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hasunoha 問答検索結果 : 「家族 供養 」
検索結果: 1969件

今回の災害についてのお礼とお願い

先日、お願いさせていただきました安否不明の犬につきまして 駄目でした。 泳いでいた犬の情報などはよその子だったのでしょう。 そのままの状態で見つかりました。 こちらへ連れ帰り、皆できれいにしてやって、翌朝一番に荼毘に伏しました。ペット葬やお坊様を呼ぶ余裕もなく、この暑さですので、すぐに送ってあげる必要がありました。 また、菩提寺は遠く、そちらも被害があったかも分かりません。 簡単ではありますが、仏前に骨壺を置いて皆でお経を唱えました。 前回、お祈りして下さったお坊様、ご心配下さったお坊様、ありがとうございました。 最後まで懸命に生き切ったことは、ちゃんと受け止めてやりたいと思います。 あと一つ、これは見ている方にお願いがあります。 被災地へ安否を確認したい時や仕事など、連絡を取らなければならない場合、何度も電話するのは控えて頂けないでしょうか。 皆、疲れています。 食べること、寝ること、猛暑と悪臭の中での片付け、二次災害への備え、喫緊の事務手続きなどで手一杯です。 毎回相手は違っても、何度も同じことを説明するのは非常に疲れます。 仕事仲間、遊び仲間なら代表者を決めて、最低でもその方を経由して、一度に纏めて手短に負担なく伝える準備を整えてから連絡を取って下さい。SNSなどで確認できるなら、そちらを優先してください。 また、使える道路が限られています。 救援車両や地元の車で、ただでさえ渋滞が発生しています。 可能な限り、車での乗り入れは控えてください。 急を要するものであっても、自治体に確認するようお願いします。 そして、ボランティアや支援物資を送りたいけれど、様々な事情でもどかしい思いをしている方へ。 こちらでは、落ち着いて行動できる方、淡々と作業を行える方、体力があり、被災地での生活全般に関しての知識・経験がある方を求めております。 そうでない方は、まずはご自分の生活を第一になさって下さい。 こちらの状況がひと段落した時に、お力を貸して頂けると嬉しく思います。 それまでは、何も焦らないで下さい。 そして、被災地に関して、真偽不確かな情報を鵜呑みにしないでください。 どうか、自分だったらどう思うか、相手の立場になって考えてみてください。 お願いします。

有り難し有り難し 24
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主人の友人が自死しました

こんにちは。悩みがあり、お言葉を頂きたく、相談させていただきます。 先日、主人の友人(Aさん)が自死しました。まだ2週間くらいです。 もう4年くらい連絡をとっていなかったそうですが、主人の落ち込みは相当なものです。病気で身近な人を亡くしても辛いので、その悲しみは理解出来るつもりです。 しかし、それからは毎日のようにAさんのお宅を訪ねています。休日などは夕方~深夜まで帰って来ません。 Aさんのお宅には、奥様、お子さん、Aさんのお父様がいらっしゃいます。また、お墓が近くにあるにも関わらず、お骨も置いてあるそうです。 突然そのようになって、奥様や主人の悲しみは計りしれません。また、そうせざるを得なかったAさんの苦しみも計りしれません。 それは分かっているのですが、「そのようなことがあったお宅」に「お骨がまだある状態」で度々訪問するのが、気持ち悪く感じてしまいます。 そこで聞きたいことは、 49日過ぎていない状態で、(一部の宗派を除き、まだ霊的な存在と言われる状態で)何か悪いことがあるのではないか。 お清めの塩はどのようにするのが効果的なのか。 お坊さんから見て、自然死(老衰、病気など)と自死の違いは何か。 私は主人にどう声をかけ、どのように接するのが最良なのか。 の4つです。ちなみに私はAさんと奥様とは面識がありません。 長くなって申し訳ありません。お考えをお聞かせ頂ければ幸いです。

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亡くなった人のその後の居場所はどこですか?

やっぱり亡くなった人は亡くなればどこにもいなくて、 側で見守っていてくれるというのは、残された人が後追いをしないように、寂しい思いをしないための言葉ですよね。 だって、亡くなった人がこの現実を知るというのは酷だと思うのです。 もし主人がこの現状を見たら、、たぶん怒りと悲しみでもがき苦しむことでしょう。 それとも亡くなればそうした欲はすべてなくなってしまうものということなのでしょうか。 私は、人も植物や虫などと同じで亡くなれば、それで終わりで、魂だって何も残らないと考えてしまいます。 夢の中に出てきてくれても、なぜかいつも亡くなる1日前という設定で私は一人焦るような夢ばかり。 主人がいるのが当たり前で、いないという現実を未だに受け入れられることも出来ずに、それでも日常をこなし、子供たちを育てなくてはならない。 1年たってなんとかやれて来れたと少し自信もついたと思ったのに、最近はどうにもこうにも気持ちが下向きです。今まで自分の悲しみに重い蓋をして過ごしてきてしまったせいか、今になってその蓋が溢れた悲しみで吹き飛ばされそうで、こわいです。 どこかで、主人の今の居場所を肯定したいという気持ちと、ならば自分はこの先どう生きていけばいいのかを知りたいです。 抽象的な文章で、本当に申し訳ありません。 周りの方々には元気でいる姿を見せたくて、こちらでしかお話しできません。私にはありのままの自分が出せるのは、だいぶ努力をして周りに甘えられるようにはなりましたが、今も主人だけなのです。

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死を受け入れられない。わからない。感じない。

今月、無事に女の子を出産しました。 そして、出産当日。 私は以前から余命宣告されていた 恩師のことが気になり、身近な人に 容態を聞くと、 会ってる方がいい と言われました。 でも、その日に急遽入院が決まりました。 私は先生にお願いして恩師に会いに 行かせてもらうことにしました。 恩師は痩せ細り、寝ていましたが 私が行くと目を開けて、出産するために 入院することを伝えると拳を作って 頑張ってと言いました。私が答えると いつものように微笑みながら 頷いてくれました。 私の顔を焼き付けるかのように じっと顔を見つめました。 そしてその日に出産。 身内の人に伝えてもらうと、 よかったと言ってくれました。 次の日、恩師にボイスメッセージ を送りました。それを聞かせて もらうと電話だと思って はーい!こんにちはと言ったそうです。 その日は痛みで辛そうだったみたいで、 身内の方も驚いたそうです。 私はなんとなく、退院の日を1日早めて 赤ちゃんが帰ってくる準備をしようと思い、 1日早く退院しました。それを身内の方に 報告すると、会えるなら会ってほしいと 言われました。あなたを待ってる気がすると。 私はすぐに向かいました。恩師は寝ていて 声かけしても応じてくれませんでしたが、 帰る間際に、わかりますか!きましたよと 伝えると目を開いて頷いてくれました。 そしてまた寝てしまいました。 その日の夜、恩師は亡くなりました。 出産から3日後でした。自分の人生に 悔いなしと言っていました。私はそれから 元気だった頃から亡くなるまでの恩師の 変わり様が頭から離れず、受け入れられず、 怖ささえ感じています。実は出産の3日前に 祖母も亡くしました。大往生でした。 重なりましたが縁起が悪いとは思いませんし 祖母の死は受け入れています。 恩師の死が受け入れられないというより わからないです。またご飯に行こう、 相談しよう、早く会いたいと思ってしまいます。 写真やラインのやりとりを見返す日々です。 悲しいよりも、最期に会った人は誰?と いう感じです。恩師はどこへ行ったのですか。 私のことを待ってくれていたのですか。 そして私が死ぬまでもう会えないのですか。 本当にわからないのです。今もどこかで 生きていて落ち着いたら生まれてきた子を 見せたいのです。おかしいけど、頭では わかっているけどわからないです。

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戒名 院号

祖父が現在危篤状態で、医師から伝えられた余命を過ぎても、奇跡的に生きている状態です。 祖父は昔ながらの仕立て職人で、孫の私に多くのことを残してくれています。 愛する祖父に院号をつけてやりたくて、ご相談です。 祖父が墓を建てたのですが、院号や大姉が多く、墓を建てた祖父に院号がついてないのはやはり気になってしまいます。 祖父が事前に申し込んだ葬儀のセットには、院号の料金は含まれておらず追加の支払いが必要です。 ①いつお坊さんに院号をつけて欲しいとお伝えすべきでしょうか? お坊さんにあってすぐにお願いすべきなのか、戒名をつける前なのか、戒名をつけた後なのかがわからなくて。 ②自分で自分の戒名をつける講習会などや、修行があると聞きました。 意識のない祖父に変わって、孫の私が代わりに参加することで、祖父に院号をつけることはできないのでしょうか? 祖父自身は、負担をかけたくないから院号はいらない!といっていました。 ホームページなどを見ると50万-100万ほどで院号をつけていただけると書いてありました。 学費のために貯めたお金を充てればなんとか工面してやれます。 私の進学を応援していてくれた祖父なので、自分のために貯金を切り崩すとなると、祖父への負担になるのではないかと心配しています。 そのため、なにか別の手が打てないかと考えています。 自分勝手な質問であると思いますが、お知恵をお貸しください。

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父が他界してからの心の穴

 私は3歳のころ母方のおばあちゃんの家に約一年間預けられて育てられました。そこでおばのやさしさとおじの厳しさに触れながら優しい子に育ったつもりです。しかしその後両親の家に戻り、両親に全く懐いてなかったせいもあってか、何事も兄優先でほめられたことなど一度もありません。何をやっても私には関心がなく愛されていないと確信したのも小学生のころでした。その後小学生中学生と人を悲しませる悪いことをしていましました。おばあちゃんの涙を見てしまったときから体の中に電撃が走ったような気持ちになり、このままではいけないと改心したのは中学生の時です。  高校になると部活動で誰にも負けたくなかったのでひたすら努力しました。勉強でもそれは同じです。しかしここで父親が登場します。私の努力をすべて無駄というかのような態度、言動をとってきたように感じました。父は敵。将来はお金をたくさん稼いでこいつを苦しめて、父が死ぬときは一番苦しい死を与えてやろう。愛されて育った兄が憎い。愛さなかった両親が憎い。死ぬ気で頑張って見返してやろうと努力をしてきました。  長くなりなりましたが本題です。大学一年の夏に父が急性心筋梗塞で他界しました。葬式で、父の亡骸をみてまた体の中に電撃が走ったような感覚に陥りました。父は、母は、私を愛していた。私が子供だっただけで何もわかってなかった。なのにわかったようなふりをしていただけのただのガキだったんだ。父が死んだのは私に対するストレスだ。なんてことをしてしまったんだ。罪の意識に苛まれたまま夏休みが過ぎ、ある決断をします。残った母を幸せにしてあげよう。そのためならどんな苦しいことでも頑張ると。  今まで私がとってきた態度のせいで母と兄からは邪魔者扱いされる日々です。すべて受け入れているのですが私の思いが通じなくてつらいです。  最近は何をしても楽しめません。母を幸せにする気持ちと父に対する罪を背負って生きていく覚悟は固まっているのですが、果たして本当に正しいのかもわかりません。どうやって生きていけばいいのですか。何をしても申し訳ないという気持ちしか湧いてきません。自分の幸せのために頑張ったことがないので自分の幸せを望むなど考えられません。いつも人と比較して負けないためか、相手を倒すためにしか努力をしたことがありません。こんな私でも自分の幸せを願っていいのでしょうか。

有り難し有り難し 21
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どうやって生きればいいのか

今年の3月に娘が自殺しました 実家ではなく 都内のアパートで首吊りです 娘は過食嘔吐の摂食障害でした 病院にも行ったんですがなかなか良くは なりませんでした 毎日毎日大量の食べ物を買い大量のごはんを 作るのに私も疲れていました 実家から都内に行くと言った時に 私も疲れていて止めませんでした 私が止めなかったので 娘は見捨てられたと 思って ひとりぼっちでは生きられないと 遺書を残し実家を出て3日目に自殺しました 私の責任ですね 私はその時はもう大量の食料を買ったりで お金がなかったので疲れてました あんなに私に優しかった娘 いつもいつも大好きだよって 私の事を自分の事より大事にしてくれていたのに 私は自分の疲れでいっぱいになり 娘を守れなかった この世の中で娘ほど私を大事にしてくれた人は いないのに 私は最低です 生きる価値がない 娘を死なせた 大事な娘だったのに 私も死にたい でもまだ両親が健在なので悲しませられないから 生きるしか今はない けど毎日が辛すぎて娘は最後 どれだけ絶望して死んでいったんだろう 唯一の味方だと信じていた私に見捨てられたと どれだけ辛かったんだろう 本当に生きる資格もない どんな風に考えて生きていけばいいでしょうか 長々とすみません

有り難し有り難し 48
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2025/05/12

自分はやはり地獄行きなのではないか

私の気持ちを告白させてください。 最近母が亡くなりました。まだ働きざかりであまりにも突然な事でした。 私は生まれつきの病気で辛い治療の末なんとか人並みに働くことができるほどに回復しました。 しかし20歳の頃持病が由来で自分は子供を作れない体質であることがわかりました。 私は親に孫の顔も見せられず、自分の体質を憎もうにも親を責めることもできず、せめて母の誇りに思うような人になろうと努力して来ました。 ですが、母は突然の病気で入院から一ヶ月も経たずに亡くなってしまいました。私は弱っていく母の手を握って恩返しできなくてごめんね、と泣きながら縋り付くことしかできませんでした。 治療の痛みに苦しんでいた自分に、お母さんが代わってあげたいと悲しそうな顔で見つめて手を握ってくれていた母の姿がずっと記憶に焼き付いて離れません。 私は母が欲しがっていた車や好きなものを買ってあげられるように頑張って稼ごうと働いてきました。ですがそれはもう叶わぬ事となってしまいました。 母は病気の私の役に立とうと医療職で働く事を選び、ずっと私の治療に寄り添ってくれました。こんな立派な母は必ず天国に行くのだろうと確信しております。 しかし私は親に孫の顔を見せることもできず充分な親孝行もできずに終わってしまったことを日々悔いて生きております。こんな親不孝な私は地獄に行くのではないか、亡くなってからも母に見せる顔がないと感じてしまいます。 こんな私はやはり母に会う資格は無いのでしょうか。私はこれからどう生きて行くべきなのでしょうか。

有り難し有り難し 9
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仲良くしていたおじいさんが亡くなりました

仕事の関係で知り合って、プライベートでも仲良くしていたおじいさんが亡くなっていた事が、最近判明しました。享年93歳でした。 私は旅行の添乗員をしていて、ツアーでご案内したあるおじいさんと、仲良くなり、プライベートでも食事に行ったりしていました。 おじいさんも私の事を気に入ってくれ「3か月に一回は会いましょう」と言ってくれ、自分では入れないような高級レストランに何度もつれて行ってくれました。 そんな感じでしたが、2012年に入ってからは連絡の間隔があき、何度か携帯電話に着信があったけれども、こちらも仕事で忙しく、そのまま折り返しするのを忘れたりしたこともありました。 おじいさんから年賀状をもらったりもしましたが、私は旅行業従事者で、年末年始が年で一番の繁忙期のため、つい年賀状を送るのをさぼったりもしていました。 2013年の5月、なぜだかどうしてもおじいさんと連絡を取らないといけないような気がして、遅すぎる年賀状の返事を出しました(年賀状と言えないですね・汗) ハガキを出したらおじいさんから電話がありました。でも何だかとても様子がおかしかったので、大丈夫かな、とは思ったんです。(通話履歴を確認したところ、2013年の5月18日でした) その後連絡がなく、心配だったので、忙しかったけれど、今年は頑張って元日につくように年賀状を出したのですが、返事がありませんでした。 そしてつい昨日、夢におじいさんが出てきたのでもしかして…と思い現役時代に勤務されていた新聞社の会報の訃報欄を調べてみたら… 2013年の5月24日に亡くなっていました。 こうなると色々考えてしまいます。いくら繁忙期だって、一枚くらい年賀状を書けたんじゃないか、何度か着信があったのに、折り返しを忘れてしまったこと、もう少し積極的にこちらから連絡しても良かったんじゃないか…などなど。大変失礼ながら、知り合った時点で高齢だったので、いつ亡くなってもおかしくないと分かっていたのに、行動に移さなかった自分に後悔です。今となっては遅いですが… 私はこれからどう気持ちを持っていったらいいでしょうか?アドバイス願います

有り難し有り難し 34
回答数回答 4