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検索結果: 7996件
2023/12/31

家族を失った悲しみ

今月41歳の兄が自死をしました。 兄とは普段連絡はたまにとっていたのですが、些細な事で一カ月前くらいにブロックをして最近解除していたのですがたまたま自分からも連絡をしておらずその間に亡くなってしまい後悔だらけです。 兄は精神薬を長年飲んでいて最近は肺や足が悪くなり、食事をしても吐くような状態で最後らへんは栄養飲料を食事代わりに飲んでいたようです。遺品整理をしていた時に大量の缶を見て初めて知りました。 自死の理由がどの理由かははっきりはわからないのですが、母に話を聞いてほしいと以前電話がきたらしいのですが母は抗がん剤中や、義母の認知症が進み忙しく、話もろくにきいてあげられなかったらしく後悔しています。 亡くなった日は病院に行った形跡があって肺の検査もしていました。強い吸入器が処方されていました。 母の大変な状況も理解していて、迷惑をかけまいと1人でいってしまったのかなと色々考えてしまいます。 そんなに悩んでいたなら連絡をしたり支えになってあげればよかったと毎日悔やみます。 兄を助けてあげたり、辛さに気づいてあげることもできず、優しい言葉もかけてあげられなかった 自分が生き残っていることにすごい罪悪感で自分が幸せになる資格があるのかと思ってしまいます。 遺品整理をしたときの、血のついたナイフや 部屋の光景、最後の骨になった姿がショックすぎて忘れられません ただ、一番最後に見た顔は安らかに見えたので少し安心はしました。 兄を救えなかった事に、毎日罪悪感と後悔です 今後どんな気持ちで生きていけば良いでしょうか お言葉頂けたら幸いです

有り難し有り難し 24
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旦那の風俗

はじめまして。やっと質問できました。ありがとうございます。わたしには一才にならない娘がいて育児中です。 出産後は確かにホルモンの関係などでイライラし、旦那には冷たく当たったりしました。旦那が逆ギレすること、自分は妊娠中に仕事を辞めてしまって収入がない負い目などもあり、意見をすることが億劫になり、段々と会話が減りました。 そして、旦那の部屋を掃除していて証拠を見つけて一瞬固まりましたが、二、三日聞き出せず眠れない夜を過ごしました。 しかしついに我慢できずに、私はあんたの子を命削って育ててんだよ、なめんな!とぶちギレました。外に愛人でも作られるよりはマシですが、それまでは真面目で風俗など縁もない人でした(と信じていただけかもしれませんが。) 結婚してから、だらしないところばかり気になり楽しくなくなり頻度が減り、セックスについても話し合いを何度もしました。駄目なら風俗いくぞ、と言われたこともありますが泣きながら、それだけはやめて、と頑張りますがやはりそんなに旦那の要求に応えられないことが増えてまた話し合い、みたいなことになります。子供ができたら夫婦の絆もまた強くなるかなあ、と思ったのと、年齢のこともあり頑張ったところ何度かで運良く妊娠できました。正直、妊娠したらしばらく旦那とセックスしなくていいと思うと気が楽でした。妊娠してから育児も落ち着いてきたし、そろそろ旦那の要求にも応えてあげないといけない頃かなあ、と思っていた矢先でした。 顔を見るのも辛く、平日は旦那が帰る前に就寝し、出勤してから起き出します。土日はどうしても顔を合わせるので必要最低限の会話はします。 友人や両親に相談しても一向に気持ちが晴れず、一度許そうと決めたけれど、信用も愛情もなくなり、顔を見るのが辛い日々です。 こんなことをする人間にしたのは自分にも一因があります。自分が我慢すれば、前を向けるようにすれば良いことでしょうが、1ヶ月以上経った今でも、どう旦那と向き合えばよいのか分かりません。このまま気持ちが変わらなければ、定職に就いて生活の目処がついたら娘と家を出るつもりです。でも可能ならば旦那と老後を過ごしたいという気持ちがあります。 何かお言葉をいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 165
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宗派の違い

何度も質問させていただいております。 毎回丁寧な回答をいただいて感謝しております。 さて、私は今までキリスト教の学校を卒業し、イスラム教の国に住み、特に宗教は持たずに全ての宗教は知識として学んできた程度でした。 元々追求すること、考えること、科学的にものを見る質なので現実的にに世の中を見てきました。 そして最近行き着いた答えは、科学と神秘、宇宙と人間は皆同じなのだということです。 バレエに人生のほとんどを費やしていますが、これはほぼ稽古、修行、メディテーションです。これを通していろいろなことを学んでいます。 そこでたまたま仏教について読んだところ、正に宗教という概念もなく実践してきたことそのものだったのです。 どんな贈り物よりも嬉しい発見でした。 それから毎日、宗派や教えを調べましたが、困ったことに『そう言われればそうかもしれない』という教えの違いばかりなのです。結局のところ、一つの目的をもって正しく生きることを遂行すれば宗派など問題ないのでは?と思うのですが、現実問題いかがなものでしょうか。 今後真剣に仏教を学びたいと思ったときに、どのようにして適切な宗派を選ぶべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 36
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お寺変えるべきか悩んでます…

昨年長男である旦那が正式に墓守に。 去年墓経時に棚経もお願いしても連絡なし棚経も来てもらえず。 今年も盆前墓経時に棚経をお願いしてて、連絡なしで7月末にポストに名刺だけあって夜に連絡をしたら「棚経に行ったけど不在だった」と。 連絡もなく来て不在と言われても共働きで常に家に居るわけじゃないし、日時を指定してもらってその日は電話を切りました。 棚経は午前中との約束だったので、義母も9時前には我が家に。10時過ぎ確認も兼ねてお寺に電話。 「住職が他所回ってるから午前中は無理、午後に行く」と。 11時半過ぎに電話がかかってきて「午後は施餓鬼があるから棚経は無理。お寺来たら一緒に棚経のお経あげてあげてもいいけど?」 去年はお願いしても無視、 今年は連絡もなく勝手に来てその後約束した日時は来れず、上からの物言い。 何のための約束か⁈と旦那も義母もブチ切れ。 実は仏壇開きもやってもらえるまで2年かったという経緯が。 元は旦那の祖母が檀家、義父と曽祖母の位牌を義母が管理をしてました。(祖父は祖母が勝手に集合墓地に遺骨を巻いてしまいこの時は位牌なし) 当時、義母の再婚があり長男である旦那はまだ未成年。墓守は無理で、出来る歳になるまではお寺に位牌を預ける形をとりました。 5年前に祖母が他界。その際叔父が別宗派で葬儀、納骨もしないまま2年。叔父の方から祖母の位牌と遺骨をそっちでどうにかして欲しいと連絡があり、これをきっかけに成人した結婚もしたと旦那も墓守を決意。菩提寺になるお寺で祖母の戒名と祖父の相談、位牌の引取りをお願いしました。 はじめはお寺も対応が早く、 叔父から位牌遺骨引取り→その日のうちにお寺へ行く事ができて、4人の位牌も早くに受け取る事ができたのですが… その後からはぐだぐた。 お寺へ行ったのが秋の終わり。 これから寒くなるから納骨は春先、その時に仏壇開きも、との事。 春になりでも連絡はなく、こちらから連絡。納骨当日はその日別の方の納骨があってそのついで?な扱い。 仏壇開きも仏壇等を揃えた状態でお願いしてましたが、納骨以降仏壇開きの連絡なし。墓前法要の度に直接話しても「また連絡する」の繰り返しで、我が家が引っ越す話をしてやっと返事がもらえて漸く…な流れ。 こんなに適当なら同じ日蓮宗の別のお寺さんに変えた方がいいのか?と思ってしまうのですが…。

有り難し有り難し 40
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認知症の意味

なぜ認知症になるのでしょうか? 医学的な事ではなく又本人が死に向かっての準備という様な事でもなく『他者に対してどういう意味』があって認知症になるのかわかりません。 食事を食べていないと言ったり誰かわからないなどは認知症の中でもまだ軽い症状です。 認知症が進むと言われていることが解らなくなります。本能であるはずの食べるという事も解らなくなります。 それでも介護者はべ物を口に運び・失禁で濡れた服を替えなければいけません。 現在では認知症の親を施設に預けることが多いと思いますが、職員が暴力・暴言を受けることも多々あります。 しかし職員は言い返すことも手を振り払う事も出来ないため言葉で諭すのみ、生傷が耐えない時もあります。 何をされても言われても職員は自分を守る事が出来ない。認知症の方は弱者…頭では理解していても泥棒・バカ・気持ち悪い等々日々言われ傷つかないわけがありません。施設職員は神様仏様ではないんです…その為 鬱病等を患い辞めていく方も沢山います。  ゆっくり時間を掛けて対話をすれば違う状況もあるでしょう。しかし介護施設(特に特養)と言われるところは時間に追われる日々  常に職員不足によるものなので仕方がありません。 これから高齢者は増え続けますが介護職員は減っていくと思います(雇用状況が良くなり若い職員は他業種へ転職・ベテラン職員は順番に退職を迎えます) 子供が認知症の親を看ている時代なら別ですが 他人に介護を任せる時代何故『認知症』と言う病があるのかわかりません。 赤の他人を心身共に傷つけるだけ(可愛いらしく年齢を重ねた方も多くいますが)の最期が何故用意されているのかわかりません。 質問には直接関係ありませんが収入が良い訳でもありません。介護職員の平均年収は320万ほどだそうです。

有り難し有り難し 60
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僕に浄土宗檀信徒たる資格があるでしょうか

浄土宗を信仰していますが、先日ショックな文献に出会ってしまいました。 二祖・聖光房弁長上人の念仏名義集に 「臨終行儀と申すは一期の大事是に過たる無きたり。世の中の人の往生したるぞ、悪道に堕たるぞと申す事は、此の臨終にて知るなり。臨終の吉き人は往生したると知る、臨終の悪しきをば悪道に落ちたりと知るなり。」 とあります。 これはどうしても納得できません。日頃念仏をしているのにろくでもない死に方をした人が一人でもいたら、「念仏すれば阿弥陀仏は救ってくださる」という教えが崩れてしまいますし、現実的にそういう人が今までに一人もいないとは思えません。 念仏していたって死ぬ時に正念を保てるとは限らないし、保てていたとしてもこの目に来迎を見ることができるかはさらに自信がありません。来迎を見れなければ浄土に往けないと思うと、物凄い恐怖の中、死んでいかなければならないのではないでしょうか。 弁長さんなんでこんな暴言吐いちゃったの!?って気持ちです。 そんな疑問を抱えたまま時宗を勉強していたら、時宗では臨終とは死ぬ時だけを指すのではなく一瞬一瞬を臨終と心得、今この時に唱える平生の念仏がすなわち臨終の念仏である。 来迎が見えなくても三界虚妄のこと、惑障が邪魔をして見えないことだってあるが気にしなくていい。必ず往生できる。という教えに出会い、これだ!と思いました。 じゃあ時宗に改宗したらいいじゃんと言われそうですが、この弁長さんの発言以外は浄土宗が好きで、敬愛する徳川家康公と同じ宗派ということに魅力を感じています。時宗総本山清浄光寺より知恩院の方がずっと近くて行きやすいですし、何より近くに時宗の寺院がありません。 そこで、浄土宗檀信徒のまま、都合のいい所だけ弁長上人の言うことを無視して一遍上人の思想を取り入れるということをしてもいいでしょうか? それでも浄土宗檀信徒を名乗る資格があるでしょうか?

有り難し有り難し 66
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母親の死と罪悪感

以前にもこのサイトに投稿させてもらった者です。 母親の死から一ヶ月少々経ちました。 ですが、強烈な罪悪感が毎日毎日、自分の胸をえぐり切りきざみます。 数分違いで看取れなかったこと 死を察して、寂しく孤独を感じていた母親に付き添わなかったこと どちらも僕がその気になればいくらでも出来たことなのに、自分のことを優先するばかりに、それをしなかった。 その結果、母親を孤独と寂しさの中で誰にも看取られず、逝かせてしまいました。 今更それを嘆いても、後悔しても、どうしようもない。 でもどうしても、頭の中が一日中、そればかりなんです。 勇気はないですが、常に勢いに任せて、自分で命を絶つ考えを持ちながら生活しています。 というか、その日をやり過ごすのが精一杯で・・・ 僕もいつか逝く時は、独りで孤独に死ぬことになるんだろう?とか、食事をするにしても、あんな親不孝なことをしておいて、ご飯なんか食べる資格が俺にあるのか?とか、すべてが悲観的にしか考えられないんです。 日が経つにつれて・・・とかよく言われますが、僕の場合は日に日に罪悪感が大きくなっていくようで、そのうちどうにかなってしまいそうです。 もちろん、まだ母親が逝った事実も受け入れられてない状況で・・・ もう二度と逢えないと思うと、寂しくてたまらなく・・ 母親の 『寂しい』 『何でまだ死ねないの?』 『家に帰りたい』 この言葉が一日中ループしていて、恐ろしく辛いです。 僕は生に値する人間なんでしょうか? こんな親不孝な自分が、のうのうと生きていていいんでしょうか? こんなこれ以上ない親不孝物の息子に、この先の未来はあるのでしょうか? また、未来があっていいのでしょうか? これほど辛い毎日で、生きる意味は?

有り難し有り難し 202
回答数回答 3

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