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hasunoha 問答検索結果 : 「 死 死にたい」
検索結果: 3513件

年明けを待たずに死にます

現在、貯金を切り崩して生きています。 このまま稼ぐ手段が見つからなければ死にますが、自分が野垂れ死ぬことには納得がいくというか、客観的な視点で「こんな奴死んだ方がいい」と自分にずっと思いながら生きてきました。 問題のある人格に対して「そんなんじゃ生きていけない」と家族から「厳しくも厳しくもありがたいお言葉」をいただきながら育ちました。結果、その通りになりました。 この世界がうまく回っていて、私だけに問題があるのならばまだ生きる希望がありました。しかし、現実はそうではない。私が生きていてもいなくても、この世界はどんどんと悪くなっていく。そもそも、生きることそのものが欠陥だとしか思えません。 人生は「他人にどう見られるか」が全てです。完全な自給自足ができない以上、何かの手を借りなければなりません。そのためには他人に好ましい印象を与えなければなりません。私はそれができませんでした。 この世界は私が生きようが死のうがどうでもいいものです。生きていられる人間は、「自分を大事にしたい」という動物的本能を疑わないでいられるから生きられるのです。しかし私はその本能こそが全ての苦しみの元凶と憎み、「全ての生命は存在しないほうがいい」という強固な思想に囚われています。これを打ち破る根拠をこの世界に見出せれば良いのですが、その機能が私に備わっている気がしません。何を論じられても、申し訳ないことに、「わざわざ生きる根拠」にはなり得ません。この世界には私よりもずっと有能で賢い人間が沢山いるのに、全生命を安楽に絶滅させる方向に行かないのは、私が決して感じることのできない「それでも生きる意味」があるからなのでしょう。 私の人格や感性が望まれたことなどありませんでした。それとも、関わる人間の誰からも死を望まれながら、殴られながら生きるのが修行でしょうか? 未来を捨て、この世界や他の人間に「生きさせてください」と頭を下げ、心身を削る「労働」を辞めた今が人生で一番安楽です。つまり、私の幸福は死の直前にしかありませんでした。 私の望みは、「物質世界から解放される」「五感、痛覚、あらゆるものを感じる機能を失う」「誰からも観測されない状態になる」こと、つまり、「永遠の死」「存在しないこと」です。そして、これこそがあらゆる生命が目指すべき地点だと思っています。こんなことを考える人間だから生きられないのです。

有り難し有り難し 13
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父の死とそれに伴う苦悩とのつきあい方

こんにちは、見てくださってありがとうございます。 初めての質問、長文ですが失礼いたします。 昨年食道がんで父を亡くしてから、思い悩むことが多くなりとても辛いです。そういった負の感情とのつきあい方、折り合いの付け方をご助言いただけたら嬉しく思います。 「思い悩む」の内容は、自分では3種類くらいあると思っています。①父の死自体に対する悲しみ、②今後周りを含め迎える死に対する悲しみ、③周りと比較してしまう思考、です。 ①に関しては、死別までのトラウマです。コロナ禍ということもあり、父は臨終近くまで家で過ごすことが多く、父の咳で眠れなくなったり、血痰が出て夜中に看護婦さんを呼んだり、かん腸で泣き叫ぶ父を励ましたり、とても悲しい記憶が色濃く残っています。当時リモートワークで、仕事先の人にもあまり事情を分かってもらえる人がいなくて、完全に孤立してしまったことから、少し捻くれているのかもしれません。 ②は、これは私も意外だったのですが、今後私が経験したような果てしない悲しみを、ほとんど誰もが同じように経験をするという事実が、悲しいということです。その事実を直視すると、人生には救いがないな、と、思ってしまいます。例えば、私の周りの大切な友達やいまは幸せそうな家庭や生まれたばかりの赤ちゃんだって、いつか大切な人の死を経験するのは同じですよね。親の死に対して「みんな経験することだよ」という励ましワードは良く見ますが、私にとっては、それが、そういう出来事が増えていくことを確信しているからこそ、これから生きていくのが苦しいな、という感情になってしまいます。 ③は、他者との比較を辞めたくても辞められないということです。周りは20代。両親健在な方が多く、羨ましさが拭えません。両親が元気な友達の家庭の話を聞いたり、死と関係のない悩みを聞いては、一人になってから羨ましさで泣いてしまいます。「両親どちらも幼くして亡くしてる人もいる。私は幸せだ。」とか、考えてみるのですが、また人と比較することでしか、自分を慰められていないことに気付いて嫌になります。他ならぬ自分自身が苦しいのだということを認めたいです。 hasunohaやグリーフについての本などを読んで、死別といっても、それに伴う感情は多様で複雑だなと思っています。お時間ありましたら、お言葉いただけたら嬉しく思います。

有り難し有り難し 9
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大切な人の死といつかが怖いです。

ネットで偶然見つけ、初投稿させていただきます。 私は以前から時々ふと家族や恋人が死んでしまうことを考えてしまい、涙が止まらなくなることがありました。 祖父や愛犬などの死を何度か経験しているので、今生きている人達もいつかそうなってしまうと棺桶に入って、何も映さない目を閉じ、もう動かない様子を想像してしまいます。 身体に触れると、いつかこの体温もなくなってしまうとその体温すら死を連想させてしまいます。 声を聞いても、この声はいつか思い出の中でしか聞けなくなると思ってしまいます。 今こうしている間にも時は流れて、1歩ずつ死に向かっていると思ってしまいます。 自然の摂理ですし、祖母や親の方が確実に先に死んでしまうこと、人間よりも寿命の短い動物の方が先に死んでしまうことは理解しています。 分かっていても、親が昔より痩せ、老いているのを見ると自分が幼く、みんなが元気に集まり楽しく過ごしていたあの頃を思い、時は流れてしまったとまた涙が出てしまいます。 時が止まればいいのにととても切実に思います。 そして、誰かの死を見るのだと思うと、それならいっそ今の間に先に死んでしまいたいと思ってしまいます。 それは親を何よりも悲しませてしまうことだというのは重々承知しています。 でも、道を歩いていても、一つ一つ思い出すことがあり、あの時自分は何を思ったと自分の考えていたことさえ思い出せて、それすら悲しくなります。 でも誰かが死ぬことを思うと気持ち悪くなってしまうくらい悲しくなります。 吐き気も涙も止まらないです。 頭で分かっているはずのことをどうして割り切れないのでしょうか。 どうすれば泣かずにすむのでしょうか。 家族もみんな特に大病もないですが、事故や天災でもう会えなくなってしまうかもしれない。 覚悟して毎日を大切に生きるといいのかもしれませんが、いつか会えなくなってしまうのなら大切にしても後悔してしまうことはきっとあるし、いなくなってしまうなら意味が無いと思ってしまうのです。 すごく自己中心的ですが、もう私の記憶のある限りの今世でもう会えないなら、記憶のない来世でなど意味が無いと思ってしまいます。 ここに書き込んでおきながら、否定的なことを言ってしまってすみません。 色んな方のお悩みを拝読致しました。 その上でこのようなことを申し上げて本当にすみません。 失礼いたしました。

有り難し有り難し 32
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なぜ死を選ぶ事は悪とされるのでしょうか。

私は幼い頃から両親に愛情をもらえませんでした。優しい顔をする反面、親同士は毎晩毎晩、口を開けば私の養育費や世話をどちらがするか揉めていました。 鍵っ子だったので一人でいる時が逃げ場でした。 学校でもうまく馴染めず生きづらさを感じ、中学高校では軽く虐められたりキモいブス死ねなど頻繁に言われてきました。 後に生きづらさはADHDから来ていたものだとわかりました。 逃げ道としてバンドの夢を追いかけましたがメンバーからもずっと役立たずや死ねなど罵詈雑言の嵐。それでも夢の為に頑張りましたが裏切られ解散。 首を吊ろうとしましたがあと一歩踏み出せませんでした。お前はどうせ勇気がないから死ねないと言われた事をとても覚えています。 当時結婚を考えていた人にも浮気され何も持たない日々を今送っています。 どうせ死にたいのだからメメントモリよろしく、いつ死んでもいいようにと夢に向かって生きました。 夢は潰えましたがやりたい事をやり切った気持ちもあります。 今は朝日を浴びても美味しい物を食べても異性の温もりに抱かれても何も喜びを感じません。なぜ生きているのかわからず何も生産性の無い自分に生きてる意味も価値も見出せません。早くお迎えがきて欲しいと、苦しんでは息を吸い、絶望しては息を吐きます。 皆一様に、人は好きに生きる権利があると謳うのになぜ人は好きに死ぬ権利はないのでしょうか。 安楽死制度のようなもので死にたい時に幸せに死ねるほうがいいと思います。 死にたい事が苦しいのではないのです。 死にたい日々に終わりが見えない事が苦しいのです。 誰かの為に生きる事が喜びと言う人もいますが、それは強者の為に弱者の命が薪のように焚べられているだけで それを使命と呼べる人はいいでしょうが私には思えません。 私より優れた人はたくさんいて私より必要とされる人もたくさんいる。 友と呼べる人もなく、心許せる人もいない私には人生全うしたと心から思える歌に安らかに死ぬ事こそが幸せです。 もがき苦しみ泣きながら死ぬ必要などあるのでしょうか? 心の底から自ら死んでいった人達を悼みます。 一刻も早く安楽死制度を作るべきだと思います。生きたい人が笑顔で生き、死にたい人が安心して死ねる社会を望む事はおかしいでしょうか?

有り難し有り難し 25
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部下の自死にどう向き合ったら良いのか?

若い部下が自殺しました。 仕事が良く出来、性格も良く、今後を期待していました。仕事も忙しかったですが、死ぬほど苦しみを抱えているようには感じられませんでした。 ご遺族は職場の人間関係に問題があったのではないかと考えているようですが、私には全くそのように思えません。 遺書もなく、衝動的な死に方にも思いますが、死について自分の中で納得できず、何かに取り憑かれてしまっていたのか、自分に知り得なかった何か原因を抱えていたのか、わかるはずもない理由を求め続けてしまっています。ただ、死ぬほど苦しかったんだろうということだけを理解しようと自分に言い聞かせている状態です。 自責の念もあり、素直に笑うこともできず苦しい毎日を過ごしていますが、部下が暗闇に漂うことなく、成仏してくれていることを願うばかりです。 今後、私は部下の死にどう向き合って仕事を続けていけば良いのでしょう。部下の死を防げなかった者が、今後も組織で仕事を続けていく資格があるのでしょうか。また、同じことが起きないか、まさかの自体が、普段の生活で起きてしまうのではないか、心の苦しさから脱せずにいます。時の流れに任せて忘れたい気持ち、自分中心に考える気持ちから離れたい反面、ご遺族のためにも本人のためにも向き合わなければならないと感じてしまう部分もあり、相反する気持ちに苦しんでいます。 今は、部下が安らかに眠ってくれるよう手を合わすことだけが、自分にできることです。

有り難し有り難し 77
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父の死に対して、自分がわかりません

一昨日の晩、父が亡くなりました。 父は四年ほど前に脳梗塞で倒れ、半身麻痺と高次脳機能障害を患い、会話もできず、話しかけたことに反射的に頷くだけの状態になってました。 意思疎通ができているのか分からない状態でしたが、少しでも良くなれば、と思い、入院していました。 最初の1-2年はリハビリも出来ていましたが、3年目になってくると面会に行っても眠っていることが多く、一方的に話しかけるだけになってました。 1年前、コロナの予防のため面会が出来なくなり、月に一度、15分のビデオ通話をしていました。 一昨日の夕方、父の容態が急変し、今際の際で「ありがとう」「よく頑張ったね」「お父さんの子供に生まれてきてよかった」と本心から伝えました。 そのせいか、まだ二日目だというのに「やり切った」という気持ちがあるのです。 「父はよく頑張った」「私も、家族もよく頑張った」という気持ちが出てきてしまってます。 こんな早く、割り切り始めている自分がすごく嫌です。 大好きだった父への想いはそんなに浅いものだったのか、と自分が信じられません。 実は、二年前、母が介護鬱を発症しました。 今も自宅療養をしていて、一日中ベッドから起きれない日も多いです。 母が重度の鬱になったのを「父が倒れなければ」と思ったこともあります。 母を自宅で看ながら、父の面会に行く忙しさにイライラしたこともあります。すぐに「そんなこと考えて死んでしまったらどうするんだ!」という気持ちが出てきて、イライラは消えるのですが、その瞬間は確かにあったのです。 また、これは完全に自分の責任ですが、仕事、看病、面会、各種手続きなどで疲労が溜まっていたせいか、一年ほど前に、事故を起こしてしまい、罰金刑を受けました。あの日あんなに疲労していなければ、と時々思ってしまうのです。 (お相手の方を骨折させてしまいましたが、命に別条はなく、リハビリも終えられているとのこと) それでも、父に会うたび、今際の際で「良い人生だった」と思って欲しい、そのために何かしてあげたい、という気持ちが湧いたのも事実です。 父の死が悲しいのか、よく頑張ったと見送れる気分なのか。 今抱えている悲しさや悔しさは、父の死に対してなのか、「父の死をきちんと悲しめない善き人ではない自分」に対してなのか。 私は人として間違っているのか。 今、自分がわかりません。

有り難し有り難し 11
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2023/08/27

病気になって死を考えるようになった

現在,一人暮らしをしている中年男性です。 先日から病気をしています。病気になって,一人暮らしなので,闘病しながら食事,洗濯の家事をしないといけません。また,食事のための買い出しも必要で,誰か助けてくれないかと,常に考えています。 知り合いに食事を作って持ってきてください,といった厚かましいお願いはできないもので,そういったお願いができる知り合いがいるわけではありません。 闘病を続けながら,食欲もなく,痩せていくし,気力も失ってきています。 また,コロナ禍で,一人亡くなっていった方もこのようなつらい状況であっただろうと想像し,そのため可能であれば入院させていただいて,看病していただけないかと,勝手な思いが巡ります。 そして,こんなに苦しい状況なのに,これを乗り越えて「生きる理由」はあるのだろうかという考えが頭をよぎっています。 ある程度の人生は送ってきました。これから先もいろいろと楽しみもあると思いますが,生老病死は,四苦なので,病気を克服するのも,その後,克服した後に生きていくのも苦しいのだろうと,勝手に解釈をしたりします。 だったら,もうここでいいや,と思ったときは,死ぬことができたらいいなぁ,眠るときにこのまま目覚めなければいいな,と考えるようになっています。 自死については,以前は否定的ではありましたが,闘病の中で,それは個人個人の自由でいいのではないかと思うようになりました。 自死していった方は,苦しい中,生きることに耐えられなかったのだろうなと,共感できる心持になっています。 病気をして,手厚く看病してくれる人がいる状況であれば,それはそれで,心配してくれる人のために生きる理由があっていいのですが,そうでない私は,一人で非常に苦しい,不安です。そんな私が,命尽きるまで闘病するかもしれないという選択をして,生きる理由はなんでしょうか。 誰も助けてくれる人もいない,ただ病気と闘って,死を待つだけかもしれない。 最後は,一人,孤独死を迎えるのかもしれないと思うと,寂しく,不安です。 そういった中で,このサイトに行き当たりました。 取り留めない文章になりました。 回答をいただければ幸いです。

有り難し有り難し 13
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2022/10/17

大好きなお母さんの自死

大好きなお母さんが自殺をして1ヶ月経ちます。 私も母のようなお母さんになりたいと思えるような存在で、時には親友のような存在で、沢山お出かけしたり相談し合ったり笑う時も泣く時もいつも母がそばにいて支えてくれていた生活でした。 22歳ですが、実家暮らしで家に帰ればお母さんがおかえりと言ってくれるお家が大好きでした。 昔から姉との揉め事が多い事から精神病を患っていました。 自殺の決め手となってしまったのは、姉と姉の旦那からの暴言です。 毎日のように2人から死ね、生きている価値がない、やり直せ、と言われていました。 それでも自分の娘だから。と向き合おうと精一杯頑張ってくれていました。 でも限界を迎えました。 母が家を出る前私に、自殺はそんなに悪い事なのか。皆自分の責任から逃れる為に肯定も否定もしない。最期は家で迎えてもいい?と言いました。 私は悪いことではない。ママの好きな場所にいてくれたらいいと伝えました。 覚悟が決まったら家を出るから。と言い時間が経つと家を出ていきました。 生きているさいごの姿も、さいごの電話も、私で、亡くなった母を見つけたのも私です。 鮮明に覚えていて頭から離れません。 あの時私は行かないで死なないでと手を取る事も声を掛けてあげることも出来ませんでした。 本当に後悔ばかりです。たらればばかりです。 私達をおいていくはずない。帰ってきてくれると信じていたけど、今までずっと苦しんでいる母を見ていたから、この現実から離れたら楽になるのかもと思うこともありました。 だからこそ生きてと言えなかった。 でも、今となれば死を選ばず一緒に居て欲しかった。お母さんに会いたい。声が聞きたい。抱きしめて欲しい。母が居ない未来なんて… ここまで追い詰めた姉が憎い。 母を助けられなかった自分が情けない。 私が声をかけていれば。支えてあげてれば。手を取ってあげてれば。と後悔ばかり。私が止めなかったから、最終的に死を選ばせてしまったのかも。自分のせいかもと… 凄く辛いしまだ帰ってくるような気がする。 でもちゃんと成仏されて欲しいと思います。 四十九日があと少しで来ます。 四十九日がきてしまったらお母さんが近くからいなくなってしまう…寂しくて仕方ないです。 お母さんの死を受け入れたようなまだのような… お母さんに会いたい。 お母さんが居ない日々を生きていくのが辛い。

有り難し有り難し 7
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祖母の死を受け入れられません

はじめまして。 先日祖母が亡くなりまして気持ちが落ち込んでいます。 祖母は体調を崩し入院。退院後は介護施設へ入所後元気でいたと聞いていたところ急変し亡くなりました。 このご時世なので面会はできず、まったく顔を見れず話すこともできずでした。 とても気が強く、嫁姑問題もある家庭で祖母はすぐ母の悪口を言ったり人のことを良くは言わない人でした。 それが嫌で私は祖母に反抗的な態度をとったことも何度もあります。 私自身は結婚し、もうすぐ2歳の子がおります。ひ孫の顔を見ると私の見た事のない祖母の表情を見ました。 仕事や育児に追われ、たまにしか実家に帰ることが出来ず、最後の交わした言葉はトイレに入っていた祖母に(トイレでのズボンの上げ下げもとても時間がかかっていました)大丈夫?と声を掛け、「大丈夫だよ」の祖母の返答に、子供も連れていたので急いでいてまた来るね、じゃあねが最後でした。 祖母が息を引き取る時、父と母は施設に駆けつけていました。 私も仕事が終わり急いで駆けつけようとしたのですが、子供の迎えに行ってる間に亡くなってしまいました。 あの祖母が亡くなったと信じられず… 何度も何度も祖母の眠っている写真を見ながら涙が出てきます。 祖母は「おばあちゃんが死んだらみんな喜ぶだろう」とよく言っていました。 全然誰も喜んでないし、どうして死んじゃったのという気持ちでいっぱいです。 先立たれた祖父や叔母に祖母は会えているのだろうか。 天国へ行けるのだろうか。 死後の世界はどんなところなのか。 私もおばあちゃんのところに行きたい。 色んなことを考えてしまいます。 まとまりのない文章で申し訳ありません。

有り難し有り難し 5
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安楽死と怖い気持ちがあります

大事な人や家族の動物が、病気になったり苦しそうだったりすると、とても辛いです。 辛そうなのを見たくないから離れるという話を聞いて、なんてひどいことをと思います。 ただ、やっぱり辛いから怖いし、みんないつかは死ぬのだから、それならどうすれば楽に死ねるかを考えてしまいます。 たとえば、処置するのに麻酔をかけないといけなくて、麻酔にリスクがあってそれきりになるかもしれないと言われた時、麻酔をかけてそのままいけるなら苦しくないからその方が良いのではないかと思ってしまいました。 精一杯生きるべき、というのはわかるんです。 でも充分頑張ったと思うし、一緒にいたいと思うのは私のエゴも多いと思います。 うまくまとめられなくてごめんなさい。 どうして、大切な存在が弱ったり去ることを思うと怖くてつらくて離れたくなったり、そこから早く解放されたいと思う気持ちとずっといたいと思う気持ちと、ひどくて矛盾した気持ちになるのでしょうか。 また、極端な言い方になってしまいますが、楽に眠るように殺してあげる人は、相手のためになら良いことをしてあげていると思ってしまうのはおかしいでしょうか。 生きる中でさまざまな経験をするし、中には良いことや楽しいこともたくさんあります。 辛い経験をすることで幸せをより鮮やかに感じられることもあると思います。 でも、もし本人がもう終わりたい、楽になりたいと望む場合、それを叶えてあげるのは悪いことなのでしょうか。

有り難し有り難し 11
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2024/05/02

死を選んでしまいました

最近は自分が早くいなくなればいいと思っていると言う相談をさせて頂いています 今回も同じような事になってしまいますがここでしか話せないので聞いていただけると少しは生きる事が出来るかなと思っています 最近は両親が些細なことで言い合いになります。それも私が仕事から帰ってきて少しくつろいでいる時に限ってなのです。母親の問いかけにいきない怒りだす父親。いつの間にか私が話の中に出てきます。いろいろあり過ぎて例を挙げられませんが…。その事に私の存在が無くなれば言い合いになることもなくなるだろうと思い始め自傷行為をしてしまいました。勇気がなく思いきり切る事が出来ず ゆっくり手首の下を切っているので1回目は傷には見えないくらいで済みました そして昨日も自分の存在がなくなればこの家が安泰すると思いカッターナイフで 手首の下に切り傷を作りました。本当は死ねるほど切りたかったのですができませんでした。今は絆創膏で傷を隠しています。 仕事も来週から外国人の方が入職してきます。今までのペースが乱されるとASD/ADHDを併発しているので自分を抑えきれない。そう思うと今以上に自分の存在をなくしたいです。病気を治してくださった医師が自傷行為を知ったらどう思われるのでしょうか?今でも助けてもらった命を無駄にしようとしている自分と早くこの世から消えたい自分。何を聞いてもらいたいのか分からなくなってしまいましたが私はどうしたら良いですか?家に居ても両親と姉との生活に浸かれてしまいました。1人で暮らすことは医師から禁止されています。持病で突然死のリスクあるので。もう生きていることに疲れてしまいました 心療内科の医師は仕事を休んでみたら?と提案して下さっていますが休んだら復帰はできなくなりそうなので限界が来たら休むと伝えました 自傷行為をすることで満足していません。出来る事なら本当にこの世から消えたいです。私の事を何故、医師たちは見捨てず命を繋げてくれるのですか 自分の命を無駄にしているのに…もう自分が分からなく書いている内容もまとめられませんでした 死んだ後でも生きている以上に苦しむのは本当ですか?

有り難し有り難し 32
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