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hasunoha 問答検索結果 : 「 宗派 」
検索結果: 2840件

菩提寺って変えれますか?

我が家は浄土真宗本願寺派です。 菩提寺の御住職様は御高齢の為、お勤めをしておらず、県外にいる息子様が行事等がある際に戻ってきていらっしゃるとの事です。 先日親族が亡くなり、すぐ菩提寺へ連絡した際に「すぐには対応出来ないので、そちらで別のお寺を探してもらえませんか」と言われました。 葬儀社を手配し、その葬儀社へ菩提寺から言われた事を相談し、お寺様を紹介して頂きました。 葬儀も滞りなく、無事に終了した為、菩提寺へ連絡し、「七日毎のお勤めをお願いしたい。家へ来れないのであれば、お寺でお経をあげて欲しい」と伝えたところ、お断りされました。 その後四十九日の法要にあたっては、事前に連絡をして日程を決めてお願いし、了承を頂けたのですが、後日連絡があり、「葬儀でお世話になったお寺様へお勤めしてもらわないでいいのですか?」と言われました。 こちらから「本来菩提寺であるそちらへ葬儀の時もお願いしたかったのに、お断りされたのはそちらで、代理で立てて頂いた方です。」とお伝えしました。なんとか四十九日の法要はお勤めして頂けるとのことです。 このような事があり、家族や親族より、菩提寺を変更した方がいいのではないかと話が出ております。 ずっとお世話になっている菩提寺様なので、今回の事は少しショックでした。 今回お勤めをして頂けるお寺で依頼していたのは、「浄土真宗本願寺派のお寺様」でした。 私は仏教に興味があり、お寺を調べたところ、「天台宗のお寺様」でした。 お経は、仏説阿弥陀経や正信偈だったので、通夜・葬儀の際は「なんかお経の読み方が新鮮だなあ〜」と感じていただけでした。しかしとても親切で、四十九日までの間、毎週お勤めに来てくださいます。 普段から仏壇へ向かい、お経を読む事もあり、こんな事があるのなら、私が学校に行き、僧侶の資格を取ってお勤めしたいとも頭をよぎりました。 菩提寺を変更するというのは、やはり避けた方が良いのでしょうか。それとも変更しても良いものなのでしょうか。 どこに相談していいものか分からず、投稿させて頂きました。 宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 27
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母が亡くなりました。

一昨日、母が老衰で亡くなりました。病気も沢山あり、認知症も酷く、最期数年は老人ホームでの生活でした。 また、このコロナ禍でしたので、母に会うのも数ヶ月に一度でした。 元々、父はシッカリしたお葬式をしましたが、母は介護生活も長く、母の兄弟も年齢が高い為家族葬で、お見送りだけにしました。 主人が宗教に反対の考え方で、お通夜も葬儀も無く、私と子供と主人の三人でお見送りしました。 仏着もありません。生前母が好きな服を着せました。 昨日、収骨が終わった直後は良い式だったと思えたのですが、時間が経つにつれ、母は向こうに行って、父に会えるだろうか。 向こうの世界で苦労していないだろうか。 私は凄く苦しませたのではないだろうかと、不安と恐怖でこちらにご相談させていただきました。 母の遺骨にお線香などもしておりません。 戒名も付けておりません。 主人には気になるなら私が付ければ良いと言われています。 母は、成仏できているでしょうか。 父や、母の両親と会えているでしょうか。 向こうで苦しんでいないでしょうか。 今更ですが私に出来る事はありますでしょうか。 血の繋がってない私を大切に育ててくれました。 絶対に忘れる事も、思い出を粗末になんてできません。 母が穏やかになるにはどうしたら良いか教えてください。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 14
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心の支えとして

こんにちは。以前にも質問に答えていただいた者です。ご無沙汰です。 前回、漫画家になる夢に挫折したという内容で質問させて頂き、温かい励ましのお言葉をいただきました。あれから有り難いことに周囲の人々に助けてもらい、現在は色々なことを割り切って今後を現実的に見据えています。 ただ、割り切ったとは言ってもまだまだ「あの時ああしておけば…」という後悔の念が湧き上がることがあります。そんな時、つい前世や来世といったことを夢想してしまいます。 現状を全て諦めた訳ではありませんが、疲れた時などに現実逃避気味に「ひょっとして前世で何かやらかしたから上手くいかなかったのかな」「今踏ん張ったら来世ではもっと上手くやれるかな」等考えてしまいます。 頭では割り切っていても、心がなかなかついてきません。また皮肉なことに、前世来世を前提としていると自分を納得させられて心穏やかになり、結果的に前向きにはなるのです。 今を受け入れて生きることが最も重要なのは理解したつもりです。しかし一朝一夕で屈強なメンタルにはなれず、不確定なものを心の支えにしないと精神的なストレスを解消できません。理想を言えば来世があったら素敵だなと思っています。 現実逃避の果てに、「望む来世ではない、また来世などなかったとしても今を頑張る価値と理由になってくれる」という結論に落ち着きます。 今私は諦めたものもあるけれど、自身が非常に恵まれた立場であると自覚しています。なのに来世に想いを馳せてしまうのは欲張りなのではないか…。前世来世を考えてることは、周囲には口外していませんし、するつもりもありません。 ちなみに、上手くいかなかったことというのは幼少期から思春期にかけて母親のストレスの捌け口にされ、それに耐えたことで価値観や自己肯定感が歪み、挙句和解が不可能だったことです。要は「母親との確執のない幼少期を過ごしてみたかった」、「それが無理ならせめてもっと早くに母親に立ち向かっておきたかった」というのが自分の中の最大の後悔です。 長くなりましたが、日々の心の支えとして前世来世のことを考えてしまうことは、よくないことですか?また、来世があると前提にした場合、今世で「来世は困難に耐えるのではなく立ち向かいたい!」という想いは反映されると思いますか?

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ヌミノース体験について

私は、今スペインの大学院で、宗教学について学んでおります。 お恥ずかしい事に、日本に住んでいるときはあまり仏教について考えた事がなかったのですが、今自分が海外にいる事で、改めて日本が仏教国であり、数々の素晴らしい文化、そしてそれにともなう言語・思想等を生み出してきたという事に気付きました。 そこで、今仏教について、スペインで本格的に研究しているのですが、どうしてもスペインにある仏教に関する本ではわからない事がございまして、ぜひお坊さんたちに答えて頂きたい質問がございます。 ドイツの宗教学者であるルドルフ・オットーが、「ヌミノース」という言葉で表している、言葉では言い表す事のできない他者では経験不可能な不思議体験・神秘体験(?)が一体どのようなものであるのかを、教えて頂きたいのです。 恐らく日本語で表すと、『見性体験』というものだと思います。ルドルフ・オットーも「聖なるもの」という著書の中で、この経験の内容に関しては体験者の唇は固く閉ざされると言っておりますが、仏教を研究している以上、私はどうしてもこの体験がどのような物なのかが知りたいのです。 もし言葉で深く説明できないのであれば、本当にキーワードだけでも良いので、どのようなものなのかを教えて頂きたいです。 難しい質問かもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 60
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仏教について知りたいです

私は、高校生の時に父の母(日本のお祖母ちゃん)のお墓参りをしたいと思い立ち、バイトで旅費を貯め、産まれて始めて国内一人旅をしました。 それまで、キリスト教の母親の母国で生活をしていたため日本の文化や風習など、わからない事がいっぱいありました。日本に帰国したのは私が中学三年になったばかりの頃で、帰国子女で日系人だったこともあり、イジメの的になりました。そこから私は明るさと本当の笑顔を失いました。鏡や写真に映る自分を見るのが嫌になりました。自分の話す日本語にも不安を覚えてしまい、黙り込むようになりました。 あるとき、父親から日本のお祖母ちゃんはお寺の娘さんだった事を知り、お祖母ちゃんのお墓参りをしたくなりました。 そして、父親が教えてくれたお寺を目指して京都の福知山市にまで行きました。道中、兵庫県の無人駅で降りてしまい、徒歩で京都の県境まで歩くなどいろいろありました。三時間以上歩き続けてやっとの事でお寺に着きました。そしてお寺の方が自分の遠い親戚にあたることを知りビックリしました。いままで、日本の親族に会ったこともなかったのですごく嬉しくなりました。 しかし、残念ながらお祖母ちゃんのお墓が松江市と千葉県に分骨してあると知りお墓参り出来ませんでした。 私がお寺に行った事によって、その後は父親の家族(7人兄弟)から連絡が来るようになり、絶縁だった父親の兄弟の和を復縁させるきっかけになりました。そして、半年後にお祖母ちゃんのお墓参りができました。 私が仏教に関する事に触れると、なにか良いことが起きるみたいに感じます。もっと仏教について知りたいです。こんな私でも、仏教について学んでもいいでしょうか? あと、ひとつだけずっと気になる事があります。 当時お寺に行って一晩だけお寺に泊めてもらえました。その翌朝お手洗いに行く途中、足の指先を蜂に刺されました。これは何かしらのお告げだったのでしょうか? 長文になり申し訳ありませんが回答の方をよろしくお願いします。日本語間違っていたらすみません。

有り難し有り難し 38
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