違っているのではないか、親不孝ではないかという罪悪感で、何もかも投げ出して兄の元に行きたいと思ったりしてしまいます。 この気持ち、罪悪感と、家族と今後どう向き合っていくべきか、アドバイス宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 15
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傷つき、疲れ、現実という地獄から死にたい

障害者はいつ救われますか?報われますか? 頑張っても頑張っても、負けて、負けて、負けて 借金が積み重なり、人生破綻、 金と時間と労力を奪われて、 気づけばキモくて金のないおっさん、 アラフォーゴミ障害者です。 発達障害、AGA(若ハゲ)、自律神経失調症 胃痛 胸痛症候群、不眠を併発しています。 金が無く、取り立てにあっています。 父親が母親を日常茶飯事で殴る蹴るのDVを振るう機能不全家庭で育ちました。 私には愛情はありません。 親から愛情を感じたことがないのです。 発達障害もAGA(若ハゲ)は遺伝で、 かつ発達障害の為に人より体力も気力も少なく、出来る仕事も殆ど無く(営業、事務、プログラミング、調理、士業、肉体労働など、ほぼ全て出来ません)、 金が無く、通院や身体へのケアが十分出来ない為、 自律神経失調症も全快せず、発達障害も満足に治療出来ず、ストレスや不安が余計に募り、 身体の倦怠感や疲労が増し、胸痛症候群や胃痛も治らず、不眠がより酷くなり、身体への不調が更に酷くなる悪循環が続いています。 身体を壊したのは過労が原因で、 発達障害もAGA(若ハゲ)もコンプレックスも 全て自責と捉え、仕事に邁進しました。 その結果、もともと身体が弱かったせいもあってか、働き過ぎで自律神経失調症となり、身体を壊して、仕事を辞め、金は底を尽き、借金まみれで、取り立て、差押え間際で、将来の展望も何も無い。破綻した地獄の人生だけが残りました。 私は、自分で言うのもおこがましいですが、もう十分やったとも感じています。 もうあまりこの世に未練はありません。 十分、傷つき、疲れるくらい頑張りました。 報いがなくとも、自分を鼓舞し、やりました。 その結果が、人生の負の代償を払っている救われない今の自分です。 死んで終わりにしたいです。 ただ、死ぬ勇気もありません。 生まれつきの肉体的、精神的ハンデ、自分では選べなかった自分の遺伝子や生得的形質、血筋や生育環境からどれだけやっても逃れられない人間の宿痾、業に疲れました。 もういい、もう幕を閉じたいです。

有り難し有り難し 4
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