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検索結果: 967件

元夫の孤独死ともと義父の自死について

3回目の相談です。 前回までは、元夫の孤独死について相談させていただきました。多額の借金から逃げ、満足な医療を受けられず、おそらく自暴自棄になり、セルフネグレクトの結果の死だと私は理解しています。 元夫の父、義父も自死しています。会社を起こし一時はかなり業績も良かったそうですが、大きな負債を抱え自身の生命保険で補填したのだと聞いています。元夫は、ぎふを義父をとても尊敬していました。家族を守るために命を犠牲にしたと言っていました。 私は生前、元夫に義父のような最期を迎えないで欲しいと言いました。遺された家族の悲しみや苦しみは、あなたが一番知っているはずだと。私は離婚していましたが、子供に同じ苦しみを残さないて欲しいから、生き抜いてほしいとお願いしました。しかしその言葉は届きませんでした。私は今でも彼を見殺しにしたのではないかと悔やんでいます。 今でも元夫の死は悲しくて辛くてたまりませんが、もしかして子供も同じ道を選ぶ可能性があるのではないかと、それがとても怖いです。私は命に関わる病気をし、大変な治療を受け今は健康を取り戻しました。それは私自身が健康になりたいというだけだなく、子供のためにも生きていたいと願ったからです。 元夫は、借金や様々な苦しみから逃げられて楽になれたかもしれません。でも遺された子供と私は様な後始末を今でもしています。 そう考えると、元夫は大きな悲しみと苦しみを残して逝ったのです。 悲しいけど恨む気持ちも生まれました。これから子供と供養はしていきたいでが、子供の未来に陰を落とすならば許せない気持ちでいっぱいです。

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父の死

先日85歳の父が亡くなりました。 私は男三人兄弟の三男で父と二人暮らしでした。母は去年暮れ5年施設にいて亡くなりました。17年前両親のために35年ローンで家を購入しました。当時私の収入は月20万で家に14万渡してました、のこりのお金で10年かけて、300万ためて家の頭金にしました。父は48歳で早く会社をやめたので母が頑張ってました。家計は苦しかったと思います。 会社をやめた理由は当時両親仲がわるく母が家に帰らない日があったりで家のことは父がしてました。 父は大企業にいたので年金をもらうようになって、私の収入もあり借金をかえし、生活も楽になりました。長い間くらした父は私の全てでした。父は私のためにがんばってました。長男の住宅ローンの連帯保証人に私がなったのですが、1500万返さず逃げてます。8年間父が返済し、残り700万あります。私が将来自己破産する事は当然としりながら、家を守るために頑張ってました。次男も借金の返済月半分以上出してくれてます。 私は5年前に会社都合で退職し、アルバイトです。 父が死んでしまって、悲しくどうしょうもないです。歳をとれば自然なことでしょうが、自分だって同じことだとわかってますが、悲しみに耐えられません。残りの人生まえに向けて歩いけるでしょか。

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親の死

現在、週末期を迎えている父がいます。 父は10年以上前に病気が発覚し、すでに末期だったので現状維持を目的とした治療をしてきました。 完治はない事からずっと覚悟はしてきたつもりですが、8月に入って急激に悪化し、あっという間に動けなくなりました。 両親は横浜、私は東京で一人暮らしです。 姉夫婦が近くに住んでいて、頻繁に様子を見に行ってくれていますが、基本的に母が一人で不安と戦いながら面倒を見ていると思うとそれも辛いです。 職場の理解もあり、隔週で休みを多めにもらい実家に帰っていますが、帰る度に弱っていく姿を見るのが辛くて怖いです。 東京へ戻ると、急変したらどうしようと考えて眠れなくなる日も。 父がその時を迎えるのを直視できる自信がありません。 それなのに、全てが終わったら長期休暇を取って10年間支えてきた母の疲れを取るため、一緒ににゆっくり過ごそうか。と今から不謹慎な事を考えてしまう自分もいます。 でも、その為には父との別れを経験しなければいけません。 いつ来るかわからない、そう遠くない別れを待つ日々が辛いです。 穏やかに、静かに迎えたい気持ちと、 早くラクにしてあげたい気持ちと、 やっぱり怖いと思う気持ちと。 心がゆらゆらしています。 どのような気持ちを、どのように保てば良いのか教えてください。

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死と宗教について

私はキリスト教と仏教のもとで育ちました。 学校はキリスト教で、お葬式などは仏式が多かったです。 ハスノハは、非常に説得力がある意見もあり、頼っています。 仏教の話もキリスト教と同じかそれ以上好きです。 しかし、キリスト教的な祈りが一番馴染むのです。 古典的な宗教は、同じこと、人間の本能に従って考えつくされたもので、共通するものがたくさんあると思っています。 天の国を悟りと考えたいのかもしれません。 邪道と言われる方もいると思いますが、 父母もキリスト教を信じていた時期もあるので、 僕がキリスト教で育つことになったのですが、 今の両親は、無宗教に近いです。 既存宗教に疑念を感じ、個人の問題と考えている感じで、 ぼくも似ています。 しかし、葬式をどうするかという話がずいぶん前に出たのですが、 家族の意見ががバラバラだったのです。 親も老いてきて考えると、 仏教を信じて、「悟りの中に救われて」亡くなっていく人と、 キリスト教に肩入れしながら、天の父に迎えられると思いながら去っていくことが、 違うものであってほしくないと思ったのです。 母は、無宗教で、自然に返るかのように楽になりたいと思っています。 父も、曹洞宗に肩入れしてますが、似た感じだと思います。 キリスト教に肩入れしている自分だけべつな場所に行くような気がして非常に寂しいです。 これをどう思われますか? これからも続く人生、いつ死ぬかわかりません。 死んでも共にいられる・・・というような安心感が欲しいのかもしれません。 それは、宗教的な問題ではなく、日常で考えるべきことで、いま寂しいだけかもしれません。 考えて行こうと思いますが、 何度か考えたことなので、ご意見を伺ってみたいのです。 1人の凡夫として諭していただけたら 本望かと存じます。

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孤独死しかない

もう年齢的に結婚は無理だと思うし貯金が全くなくて借金だけあります。若い頃、好きになった男性が無職で私が働いていたのでカードローンなどして破産まではいかなかったのですが裁判所で返済の手続きをしたので現在でもローンを組んだりが出来ず必要な物は現金でしか買えません!その時の男性は別の女性と結婚して幸せに暮らして居ます。自分の責任と分かっていても悔しくて憎いです。私には借金があるだけで子供も居ないし借金が返し終わる頃には幸せなんて遠くて1人です。おしまいです。生命保険には入ってるので何とか借金は返せて火葬代だけはあると思います。私の生まれた意味なんてないです。世間では必ず生きてる意味があるとか言いますが辛い事だらけ人の幸せとか嬉しい事を聞いても素直に喜んであげれません。私って最低ですね!仕事は看護師をしていますが、こんな私に看護される患者さんは不幸です。でも、この仕事しか私には出来ないし今の給料だから返済も出来ています、だから仕事も辞めれない。急に自分が病気になったりしたらなど考えると不安で辛いです。両親は年金生活なので負担をかけたり迷惑だけはかけれないです。その為に貯金と思うのですが現状無理です。毎日、不安だらけで心が辛いです。どうしたら少しは軽くなりますか?

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毎日死について考えてしまいます

私は毎日、大切な人たちの死を考えてしまい、悲しくて苦しくてこの先の人生に希望が持てなくなるような瞬間があります。 大切な人たちというのは主に家族で、特に両親や姉妹のことです。 昨年、結婚し初めて実家を出ました。 元々結婚願望がなかった私でしたが、婚約してからはあっという間に家を出ることになってしまい、当時29歳でしたが、なんだか現実に起こっていることと自分の心がついてこないような感覚でした。 あぁ、私も結婚する歳なんだなぁ…大人になってたんだよなぁ…というような感じです。 結婚生活はとても楽しく、実家にもよく顔を見せに帰っていますし、姉妹とも連絡は頻繁に取っています。 しかし、いつも楽しく幸せだと感じる裏側で、いつかこの幸せも終わってしまう、いつまでも幸せではいられない。そう思ってしまうのです。 もしかしたらあと10年後には両親がいないかもしれない。もう少し前の私であれば、そんな考えが浮かんでも「まだまだ若いし元気だから大丈夫」と自分を励ますことができたのですが、最近ではもう親の死も他人事ではないというか、あり得ないことではないと落ち込んでしまいます。 いつだって人は死と隣り合わせで生きているし、親がいくつだろうと、自分が大人でも子どもでも関係ないことだったのに。 この先私が親や姉妹よりも長生きするとすれば、私の未来にはとても悲しくて辛い出来事が必ず当たり前のように訪れます。 「大切な人の死」という、想像しただけでも胸をえぐられるような悲しみ以上に、楽しいことや幸せだと思えることが今後あるのでしょうか。 もちろん私の両親も自分の親とのお別れを経験しているわけですし、人はそうやって生きていくものだと思いますが、こんなことを夜な夜な考えてはこの先の未来に影を落としてしまいます。 少しでも前向きに考えていけるようになりたくて、ここでお話しさせて頂きました。 わかりにくい文章で申し訳ございませんが、何かお言葉を頂けたらと思います。

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母親の死について

昨年末に母親が亡くなりました。最初、父親から連絡がありまず噓だと叫び号泣しました。兎に角信じられず現在も受け入れられず何処かで生きてるんじゃないかと思ってます。正直自分も母親の後を追うと真剣に考えましたけど、何とか踏み止まりました。それからは虚脱感、脱力感、後悔の念ばかりです。母は兎に角昔から頑張り屋で自分が物心付いた時には病室に居た記憶が多いです。癌も患い子宮癌に甲状腺癌と最後は腎臓の透析をしてまして、夜中に大動脈解離で手術は無理という事で亡くなりました。自分と両親は離れて住んでまして私は長野、両親は千葉でして元々母は長野の出身で2年程前には両親は長野に住んでたのですが事情があり弟夫婦と住む事になりました。事情と言うのは、私は長男ですが昔からだらしなく弟の方がしっかり者で兄貴にはこれからの両親面倒は無理と判断したのでしょう、自分が引き取ると言う形になりました。本当に恥ずかしく、情けなく思います。話が逸れましたが私は母ととても仲が良くて買い物や色々と良く出掛けました。他人から見たらマザコンです。兎に角、父も母も弟も皆負けず嫌いで頑張り屋で努力家で自分は皆と正反対の性格で一言で駄目人間です。でもそんな自分にいつも皆は優しく特に両親には一生頭が上がらないです。だからこれから頑張って親孝行したかった。。特に母にはしたかったです。。その矢先に母が亡くなり自分を恨みました。生きてる時に何で何でと思いましたが、親孝行したい時親はなしと言いますが本当にその通りです。今は無念で何かあれば何処でも涙が出て辛いです。今も母の思い出の中で生きてる感じです。人間はいつかは旅立ちますのはわかってますがあの頑張り屋の母がと思うと寂しい悲しい空しい悔しいです。母ではなく自分が代わりにと思いました。後から家族から聞いた話で亡くなる前は私の名前を何度も連呼してたと聞き心が痛くなりました。結局離れて暮らしてからは電話では話たけど合いには一度も行かなかったです。母は痛いし辛かったのを我慢して頑張ってました。本当に辛いです。死にたいと思いますが正直怖いです。私はこれからずっと母の思い出の中で生きてくのでしょうか?どうぞ何卒下らな事ですがご回答の程宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 14
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2022/10/28

死を考えています

数年前まで、都内で母方の親族が経営するメーカーで事務職に就いていました。 実家は愛媛県ですが、会社所有の土地や不動産があり、その会社と強い結びつきがあります。 親族は、複数おりますが、会社経営に関わる親族と、そうでない親族がおり、ずっと対立が続いていました。 叔父や叔母、従兄弟たち経営陣たちからは、対立する親族と関わらないよう言われていました。 それなのに、その対立する親族と接点を持ってしまったり、両親を敵に回すような態度をとってしまいました。 そうして、私は経営者である叔父や叔母だけでなく、縁故採用のきっかけとなった母を裏切るような行動を取ってしまい、家族や親族からの信用を失いました。 会社の従業員の人たちとの人間関係にも悩み、心療内科に通っておりましたが、経営者親族や両親ともコミュニケーションがうまくとれていなかったため、メンタル不調を理解してもらうこともできませんでした。 その結果、任されていた会社の経理の仕事もうまく勤まらなくなりましたが、鬱の治療を受けたり、休職願いを乞うこともできず、そのまま自己都合退職してしまいました。 東京から愛媛県の実家に戻りましたが、親からは家を出て行けと言われ、唯一の頼りだった身内との繋がりも失い、途方に暮れています。 鬱の治療もままならないまま、やっと見つけた仕事は、工場での派遣で、福利厚生もありません。 お給料は、親族のメーカーに勤めていた時の方が、遥かに上回っています。 経理というデスクワークに、縁故採用してもらい、手厚い待遇を受けていたのに、経営者親族とうまくやれなかった自分。 東京という街で、キャリアを築くこともできたのに、地方に帰ってしまった自分。 もしあの時、仕事や人間関係に悩んで、経理が手につかなくなっていたのなら、正直に鬱病であることを報告して、休ませて貰えばよかった。 親族間の対立や、両親とのこじれた関係も、うまく距離をとったり、会社での立場と公私混同せずに、自分のキャリアに集中すればよかった。 結果として、家族との繋がり、親族からの信用、仕事、キャリア、出世、全てを失うことになりました。 社長だった叔父は亡くなり、副社長の叔母からは、「顔も見たくない」と言われました。 母も、口を聞いてくれません。 謝っても、泣いても、何も取り返しがつきません。 毎日、死ぬことばかり考えています。

有り難し有り難し 23
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愛犬の死

初めて質問します。長文失礼致します。 先日18歳だった実家の愛犬を亡くしました。生まれて間もない愛犬を私が4歳の時にもらって共に生活をしていました。愛犬がよくいた場所を見たり、思い出しただけで涙が溢れます。 両親は仕事で最期は誰も看取ることなく、まだ温かかった愛犬を仕事から帰ってきた母が見つけました。 私は大学のある県外に2日前に帰ったばかりで、「2日間まだ実家に居ていれば手を握って抱きしめながら最期を看取れたのではないか」と悔やむばかりです。 とんぼ返りで帰省し、不思議なことにちょうど親戚が多く集まっていたため皆で葬儀をあげて供養しました。 生まれた時から吠えることも少なく穏やかな性格でしたが、18歳ということで目はほぼ見えず歩くこともできず痴呆もありました。また、辛そうに泣くこともあり、すぐに気づいてあげられない時もありました。本当に頑張ってくれました。 5年前からはほぼリビングにいましたが、私が中・高校生で習い事や部活で忙しく、両親も仕事が多忙だった時は小屋で窮屈な思いをさせました。 幼くやんちゃだった私の後ろを着いてきてくれた姿や県外での一人暮らしや友達関係が上手くいかず帰省し疲れ果てて寝ていた私にいつの間にか寄り添ってくれていた姿、反抗期で両親と喧嘩ばかりだったのですが愛犬が居てくれたことでコミュニケーションを取ることができ、本当にたくさん助けられました。 また、私は一人っ子でそれで嫌な言葉を言う人達がいましたが、愛犬が居たことで弟ができたように家族で可愛がり、私も救われました。優しく可愛く親戚など皆から愛されていました。私もそんな愛犬が大好きでした。 何もかも思い出し悲しくなります。 無口でぶっきらぼうで当初犬嫌いだった父も涙して撫でていました。 「もっと〜してあげれば良かった」と色んなことを考えて悔やみますし、こんなに私がくよくよしていては犬も旅立てないとは分かっているのですが「もう会えない」「撫でてあげれない」ということを考えるだけで悲しく辛くなります。全く無くならないこの気持ちをどう収めたら良いのでしょうか。 アドバイスやお言葉をいただければと思います。宜しくお願いします。

有り難し有り難し 7
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突然の死

9月13日、実家の愛犬を亡くしました。 交通事故でした。 16歳になり、足腰もおぼつかず、目も白内障になってほとんど見えないおじいちゃん犬でした。 両親は旅行中で不在、地元に残る私が世話を任されていました。 夕方、仕事から一時帰宅し、猫に餌をやり、愛犬はトイレに行きたがっていたのでいつもどおりリードをつけずに外に出しました。 よたよたといつも家の周りを歩いているので大丈夫だろうと、私もトイレを我慢出来ずに用を足しに行きましたが、ふと嫌な予感がしたので終わってからすぐに様子を見に行きました 敷地中探しましたが見つかりません。家から30m程の対向車線側にあるバス停のそばに何かの塊があるように思え近づいて見ると、居なくなった愛犬でした。 轢かれた時の衝撃で前足の関節が外れ、歯が折れた影響で顎も砕けたのか、ぐったりと地面に横たわっていました。 何が起こったのか分かりませんでした。 私が目を離さなければ、こんな事にはならなかったのに。家族にもすぐ連絡はしましたが到底顔向けできません。 愛犬にもたくさん謝りましたが、こんなことでは済まされない、大切な命を私が奪ったも同然だと思っています。まだまだ長生きできたかもしれない、とてもいい子だったのに‥‥。近頃老化が著しく、最期の日も近いかもしれないと感じていたので、その時が来たら安らかに眠ってほしいと願っていたのに、最期まで苦しい思いをさせてしまいました。 対向車線側のバス停まで距離があるのに、どれだけ苦しい思いをしたことか、痛かったのだろうか。ご飯をあげる前で、お腹をすかさせたままひとりで死なせてしまった事、本当に何から何まで酷い事をしてしまいました。とても申し訳ない事をした、小さな命を守れなかった自分に対して自責の念でいっぱいです。 家族が帰宅するまでの間火葬せずに遺体を安置させることになりましたが、一人家に帰る度、心が押しつぶされそうになります。 轢かれたのは夢だったのではないか、今も玄関の戸を開けたら出迎えてくれるのではないか、そんな妄想が浮かんでは消え、心の整理が全くつきません。 火葬は17日の予定ですが、残った時間でこの子に出来ることはまだありますか。生き残ってしまった私に何が出来るのでしょうか。よろしければご助言ください。

有り難し有り難し 23
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母親の死

10日まえに母親が亡くなりました。約10年前に肝硬変と診断され5年前位より肝臓ガンになりカテーテル手術を数回致しましたが、1年前より肝臓ガンが大きくなり、年齢も考えると体力もなく手術もできなくなりました。食欲もなく体力もなくやせ細り、最後は苦しみながら旅立っていきました。亡くなる前に家に連れて帰りましたが、姉と一緒にみましたが以前よりの看病疲れや仕事の疲れも重なり、母が間なしに水をというのに対して、怒ってしまいました。今更ながら後悔していることがたくさんあり、毎日自責の念、後悔、悲しみ、虚しさ、これからの人生どうすればという気持ちがこみあげてきます。 日によって、時間によって悲しみの波が押し寄せてきます。 私はバツイチで子供もなく両親と同居してましたが、母親とはケンカすることも多く、亡くなる一年前は母と口を聞かないことがあり、また色々なことでものすごく親不孝してきました。母親は姉に亡くなったあとの私の行く末について心配していたそうです。私はかなりの情緒不安定なので、冷静になり物事を考えなさいとの事も言っていたそうです。母の遺言を受け、改めて生きていかなくてはと思ったり、もう生きていきたくないと虚しさがあったり。どうしていいのかわかりません。母親に対して、申し訳ない、後悔の気持ちでいっぱいです。 母親は許してはくれないでしょうね。苦しみから解放され天国へいってることを信じたいです。長くなりすみませんでした。とにかく後悔、何故母親を苦しめてしまったのかと、そして、母親が成仏してくれることを願いたいです。生きる気力をなくしました。私も母の元へ行きたい気持ちもあります。

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