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hasunoha 問答検索結果 : 「自分 生きる意味 幸せ」
検索結果: 1999件
2023/03/28

顔面麻痺になり人前に出るのが怖い

はじめまして。 私は昨年40才で唾液腺癌になりました。 癌が顔面神経に触れていたため、腫瘍を摘出する際に顔面神経も一緒に摘出し、永久に顔の半分が麻痺状態になりました。 目が閉じず、口角は下がり左右差があります。 手術した耳付近も大きく陥没しています。 主治医には、手術した所を整形する事は可能だが再発リスクが高まると言われ、整形は諦めました。 癌を宣告され、とても辛く悲しい日々でしたが優しい家族や友人に支えられ前を向けるようになりました。 現在は有り難いことに経過観察中です。 毎日朝が来る事に感謝しながら生きています。 ですが、今こうして生きていられる事だけでも奇跡だと思っている一方で、どうしても人の目が気になって気持ちが落ち込んでしまいます。 特に、おしゃべり好きな子ども関連のお母様達の目が気になり、保護者会などの参加を躊躇してしまいます。 以前は積極的に係など引き受けていましたが、今はしていないのも心苦しいです。 家族は、麻痺した私の顔も普通に受け入れてくれています。 なのに、人の目が怖いと感じる自分の心の弱さに悩んでいます。 どのような心構えで日々を過ごしたら、強い心で、麻痺した顔でも堂々と私らしく生きていけるようになりますか? ご教授いただけたら嬉しいです。 よろしくお願いいたします。

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許せない

何度か相談させて頂いてます。 ずっと思ってた事を書きます。 私の親族関係は、あまり仲が良くありません。 というか、父の姉と妹が嫌いです。 私が高校1年の時に父方の祖父が亡くなり、3年の時に祖母が亡くなりました。 きっかけはその辺りなのですが(それまでは私が小さかった事もあり、大人な付き合いぐらいで留まっていたのだと思います) 祖母が亡くなって、すぐに遺産でもめました。 大した金額でもないのに。 出て行ったはずの姉までしゃしゃり出てきて。 裁判もして。 その間の嫌がらせは色々ありましたが、長くなるので書きません。 そこから父の名義だったはずの家から私たち家族が出ていく羽目になりました。 その辺りから、父は鬱状態のような感じで 「俺はいつ死んでもいいんだ」とか言って糖尿病の薬や治療も辞めてしまいました。 毎日のように寝ている時に、夢で思い出してたのか怒鳴ってたり、苦しんでるようでした。 それから数年は何事もなかったのですが、 昨年、父の糖尿病が悪化して(最初は頑なに父も病院へ行きたからずでしたが、何も食べられなくなり入院させました)亡くなりました。 もちろん、あの姉妹にはその事は連絡しませんし、葬式に呼んだ他の親戚にも言わないでと言ってあります。 もうすぐ父の一回忌です。 その姉妹は、親戚に根回しして一回忌に行かないようにしつこく電話をしているみたいです。 親戚は嫌になって参加しないからと電話で謝ってきました。 その姉妹的には「私たちだけ除け者にして!」みたいな言い分だそうです。 全く理解出来ません。 父に何をしたのか、全く分かってないし。 母にも酷い事言って。 復讐したいとは思いませんが、 父と母が苦しんだ分は分かって貰いたいです。 思い返すだけで、 腹が立ちます。 これからどう思っていくのが 良いのでしょうか? 何かアドバイスをお願いします。

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2023/02/14

いないかもしれない霊能者を探してみたい

私もそうなのですが hasunohaでは「亡くなった人に会いたい」と言う相談も多数あるようです。 たとえば 忠臣蔵 (ここでは史実はどうかより 歌舞伎に基づいた話をします) 浅野内匠頭が吉良上野介に苛められてた結果、松の廊下で斬りかかって 内匠頭は切腹、浅野家取り潰し、上野介はお咎めなし そして城代家老、大石内蔵助を始めとする遺臣(赤穂義士)たちが吉良上野介を討ち果たし 泉岳寺の墓前に吉良の首を添えて感泣する。江戸の町民は拍手喝采。そして最後は義士達も切腹。 切腹の時に 大石内蔵助は言います「一足先に殿のもとに参る。あちらで皆を待っておるぞ」 これは、霊魂が存在し、内匠頭の霊魂の思いがどこにあるか明確になってこそ成立する話で この前提なければ虚しい話になります。 「ばかみたい。喜んでくれる人もいないのに妄想に凝り固まったあげくに多くのもの(命も家族も)を喪っただけじゃねーか」 ともなりかねません。 松の廊下の事件直後も紆余曲折があり 赤穂城では すぐ上野介を討てと言う者、弟を擁立した浅野家再興の活動を主張する者、幕府に抗議して城で皆で切腹を主張する者、籠城抗戦を主張する者、おとなしく開城して新たな生活を考える者 いろいろ割れました 割れた原因は内匠頭の霊魂と対話できる人が誰もいなかったから。 もし本物の霊能者が存在して 内匠頭の霊と対話できていれば赤穂藩家臣で新たな対立や憎しみを生むことはなかったはず。 たとえば 今でこそフグ料理はある程度確立されており調理には特別な免許が必要で飲食店で死亡事故は聞きませんが 昔の試行錯誤をしていた時代に「おいしいフグ料理を作るぞ」と意欲を燃やして毒にあたって死んだ料理人がいて遺言も何も残さなかったとします。 もしあの世や霊魂があるならばその人は子や弟子に遺志を継いでほしいと思っているのか、危ないからやめろと思っているのか? 親 又は師匠の意向に沿いたいと思っているならば、霊魂やあの世の存在を知りたいと思うことは当然だと思います。 人によって動機はいろいろだと思います 能力もないのに金をだまし取るニセ霊能者・詐欺師だらけなのも分かっているつもりです。 そのため なかなか行動に移せないのですが 自分の生き方を探すために 慎重に、本物の霊能者を探してみたいというのはおかしな発想でしょうか?

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読経が何故供養になるのか教えてください。

お経を読むことがなぜ先祖や自分に関わりのある仏様の供養につながるのか? 大変罰当たりながら、そのような疑問を抱いてしまいました。 仮に例をあげますと、日蓮宗では法華経を読んで先祖供養などをされると思います。 法華経は釈迦が悟りを開いて亡くなられる前に最後の教えを説いたもので、 数ある経典の中でも最上の教えとされていると聞いたことがあります。 その素晴らしい教えを守り、帰依しますと宣言する=「南無妙法蓮華経」と題目を唱える。という事になるのでしょうが、なぜそれが供養につながるのか疑問です。 自分は先祖や仏様との何らかのつながりがあるから、その自分が題目を唱えることで先祖や仏様の過去の罪が軽くなり救われる。=先祖や仏様も成仏できるという考え方も確かに一理あると思います。 しかし、お経というのはただ聞いたり意味を知らずに読んだりすれば、まるで呪文のようでいかにも効果がありそうに思いますが・・・。 現代語に訳して意味を分かるようにしてみると、一つの物語をただ読んでいるにすぎないように思えてしまいます。 とてもありがたい教えが書かれていることは理解していますが、客観的に考えれば子供に絵本を読み聞かせているようなものではないかと思ってしまうのです。 子供ではなく対象が先祖や仏様へ、絵本がお経という物語へ変わっただけではないでしょうか・・・。 物語を読み聞かせる行為がなぜ供養につながるのか? 先祖供養のためによくお経を読む者として、大変疑問に思っています。 どうか教えてください。

有り難し有り難し 101
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2023/02/05

死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。

初めてご相談させていただきます。 私は死にまつわる物事に異常な恐怖を感じます。 例えばお葬式、葬儀場、霊柩車、火葬場、お墓などです。 始まりは小学生の頃、親戚が亡くなり初めて遺体を見ました。今でも忘れられないのですが、母親から幽霊の話をその時に聞かされて恐怖で逃げ出したい気持ちになりました。その後、成人してから父型の祖父が亡くなった時に初めて火葬場に行きましたが、とてつもなく怖くて出棺後を見届ける事ができませんでした。その後祖母も亡くなった時も怖くて立ち会わず恐怖に苦しみました。 私はどちらかと言うと母方の祖父母の方で育てられました。その2人もこの10年で亡くなりました。その際は最期まで見届けて、骨上げにも立ち会う事ができました。 しかし、その後異常な行動が始まりました。死にまつわる物事に異常なまでの反応をします。 例えば葬儀場の近くはなるべく通らない。 喪服を着てる人を見かけたら、その人が歩いていた所はジャンプしてまたぐ。 電車で見かけたら車両を変える。 霊柩車が通った道は遠回りしてでも避ける。 葬儀に参列した際はその時着用していた下着やシャツなど全て処分する。 カーナビなどで、〇〇苑【葬儀場や火葬場】と言う言葉を見つけると異常なまでに恐怖を感じる。その日、何時間も気にな楽しめない。 霊柩車を1日に何台も見つけてしまう。 小さい頃、霊や悪霊が悪さすると母親から刷り込まれ今だに目に見えない不思議な物を信じて恐怖にかられています。 霊が私に何かするんじゃ無いか?不幸を連れてくるのでは無いか、呪われるのでは無いかと、毎日恐怖にビクビクしてとても生きづらいです。お墓の近くを通ったりした際はすぐに洗車に行きます。 コロナが始まってから余計にこの強迫概念にかられとても苦しいです。 僧侶の皆様にこの様な質問は失礼に当たるのでは無いかと何年も悩みましたが、勇気を出してお伺いします。 どうかこの強迫概念が少しでも楽になる助言をいただけましたら幸いです。 よろしくお願い致します。

有り難し有り難し 9
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祖母が亡くなって悲しいです。

 大好きな祖母が亡くなり、とても悲しいです。 子供を連れて会いにいった5日後に突然亡くなりました。 誕生日も近く、プレゼントを何にしようと考えていたところでした。 亡くなってしまうなんて夢にも思いませんでした。 突然のことに頭がついていかず、今も自宅でテレビをみているだろう、 遊びに行ったらいつものように出迎えてくれるだろうと思ってしまいます。 同じ市内に住んでいるのに、どうしてもっと頻繁に会いに行かなかったのだろうと非常に後悔しています。 コロナ禍で会いに行くことを控えていました。 それは祖母に感染させてはいけないと考えていたからなのですが、 いまとなっては、それも本当に祖母のためによいことだったのか、疑問です。 もしかしたらコロナを口実に、私が怠けて会いに行かなかっただけではないのかと自問し、悔やんでいます。 悲しくて、悔しくて、祖母に会いたくて、お恥ずかしいのですが仕事中もずっと泣いています。 祖母は私がいまの仕事に就いたことをとても喜んでいたので、祖母に恥ずかしい思いをさせたくなくて、悲しいけれど毎日出勤しています。  気持ちの整理がつきません。 祖母はどこにいるのでしょうか。自分の死、今までの私との関わりをどう思っているのでしょうか。どうやったら会えるのでしょうか。

有り難し有り難し 17
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仕事が続かない

初めまして。 私は短大を卒業してから最初は派遣で働いていたのですがハローワークで正社員での仕事を探し働いていました。 元々興味のある業種なので嬉しい反面、不安もありましたが頑張ろうと思っていました。ですが、お店の店長が怒ったら怖くて、怒鳴り散らされ、たまに優しい時もありましたが色々と嫌になり半年ほどで辞めました。 その後、数ヶ月後に転職をしたのですが、そこではパワハラを受けました。 最初の2、3か月はまだ注意されても優しかったのですが段々言い方がキツくなってきました。 個室に呼んで注意されたり、皆の前で怒られたり、メモ用紙に私への出来なかったことを書いてスタッフルームの皆に見えるように貼ったりされました。 私がお店のお客さんにナンパというか連絡先を聞かれたりしたことが何回かあってそのことでも色々言われました。 入社して数ヶ月の私には、こんなこともできないの?とか色々言いましたが、入社して数年経ってる人は出来ないことがあっても怒られませんでした。 私ばっかりが怒られました。 確かに、自分でもまだまだ未熟だとは思っていましたが、仕事の内容も合わず、ある日、店長とチームリーダーから「あなたにはこの仕事を向いてないと思う。他の道を考えたら?」と言われ1年経たないくらいで辞めることを決意しました。 それからは、リーダーから「あなたは皆の期待を裏切った」とか「退職するのはあなたの為だからね」とか色々言われました。 辞める日には「お疲れ様でした。あなたなら次の職場でも頑張れると思うから。顔見せにおいで」とか言われましたが辞めて以来行ってません。 他にも色々あって後悔ばっかりです。 もう忘れたいです。 それから数ヶ月してから転職したのですがそこはパワハラとかは無かったのですが「未経験でも何とかなると思ったけどやっぱり未経験は難しいね」と言われクビになりました。 それから先日、内定を頂いたのですが「3か月は試用期間だけどそれで無理だと思ったら辞めてもらう」と言われました。多分今回もクビになるんだろうなと思います。まだ勤務はしていませんが、今から憂鬱です。 どうしたらいいのでしょうか?

有り難し有り難し 15
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2024/06/13

毒家族たちとの付き合い方

20年以上前ですが、両親が離婚しました。 両親は結婚当初からずっと、お互いを軽蔑しあっていたし、母は父との夫婦生活が耐えられないという理由で離婚しました。 私も兄も、その騒動に巻き込まれ、新婚だった私は、とても子供をつくるどころではなく、不眠症を患い、兄はその後、統合失調症を患いました。 私はほどなくして子供ができ、10歳になりました。両親は、孫ができたことを知っているのに、孫にお年玉、お小遣いをやるでもなく、おじいちゃんおばあちゃんらしいことをなにひとつしません。 子供たちである私や兄をこのような病気にしておいて(私も不眠症から統合失調症になりました)孫に小遣いもやらず、親らしいこともせず、私や兄の嫌がる塾へ無理矢理行かせ、私がいじめに遭って自殺を考えていたときも、助けてくれず、お前が悪いと決めつけ、泣いて嫌がる私を引きずって学校へ連れていき、私も兄も、本当にやりたいことはなにひとつやらせてもらえないまま学生時代を終えました。 やりたくないことをやらせ、やりたいことはやらせず、孫がいても知らん顔、子供たちが精神を患うほど傷ついても、その傷に目を向けず、ただ自分たちが生き延びることにだけは貪欲で、母は兄に縋って生き、父は独り暮らしです。 兄もひどかったです。いつも私から小遣いをまきあげ、同じ中学だったのに、私が殴られているのを目撃しても知らん顔、こういう家族を持ってしまった我が身をたまに呪い、病気の相乗効果もあって、落ちるときは日がな一日、床に伏せて、起き上がれず、食事もできない日もあります。 そんな私の唯一の楽しみであり生き甲斐、仕事は絵です。絵でお金をもらっています。母がいつか「あんた、まだ描いてたの?」と露骨に嫌な顔をしました。あの時の顔を一生忘れません。絵は私の誇り、生き甲斐であり、アイデンティティです。 私はその絵で、栄誉ある賞をもらったこともありますし、お金も稼いでいます。それを傷つけた母も許せず、行きたかった絵の専門学校にも行かせてもらえず、何より死を考えるいじめに遭ったときも助けてくれなかった家族を恨み憎んでいます。 こういう毒家族でも、介護してやり、葬式を出し、涙を流さなくてはならないでしょうか? ご回答お待ちしております。

有り難し有り難し 38
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