もしブッダがナイフで刺されたら【他2点】
仏教の初学者です。何卒よろしくお願い致します。
①ブッダがナイフで刺されたら、どう反応されたでしょうか。
慈悲で相手を許されるかと思いますが、止血しようとしますか?
「生への執着」すら持たないのでしょうか。(想像で構いません)
②より良い生のため、「知足」と「向上心」をどう両立させるか?
以下の4パターンを考えてみました。
【良さそうな例】
A「相手のため」×「向上心」 (例)より喜ばれる仕事をしたい
B「自分のため」×「知 足」 (例)菜食で十分
【悪そうな例】
C「相手のため」×「知 足」 (例)今の仕事の質で十分
D「自分のため」×「向上心」 (例)より美味しい食事をしたい
しかし、諸法無我を考えると混乱します。
異なる線引きが適切でしょうか?
また、向上心は往々にして執着/煩悩に変わりそうですね。。
③人間は「感覚」に「反応」して、喜んだり悲しんだりするかと。
A 感覚「喉が渇いた」etc.
B 反応「不快だ」etc.
瞑想や修行で、A⇒Bの繋がりを弱めることは可能だと思います。
悟りとは、A⇒Bの繋がりが無くなる(=涅槃)との認識です。
そこで質問。悟ったら、生きてて楽しいのでしょうか?
(批判する意図は全くありません)
一切皆苦を前提とした上で、喜んだり悲しんだり「いま」を味わうのが「生きる」とすると、悟ってどんな「いいこと」があるのでしょうか?
(メタに考えると、一切皆苦から逃げたいという煩悩がある?)
或いは、煩悩と悟りの間でどうバランスを取られているのでしょうか?
長文失礼いたしました。
ピントがずれているかもですが、何卒宜しくお願い致します。

有り難し 64

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