hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる
問答一覧
検索結果: 198件

お経について

 見つけてくださいまして、ありがとうございます。 私は昔から第六感が少しだけ強いらしいです。それゆえなのか、普通の人には見えない人や動物を見たり、声を聴いたりします。  今、うちに普通の人には見えない方々がかなりいます。 幼い子供も、大人も、ずっと昔の人もいます。なかには、話しかけちゃいけないような人もいます。彼らはただいるだけで、悪さはしません。(かわいいイタズラをする人もいます。)私自身、彼らがいることについてはなんとも思いません。いたいならいればいい、いたくないならでればいい。そんな感じです。  彼らは、心の中になにかしらの問題があり、苦しんでいます。彼らは本当は優しくて楽しい人のようにおもうのですが、今、彼らは心の中の何かがチクチクして、怖い人になっています。  お坊さんでもお寺関係者でもない素人がお経をあげてもよいのでしょうか。お経をあげたお坊さん独特のお経を読むときの声であげたほうがよいのでしょうか。  今、新生活で疲れがたまってしまい、なかなか彼らとお話できる体力がありません。前までは、ちょいちょいお話ししたりお茶を飲んだりしていました。 私ができることならば、無理がない範囲でやらせていただきたいです。

有り難し有り難し 20
回答数回答 2

皆さんの考える最期の迎え方とは

昨年の秋頃に、NHKのドキュメンタリー『ありのままの最期 末期がんの“看取り医師”死までの450日』が放送されました。医師で僧侶の田中雅博さんが、末期がんとなり亡くなるまでを記録した番組です。 田中さんは「死ぬのは怖くない。看取った患者から死に方を学んだ。」と語っておられました。 とはいえ、現実には思い通りにはいかないこともあり、言葉を失うくらい壮絶な内容でした。 私にも一応、理想の最期のイメージはありました。誰でもいつかは死ぬのだからじたばたしても仕方ない、自分らしく生き、寿命が来たらそれはそれで受け入れるだけだなと。 でも、実際にそれを間近に感じた時には不安だらけ。じたばたしまくり。私はこんなに弱かったのかと愕然としました。 この時は単なる体調不良でしたが、現実は自分が死ぬなんてそんなに簡単に割りきれるものではないことを経験し、分からなくなりました。 「死に行く者の死に方から学べ」と田中さんはおっしゃったそうです。 “人の生き死には思い通りにはいかない。それでも、なるべく冷静に過ごすにはどうすればいいだろう” 今度は慌ててしまわないようにと、以来ずっと考えていますがまだ答えが出ていません。 お坊さんはたくさんの方の最期に向かい合っておられるので、ご自身に関しても既にイメージがあるのではないかと思います。 例えば病気で余命宣告されたとしたら、暫くの間は痛みや不安など心身の変化に耐えることになりますよね。 今回お尋ねしたいのは「最期の、耐えて待つ生き方」です。どのような心境で、どのように過ごしながらその時を迎えようと思いますか? お坊さんとして、でもいいですし、一個人としての思いがあれば教えていただきたいです。参考にします。 よろしくお願いします。

有り難し有り難し 15
回答数回答 2

頑張れない。

恋人を亡くしてから一人でいるのが怖いです。 今まで恋愛に重きをおく人間ではありませんでしたが、彼を亡くしてから一人でいるのが嫌で誰でもいいから頑張った、大丈夫と言って抱きしめて欲しくてしょうがありません。人の為に大丈夫って言って、頑張って支えることにつかれ果てています。彼が亡くなる前に私は強いから大丈夫的なことも言われましたが、全く大丈夫ではないしもう何も頑張れる気がしません。 悲しみも苦しみも日にちが解決すると言われます。でもいつまで我慢すればいいのかわからないのが苦しいです。頑張って耐えなければいけないのもわかりますし、別に私がこの世で一番不幸なわけでないのもちゃんと理解してます。 でも頑張れない…。 そして周りの人には、あんなに彼を支えるの頑張ったんだからこれからいいことあるよ、大丈夫といわれます。でも私が頑張ったことなんて、本当に一握りの人にしかわからないし、いいことを作るためには自分でまた努力しなければいけない。将来になんの保証もありません。 結婚が全てではないですが、年齢的に結婚を考えるなら早く努力しなければいけないのもわかっているんです。でももう頑張れないんです。 どうすればいいのでしょうか。苦しいです。

有り難し有り難し 6
回答数回答 1

20代後半特有の焦燥をコントロールするには

お坊さん こんばんは。またお聞きしたいことがいくつか浮かんできてしまったので、こちらに分けて書き込みます。 先日、自分がした質問(25歳、これからの生き方について等)とお坊さんからいただいた回答に改めて向き合い、状況を少し客観的に見られるようになりました。20代後半という状態に突入し、どうしようもない焦燥感を持っています。職場にうまく馴染めなかった、大学院が思っていたような場所ではなかった、趣味も人付き合いも嫌気が差してすぐに放り出してしまう。何事も身にならない自分に対して、同世代である友人は毎日働いて社会経験を積み、結婚して家庭を築き、学会に出て研究業績をあげています。 自分だけ時間が止まっているようです。止まっている場合ではない、早く自分の道を選ばなければいけないと思って、資格や他の教育機関の受験、意経験分野の仕事の面接などに挑戦しましたが、ことごとく結果につながりませんでした。おそらく、行動の原点が「今の大学院へ行かないための理由づくり」という消極的な姿勢も関係してしまっていると思います。 この歳になると、今までと同じ道を進むなら、それなりのアウトプットが求められることを覚悟しなければいけない、と感じます。また、違う道へ運良く進めても、また同じ道へ戻りたいと思ったり、さらに違う道へ進もうというのは、もう許されないとも感じます。息苦しいです。どんどん選択肢が狭まっていくことに耐えられず、選ぶことが怖くなっています。他の20代後半のみなさんは、気がおかしくなってしまいそうな焦燥を、どのようにコントロールしているのでしょうか。お坊さんは、仏様を信じることで、このような状態から離れているのでしょうか。

有り難し有り難し 27
回答数回答 3

SNSの人と上手くいきません

SNSの人間関係で恐縮しますが、ご相談させてください。 ネットで度々嫌な思いをします。 口だけで態度にせず約束を作りたがるのに 破る人の多さで約束ごとが嫌いになりました。 態度で示して守る人を信用するようになりましたが、示さない限り相手を信用できません。 人の言葉の使い方や、伝え方で誤解されても仕方ない言葉の足りなさ、誤字によって嫌味に聞こえる「幸せそうでなにより」→「幸せそうでないにより」ことで不快を感じたりします 一旦、それらは我慢して見なかったことにするのですが、相手が何度も繰り返すと私も限界で本人に伝えます。 すると相手はこちらの人格を否定して、勘違いするのが悪いと責め立てます。 今でもその人に対しては失礼な人として二度と関わりたくないと思ってますが その人に陰で嫌がらせを受けています。 また、相手がこちらへの配慮がなく不満を募らせ堪忍袋の緒が切れたときに相手に不満を打ち明けたら私のせいにして逃げた人がいます。 当時は言わなければ良かったととても後悔して、辛い日々を過ごしてました。 月日が経つごとに、やはりあれは相手が失礼だった。そして私のせいにして逃げた相手を今でも好きだとは思えないしもう二度と見たくない。 相手の事が信じれないと思うようになりました。 でも、話せるなら話したいとも寂しく思います。 自分は楽しく平穏に過ごしたいけれど過去に嫌な思いをした人と一緒のSNSに嫌悪を感じます。 しかし、自分は他の人とその場所で楽しく過ごしたいです。 前に進めず何もできません。やる気も下がって嫌なことばかり思い出します。嫌がらせも受けるようになり 今のSNSを手放して、見つかるかもしれないけれど別のアカウントで始めた方がいいのでしょうか 過去に不快に感じる人たちをどうやって許すことができるのでしょうか 許せない限りいつまでも不快感が残り相手を軽蔑した目で見てしまいます。そのような考えはしたくないです SNSでこちらが一度でも不快に感じてしまうことは、自分にとって正しい感情でしょうか? ずっと我慢して堪えてきての爆発だったので 爆発した自分がいけなかったのか、我慢し続けて見ないふりを貫き通せば良かったのか それを思うとゾッとしてSNSの付き合いが分からなくなって怖いです。 私はどうすればいいのでしょうか

有り難し有り難し 28
回答数回答 4

死産を経験してトラウマ

流産したことに辛い気持ちが続いています。 10年以上、お付き合いしていた方と結婚をすることになり両親へ挨拶や新居を手配している矢先に妊娠が発覚。これから先初めてのことばかりで戸惑っていましたが、子供のために楽しみも増えつつある時でした。14週で子宮内胎児死亡で死産となりました。こんなことになるなんて考えもしませんでした。(もう1年以上前ですが) 彼は優しくしてくれ変わらず結婚の意思を伝えてくれました。私が心のバランスを崩し今は連絡を絶っています。 もう半年以上合ってもいません。 プレッシャーもあるのかも知れません。 結婚すれば家庭を持つこと、相手に多少は合わせて生きていかなければなりません。起きる時間や寝る時間、食事の内容や家事など。できる気がしないです。 また子供も作る機会ができた時、同じ苦しみがまた…と思うと怖いのもあります。もう妊娠したくない気持ちもあります。 方や、親に対して罪悪感もあります。 子供を授かれなかった、孫を見せられなかった そんな親不孝が苦しいのでしょうか。 自分でもよく分かりませんが、TVで子供が写っていたり 芸能人の出産の話題などは見たくない気持ちがあります。 子供だけが全てではないと思っています。 昔から子供が欲しかった訳でも子煩悩な方でもありません ただ、手に入らなかったから欲しがってるだけなのか? ないものねだりなのか?自問自答を繰り返し 不意に涙が出ていることがあります。 もう誰とも関わりたくないとさえ思っています。 一生1人で生きていく覚悟も怖くないです。 でも親に対して気の毒かな、可哀想かなとは思います。 こんな自分と向き合っていくのに疲れてきました。 生きていくこともしんどいなぁとさえ。 親には努めて明るく振る舞っていますが。 どうしたら浄化できますか。 時間が解決してくれるのでしょうか。 うまくまとまらなくて申し訳ありません。 世の中、もっと苦しい状況にいる方も 沢山おられると思います 私なんてつまらない悩みなのかも知れません 気の持ちようなのかも知れません でも、やりきれない気持ちで毎日過ごしています 何かピタッとハマる言葉をかけてもらえるのを 待っているのかもしれません 仏様のことを勉強したいのかもしれません 自分でも何を求めているのか、分かっていませんが お坊さんに声をかけてもらいたくて来ました。

有り難し有り難し 29
回答数回答 1

彼の運の悪さについて

現在私にはお付き合いしている男性がいますが 彼はとにかく運が悪い人間です。 見ていてかわいそうになるくらい本当に運が悪く、 大事な日に雨が降ったり、具合が悪くなったりします。 また、少し天然なところがあるので 彼自身の不注意で何かを失くしたり落とすことが多いです。 ただこれも「財布失くしたけど運良く見つかったね!」 ということがなかなかなく…本人が悪いにしても かわいそうだなと思うことがあります。 私は明日、彼と遠出する予定でしたが それも具合が悪くなり延期になりそうです。 正直ちょっと残念ですが、 彼の不注意で体調が悪くなってしまったわけではないので 仕方ないかなと思っています。 ただ、それに対して彼が 「俺さ、人をがっかりさせる天才なんだよね」と 悲しそうに言っていて私まで悲しくなってしまいました。 私自身は逆にラッキー人間で、 雨の予報を覆したり、 ぎりぎりかけこみで間に合ったり ということが多いので なかなか彼をどう励ましていいのかがわかりません。 私の兄も彼と同じようなことが多いのですが こういう人がいるのはなぜでしょうか。 本人が意識していないところでラッキーがあって アンラッキーが目立つだけなのでしょうか。 また、こういったときの励まし方や そもそもの運気のあげ方、気の持ち方に おすすめがあったら教えて下さい。

有り難し有り難し 23
回答数回答 2

このサイトを読んで分かったこと

私は最近ニュースを見て戦争が起きないかとても不安な状態でした。 四六時中そのことばかりを考えて、じんましんが出るほどでした。 夜も眠れないほどです。 妹が受験勉強をこんなに頑張ってるのに… まだお母さんに感謝の気持ちを伝えきれてないのに… まだ父親を許せてないのに… これらのことが頭の中をぐるぐるしている日々でした。 こんな時にこのサイトを見つけました。 まず、きっかけや理由は異なっても戦争が怖いという方がいて自分だけじゃないとなんだか安心しました。 次にお坊さんたちのメッセージを読んで少し気持ちが楽になりました。 確かに今の状態は杞憂と言える状態じゃないかも知れないけど、 これからのことを不安に思ってストレスを感じながら生きるよりは 今出来ることを精一杯やりなさい。 色々不安に思ってしまうならニュースを見ないのも1つの手かも知れない。 そんなメッセージが書いてあったと思います。 私はこのメッセージを読んで必要以上にニュースを見るのをしばらくやめようと思いました。 元気に過ごして明るく妹のサポートをして お母さんにちゃんと感謝を伝えて 父親を許せるようになるために私が今出来ることはこれかなと思いました。 そして、この文章を書きながら久しぶりに泣きました。 自分が思っていた以上に不安だったのかも知れません。 いつも誰かに相談とかはほとんどせず、泣きたくてもついつい我慢してしますのですが 泣いて少しスッキリしました。 こういった意味でもこのサイトに出会えてよかったです。 ありがとうございます。 こうした変化があった私に一言お言葉をいただけたらと思います。 世界が平和にみんなが幸せになりますように。

有り難し有り難し 678
回答数回答 3

死の恐怖から未来に希望が持てません

はじめまして。 初めてご相談させていただきます。 現在高校3年生の女子です。 私は最近死の恐怖に囚われています。 死んだ先に何があるのか、死んだら無になってしまうのか、私はいつ死ぬのか、いつか死んでしまうのに何で一生懸命に生きるのか、死んで大好きな家族とお別れしなくないなど考え出したら止まりません。普通の高校生というとこれからの明るい未来に想いを馳せ、夢を抱くような時期だと思うのですが、自分の最終的な未来が死だと思うと怖くて怖くてたまらないのです。自分の最終的な未来が死だと思うと何だか未来に希望が持てません。 私はなんのために生きるのでしょう? 実は半年前にも死がたまらなく怖かった時期があるのですが、何とかあまり考えないようにしてこの瞬間を生きることに一生懸命になることで忘れることが出来ていましたが、また考えるようになってしまいました。初めて死ぬ恐怖について考えたのは高校2年生なのですが、死ぬ恐怖のことなんて一切考えてなかった幼少期の無邪気な自分に戻りたいとも思います。そのほうが幸せなのかなと思います。でも一度考え始めると本当に自分でもどうしょうもないくらい止まらなくて、苦しいです。授業中とか友達とくだらない話で笑ってる時も考えてしまいます。周りの人たちは日々を楽しんでいるように見えるのにこんな自分が嫌になります。 今の私の気持ちが楽になる方法はあるのでしょうか? たいへん長く読みにくい文章になってしまい、申し訳ありません。私にとって人生の先輩であるお坊さんに何かしらのアドバイスやお言葉を頂けたらと思い、相談させていただいました。

有り難し有り難し 33
回答数回答 3

リサイクルショップで数珠購入

 二歳違いの姉は、貧着ない性格で、執着やこだわりだらけの私とは正反対。仲良くしている時は互いにそれを魅力と感じて尊重していました。  姉と関係がこじれ始めたのは3年ほど前、母の預金を事を知った姉が、「私は、こんなに面倒見ているのに、母は妹にだけお金の話をしていた」と母や私に電話をかけてきて、興奮して奇声をあげる事があったのです。  その後も、どんな要件でも最後にどんどん話を展開して、興奮して家族に電話を切られるというパターンになります。(反論するとこじれるので、ただ聞き手に回っていても結果は同じです)電話ですから、姉家族は電話口の私が、刺激して姉が興奮しているように見えますので、私の事をよく思はないのは、理解できます。が、誤解です。  最近は全く話が通じません、別の国の言語のように聞こえます。  2年前、父が亡くなった時、「通夜も葬式もお坊さんのお経も要らない、ぼったくられるだけだから」と姉夫婦に断言され、「やりたければやれば! 」の言葉に反論できませんでした。話し合いということもできず完全に感覚が違ったと実感することになりました。    気になっている事があります。姉が私の理解を超える行動をとるようになる前に、リサイクルショップで黒い天然石でできた日蓮宗のお数珠を購入しているのです。以前から電話でけんかしたりすることはあったのですが、興奮して奇声を上げるほど激高する事は一度もなかったので、何か関連があるでは・・・と考えたりします。  年齢のせいかもしれませんが同じころから血圧が高くなり、夜は怖くて運転させられないと義兄が言っていました。    姉の家族4人は義兄を含めてみな無宗教で信仰心もあまりありません。(死んだ人はどうでもいい、生きてる人が大事だと言い切ります) でも、父の三回忌の際、家族みんな、長いお数珠を持っていいたのです。それもみな、違う宗派のものでした。驚きました。 そこまで無頓着でいいのでしょうか?  あの頃、魅力的に思えた頓着のない性格が発する言葉は、こじれてしまった今、心につきささり、苦しいです。同じ言葉なのに。

有り難し有り難し 29
回答数回答 2
2021/06/23

戦争のグロい写真や作品が観たくなる

私は小さい頃から家族に戦争の真実を知る為にと戦争作品を観させられていました。 怖くて何度もうなされたりしていました。 しかし、大人になってからも積極的に作品や写真などを観ていました。 私は戦争の歴史や偉い人の事より、市井の人々がどんな状況だったのかに興味があります。 家族で、当時の人々の気持ちを考えたり、自分だったらどうしたか?などを語り合っていました。 特に満州にいた人の話に強く関心があり、体験談を読んだり、当時の写真をみては、何故か胸が締め付けられるような懐かしさを感じていました。 また霊感か? 新幹線で知らずに戦場の跡地を通過した時に戦の映像が頭に浮かび、調べたら実際に戦地だったり。 寝ている時に頭上にB29が来て、機銃掃射をされる夢を見たので調べたら、空襲で焼け野原になっている地域だったり。 原爆ドームでは見られている感じと、真実を知って言って欲しいと言われた気がしました。 沖縄では戦地には行っていないものの、亡くなられた方をみたこともあります。 精神疾患で寝たきりになった時、凄惨な遺体の写真が頭に浮かんだり、亡くなった方が生きて動いている妄想に悩まされました。 それ以降はみないようにしていたのですが、いわゆる原爆の日や終戦記念日以外の時期、オールシーズン、戦争作品や写真などを観たくなり抑えられません。 最近では、よりグロテスクな物をみたいという最低な衝動にかられて苦しいです。 お坊さんにお聞きしたいのは4つです。 1.亡くなられた方の想いとは? 夫は自分だったら同情されたり、可哀想と思われたくないと言います。 ひとりひとり違うとは思いますが、無念だったり、平和が続くように願っているのではないでしょうか? 2.供養の仕方 今まで真実を知ること、気持ちを考える事が一番の供養だと思っていましたが、最近は資料館などに寄付もさせてもらっています。 他にできることはありますか? 3.グロテスクな物をみたい衝動は何故起きるのでしょうか? 後で思い出して怖くなるのだから抑えたいのに無理です。抑える為の心構えを教えてください。 医者では服薬以外の対処法がないみたいなので。 4.前世の記憶の可能性? 懐かしく感じたり、興味を持つのは前世でその当時に生きていたからでしょうか? たくさん質問してすみません。 ご冥福と恒久平和を願う気持ちはあります。

有り難し有り難し 13
回答数回答 2

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る

お坊さん33秒法話ピックアップ