こんばんは。先日こちらで有り難いお言葉を頂き少し気持ちが楽になってきたはずだったのですが、母が亡くなり今日で13日...今日まで母が亡くなったことを受け入れられない自分がいて感情を上手くコントロールできないなりに今日まで過ごしてきました。ですが母の部屋で母がいた時のように過ごしていた時にふと、「あっ、お母さん本当にいなくなってしまったんだ」と現実に引き戻され今まで経験したことのないような悲しさ、寂しさ、絶望感におそわれ息するのがやっとな状態が続いています。外に出ては どこも母と歩いた場所だらけ。自分の感情が全くわからず何をどうしていいかパニックになってしまいおかしくなりそうです。気がつくと「お母さん、お母さん」と口に出しながら泣いてしまっています。知り合いの人達は、悲しんでいると お母さん安心できないよと言い私自身も頭ではわかっているのですが気持ちが全くついてきません。今、苦しくて苦しくてしかたありません。私はやはりおかしいのですか?自分が情けなくてしかたありません。
こんにちは。悩みがあり、お言葉を頂きたく、相談させていただきます。 先日、主人の友人(Aさん)が自死しました。まだ2週間くらいです。 もう4年くらい連絡をとっていなかったそうですが、主人の落ち込みは相当なものです。病気で身近な人を亡くしても辛いので、その悲しみは理解出来るつもりです。 しかし、それからは毎日のようにAさんのお宅を訪ねています。休日などは夕方~深夜まで帰って来ません。 Aさんのお宅には、奥様、お子さん、Aさんのお父様がいらっしゃいます。また、お墓が近くにあるにも関わらず、お骨も置いてあるそうです。 突然そのようになって、奥様や主人の悲しみは計りしれません。また、そうせざるを得なかったAさんの苦しみも計りしれません。 それは分かっているのですが、「そのようなことがあったお宅」に「お骨がまだある状態」で度々訪問するのが、気持ち悪く感じてしまいます。 そこで聞きたいことは、 49日過ぎていない状態で、(一部の宗派を除き、まだ霊的な存在と言われる状態で)何か悪いことがあるのではないか。 お清めの塩はどのようにするのが効果的なのか。 お坊さんから見て、自然死(老衰、病気など)と自死の違いは何か。 私は主人にどう声をかけ、どのように接するのが最良なのか。 の4つです。ちなみに私はAさんと奥様とは面識がありません。 長くなって申し訳ありません。お考えをお聞かせ頂ければ幸いです。
私は息子を亡くしました。 それから考えることは『死』についてです。 やはり『死んでしまいたい』という気持ちが消えません。 前向きになっても、ふと『死んでしまいたい』と思ってしまいます。 それは、亡くなった息子に会いたいと言うよりは自分の将来が不安で生きるのが辛いからなのかもしれません。どうせ不幸が待っていると思ってしまいます。 このまま生きていくのが不安で押し潰されそうです。 仕事をし前のような生活をしたいですが、上手くいかず主人にとうとう怒られました。 『全てが中途半端』『どう生きたいんだ?』と、、主人も息子を亡くした親なのに私が甘えすぎていたのだと思います。 私のうじうじした気持ちをなくし、頑張りたいのですが将来(未来)を思うと苦しくなります… どうすれば前向きな気持ちが続くでしょうか。どうすれば強くなれるでしょうか。
やっぱり亡くなった人は亡くなればどこにもいなくて、 側で見守っていてくれるというのは、残された人が後追いをしないように、寂しい思いをしないための言葉ですよね。 だって、亡くなった人がこの現実を知るというのは酷だと思うのです。 もし主人がこの現状を見たら、、たぶん怒りと悲しみでもがき苦しむことでしょう。 それとも亡くなればそうした欲はすべてなくなってしまうものということなのでしょうか。 私は、人も植物や虫などと同じで亡くなれば、それで終わりで、魂だって何も残らないと考えてしまいます。 夢の中に出てきてくれても、なぜかいつも亡くなる1日前という設定で私は一人焦るような夢ばかり。 主人がいるのが当たり前で、いないという現実を未だに受け入れられることも出来ずに、それでも日常をこなし、子供たちを育てなくてはならない。 1年たってなんとかやれて来れたと少し自信もついたと思ったのに、最近はどうにもこうにも気持ちが下向きです。今まで自分の悲しみに重い蓋をして過ごしてきてしまったせいか、今になってその蓋が溢れた悲しみで吹き飛ばされそうで、こわいです。 どこかで、主人の今の居場所を肯定したいという気持ちと、ならば自分はこの先どう生きていけばいいのかを知りたいです。 抽象的な文章で、本当に申し訳ありません。 周りの方々には元気でいる姿を見せたくて、こちらでしかお話しできません。私にはありのままの自分が出せるのは、だいぶ努力をして周りに甘えられるようにはなりましたが、今も主人だけなのです。
今月、無事に女の子を出産しました。 そして、出産当日。 私は以前から余命宣告されていた 恩師のことが気になり、身近な人に 容態を聞くと、 会ってる方がいい と言われました。 でも、その日に急遽入院が決まりました。 私は先生にお願いして恩師に会いに 行かせてもらうことにしました。 恩師は痩せ細り、寝ていましたが 私が行くと目を開けて、出産するために 入院することを伝えると拳を作って 頑張ってと言いました。私が答えると いつものように微笑みながら 頷いてくれました。 私の顔を焼き付けるかのように じっと顔を見つめました。 そしてその日に出産。 身内の人に伝えてもらうと、 よかったと言ってくれました。 次の日、恩師にボイスメッセージ を送りました。それを聞かせて もらうと電話だと思って はーい!こんにちはと言ったそうです。 その日は痛みで辛そうだったみたいで、 身内の方も驚いたそうです。 私はなんとなく、退院の日を1日早めて 赤ちゃんが帰ってくる準備をしようと思い、 1日早く退院しました。それを身内の方に 報告すると、会えるなら会ってほしいと 言われました。あなたを待ってる気がすると。 私はすぐに向かいました。恩師は寝ていて 声かけしても応じてくれませんでしたが、 帰る間際に、わかりますか!きましたよと 伝えると目を開いて頷いてくれました。 そしてまた寝てしまいました。 その日の夜、恩師は亡くなりました。 出産から3日後でした。自分の人生に 悔いなしと言っていました。私はそれから 元気だった頃から亡くなるまでの恩師の 変わり様が頭から離れず、受け入れられず、 怖ささえ感じています。実は出産の3日前に 祖母も亡くしました。大往生でした。 重なりましたが縁起が悪いとは思いませんし 祖母の死は受け入れています。 恩師の死が受け入れられないというより わからないです。またご飯に行こう、 相談しよう、早く会いたいと思ってしまいます。 写真やラインのやりとりを見返す日々です。 悲しいよりも、最期に会った人は誰?と いう感じです。恩師はどこへ行ったのですか。 私のことを待ってくれていたのですか。 そして私が死ぬまでもう会えないのですか。 本当にわからないのです。今もどこかで 生きていて落ち着いたら生まれてきた子を 見せたいのです。おかしいけど、頭では わかっているけどわからないです。
祖父が現在危篤状態で、医師から伝えられた余命を過ぎても、奇跡的に生きている状態です。 祖父は昔ながらの仕立て職人で、孫の私に多くのことを残してくれています。 愛する祖父に院号をつけてやりたくて、ご相談です。 祖父が墓を建てたのですが、院号や大姉が多く、墓を建てた祖父に院号がついてないのはやはり気になってしまいます。 祖父が事前に申し込んだ葬儀のセットには、院号の料金は含まれておらず追加の支払いが必要です。 ①いつお坊さんに院号をつけて欲しいとお伝えすべきでしょうか? お坊さんにあってすぐにお願いすべきなのか、戒名をつける前なのか、戒名をつけた後なのかがわからなくて。 ②自分で自分の戒名をつける講習会などや、修行があると聞きました。 意識のない祖父に変わって、孫の私が代わりに参加することで、祖父に院号をつけることはできないのでしょうか? 祖父自身は、負担をかけたくないから院号はいらない!といっていました。 ホームページなどを見ると50万-100万ほどで院号をつけていただけると書いてありました。 学費のために貯めたお金を充てればなんとか工面してやれます。 私の進学を応援していてくれた祖父なので、自分のために貯金を切り崩すとなると、祖父への負担になるのではないかと心配しています。 そのため、なにか別の手が打てないかと考えています。 自分勝手な質問であると思いますが、お知恵をお貸しください。
僕は中学生で、興味のある職業について調べています。 僕が選んだ職業は、趣味の仏像鑑賞にも精通する僧侶です。 質問の内容なのですが ・仕事内容 ・その職業に就くためにどうすればよいか ・仕事中に心がけていること ・その仕事をしていてやりがいを感じるとき この質問に答えていただけないでしょうか。宗派や、寺院によって変わることは、承知しております。 答えづらい質問は無視していただいて結構です。 よろしくお願いします。
私は3歳のころ母方のおばあちゃんの家に約一年間預けられて育てられました。そこでおばのやさしさとおじの厳しさに触れながら優しい子に育ったつもりです。しかしその後両親の家に戻り、両親に全く懐いてなかったせいもあってか、何事も兄優先でほめられたことなど一度もありません。何をやっても私には関心がなく愛されていないと確信したのも小学生のころでした。その後小学生中学生と人を悲しませる悪いことをしていましました。おばあちゃんの涙を見てしまったときから体の中に電撃が走ったような気持ちになり、このままではいけないと改心したのは中学生の時です。 高校になると部活動で誰にも負けたくなかったのでひたすら努力しました。勉強でもそれは同じです。しかしここで父親が登場します。私の努力をすべて無駄というかのような態度、言動をとってきたように感じました。父は敵。将来はお金をたくさん稼いでこいつを苦しめて、父が死ぬときは一番苦しい死を与えてやろう。愛されて育った兄が憎い。愛さなかった両親が憎い。死ぬ気で頑張って見返してやろうと努力をしてきました。 長くなりなりましたが本題です。大学一年の夏に父が急性心筋梗塞で他界しました。葬式で、父の亡骸をみてまた体の中に電撃が走ったような感覚に陥りました。父は、母は、私を愛していた。私が子供だっただけで何もわかってなかった。なのにわかったようなふりをしていただけのただのガキだったんだ。父が死んだのは私に対するストレスだ。なんてことをしてしまったんだ。罪の意識に苛まれたまま夏休みが過ぎ、ある決断をします。残った母を幸せにしてあげよう。そのためならどんな苦しいことでも頑張ると。 今まで私がとってきた態度のせいで母と兄からは邪魔者扱いされる日々です。すべて受け入れているのですが私の思いが通じなくてつらいです。 最近は何をしても楽しめません。母を幸せにする気持ちと父に対する罪を背負って生きていく覚悟は固まっているのですが、果たして本当に正しいのかもわかりません。どうやって生きていけばいいのですか。何をしても申し訳ないという気持ちしか湧いてきません。自分の幸せのために頑張ったことがないので自分の幸せを望むなど考えられません。いつも人と比較して負けないためか、相手を倒すためにしか努力をしたことがありません。こんな私でも自分の幸せを願っていいのでしょうか。
以前自分が少し眼を話した隙に、車の事故で子供を亡くした友人がいます。今でも苦しんでいるようなので、どのように声をかけて励ませばよいか悩んでいるのですが・・・ 魂や輪廻転生といったもののお話ができて、説明できると少しは気が楽になるのではと思うのですが、お答えいただける方、いらしたらご回答をよろしくお願いいたします。
自分の死後はお墓に入らずに石になりたいと考えています。 私は石や結晶の類が大好きで、子供の頃から自分は死んだら石になりたいと思ってきました。ある遺族がお骨を加工して肌身離さず持っているというTV番組を見てからそう思う様になりました。その方は人口の宝石にしていましたが、私は小さな手のひらサイズのただの石を希望しています。 そしていつか旦那と揃って石になり、二人分そろったところでどこかの海に投げ込んで欲しいと思っています。山でもいいです。 自分の希望が確実に反映されるかは子供世代次第なので、最悪第三者にゴミとしてゴミ箱に捨てられてしまうかもしれない事は覚悟しています。 ですが、気になることがあります。お墓に入らないという事はご先祖に不義理であったり、お墓が無い事で子孫を不幸にしてしまうのでしょうか。
私の気持ちを告白させてください。 最近母が亡くなりました。まだ働きざかりであまりにも突然な事でした。 私は生まれつきの病気で辛い治療の末なんとか人並みに働くことができるほどに回復しました。 しかし20歳の頃持病が由来で自分は子供を作れない体質であることがわかりました。 私は親に孫の顔も見せられず、自分の体質を憎もうにも親を責めることもできず、せめて母の誇りに思うような人になろうと努力して来ました。 ですが、母は突然の病気で入院から一ヶ月も経たずに亡くなってしまいました。私は弱っていく母の手を握って恩返しできなくてごめんね、と泣きながら縋り付くことしかできませんでした。 治療の痛みに苦しんでいた自分に、お母さんが代わってあげたいと悲しそうな顔で見つめて手を握ってくれていた母の姿がずっと記憶に焼き付いて離れません。 私は母が欲しがっていた車や好きなものを買ってあげられるように頑張って稼ごうと働いてきました。ですがそれはもう叶わぬ事となってしまいました。 母は病気の私の役に立とうと医療職で働く事を選び、ずっと私の治療に寄り添ってくれました。こんな立派な母は必ず天国に行くのだろうと確信しております。 しかし私は親に孫の顔を見せることもできず充分な親孝行もできずに終わってしまったことを日々悔いて生きております。こんな親不孝な私は地獄に行くのではないか、亡くなってからも母に見せる顔がないと感じてしまいます。 こんな私はやはり母に会う資格は無いのでしょうか。私はこれからどう生きて行くべきなのでしょうか。
仕事の関係で知り合って、プライベートでも仲良くしていたおじいさんが亡くなっていた事が、最近判明しました。享年93歳でした。 私は旅行の添乗員をしていて、ツアーでご案内したあるおじいさんと、仲良くなり、プライベートでも食事に行ったりしていました。 おじいさんも私の事を気に入ってくれ「3か月に一回は会いましょう」と言ってくれ、自分では入れないような高級レストランに何度もつれて行ってくれました。 そんな感じでしたが、2012年に入ってからは連絡の間隔があき、何度か携帯電話に着信があったけれども、こちらも仕事で忙しく、そのまま折り返しするのを忘れたりしたこともありました。 おじいさんから年賀状をもらったりもしましたが、私は旅行業従事者で、年末年始が年で一番の繁忙期のため、つい年賀状を送るのをさぼったりもしていました。 2013年の5月、なぜだかどうしてもおじいさんと連絡を取らないといけないような気がして、遅すぎる年賀状の返事を出しました(年賀状と言えないですね・汗) ハガキを出したらおじいさんから電話がありました。でも何だかとても様子がおかしかったので、大丈夫かな、とは思ったんです。(通話履歴を確認したところ、2013年の5月18日でした) その後連絡がなく、心配だったので、忙しかったけれど、今年は頑張って元日につくように年賀状を出したのですが、返事がありませんでした。 そしてつい昨日、夢におじいさんが出てきたのでもしかして…と思い現役時代に勤務されていた新聞社の会報の訃報欄を調べてみたら… 2013年の5月24日に亡くなっていました。 こうなると色々考えてしまいます。いくら繁忙期だって、一枚くらい年賀状を書けたんじゃないか、何度か着信があったのに、折り返しを忘れてしまったこと、もう少し積極的にこちらから連絡しても良かったんじゃないか…などなど。大変失礼ながら、知り合った時点で高齢だったので、いつ亡くなってもおかしくないと分かっていたのに、行動に移さなかった自分に後悔です。今となっては遅いですが… 私はこれからどう気持ちを持っていったらいいでしょうか?アドバイス願います
約4か月前に2回、親との関係修復の件で相談しました。その後の、その続きの相談になります。 その後も、手紙を出したりしましたが、返事はありません。自分でも、ここに相談させていただき回答をいただいたので、何度も読んで考えたりしました。 親には親の気持ちがあるのでしょうから、諦め時かなとも感じたりしています。しかし、最後に親戚に仲裁をお願いしたいと考えました。 ただ、親戚は迷惑かなと思い頼めないでいます。最後は、これが精いっぱいの考えで他に浮かばずです。仲裁と言うより、仲介というのかもしれません。
今年の3月に娘が自殺しました 実家ではなく 都内のアパートで首吊りです 娘は過食嘔吐の摂食障害でした 病院にも行ったんですがなかなか良くは なりませんでした 毎日毎日大量の食べ物を買い大量のごはんを 作るのに私も疲れていました 実家から都内に行くと言った時に 私も疲れていて止めませんでした 私が止めなかったので 娘は見捨てられたと 思って ひとりぼっちでは生きられないと 遺書を残し実家を出て3日目に自殺しました 私の責任ですね 私はその時はもう大量の食料を買ったりで お金がなかったので疲れてました あんなに私に優しかった娘 いつもいつも大好きだよって 私の事を自分の事より大事にしてくれていたのに 私は自分の疲れでいっぱいになり 娘を守れなかった この世の中で娘ほど私を大事にしてくれた人は いないのに 私は最低です 生きる価値がない 娘を死なせた 大事な娘だったのに 私も死にたい でもまだ両親が健在なので悲しませられないから 生きるしか今はない けど毎日が辛すぎて娘は最後 どれだけ絶望して死んでいったんだろう 唯一の味方だと信じていた私に見捨てられたと どれだけ辛かったんだろう 本当に生きる資格もない どんな風に考えて生きていけばいいでしょうか 長々とすみません
以前、友人とお参りしたお寺で「般若心経を写経すると病気が治る」等のお話を聞かせてもらいました。 大学時代から仏教が好きで個人的に学んでいたのですが、「般若心経を写経するとご利益がある」等の考えにどうも違和感を覚えます。 般若心経を写経すると願いが叶うのでしょうか?
ネット配信サービスで映画『ファンシィダンス』を観ました。 主演の本木雅弘さんは私とほぼ同世代ですが、公開当時はお寺に関心がなく、観ていませんでした。改めて今観ると、とてもコミカルで楽しい作品で、「もっと早く観ておけばよかった」と思いました。(当時のバブル時代の雰囲気も懐かしいです) この作品はお寺での厳しい修行が見どころですが、実際に修行を経験されたお坊様方のご感想や体験談、ツッコミをぜひ伺ってみたいです。 たとえば―― 「ここに共感した」 「ここは現実ではあり得ない」 「自分の時はもっとツワモノがいた」 「私はこんな失敗をやらかした」 ……などなど。 宗派や時代は問いません。皆さまのリアルなお話を楽しみにしています。
先月母が亡くなりました。 父から葬儀の事に関して、丸投げされていたので、私が葬儀屋さんに電話し、喪主を勤めました。 葬儀屋さんと打ち合わせ中に、お寺のお坊さんがいつ葬儀に来てくれるか電話するように言われました。 お坊さんに電話したら、“枕行に行きたい“と言われました。 今朝母が亡くなった事で気持ちが動転していて、葬儀屋さんとプランの話し中だったことで、また後で電話すると言って電話を切りましたが、私は電話をするのをすっかり忘れていました。 それから2〜3時間後にお坊さんから連絡があり、お坊さんを怒らせてしまいました。 母の戒名を考えるために明日、寺に来るのかと言われましたが、私は逆ギレしてしまい、上から目線だとお坊さんに言ってしまいました。 うちにはお金も無いと伝えました。 私のほうからお坊さんに用事があって電話したのに、逆ギレしてしまうほど、まともでは無く、冷静ではありませんした。 葬儀の日に待合室で、“待てど暮らせど電話がなかった。自分から連絡してきて、あの態度は何だ。枕行をやらなかったのは初めてだ。“ともっともな事を言っていました。 今日は母の49日でした。 お経を詠んでもらい、お話しを聞いていましたが、お坊さんは私とは目を合わせませんでした。 お話が終わると、お坊さんさんは烈火の如く怒り始めました。 “何故遺骨を持ってこない?こんな事は初めてだ。“ “何故49日の打ち合わせに来ない?今日は来ないかと思っていた“ “枕行をやらなかったのは初めてだ“ “お父さんは萎縮してしまって、あなたに何も言えない“ “自分のやりたい事だけをやって、周りに迷惑をかけている“ “枕行しに行きましょうかと言った日は、もっと若い女性が悩んでいるのかと思ったら、36歳だったなんて!“ “あなたがした事で、お父さんは謝っているのを知っているか?“ “葬儀の時にお布施5万、御膳料5千円、御車代5千円の6万だったけど、0が一個足りねぇよ“ と親族の目の前で言われました。 お坊さんの大きな声で何故何故といわれて私は何も言い返すことができませんでした。 私の実家はこの先墓じまいになります。 母の遺骨はそこには入れたくありません。 お骨は私の家にあります。 来年の一周忌、3回忌、七回忌…毎回このお坊さんに会うと考えると気が重くなります。
祖母を亡くしてから半年で祖父を亡くしました。その気持ちに整理がつきません。 祖父は最愛の祖母を亡くした後、体が弱り入院しましたが、コロナ禍で見舞いもできず、危篤の際に短い時間に1人ずつ面会できただけでした。 病院近くにホテルも取って駆けつけられるようにしていたのに、情けない事に亡くなる瞬間には間に合いませんでした。 初孫で本当に可愛がってくれたのに、こんなに突然二人とも亡くしてしまうなんて。特に祖父は、こんなに寂しい最期になってしまったのが悲しくて、申し訳なくて仕方ありません。 ただ、祖父母共にコロナなどの病死ではなく老衰だったので、天寿をまっとうしたのは幸いだったと自分を慰めていました。 そんな中「マスクを外そう」「コロナはデマ」と駅前演説をしている人達を目の当たりにしてしまいました。 それを引き金に、 「コロナ禍さえなければ、もっと祖父母に会いに行けたのに」 「入院した祖父をお見舞いに行けたのに」 「危篤になった祖父の手をずっと握っていれたのに」 「今際の際に独りにせずにいられたのに」 という気持ちがずっと頭で渦巻いています。 コロナはしかたない。感染対策の面会制限はしかたない。寿命はしかたない。 それで抑えていた後悔ややるせなさが、先述した活動・主張をする人達への怒り、腹立たしさとなって噴出してきます。 陰謀論やら何やら面白おかしく騒ぐ人達に向かって「じゃあ何ですか、私が祖父とこんな別れ方をしなきゃいけなかったのは、あなた方が面白おかしく言ってるデマや陰謀論やらのせいですか、こんな思いをしてる人も居るのに騒いで楽しいですか」と喚きたくなります。 そんな事あるわけないのに「こんな考えの人がいなければコロナはもっと早く終息していたかもしれないのに」と考えてしまいます。 いやそもそも、コロナなんて関係なく、もっと私が孝行していれば良かった。そうすれば幾分か気持ちもマシだったかもしれません。 これは八つ当たり過ぎないのだと思います。 ただ、 祖父の四十九日を心穏やかに迎えるために、 祖父母を偲ぶ際にこんな恨みのような気持ちを持ち出さないように、 この怒りを落ち着ける方法など、何かご教授いただけたら幸いです。 ここまでご覧いただきありがとうございました。
10年前父が他界しました。 お父さんっ子だった私にとって今までで1番辛い出来事でした。 翌年、その出来事がストレス要因となり病気を発症しました。 病気になったことにより、容姿に変化があり、沢山いじめを受けました。 何度も何度も自殺を考えました。 でも、上手く自殺する方法が思いつかなくて、行動に移せませんでした。 病気ということを理由に、ハブられ、下に見られ、生きてる価値ってあるのかなと思うようになりました。 親戚に相談したいことあればなんでもいいよと言われたため、相談したところ、若いのに命を粗末にするな、そんなしょうもない話をするな、もう少し頑張れるだろなど、相談したことにより、余計に追い込まれました。 友人に相談したこともあります。しかし、裏切られ、頭のおかしい奴として広められて、居場所がありません。 もう生きてても辛いです。何に対しても意欲を感じず、早くこの世界からいなくなりたいって思ってます。 自分の好きなようにはいかないとわかっています。でももう、限界が来ました。 死んだ時は父に会うことが出来ますか? 父に会うことが出来るのであれば、早くこの世界から旅に出ようと思います。
浄土真宗本願寺派の法要についてお尋ねします。 先日父が他界し、三七日を終えたところです。この後、四七日、五七日、月忌、六七日、四十九日と続きます。 この法要についてよく聞くのが、七日毎に亡くなった人が裁かれていて49日目に浄土に行けるかどうかが決まるという話です。 しかし、浄土真宗では亡くなってすぐに阿弥陀様が迎えに来て浄土に連れてってくれると聞きました。 だとすると、49日までの七日毎の法要はどう言った意味があるのでしょうか? また、線香や灯を絶やしてはいけないというのも、浄土へ行くまで迷わないようにと聞きましたが、浄土真宗では阿弥陀様が案内してくださるとのこと。灯や線香も絶やさずにというのは必要あるのでしょうか? 色々腑に落ちないことが多く、教えていただきたくお願い申し上げます。