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hasunoha 問答検索結果 : 「親 否定 」
検索結果: 1458件

ふと思いました。宗教とは、仏教とはなんだろう。

 いつもお世話になっております。最近になって考えている事 なんですが、宗教とは、仏教とは一体何なんでしょうか?  釈尊曰く、  「行や祈りで障害や疾病が治癒すること、また事態が好転すること はない。精進努力、また常に学び続ける姿勢が肝要」 だそうです。  ですが昨今、経文の曲解等により霊感商法や洗脳ともとれる 行動や言動に出る者が数多く存在することもわかりました。  信徒では憑き物信仰と思い込み、護摩の最中に暴れたり奇声を 上げたりしてお坊さんからお咎めを受ける人がいたり、  蹴落とす目的か他の信徒さんを誹謗中傷、または異性の信徒に 境内で付きまとい行為をしたりなど、無法な輩もしばしば 見かけることがあります。  私たちはどうあるべき?また、仏教とは何なんでしょうか?    私は、とにかく暇だと余計なことを考えてしまって気分が悪く なるので様々な資格の勉強に手を出しています。  また、刑法や仏教とも縁が深いであろう人権がらみの法律を 勉強しています。(法燈明の教えによる)    基本、自分の体質の事は医師や行政のサポーターにのみ話し、 相談する事にしました。余計なトラブルを避けるためです。  死後のことは仏様に一任し、現世の修行としては常に学びの 姿勢を忘れず過ごすようにしています。  ご意見お待ちしております。よろしくお願いいたします。

有り難し有り難し 48
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息子のことです。

はじめまして。 息子のことで相談させて下さい 息子は今大学生ですが、昨日の朝急に苦しいしんどいと言い出し、問いただすと、人が怖い、人と関わりくないと泣き出しました、 何故なのか聞くと中学の時にとても仲の良い幼なじみの同級生二人に裏切られてケンカをした時に かなり酷いことを言われたらしく、それから人を信じられなくなったようです。 長い間お互い話すこともなく塾も一緒だったのでかなり辛かったみたいです。塾の周りの子達は相手側で、息子は一人でした。それでも塾も辞めず頑張っていました。 (私もそれは知っています) その件から人を信じられなくなり、上辺だけの友達しか作らないようにしてたようです、 でもそれも寂しいと本人は言ってます。 たまに苦しくなったりしてたみたいで夜寝れない時があるみたいです。昨日は学校にもいけない状態でした バイトも店長が変わってから精神的に辛くてしんどいと言ってます、色んな事が重なり気持ちが落ちたのかなとは思います。 バイトは辞めればいいとアドバイスしましたが、幼なじみに裏切られた心の傷は私ではどうすることも出来ず、カウンセラーにお願いした方がいいのか悩んでいます。 泣いている息子を見ていたら私も苦しいです。 心の傷が、癒え心から話せる友人を作り、楽しい大学生活を送らせてあげるにはどうすればよろしいでしょうか?

有り難し有り難し 19
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一生、母親になれないかもしれない。

26歳で結婚して27歳で不妊治療を開始して、現在、29歳になります。主人は34歳です。 私はもともと結婚願望はありませんでした。 主人と出会うまで子供も欲しいとは思ってませんでした。 主人と出会い、「この人と結婚して子供が欲しい」と思い、5年5ヶ月の交際を経て結婚しました。 当時の私は准看護師だったので、交際期間中は看護学校に進学して働きながら勉学・実習に励んできました。 当然、学生期間中はきちんと避妊もしました。将来、子供を産むことも考えてピルを5年間飲んでました。 看護学校を卒業して、国家試験も合格して看護師となってから、今の職場に入社しました。 入社して1年経った頃に結婚したのです。 子作りもしていますが、半年経ってもできず不妊治療を開始しました。排卵誘発剤とタイミング法の併用で現在も治療していますが、思いが実ることはありませんでした。 生理が来るたびに泣くほど落ち込んでは、主人にも当たりました。「34歳まで子供ができなかったら離婚してくれ」と主人に言いました。 主人は「子供はできても、できなくてもいい。ただ君がいてくれるだけでいいんだ」と言いますが、私は…妊娠してくれないこの身体が憎くて仕方ないのです。 子供ができないことで、女としての価値もない。母親になれない私は前世でとんでもない大罪を犯したのか?神様がいるなら、私に母親になるなと言いたいのか……と考えるようになりました。 私はこのまま母親になれないかもしれない……そう思うだけで自然と涙が流れるのです。 不甲斐ない自分が許せないのです。 養子縁組という方法で親子になれることは知っていますが、私はあくまで主人と私の遺伝子を受け継いだ子が欲しいのです。 生きているだけで、申し訳ない気持ちになります。ぼーっとしているだけでも涙が溢れてくるのです。 長文になりましたが、いろんな意味で限界です……助けて下さい。

有り難し有り難し 100
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就職活動について

こんにちは。 私はいま休職中です。 前の職場では、 毎日イライラしていて、 しょっちゅう物を壊したり、投げたり、セカセカと落ち着きがなく、喚いたり、 問題起こしたり、怒ったり、態度も悪く かなりの問題児でした。 このとき私は誰にも相談できず、ほんとうはこんなことしてはいけないとすごくわかっていたのに、衝動で起こしてしまいどうしたらいいのかわかりませんでした。また全身がちぎれるくらい痛みがあり、息ぐるしい毎日でした。 また、かなり精神的におかしかったのですが、いつも怒られてばかりいたので 自分が悪いのだろうと責めて思っていました。カウンセリング行っても自分が明らかに悪いので怒られると思って疑心暗鬼で誰にも話せませんでした。ひとりぼっちだったので 働けない私は役に立たない、無意味だと思ってたので、それでも頑張って働きました。頑張って認めてほしいという気持ちでした。 ついに、大きな大きな問題を起こし、みんなから責められて退社しました。 みんなから人としてありえないと言われました。 退社して、、 半年寝込むと、気分がすっきりしました。身体も痛くないし、 私はおかしかった。鬱だった。 このとき初めて知りました。驚きました。そして、今はとても性格が落ち着いた感じで物を壊すことも滅多にありませんし、怒鳴ることもないです。 今の自分からみて、昔の自分がとてもとても異常だったのがすごくわかります。 また、自分の異常さに早く気付けばよかったと思います。毎日泣いてます。 罪悪感もあります。 相談は 就職活動をしようと思うのですが、 前の職場での出来事がバレるのがものすごく怖いです。 前の職場での人たちは、私のことを許してくれないでしょう。 違法と知っているのですが、よく前の職場にどんな子だったのかを聞いたりすることがあるので、 そんなことされたらどうしようと思うのです。、私が働いてたときもそういう電話かかってきて、違法なのに答えていました。 個人経営の会社に働いていたのでボロクソ言われると思います。 上司はそういう人だと思います。 自分が異常だったとはいえ、 人としては絶対してはいけない ありえない迷惑行為(下手したら犯罪)をしたので、とても罪悪感もあります。 私が愚かだったので、 私の言い分などなにも 聞いてもらえないだろうと思うと、 働くのがこわいです。

有り難し有り難し 18
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肉食妻帯並びに出家と在家の違い

日本の仏教(浄土真宗を除く)は何故『肉食妻帯』が許されるのでしょうか? 浄土真宗を除く宗派は『肉食妻帯』の禁止が前提で作られていたのでは無いのですか。 肉食関して仏陀は肉食を禁止していないや三種の浄肉をおっしゃる方が多くいますが、その部分だけを引用するとそう解釈できるか分からないですけど、当時は「托鉢」や「午後の食事の禁止」が前提の話で、日本の僧は「托鉢」や「午後の食事の禁止」をしているわけではないのに、その部分だけを引用するのは如何なものでしょうか。 また中国経由の日本の仏教には関係のない話であり、仏陀は肉食を禁止されなかったという個々の考えがあるのであれば、上座部やチベット、真宗などに改宗するか新たに肉食を禁止されない宗派を開宗すべきで妻帯の禁止及び菜食主義であった既存の宗派を変える事は以ての外ではないでしょうか 私は肉食妻帯に対して反対しているのではなく、真宗以外の諸派は肉食妻帯な禁止が前提として作られているのだからそこは徹底的にして欲しいのです。 妻帯については後継者問題があるからとは言いますが、なぜそこまで出家にこだわるのに、妻帯の禁止にはこだわらないのでしょうか。出家せずとも知識ある在家としてお寺を見守る家系として生きていけばいいではありませんか。 出家しているのに妻帯だと在家とあまり違いが無いではありませんか。 これは勝手な私論ですが 末法無戒を、唱えた日蓮上人ですら肉食妻帯をしていませんよね?それは「僧が袈裟を着る事」や「人が人を殺す事はいけない事」と同じ様なもので、その当時は肉食妻帯はしないのが当然なので末法無戒には含まれないからでは無いのでしょうか。 もし政府が「僧の服の着用勝手たるべし」とでも法令出したとしても、日蓮上人は直接は言及していないが、服を着るのは当然でその上で末法無戒と言ってるなんて誰でも分かるじゃないですか。 まとめると肉食妻帯の容認を当初からしている真宗以外は、かつてと大きく肉食妻帯に対しての意識が変化しているのにも関わらず、別宗派を作らず元の宗派を名乗ったまま肉食妻帯を許しているのか。 また現在における出家と在家の違いはなんなのかです?

有り難し有り難し 88
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日本仏教とは何なのか?

 初めてこちらで質問させていただきます。よろしくお願いします。  私は現在、大学院で社会学を専攻しているのですが、同時に仏教に対しても強い関心を持っております。今後の人生は仏道を中心に据えて歩んでいきたいと思っております。  現代の日本の政情を私なりに研究した結果、日本の将来には期待できるものがほとんどないという結論に至りました。日本の政治・経済・文化における凋落は民主主義・資本主義体制が崩壊するまで続くだろうと予測しております。  この現状を踏まえて、私が歩むべき道は仏道以外に見出せないと思いました。しかし、日本仏教を信仰するにはいくつかの問題点があるとも感じております。  まず、第一に宗派があまりにも多くどの宗派を信仰して良いか分かりません。様々な宗派の本を読んでは見ましたが、どの教えにも深く納得することができず、悩み続けている状況です。(最近では、禅とテーラワーダ仏教の教えに惹かれております。)  第二に、日本仏教はもはやその求心力を失ってしまっているのではないかという問題です。鎌倉時代など、社会状況が大きく変化した時代には仏教は多大な求心力を持っていましたが、現代では賞味期限が切れた宗派もいくつか存在していると思うのです。(例えば、私の家の宗旨は浄土真宗ですが、個人的には信仰することに困難を覚えます。もちろん、歎異抄などの著作には深い感動を覚えます。)それが、さまざまな新興宗教を生み出す原因になっていると思うのです。  これらの点を踏まえて、私は禅かテーラワーダの教えを学んでいきたいと考えているのですが、同時に躊躇もあります。その教えに賭けて救われなかった時のことが怖いのです。ここに非常な葛藤があります。  結局、私がお尋ねしたいのは「私はどう生きるべきか?どの宗派を信仰すればよいか?」ということです。何かアドバイスがありましたら、どうかご回答下さい。よろしくお願いします。

有り難し有り難し 428
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仏様っている?

以前、何度か質問させていただきました。 私は信仰心が強く、仏様を信じています。 でも、祈って病気が治るならみんな死なない と言うようなご回答をいただきました。 ごもっともだと思い、見返りを求めていた 自分を反省しました!そして私は心配性です。 別の質問をしたとき、仏様を信じているから このままではいけないと、仏様がハスノハへ 導いてくださったのです。とご回答を いただきました。携帯を変えたので質問が 残っているかは確認してません。 このハスノハでたくさんのことを勉強 させていただきましたが、結局物事は なるようにしてなり、起こるべくして起こり、 現実をどう受け止めるか。なのかなと。 仏様を信仰しているのはただ人が仏様を 信仰することでいいことをした気分になり 救われるような気がするからで、 その後いいことや悪いことが怒っても 仏様の力でもなんでもなく、ただ起こるべく して起こっただけなのかなと思うようになりました。私は祖母に小さい時から仏様に 手を合わせなさい、朝起きたら朝日に向かって 手を合わせ世の中の人の平和を祈りなさい、 そうすると心が穏やかになるんよと 言われて、できるときはそうしてきました。 小学生でひいおばあちゃんが亡くなり、 ショックで落ち込んでいると般若心経を 覚えなさいと言われ、毎日写経しました。 何年か経ち、私が祖母の部屋でなんとなく 写経していると、もう1人のひいおばあちゃんが 亡くなったと連絡がきました。 私が写経している間に眠るように亡くなった そうで、祖母が、ひ孫のお経で逝ったんやね と言っていました。他にも亡くなった人や 仏様との結びつきを強く感じることが 小さいころからたくさんありました。 その度に私は感謝し、手を合わせました。 つらいことが怒っても仏様なんかいない! とは思ったことはなく、どう乗り越えるか 私が強くなるための試練を与えて下さってる と信じて超えてきました。 でもハスノハで仏教のことを いろいろ教えていただきましたが、 現実を見せられた気持ちになりました。 仏様なんか!とかではありません。 私が信じてきた仏様はいないのですか? 人が勝手に仏様と結びつけているだけで。 そう思うと、手を合わせる意味がわからなくなってしまいました。仏様なんか!とかそうではなく、純粋に混乱しています笑 複数ご回答いただけると嬉しいです!

有り難し有り難し 98
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2025/04/15

世界と未来が恐ろしい

今はそれなりに平和に生きています。衣食住に困ってもいないし、まだ戦争に巻き込まれているわけでもないと思いたい。世界的に見ればものすごく贅沢な生活をしていると感じています。だからこそ、この生活が終わることを恐ろしく感じ、また、今の生活を続けることに罪悪感もあります。 人間でも、自然界でも、未だに殺生は行われ続けています。私も肉や魚を食べることだってありますし、コーヒーやチョコレートを口にすることだってあります。けれど、これ自体が何かへの加害、搾取であることも事実です。電気や水を使うことは自然破壊に繋がります。けれど、この生活を誰かに明け渡せと言われても拒否してしまう浅ましさがあります。 今の生活は何の根拠も無しに何故か成立している宙ぶらりんなもので、ちょっとした間違いで崩れ去ってしまいます。そして、世界的に見ればそのバランスは日に日に悪くなっているように思います。終わるかもしれない生活、何かを傷つける生活を続けるのが怖いというのに、どうしても、今の生活が続くことを望んでしまいます。 安心して生きていたいだけだけど、自然界で天寿を全うできる生き物は少数派なのだろうという現実、解決策が見つからず悪い方へとばかり進む人間社会、オカルトな視点から破滅的根拠ばかりが積み重なる7月5日(都市伝説、占星術、仏滅)。これらが重なり、今になって自分の命と生活を惜しんでしまいます。 生物の命や感覚や自我を作り出しているのは、脳味噌や神経などの生体反応でしかありません。つまり、例え死んでもまた物質世界のどこかに生まれてしまいます。それが恐ろしい。死よりも、死に至る苦痛が恐ろしいのです。 要約すると「未来が怖い」ということになるのでしょうか。全てを忘れて自分の生活に集中していれば心は楽ですが、それは正しいことではないように感じられる。かといって、自分の全てを投げ打って他者の為にだけ生きる正しさを実行する勇気もない。そして、いつかはどう足掻いても残酷な流れの中に放り込まれる。それはこの命のうちかもしれないし、この命が終わってからかもしれない。けれど、いつか必ずそれは起こる。極楽浄土が本当にあればいいけれど、人間が発生する前、恐竜の時代にも極楽浄土はあったのでしょうか。 とりとめのない文章になってしまい申し訳ありません。解決策などないことも知っています。世界は信じるに値しますか?その根拠は?

有り難し有り難し 22
回答数回答 3